大分空港に着きましたが、出発までには、大分時間がありました。そこで、大分空港の近くの知り合いを訪ねて、久しぶりに歓談しました。そこで、この周りの名所を聞いて、回ることにしました。まず、向かったのは、富貴寺です。

(富貴寺案内板)
富貴寺は、四季折々に美しく表情を変えるみほとけの里、国東。蓮華山富貴寺(蕗寺)は、六郷満山のなかで、満山を統括した西叡山高山寺の末寺の一つ。天台宗に属している。寺伝によると、養老2年(718)仁聞菩薩の開基といわれている。昔この地に、高さ970丈もある榧(かや)の大木がありました。その影は数里を越え、朝は河内の塔御堂、夕には田原の釜割まで届いたそうです。竹田番匠が、この榧の木の一本で大堂を造り、仏像を刻んだといいます。その余材で牛を刻み、それでもまだ余材があったので、刻んだ牛に乗せて熊野に運んだところ、途中で牛が動かなくなりました。その地に建てたお堂が、真木の大堂であると言い伝えられています。国宝・大堂は西国唯一の阿弥陀堂であり、九州最古の和様建築物です。内陣中央には本尊阿弥陀如来坐像(重文)が安置され、堂内の壁画(重文)は平安三壁画の一つに数えられています。境内には国東塔、石殿、板碑、笠塔婆、仁王像、梵字石などが多数あります。(パンフレットから)





(富貴寺)
(写真撮影:2013.04)

(富貴寺案内板)
富貴寺は、四季折々に美しく表情を変えるみほとけの里、国東。蓮華山富貴寺(蕗寺)は、六郷満山のなかで、満山を統括した西叡山高山寺の末寺の一つ。天台宗に属している。寺伝によると、養老2年(718)仁聞菩薩の開基といわれている。昔この地に、高さ970丈もある榧(かや)の大木がありました。その影は数里を越え、朝は河内の塔御堂、夕には田原の釜割まで届いたそうです。竹田番匠が、この榧の木の一本で大堂を造り、仏像を刻んだといいます。その余材で牛を刻み、それでもまだ余材があったので、刻んだ牛に乗せて熊野に運んだところ、途中で牛が動かなくなりました。その地に建てたお堂が、真木の大堂であると言い伝えられています。国宝・大堂は西国唯一の阿弥陀堂であり、九州最古の和様建築物です。内陣中央には本尊阿弥陀如来坐像(重文)が安置され、堂内の壁画(重文)は平安三壁画の一つに数えられています。境内には国東塔、石殿、板碑、笠塔婆、仁王像、梵字石などが多数あります。(パンフレットから)





(富貴寺)
(写真撮影:2013.04)
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