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昭JIJI(アキラジジ)の島旅賛歌*参加

日本全国に有人島が434島ほどある。全島制覇すべく島旅を継続中。

宮城県への島旅 51回目

2014-01-20 04:30:00 | 03北日本・宮城県・牡鹿諸島
この神社は、稲荷神社です。鳥居の横に説明文が書かれた案内板がありました。嘉承元年(1106)の創社と書かれていました。古い神社ですね。


(稲荷神社の説明文)

朱塗りの社殿です。


(朱塗りの社殿)

いつものように拝殿内を見てみました。


(拝殿内)

周りを見ると奥殿もありました。拝殿から奥が見えませんでした。


(奥殿)

港へ戻ることにしましたが、この場所が先ほどの方が言っていた場所です。こういう湾の奥にも津波がやっていたのですね。


(港へ戻ることに)

仁戸田港へ戻ってきました。ゆっくりとした田代島の散策でした。


(仁戸田港)
(写真撮影:2013.10)

宮城県への島旅 50回目

2014-01-19 04:30:00 | 03北日本・宮城県・牡鹿諸島
お寺の名前は、満福寺です。いつものように本堂の中をのぞいてみました。


(本堂)

新しいお墓がありました。津波で亡くなった方のでしょうか。


(新しいお墓)

古い石碑もありました。


(古い石碑)

さらに歩いているとカゴを背負って歩く人がいました。すごく早足でした。追いついて、この辺に神社がないかと聞きました。


(カゴを背負って歩く人)

その方向に帰るので、一緒に行きましょうと言われました。その途中、津波のことを聞くと「津波に流されたとのことでした。たまたま上にある家の屋根に捕まることができて、助かった。」とのことでした。すごい経験をされたようです。鳥居のところで、お別れしました。


(鳥居)

今は、上の方に住んでいるとのことで、そのまま上の方へ向かわれました。すごい早足でした。


(上の方へ)
(写真撮影:2013.10)

宮城県への島旅 49回目

2014-01-18 04:30:00 | 03北日本・宮城県・牡鹿諸島
海岸線に出てきました。見える建物が健在ということは、あの高さまでは、津波が行かなかったということでしょうか。


(海岸線に)

海岸線から少し登っていくと郵便局がありました。赤いポストも懐かしいですね。


(郵便局)

田代島簡易郵便局です。ガラス窓には、田代島の風景が飾られていました。


(田代島簡易郵便局)

島内散策を続けました。


(島内散策を)

お寺がありました。車が止まっていて、何か工事がされていました。




(お寺)
(写真撮影:2013.10)

宮城県への島旅 48回目

2014-01-17 04:30:00 | 03北日本・宮城県・牡鹿諸島
JFの建物も再建されていました。


(JFの建物)

田代島開発総合センターの方へ戻りました。


(田代島開発総合センター)

ネコが何か、獲物をくわえて歩いていました。魚のようですね。


(獲物をくわえて)

手前が更地で、草が生え、奥は、昔の木造りの建物が残っていました。この高さの差で、津波からの災害の差が残ったのでしょうか。


(津波の差)

診療所です。毎日ではなく、定期的な回診のようです。


(診療所)

少し高台にあったのでしょうか、建物は残っていました。


(少し高台の建物)
(写真撮影:2013.10)

宮城県への島旅 47回目

2014-01-16 04:30:00 | 03北日本・宮城県・牡鹿諸島
お昼になったので、近くの公園述べ地で、持ってきたコンビニのおにぎりを食べていたところ、足元にネコがやってきました。少しちぎってやりましたが、ノリ付は食べつらいのかにおいをかぎましたが、そのまま食べませんでした。


(コンビニのおにぎりを食べない)

仁戸田に戻ってきました。


(仁戸田)

田代島開発総合センターの近くに大きな倉庫とフォークリフトがありました。フォークリフトは何に使っているのでしょうか。


(倉庫とフォークリフト)

定期船の乗り場へ向かおうとしましたが、時間的に早くて、もう少し島内散策をすることにしました。


(定期船の乗り場へ)

カキの加工工場のフォークリフトの下にもネコがいました。


(フォークリフトの下にも)

かき処理場が新しく再建されていました。


(新しいかき処理場)
(写真撮影:2013.10)

宮城県への島旅 46回目

2014-01-15 04:30:00 | 03北日本・宮城県・牡鹿諸島
山へ避難するための階段でしょうか、工事用の階段でしょうか。


(階段)

大きな土嚢や砂の置き場がありました。


(大きな土嚢や砂の置き場)

こういう穏やかな風景を見ていると落ち着いてきたのかとも思えますが、実態はどうなのでしょうか。


(穏やかな風景)

道路も狭くなっていて、工事が続いているようですね。


(道路も狭く)

ネコの餌箱や旗がたくさん道路脇に置かれていました。


(ネコの餌箱や旗)

「ようこそ田代島へ」と書かれた看板に民宿名が7つ書かれていましたが、何軒が再開しているのでしょうか


(何軒が再開)
(写真撮影:2013.10)

宮城県への島旅 45回目

2014-01-14 04:30:00 | 03北日本・宮城県・牡鹿諸島
先に進むとお寺が見えてきました。


(お寺が)

松盛院です。すこし小高いところにあったので無事だったようですね。


(松盛院)

いつものように本堂内を見てみました。


(本堂内)

地震の影響はあったようですね。灯篭が崩れたままになっていました。


(崩れたままの灯篭)

仁戸田に戻ることにして、来た道を戻りました。途中には、プラウキがたくさんありました。


(プラウキ)

坂道を登りきったところの十字路を左に曲がり、仁戸田に向かいましたが、この間から仁戸田の防波堤が見えてきました。


(仁戸田の防波堤)
(写真撮影:2013.10)

宮城県への島旅 44回目

2014-01-13 04:30:00 | 03北日本・宮城県・牡鹿諸島
鹿島神社を後にして、海岸に戻りました。そこには消防団の倉庫がありました。この倉庫は、新しく建てられたものでしょうか。


(消防団の倉庫)

弘法様の井戸に向かいましたが、海岸に近いところは、津波にやられて、更地になっていました。




(津波で更地に)

弘法様の井戸に着きました。この井戸は、伊達政宗の時代からのもので、震災でも枯れることなく島民の生活を守り続けてくれたようです。


(弘法様の井戸)

その横に、「弘法様の井戸」についての案内板がありました。


(「弘法様の井戸」についての案内板)

その中に、「支倉常長ら遣欧使節団一行が、サンファン・バウティスタで牡鹿半島の月ノ浦から出航する際、この井戸から水を汲んだ」という言い伝えがあるそうです。また、その時に船を係留した石柱もあると書かれていました。


(船を係留した石柱)
(写真撮影:2013.10)

宮城県への島旅 43回目

2014-01-12 04:30:00 | 03北日本・宮城県・牡鹿諸島
急な階段を登って行きました。途中に大きな樹があるのをこのブログを書いているときに、気が付きました。知り合いで「巨樹」のホームページを作っている人がいますので、お知らせできなくて、申し訳ありませんです。


(急な階段を)

鹿島神社です。


(鹿島神社)

拝殿、奥殿も朱塗りでした。


(拝殿)


(奥殿)

また、何故、神社に鐘楼があるのかわかりませんが、これも朱塗りでした。


(朱塗りの鐘楼)

いつものように拝殿内を撮影しました。暗くてうまく写りませんでした。


(拝殿内)
(写真撮影:2013.10)

宮城県への島旅 42回目

2014-01-11 04:30:00 | 03北日本・宮城県・牡鹿諸島
海岸線を見ると大きく沈下していることが分かりますね。ここはまだ手づかずですね。


(大きく沈下)

港のプレハブの待合所です。「大泊には寄港しません」と張り紙がされていました。


(プレハブの待合所)

ここには、石ノ森章太郎さんのキャラクターを使った案内板がありました。「ようこそ ホッとする島へ」とも書かれていました。


(石ノ森章太郎さんのキャラクターを使った案内板)

大泊の周辺の見物場所を確認しました。


(大泊の周辺の見物場所)

鹿島神社へ向かいました。振り返ると先ほどの大きな袋が見えました。これはこの工事事務所の波除でしょうか。


(大きな袋は波除)

近くに鳥居があり、長い急な階段が見えました。


(鳥居と長い急な階段)