網地島へ渡島です。プラスティックの階段が置かれていました。後で聞いた話ですが、引き潮の時に使うようです。

(プロスティックの階段)
ここでも荷物引取りのための軽トラックが集まっていました。そして、荷物を引き取り、帰っていきました。

(荷物引取りのための軽トラック)
電気自動車もありました。最近、島でもよく見かけますね。

(電気自動車)
島内には住民バスが運行していました。時間があれば、このバスで移動も考えましたが、時間がなく、この網地地区を散策することにしました。

(住民バス)
ここで、いつものように網地島の概要を書きます。
網地島は、宮城県の東部・牡鹿半島の西南端、世界有数の捕鯨基地として知られた鮎川港から海上4kmにある。南北5.5km、東西1.5kmと細長く平坦な島で、中央部が標高101mとやや高台になっている。南東部に長渡浜、北西部に網地浜の集落がある。網地浜からは縄文土器、長渡浜からは須恵器が出土している。康平5年(1062)に源頼朝によって滅ぼされた安部貞任一族の生き残りが逃れ住んだといわれる。元文4年(1739)にはロシアのベーリング探検隊支援が上陸、日本とのロシアとの初交易の場となった。昭和初期からはカツオ漁を中心とする漁村として発展、戦後は県下有数の遠洋漁業基地として栄え、昭和30年代には3,000人以上の人口を数えていた。気候は一年間を通じて穏やかで、冬でも雪が降ることは少なく、野生のシュロやトベラなどの暖帯性植物が群生する常春の島として観光客の人気も高い。島の周辺一帯は、南三陸金華山国定公園に指定されている。近年、子どもの数の減少により島の小・中学校が閉校したが、小学校は診療所として、中学校は宿泊研修施設として新しく生まれ変わった。
歩き始めて、振り返るとまだ、定期船は、停泊していました。よく見ると接岸場所だけコンクリートで、高くなっていました。この島も約1mもの地盤沈下が生じたようです。

(コンクリートの接岸場所)
大きな土嚢で海水の侵入を防止していました。工事は、手が回らないようですね。

(大きな土嚢で海水の侵入を防止)
(写真撮影:2013.10)