goo blog サービス終了のお知らせ 

昭JIJI(アキラジジ)の島旅賛歌*参加

日本全国に有人島が434島ほどある。全島制覇すべく島旅を継続中。

宮城県の島(宮城県全島制覇)へ島旅 1回目

2015-03-10 04:30:00 | 03北日本・宮城県・牡鹿諸島
今回は、宮城県の江島への島旅に出かけました。
昨年、チャレンジしましたが、2便目が欠航するということで、タッチ&ゴーでしたので、リベンジしました。
いつものように今回の島々の概略を書いておきます。

江島 女川港から航路距離13.8km、女川町の南東部にある島。江島を含む8つの島からなる江島列島を形づくり、断崖に囲まれた島々は、とくに景観が美しいことで知られ、全域が南三陸金華山国定公園に指定されている。北西部の入江を囲む急斜面地に階段状の集落がある。永承6年(1051)に始まる前九年の役以来、安部貞
任の弟・鳥海三郎(安部宗任)が漁網を伝え、住民の定住が促されたといわれている。江戸時代には仙台伊達藩に属し、延享2年(1745)には政治犯の配流の地とされた。島の基幹産業は水産業で、アワビ・ウニの採取などが営まれている。昔は断崖の切れ目に桟橋を設け船着場としていたが、今では、長さ278mの埠頭が整備され、女川港との間に毎日定期便が運航している。


出典:(財)日本離島センター発行の「日本の島ガイド SHIMADAS シマダス」から


宮城県への島旅 80回目

2014-02-18 04:30:00 | 03北日本・宮城県・牡鹿諸島
出島が段々と遠くなっていきました。


(さようなら出島)

沿岸では、養殖が復活してきています。


(養殖が復活)

女川港に戻ってきました。


(女川港)

定期船の仮岸壁が見えてきました。


(定期船の仮岸壁)

石巻駅からJRに乗り、小牛田経由で仙台に向かいました。


(石巻駅)

仙台から新幹線で帰ってきました。今回は、予定通りの島々に渡島できました。少し残念だったのは、江島がタッチ&ゴーだったことです。


(新幹線で)

明日からは、和歌山県の有人島に行ったことを投稿します。
お楽しみに。

宮城県への島旅 79回目

2014-02-17 04:30:00 | 03北日本・宮城県・牡鹿諸島
港の周りを歩いてみました。コンテナーが物入れになっているようです。浮き球も置かれていました。


(JRコンテナーが物入れに)

海岸線では、海の中の色々なものを引き上げられていました。


(海の中の色々なもの)

定期船が湾内に入ってきました。


(定期船が湾内に)

定期船が浮桟橋に接岸しました。


(定期船が浮桟橋に)

乗船すると定期船は、出航していきました。さようなら出島です。


(定期船は、出航)

湾内には、たくさんの漁船が係留されていました。少しずつ復活してきているのでしょうか。


(湾内には、たくさんの漁船が)
(写真撮影:2013.10)

宮城県への島旅 78回目

2014-02-16 04:30:00 | 03北日本・宮城県・牡鹿諸島
お寺の下のフェンス沿いに歩いていくと赤いお堂がありました。「鎮守堂」と書かれていました。


(赤いお堂)

また、いつものように堂内をのぞいてみました。


(堂内)

振り返ると湾内が見えました。手前は津波で無くなったのでしょうか、何もありません。また、海岸線は、工事のための機材がたくさん見られました。


(工事のための機材が)

階段を下りていると石の仁王さんがありました。


(石の仁王さん)

お寺の名前が書かれていた石柱の横には石の地蔵さんがありました。大分低いところでしたが、津波の影響はなかったのでしょうか。


(石の地蔵さん)

海岸線におてきましたが、周りは、津波でやられて、何も無くなっていました。


(周りには何もない)
(写真撮影:2013.10)

宮城県への島旅 77回目

2014-02-15 04:30:00 | 03北日本・宮城県・牡鹿諸島
この建物は、何でしょうか。戸がしっかりと閉まっていて、確認できませんでした。神社だと神輿などが入れられているのですが。


(何の建物)

赤いお堂は、「薬師堂」と書かれていました。この地方は、お寺も朱塗りにすることが多いようですね。




(薬師堂)

堂内をまた、のぞかせてもらいました。


(堂内)

薬師堂の横にブルーシートで覆われた建造物がありました。震災で壊れて、修理ができないのでしょうか。


(ブルーシートで覆われた建造物)

薬師堂を後にして、戻りかけると赤い鳥居が見られました。扁額をみると「豊川閣」と書かれていました。時間的なこともあり、上には行きませんでした。


(赤い鳥居)
(写真撮影:2013.10)

宮城県への島旅 76回目

2014-02-14 04:30:00 | 03北日本・宮城県・牡鹿諸島
お寺の本堂へ向かいました。永清寺と書かれていました。


(お寺の本堂へ)

階段の途中に、「當山鎮守白山宮」と書かれた祠がありました。


(「當山鎮守白山宮」と書かれた祠)

本堂にやってきました。


(本堂)

いつものように本堂内を見させていただきました。立派ですね。


(本堂内)

本堂を出ると仏像があり、その先に赤いお堂が見えました。


(仏像と赤いお堂)

近づいていくと赤いお堂の横にも建物がありました。


(赤いお堂の横にも建物)
(写真撮影:2013.10)

宮城県への島旅 75回目

2014-02-13 04:30:00 | 03北日本・宮城県・牡鹿諸島
港には、浮桟橋が新設されていました。


(浮桟橋が新設)

浮桟橋に行ってみました。出来立てのようですね。ここに定期船が接岸されるようです。


(浮桟橋)

ここにも「つなげ本土に届く橋」と書かれた横断幕が貼られた建物がありました。


(横断幕が貼られた建物)

お寺が見えました。


(お寺が)

お寺へ向かいました。


(お寺)

お寺へ行く途中に「東日本大震災物故者供養」の祠がありました。


(「東日本大震災物故者供養」の祠)
(写真撮影:2013.10)

宮城県への島旅 74回目

2014-02-12 04:30:00 | 03北日本・宮城県・牡鹿諸島
教職員住宅のようです。


(教職員住宅)

下り坂にかかったら、新道と旧道がありました。旧道も面白いと思いましたが、迷うと困るので、新道を下りました。海が見えてきました。


(新道を)

網や養殖用カゴやプラウキなどが集められていました。


(網や養殖用カゴやプラウキ)

海岸線では、工事が進められていました。


(海岸線では、工事が)

たくさんのコンクリートブロックが積み上げられていました。


(コンクリートブロック)

そのブロックを使ったのでしょうか、漁船が係留できるようになっているところもありました。


(漁船が係留)
(写真撮影:2013.10)

宮城県への島旅 73回目

2014-02-11 04:30:00 | 03北日本・宮城県・牡鹿諸島
立派な校舎ですが、人の気配がしません。


(人の気配がしない)

校庭は、草で覆われていました。女川の本土に行っているようですね。


(校庭は、草で)

道路から校舎が見られました。


(校舎)

教室内には、たくさんの似顔絵が貼られていました。


(たくさんの似顔絵)

黒板にも「卒業おめでとう」と書かれたままでした。そういえば、3.11の震災の時には、卒業式が近かったのですね。


(黒板にも「卒業おめでとう」)

新しい建物もありました。平成15年12月に建てられた給食室でした。


(給食室)
(写真撮影:2013.10)

宮城県への島旅 72回目

2014-02-10 04:30:00 | 03北日本・宮城県・牡鹿諸島
「立入禁止」の看板がありました。そこには「高台移転のための宅地工事を行っています」と書かれた看板もありました。


(「立入禁止」の看板)

平らになったところがありました。


(平らになったところ)

造成しているところもありました。住民の皆さんはどう考えられているのでしょうか。


(造成しているところ)

歩いているとプールが見えてきました。


(プール)

校門には、女川第二中学校、女川第四小学校と書かれていました。


(女川第二中学校)

校内に入ると右手に体育館がありました。


(体育館)
(写真撮影:2013.10)