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昭JIJI(アキラジジ)の島旅賛歌*参加

日本全国に有人島が434島ほどある。全島制覇すべく島旅を継続中。

岡山県・香川県へ島旅75回目

2015-11-22 04:30:00 | 26瀬戸内海・香川県
金刀比羅神社をお参りすべく階段を登っていきました。


(金刀比羅神社をお参り)

階段の途中にもう1つ、石の鳥居がありました。


(もう1つ、石の鳥居)

拝殿に着きました。いつものように内部をのぞこうとしましたが、鍵がかかっていて、うまくのぞけませんでした。


(拝殿)

そこから少し展望できるかと期待しましたが、木が茂っていて、残念ながら展望できませんでした。下で駐車しているタクシーに戻り、瀬居島へ向かいました。ここも埋立地で陸とつながっていて、たくさんの企業がありました。




(たくさんの企業)

こんもりとした山が見えてきました。ここが瀬居島です。


(瀬居島)
(写真撮影:2015.07)

岡山県・香川県へ島旅74回目

2015-11-21 04:30:00 | 26瀬戸内海・香川県
沙弥島の先端に着きました。公園になっていました。


(沙弥島の先端に)

沙弥島園地案内図がありました。


(沙弥島園地案内図)

ここでいつものように、沙弥島の概要を書きます。
沙弥島(しゃみじま)は、坂出市の北沖にあった島。面積0.28Km2・標高28m。平成12年の国勢調査時の人口124人。瀬戸内海国立公園に含まれている。昭和42年、番の州町造成第二期埋立工事で四国と陸繋化した。昭和40年の国勢調査では人口141人を数えていた。柿本人麻呂が詠んだ「狭岑(きみね)の島」がこの島だといわれ、人麻呂岩と呼ばれている岩も残り、柿本人麻呂の碑も立っている。また島内には沙弥島遺跡群があり、特にナカンダ浜からは縄文土器類とともに弥生後期からの製塩土器などが発見されて、製塩集団がいたことが知られている。平成8年には「沙弥島千人塚遺跡」として香川県の指定遺跡になっている。また城山地籍には中世の遺構といわれる石塁が残されており、当時活躍した塩飽衆との関わりが指摘されている。人の居住が確認できるのは近世に入ってからで、甘藷・麦作、イイダコ縄などを営んできた。近代に入ると製塩が行われるようになり、明治29年には住民が募って沙弥製塩株式会社を設立したが、埋立とともに姿を消した。東端には瀬戸大橋(児島~坂出ルート)の橋脚が建設されている。平成14年度の児童生徒数は7人の沙弥小中学校がある。
海岸からの眺めです。瀬戸大橋と瀬戸大橋タワーが見えました。


(瀬戸大橋と瀬戸大橋タワー)

近くに学校がありました。沙弥小中学校です。


(沙弥小中学校)

この辺りに遺跡があったようで、「沙弥ナカンダ浜遺跡」という案内板がありました。


(「沙弥ナカンダ浜遺跡」という案内板)

瀬居島へ向かうことにしました。石の鳥居が見えてきました。金刀比羅神社です。


(金刀比羅神社)
(写真撮影:2015.07)

岡山県・香川県へ島旅73回目

2015-11-20 04:30:00 | 26瀬戸内海・香川県
JRに乗って、丸亀を出発して、坂出に向かいました。お城は、丸亀城です。


(丸亀城)

坂出からはタクシーでの移動です。まず、沙弥島へ向かいました。


(タクシーでの移動)

瀬戸大橋に沿って行きました。


(瀬戸大橋に沿って)

ドンドンと瀬戸大橋に沿って進みました。


(ドンドンと瀬戸大橋)

フェンス越しに小さな山が見えてきました。これが埋め立てられる前の沙弥島です。


(フェンス越しに小さな山)

その沙弥島へ向かいました。


(沙弥島へ)
(写真撮影:2015.07)

岡山県・香川県へ島旅56回目

2015-11-03 04:30:00 | 26瀬戸内海・香川県
翌朝、丸亀港へ向かうべく歩いて行きました。


(丸亀港へ)

港の発券売場に着きましたが、まだ、開かれていませんでした。乗船券は、船内で発売されるということで、桟橋に向かいました。


(港の発券売場)

桟橋に着くと高速艇が接岸していましたが、別の島へ向かう高速艇でした。


(別の島へ向かう高速艇)

フェリーターミナルにはフェリーが接岸していました。本島へ行くフェリーのようです。


(フェリーが接岸)

しばらく桟橋で待っていました。


(桟橋で)

高速艇が入港してきました。


(高速艇が入港)
(写真撮影:2015.07)

岡山県・香川県へ島旅55回目

2015-11-02 04:30:00 | 26瀬戸内海・香川県
大島を離れていきます。


(さようなら大島)

大島には高い山があったのですね。


(高い山)

高松港に戻ってきました。


(高松港)

JR高松駅に向かいました。


(JR高松駅)

JRで丸亀へ向かいました。


(JRで丸亀へ)

JR丸亀駅に到着しました。


(JR丸亀駅に)
(写真撮影:2015.07)

岡山県・香川県へ島旅54回目

2015-11-01 04:30:00 | 26瀬戸内海・香川県
今回、大島へ渡島したのですが、お迎えいただいた方が対応いただき、受付のため、事務所に向いたために上陸後、あまり周りを見ていなかったので、少し歩いてみました。


(園内案内表示板)

園内の案内板です。


(園内の案内板)

大島青松園の診療案内板です。


(大島青松園の診療案内板)

国立療養所 大島青松園 入口です。


(国立療養所 大島青松園 入口)

港へ向かいました。振り返ると納骨堂が見えました。


(納骨堂が)

港に来ました。官用船に乗船しました。


(官用船に)
(写真撮影:2015.07)

岡山県・香川県へ島旅53回目

2015-10-31 04:30:00 | 26瀬戸内海・香川県
カフェ・シヨルというお茶ができる場所のようですね。


(カフェ・シヨル)

郵便局もありました。千歳簡易郵便局です。


(千歳簡易郵便局)

この建物は、面会人の宿泊所です。


(面会人の宿泊所)

小林博士の胸像がありました。


(小林博士の胸像)

墓標の松です。現地の看板には、「800年の昔、屋島の戦いに敗れた平氏は仮住居とは言いながら1ヶ年半も暮らしたこの島に別れることになった。あわてて船上に逃れた最後の2・3日は負傷者、戦死者がここに送られて来て東の浜にも西の海岸にも悲しみの墓標の松が並んだ。今もこの松の大樹の下から人骨、刀剣などが発見される。」と書かれていました。


(墓標の松)

「心月園」と刻まれた大きな石が置かれていました。これは、第3代園長、野島泰治先生の功績をたたえるために造られた公園で、毎年この付近で大島「夏祭り」が開催されるようです。


(「心月園」と刻まれた大きな石)
(写真撮影:2015.07)

岡山県・香川県へ島旅52回目

2015-10-30 04:30:00 | 26瀬戸内海・香川県
道路脇には、ごみの分別回収用のカゴが置かれていました。


(ごみの分別回収用のカゴ)

玄関には、ポストがありました。今は使われていないようです。


(玄関には、ポスト)

一番奥にあった建物です。何に使われていたのでしょうか。


(一番奥の建物)

少し戻ってくると古い療養所がありました。現在では使われていないようです。




(古い療養所)

白い夾竹桃の花が咲いていました。


(白い夾竹桃の花)
(写真撮影:2015.07)

岡山県・香川県へ島旅51回目

2015-10-29 04:30:00 | 26瀬戸内海・香川県
一度通った畑の横の道を戻り、丘の上に出てきました。納骨堂への道しるべがありました。先ほど、ここを通っているのに気が付きませんでした。


(納骨堂への道しるべ)

少し戻ると「遍路道」になり、島四国があり、88の石仏が並んでいました。




(遍路道)

反対側へ行く道を下りましたら、アスファルトの道に出てきました。古い施設が道路沿いに並んでいました。


(アスファルトの道)

ゲートボール場が整備されていました。


(ゲートボール場)

入浴施設もありました。とても綺麗で清潔な建物でした。


(入浴施設)
(写真撮影:2015.07)

岡山県・香川県へ島旅50回目

2015-10-28 04:30:00 | 26瀬戸内海・香川県
火葬場の横には、モニュメントがありました。「風の舞」といいます。大島青松園案内には、「亡くなられた人を火葬し納骨した残りの骨を納めている。平成4年、約1,000人のボランティアの協力で作られたモニュメント。天上・天下をイメージし、海に向かって据える。「せめて死後の魂は風に乗って島を離れ、自由に解き放たれますように」という願いが込められている。」と書かれています。








(風の舞)

風の舞を後にして、事務所に戻ろうと思いましたが、反対側も散策することにしました。


(反対側も散策)
(写真撮影:2015.07)