今回は、香川県への島旅に出かけました。
いつものように出向いた島々の概要を書いておきます
粟島 瀬戸内海のほぼ中央、香川県の西部にあり、詫間港の北西4.5Kmの海上に浮かぶ。船乗りの島にふさわしくスクリューの形をしている。かつては北前船の寄港地として栄えた。明治30年設立の国立粟島海員学校は、日本で最初に村立(当初)で開設され、海運業界に多くの人材を送り出してきたが、昭和62年廃校となり90年余の長い歴史に幕を閉じた。その跡地は、粟島海洋記念公園に新しく生まれかわり、島のシンボルとなっている。
志々島 詫間港の北西5.5Kmの海上にある標高100m余りの島。本村・宮ノ浦・横尾・北浦の4集落がある。山頂まで開墾され、良好な漁場にも恵まれて明治以降漁業も繁栄してきた。しかし高度経済成長に伴い次第に衰退し、200戸1,000人を数えた住民も昭和30年代から激減、今では50人足らずとなった。現在は花き栽培が営まれている。島名は十握剣を納めて神霊島、また京都の紫宸殿に似て紫宸島、また西行法師が行脚の途中でこの島を見て「獅々に似たる島」として獅々島とされたといわれている。
高見島 瀬戸内海のほぼ中央、四国多度津港の北西7.4Kmの海上にある。龍王山(標高297.3m)を中心に南北に細長い円錐型の島。建久年間(1190~1199)に備中国児島からの移住が集落の始まりと伝えられる。南部の浜・浦、北端近くの板持の3集落があり、中心は浜・浦集落である。浦集落は標高50mほどの所を中心に、約30度の斜面に家が建ち並び、自然石の乱れ積み石垣が残っている。イカナゴ漁が盛んで、近年ハマチ・タイ・カンパチ・フグなどの養殖も増えつつある。
佐柳島 瀬戸内海のほぼ中央、四国多度津港の北西14.8Kmの海上にある。標高248.5mの高登山を中心とした南北に細長い島で、山裾が海岸まで迫っている。古くは佐那岐・佐名木・佐奈木・真木・早凪などとも書かれていた。南に本浦、北に長崎という2集落がある。日本の葬制を知る上で貴重な「両慕制」が残り、特に長崎集落の「埋め墓」は県の有形民俗文化財に指定されている。島の開発は、高見島の住人が移り住んだとも、備前の武士によって始められたともいわれる。島名の由来は、足利第3代将軍義満が厳島参詣の途中強風に遭い、早凪と呼んだのが変化したという説がある。刺し網漁やタコつぼ漁などの漁業が産業の中心だが規模は零細で、農業もイモ・マメなどの畑作中心で自家消費用の生産にとどまっている。
出典:(財)日本離島センター発行の「
日本の島ガイド SHIMADAS シマダス」から
今回行った島の人口を記載しておきます。
粟島 289人、志々島 24人、高見島 43人、佐柳島 108人
出典:(財)日本離島センター発行の「島々の日本」から (平成22年国勢調査(確定値)など)
(写真撮影:2015.12)