両津港には、「佐渡市」誕生の看板がありました。一つの島が一つの市になっているのは珍しいですね。

(「佐渡市」誕生の看板)
土産屋がたくさん並んでいましたが、来たところなので、土産は後とし、昼食を食べることにしました。皆さん思い思いに注文していました。私は定食を頼みました。

(注文した定食)
両津港を出発し、バスで相川へ向いました。

(シータウン佐渡を出発)
以前来た時の観光バスでもそうでしたが、バスのドライバが「佐渡おけさ」を歌ってくれました。

(ガイドとドライバによる佐渡おけさ)
その後、加藤先生から「善知鳥神社の祭礼」についての説明がありました。

(「善知鳥神社の祭礼」についての説明する加藤先生)
詳細は忘れたので、参考にインターネットから検索しました。
仁平元年(1151)創建と伝える善知鳥神社は、かっては善知鳥七浦(下戸・羽田・下相川・小川・達者・北狄・戸地)の総鎮守として、祭礼には寛永20年(1643)頃までは七郷の氏子が参加しました。
10月19日の祭礼行事で特に見るべきものは「神輿渡御(みこしとぎょ)」と「鬼太鼓」です。寛永20年伊丹奉行寄進の神輿は、前後左右4組20人の棒組により、これを供奉しました。
神輿は神社を発輦(はつれん)し全町を渡御(とぎょう)し、奉行所の大御門前で祈祷しました。この時は奉行自らも見るならわしでした。柴町御旅所より夜半を過ぎて還御の光景は、全町内奉送の高張提灯や、数千の手提灯が神輿の珱珞(ようらく)に映え、法螺貝(ほらがい)のひびきと「チョウサヤ」の掛け声は荘厳華麗(そうごんかれい)、島内随一を誇るものでした。
鬼太鼓(オニダイコ)は、もと金山の大工が、鉱石を穿る所作に似せて太鼓を打つと言われ翁面の豆蒔が桝(ます)と柿を持って太鼓の調子に合わせて舞うものです。太鼓は、大人・子供にわけて太鼓の表裏をリズムにのせて打ち、長刀遣い、棒遣いは、豆蒔翁と太鼓の調子の変化によって所作をなしています。
この他に神輿の先導として、猿田彦神(天狗さん)は馬上で、4人の白丁(はくちょう)のかつぐ鉾さん、雄雌の獅子、太鼓・鼓(共に子供)、下り羽は笛に合わせて、子供が太鼓・鼓を打ちながら神輿に前後して町内を巡行します。これらの一連の出し物は、昔から代々定まった町内によって奉仕され、今日に至っています。
(相川町史編纂委員会編『佐渡相川郷土史事典』より)
最初の観光地は、佐渡奉行所跡でした。

(佐渡奉行所跡)
(写真撮影:2004.10)