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昭JIJI(アキラジジ)の島旅賛歌*参加

日本全国に有人島が434島ほどある。全島制覇すべく島旅を継続中。

加藤庸二氏「島旅見聞録」第5弾 佐渡島・善知鳥神社祭礼 3回目

2008-01-13 05:11:45 | 06北陸・新潟県
乗船券をもらい、ジェットフォイルに乗船し、座席に着くと


(乗船券配り)


(ジェットフォイル乗船へ)



(ジェットフォイル)


(ジェットフォイル船内)

ジェットフォイルは新潟港を出発し、高速走行に入り、両津港に着きました。何度もいっていますが、高速艇は座ったままで行動ができず、味気ないですね。船旅はフェリーに限ります。




(高速走行へ)


(両津港へ到着)
(写真撮影:2004.10)


加藤庸二氏「島旅見聞録」第5弾 佐渡島・善知鳥神社祭礼 2回目

2008-01-12 04:04:28 | 06北陸・新潟県
今回、出掛けた佐渡島の善知鳥神社祭礼は、古くから奉行所の保護を受けてきた祭礼で、集落の祭りとしては島内最大の祭りで、古式豊かな御輿の還御に従う町民の提灯行列は見応え十分でした。善知鳥は海の神様ですが、外海府海岸は道が険しく、殆どの物資が海を使って運ばれたため、善知鳥を祭っています。
善知鳥という鳥は、以前、天売島で見たことがあります。


(天売島で見た善知鳥(うとう))

今回の島旅は、新幹線利用で、大宮駅AM8:14発のMax TOKI307号に途中乗車しました。




(Max TOKI)

新幹線が入ってくると顔馴染みの添乗員さんが出迎えてくれました。他に大宮駅から数名の方々が乗車しました。新幹線の中には東京からの顔馴染みの島旅仲間がたくさんいました。


(顔馴染みの添乗員さん)

新幹線の中では島旅仲間と挨拶をし、話しをしていたら、新潟駅に着きました。


(新潟駅に到着)

珍しく、駅の裏側へ出て、そこからタクシーで新潟港へ向いました。


(新潟駅の裏側)

佐渡島まではジェットフォイルで向いました。


(ジェットフォイルの時刻表)
(写真撮影:2004.10)



加藤庸二氏「島旅見聞録」第5弾 佐渡島・善知鳥(うとう)神社祭礼 1回目

2008-01-11 04:19:25 | 06北陸・新潟県
今回は、佐渡島の善知鳥神社の祭礼に出かけました。
まず、渡島した島々の概略を掲載します。


佐渡島:新潟市の西約45kmの日本海にある、わが国最大の離島。面積は東京23区の15倍にも達する。北の大佐渡山地と南の小佐渡山地に挟まれた中央部には、広大な国仲平野が広がる。沖を流れる対馬暖流の影響で、冬は本土より暖かく、夏は逆に涼しい。積雪もほとんどみられない。島の歴史は古く、無土器時代の遺跡が発見されている。8世紀初めに成立した史書「古事記」の国生み神話には「大八州」の一つとして登場し、奈良時代初期には越後と並んで1国に建てられ、のちには国府と国分寺が置かれた。万葉歌人の穂積老が都から配流され、8世紀初頭には伊豆や隠岐などとともに「遠流」の地に定められた。以後、鎌倉時代には順徳上皇、日蓮、室町時代には能楽の世阿弥など多くの著名な人たちが流され、都の文化をもたらしている。この頃、越後から最短距離にある松ヶ崎が佐渡の国津として栄えた。佐渡の金山はすでに平安時代に開かれていたといわれているが、本格的な開発が始まったのは近世に入って徳川氏の所領となり、佐渡奉行が置かれて幕府直轄地となってからのこと。最盛期の17世紀初めには、相川の町は4万の人口を有し、世界有数の産出量を誇る金銀鉱山として発展、江戸末期まで幕府の財政を支え続けた。この間、南端の小木が金銀の積出港として、また北前船の寄港地として栄え、新しい文化流入の窓口となった。佐渡の文化には流人たちがもたらした国仲地方の「貴族文化」、役人たちが江戸から持ち込んだ相川地方の「武家文化」、商人や船乗りが伝えた小木地方の「町人文化」の3つの型があるといわれ、これらが渾然となって本土側の越後地方とは異なる独特の文化を伝えている。能楽が盛んで、鬼太鼓やつぶろさし、文弥人形、のろま人形など芸能の奥行きは深く、工芸の文弥でも竹細工や裂織り、無名異焼などが全国に知られている。現在、農業では年間100億円以上を生産する米作を中心とし、他にもおけさ柿やシイタケ、葉タバコなどが生産されている。水産業では、年間約2万トンの漁獲量を誇り、カキやワカメの養殖も盛んである。佐渡の大半が佐渡弥彦米山国定公園、小木海中公園、外海府海中公園、相川海中公園に指定されている。国際保護鳥トキのわが国最後の生息地としても有名で、関係者の献身的な努力により、人工繁殖などで数十羽にまで増え、トキと共生する環境づくりも始まっている。昭和の大合併以降、1市7町2村が存在していたが、平成16年3月1日に合併、1島で佐渡市が誕生した。

相川地域 新潟から航路で約67kmの日本海に浮かぶ、佐渡島北側に位置する地域。世界有数の産出量を誇り、徳川幕府の財政を支えた佐渡金山と民謡佐渡おけさで全国にその名が知られている。佐渡弥彦米山国定公園の中心で、旧町域のほぼ全域が公園区域。文化財、名勝も多く、66kmにわたる海岸線も変化に富み、海中公園も2か所ある。これら数多くの史跡と自然景観が地域の重要な観光資源になっている。また中心部には国や県の地方事務所が置かれ、島内の行政の中心地となっていた。

出典:(財)日本離島センター発行の「日本の島ガイド SHIMADAS シマダス」から

長岡の花火を見てきました。

2006-08-04 05:13:14 | 06北陸・新潟県
8/2~3、クラブツーリズム主催の「せせらぎの佳宿「ゆの宿峡里」 涼を求めて…長岡花火」に参加してきました。
ブログ初心者のため、まだ、携帯からの投稿ができませんでした。

午後、新幹線の大宮駅から出発し、1時間少しで長岡に着きました。新幹線は、速いですね、
長岡駅からバスで会場まで移動し、有料の観覧席に着きました。

花火は7時30分から開始し、2時間ほどで花火がドンドンと打ち上げられました。
観覧席は、打上げ場所の近くにあり、その響は、ズシンと体を震わせました。凄い迫力でした。

(長岡の花火)

花火終了後、バスの渋滞で遅れ、宿入りしたのは、0時を廻っていましたが、温泉に入り、疲れを取り、グッスリと寝ました。

翌日は、奥只見ダム、奥只見湖遊覧、酒蔵見学と試飲、やな場で鮎の塩焼きを食べて、越後湯沢から新幹線に乗って、帰って来ました。

天気も良く、楽しい旅行になりました。


浜料理「ワッパ煮」を堪能(7/19 午前)

2006-07-30 21:41:20 | 06北陸・新潟県
最終日の朝も曇り勝ちであったが、雨が降らない。九州地方、長野県では大雨で大変な状況なのに。

宿の車2台で島内散策に出かけた。南端の八幡鼻に行き、案内板を見ると503mと書いてあった。大したことはないと歩き始めたが、どんどんの上りで、大変であった。頂上に着いたので、これで最後かと思ったが、それが中間点で、そこから下って、上るコースであった。下り途中の景観が良い所まで行って戻ってきた。

ぐるっと一周し、宿に戻ると島の名物料理「ワッパ煮」が昼食である。
木の器に焼石を入れて作る浜料理で、熱々を堪能して食べた。

(「ワッパ煮」調理風景)

粟島を海上から一周(7/18 午後)

2006-07-30 21:22:13 | 06北陸・新潟県
午後3時頃から、粟島を海上から一周することになり、観光船「シーバード」に乗船した。


(観光船「シーバード」)

船内案内で、小柴山の頂上に粟島灯台があると説明されたが、中々見えず、釜谷で下船・休憩があった時に、船長に灯台の見えるところは「どこか」と聞いたら、「灯台下暗しで見えない」と言われ、何故か納得した。翌日、島から帰る時も見えなかった。

土砂崩れした道路を通過して、粟島へ(7/18 午前)

2006-07-30 21:07:45 | 06北陸・新潟県
7/18(火)、村上の岩船港へ行く途中で、数日前に土砂崩れがあった現場を通過した。凄い状態で、JRの復旧はいつになるのか予想できない状況であった。
途中の道の駅で小休止したが、そこの看板に先日の北朝鮮のミサイル発射の影響が出ていて、取材陣に借切られていて、ヘリコプターの遊覧飛行が中止となっていた。


(遊覧飛行中止の掲示付看板)

高速船「あすか」で粟島・内浦港へ向かった。今日は、粟島が良く見えたが、佐渡島は見えなかった。1時間ほどで粟島に着いた。

今日の泊は、湯野浜温泉(7/17 午後)

2006-07-30 18:11:18 | 06北陸・新潟県
「ニューとびしま」で酒田港に戻り、「治郎兵衛」で昼食として、松花堂弁当を食べた。


(治郎兵衛の松花堂弁当)

その後、相馬楼で酒田舞妓を鑑賞し、本間家旧本邸、山居倉庫、庄内米歴史資料館、欅並木などを見て、宿泊先の湯野浜温泉の「ホテル海山」へ到着した。

温泉に三度入り、疲れを取ったが、7Fにあった温泉の体重計と1Fにある温泉の体重計で1.5kgほどの差が出た。どちらの体重計が正しいのか仲間内で議論となったが、結論は出なかった。