今回は、愛媛県への島旅に出かけました。
いつものように出向いた島々の概要を書いておきます
大島 新居浜市の東海上に位置する島。「新居大島」の通称がある。古代以来、燧灘唯一の良港として知られ、平安から鎌倉時代にかけては皇室領となっていた。伊予水軍の統領・村上義弘の生誕の地とも伝えられ、中世には水軍の根拠地となった。水軍にまつわる遺跡が島内に残されている。近世以降は長崎~上方間の寄港地として回船業で栄え、30隻以上の千石船を有していた。元禄年間(1688~1704)には西条藩随一の港町に発展、「金島」とうたわれるほどたった。島内は傾斜地が多い、耕地は狭い。集落は新居浜側に面した南部に密集している。気候は、瀬戸内式で多照寡雨温暖型。魚釣り、潮干狩り、ミカン狩りなど広く憩いの場になっている。島の周辺地域は、好漁場に恵まれており、漁船漁業を中心に小規模多魚種の漁業が営まれている。
安居島 北条港の北西13.5Km、斎灘の中央にある東西1.3Km、南北0.2Kmの小島。南東約2.5Kmには無人島の小安居島がある。安居島の最高点は55m。平地はほとんどなく、やや傾斜のある高地で、南向きに湾が開いており、わずかの畑以外は雑木林となっている。古くは合島・相島・愛島・藍島とも表記された。アイとは網代(漁場)を意味するとの説もある。江戸時代初期から広島藩と松山藩の間で所属争いがしばしば起こり、交渉の結果松山藩領となった。文化14年(1817)、浅海村(現・北条市)の大内金左衛門が移り住んだのが定住の始まりで、港が整備されると帆船の潮待ち・風待ちの湊浦として賑わいをみせるようになり、安政年間(1854~59)から明治期にかけてもっとも栄えて遊郭まで存在していた。昭和に入り、船が大型・動力化すると港町としての機能が失われ漁浦となった。昭和30年代から海運業に乗り出す人が増え、それに伴い人口も同30年の532人をピークに挙家離島が目立ち激減、住民の高齢化は年々進んでいる。
青島 長浜港から北へ13.5Km、伊予灘のほぼ中央に位置する小島。急傾斜地がほとんどで平坦地は少ない。集落は、島唯一の漁港「青島漁港」を中心に半径約200mの範囲に集中している。古くは「沖の水無瀬」「馬島」と呼ばれ、江戸時代初期には大洲藩の馬牧だった。島への定住は寛永16年(1639)、島周辺が好漁場であることから、坂越村(現兵庫県赤穂市)の与七郎が一族郎党16戸を引き連れて移り住んだことに始まる。翌年には大洲藩主・加藤泰興によって「青島」と命名されている。豊富な漁場を四囲に有することから、イワシ網などを中心とする漁業の島として発展、昭和30年には800人の人口を数えている。県の無形文化財に指定されている「青島の盆踊り」が受け継がれ、自然にも恵まれた、人情味豊かな憩いの島だ。
来島 今治市の北部、箱湾と呼ばれる波止浜港の入口にあり、本土からわずか240mに浮かぶ来島海峡中の小さな島。来島海峡は日本3大急潮の一つといわれ、島の周囲は8ノット(時速15Km)にも及ぶ急流に洗われている。この海域を利用しておこったのが海賊で、往時「八幡大菩薩」の旗をおし立てて内外に雄飛した伊予水軍の根拠地の一つとなった。島全体が天然の要塞で、島内には今も水軍城址としての石垣の遺構が残るほか、桟橋の柱跡といわれる柱穴や雨水をためた大甕が、ありし日の来島城をしのばせる。平地がほとんどなく、現在は漁業を中心とした生活が営まれている。
小島 今治市の北部海上0.5Km、来島と馬島の中間に位置する。東側の馬島との間は来島海峡航路の西水道にあたり、多くの船舶が航行している。住民は江戸中期に来島から移住し、半農半漁で生計を立てていた。日清戦争後の明治33年、芸予海峡の西水道をロシア艦船の侵攻から防御する芸予要塞の一部として島内3カ所に砲台が築かれたが、使用されることなく現在に至り、その良好な保存状態などから、芸予要塞跡として専門家から高い評価を得ている。現在は遊歩道も整備され、散策、キャンプ、海水浴の適地として市民らに親しまれている。また、来島大橋が完成し、架橋の人口美と来島海峡の多島海景を一望できる島として、観光客の増大が期待されている。
比岐島 今治港の東約7Km、燧灘に位置する島。地質は黒雲母片岩からなる。すぐ東側には無人島の小比岐島、さらに北東約2Kmには岩礁の海獺磯があり灯標が設置されている。比岐島は、慶長年間(1596~1615)に松を植栽した記録が残り、松の茂った島の守役人を入島させたのが定住の始まりといわれる。その後、桜井の漁業者が移住、開拓が始まった。現在は定期航路はない。3世帯6人の住民が柑橘栽培や漁業を営んでいる。かつては人口も70人以上を数え、小中学校もあったが、今は閉鎖されている。
鹿島 北条市の西方約400mの海上にある島。伊予の江ノ島と呼ばれており、中世の豪族河野水軍の根拠地の1つになった鹿島城の遺構が残るほか、歴史的な遺産や貴重な動植物を集めた博物展示館、句碑の散策コースなどが整備されている。また、島内には野生の鹿が生息し、春は桜と新緑、夏は海水浴、秋は紅葉、そして冬には釣りが楽しめる。山頂からの瀬戸の眺めは、宝石を散りばめたようで抜群の美しさ。伊予の二見と呼ばれる玉理・寒戸島では、毎年4月29日に大注連縄の張り替えが行なわれる。
出典:(財)日本離島センター発行の「
日本の島ガイド SHIMADAS シマダス」から
今回行った島の人口を記載しておきます。
大島 295人、安居島 24人、青島 19人、来島 23人、小島 25人、比岐島 3人、鹿島 無人島
出典:(財)日本離島センター発行の「島々の日本」から (平成22年国勢調査(確定値)など)