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昭JIJI(アキラジジ)の島旅賛歌*参加

日本全国に有人島が434島ほどある。全島制覇すべく島旅を継続中。

愛媛県への島旅 59回目

2016-09-16 04:30:00 | 37瀬戸内海・愛媛県
龍神社の横に、色々な石碑がありました。大きい石碑と小さな石碑です。謂れが分かりませんでした。


(大きい石碑と小さな石碑)

その横に人物像と石碑がありました。人物像は「近藤英男像」と刻まれていました。その横の石碑には「大島村護岸完成記念」と刻まれていました。どういうことで建てられているのかはわかりませんでした。


(近藤英男像と大島村護岸完成記念)

その横には、人物像と2つの石碑がありました。人物像には「和田(義徳)先生之像」と刻まれていて、その下には 「黙々と 子供をはぐくみ 老人をいたわり 病む人を力ずけ 島を愛し宮山に 桜つつじを植え 今年も花開く」と言葉が刻まれていました。


(和田(義徳)先生之像)

散策を続けていると鉄筋平屋建ての建物がありました。しかし、看板等がなく、何の建物かが分かりませんでした。


(鉄筋平屋建ての建物)

道が2つに分かれていましたが、左側、海沿いの道を歩きました。そこには大きな建物(3階建てくらい)がありました。何に使われているのでしょうか。


(大きな建物(3階建てくらい))

また、建物があり、「大島教育集会所」と書かれていました。


(大島教育集会所)
(写真撮影:2016.02)

愛媛県への島旅 58回目

2016-09-15 04:30:00 | 37瀬戸内海・愛媛県
ここでいつものように大島の概要を書きます。大島は、新居浜市の東海上に位置する島。「新居大島」の通称がある。古代以来、燧灘唯一の良港として知られ、平安から鎌倉時代にかけては皇室領となっていた。伊予水軍の統領・村上義弘の生誕の地とも伝えられ、中世には水軍の根拠地となった。水軍にまつわる遺跡が島内に残されている。近世以降は長崎~上方間の寄港地として回船業で栄え、30隻以上の千石船を有していた。元禄年間(1688~1704)には西条藩随一の港町に発展、「金島」とうたわれるほどたった。島内は傾斜地が多い、耕地は狭い。集落は新居浜側に面した南部に密集している。気候は、瀬戸内式で多照寡雨温暖型。魚釣り、潮干狩り、ミカン狩りなど広く憩いの場になっている。島の周辺地域は、好漁場に恵まれており、漁船漁業を中心に小規模多魚種の漁業が営まれている。
待合室に入ってみると可愛い飾りがいくつかありました。


(可愛い飾り)

飾りのその上に「東平」と書かれたポスターがあり、その下に「マチュピチュ」のポスターがありました。よく見ると「東洋のマチュピチュ 東平」と書かれていました。帰って調べると「標高750mの山中にある東平は、大正5年から昭和5年までの間、別子鉱山の採鉱本部が置かれ、社宅・小学校・劇場・接待館が建てられるなど、昭和43年に休止するまで町として大変な賑わいをみせていました。」と分かりました。一度、行ってみたいですね。


(東洋のマチュピチュ 東平)

島内散策を開始しました。2階建ての建物がありました。「大島漁協」です。


(大島漁協)

ここにも少し小さいですが、2階建ての建物がありました。消防分団の倉庫でした。島の消防分団の建物としては大きいですね。


(消防分団の倉庫)

すぐそばに鳥居と祠がありました。扁額には「龍神社」と刻まれていました。


(龍神社)

小さな祠をアップしてみました。


(小さな祠)
(写真撮影:2016.02)

愛媛県への島旅 57回目

2016-09-14 04:30:00 | 37瀬戸内海・愛媛県
定期船は大島漁港に入っていきました。


(大島漁港に)

接岸場所に近づいてきました。


(接岸場所)

大島に接岸しました。


(大島に)

定期船から下りるとトラックも上陸しました。


(トラックも上陸)

降りると「第2種 大島漁港」と書かれた看板が立っていました。


(「第2種 大島漁港」と書かれた看板)

その後ろに新しい建物がありました。「新居浜市営渡海船大島待合室」と書かれていました。


(新居浜市営渡海船大島待合室)
(写真撮影:2016.02)

愛媛県への島旅 56回目

2016-09-13 04:30:00 | 37瀬戸内海・愛媛県
早速、定期船に乗りました。


(定期船に)

見上げると操舵室があり、「大島←→黒島」と書かれていました。


(操舵室)

客室に上がっていき、荷物を置き、外を見ました。


(外を)

漁船がたくさん係留されていました。


(漁船)

定期船は出航しました。


(定期船は出航)

港を出ると大島が見えてきました。


(大島)
(写真撮影:2016.02)

愛媛県への島旅 55回目

2016-09-12 04:30:00 | 37瀬戸内海・愛媛県
ホテルで一日目の青島へ渡島できなかったので、スケジュールを組み替えました。そこで、四日目の大島を三日目に変更することにして、朝早くホテルを出ました。朝焼けがきれいでした。


(朝焼けがきれい)

予定通り、黒島港の発券売場に到着しました。


(黒島港の発券売場)

時刻表で時間を確認しました。


(時刻表)

乗船券を自動販売機で往復を購入しました。


(乗船券を自動販売機で)

待合室には、ストーブがあり、皆さん当たっていました。


(ストーブ)

大島からの定期船が到着しました。


(定期船が到着)
(写真撮影:2016.02)

愛媛県への島旅 39回目

2016-08-27 04:30:00 | 37瀬戸内海・愛媛県
船上から見に行った大きな岩も見ることができました。


(船上から大きな岩も)

安居島の後ろの方に島影が見られます。上蒲刈島、豊島、大崎下島のようですね。


(安居島の後ろの方に島影)

大きな浮きドックを牽引した船も見られました。


(大きな浮きドック)

北条港に戻り、宿に置かせてもらっていたレンタカーを引き取り、予定を変更して明日渡島予定の来島へ向かいました。


(北条港)

来島へ向かう定期船の出る港、波止浜港に到着して、発券場に行きました。


(波止浜港の発券場)

自動発券機が置かれていて、来島までの往復切符を購入しました。


(写真撮影:2016.02)

愛媛県への島旅 38回目

2016-08-26 04:30:00 | 37瀬戸内海・愛媛県
今日、乗ってきた定期船が接岸されたままでした。


(定期船)

船の船首には色々な形がありますね。


(色々な形の船首)

定期船は出航しました。この防波堤にはまだ釣りをしている人がいます。この船が今日の最終便なのに、後どうされるのでしょうか。


(まだ釣りを)

この防波堤にも釣り人が。


(ここにも釣り人が)

白い灯台が見られました。


(白い灯台)

定期船は安居島を離れていきました。


(さようなら安居島)
(写真撮影:2016.02)

愛媛県への島旅 37回目

2016-08-25 04:30:00 | 37瀬戸内海・愛媛県
この写真は行ったところを振り返った写真です。


(振り返った写真)

この写真は港の方を見た写真です。


(港の方を見た写真)

ポストが置かれていました。


(ポスト)

取集時刻にはガムテープが貼られていました。


(取集時刻にガムテープ)

更地になっているところもありました。


(更地)

港近くに戻ってくると珍しく自動販売機が置かれていました。


(自動販売機が)
(写真撮影:2016.02)

愛媛県への島旅 36回目

2016-08-24 04:30:00 | 37瀬戸内海・愛媛県
行は海岸線を歩きましたが、帰りは中にある道を歩きました。


(中にある道)

両側とも整備された建物が並んでいました。


(整備された建物)

「御宿 喜楽屋」と大きな板看板が掲げられた旅館がありましたが、2回が戸閉されていて、営業されていないようですね。




(御宿 喜楽屋)

井戸があり、手操作のポンプも付いていましたが、今は使われていないようでした。


(井戸があり、手操作のポンプ)

海岸線に戻ってきました。


(海岸線に)
(写真撮影:2016.02)

愛媛県への島旅 35回目

2016-08-23 04:30:00 | 37瀬戸内海・愛媛県
拝殿にあった賽銭箱には、鍵が掛けられていました。


(賽銭箱には、鍵が)

天満神社から海岸線へ戻ってきました。消防団の倉庫がありました。どこの島にも設置されています。


(消防団の倉庫)

「安居島集会所」と書かれた建物がありました。


(安居島集会所)

玄関の扉に掲示があり、「集会所利用料金 1泊 一人 3,000円、昼間 一日 3,000円」と書かれていました。泊りができるようですね。


(集会所利用料金)

集会所の横に焼却炉が置かれていました。ゴミはここで焼却するのでしょうか。


(焼却炉)

港へ向かっていると白亜の3階建ての建物がありました。島では不釣り合いな建物です。別荘として使われているのでしょうか。


(白亜の3階建ての建物)
(写真撮影:2016.02)