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昭JIJI(アキラジジ)の島旅賛歌*参加

日本全国に有人島が434島ほどある。全島制覇すべく島旅を継続中。

長崎県南部へ島旅 15回目

2015-04-14 04:30:00 | 65九州西部・長崎県
行ってみると水槽に「オオウナギ」がいましたが、筒の中に入っていました。


(オオウナギ)

このオオウナギは、平成6年9月に近くにある「田原ダム」で捕獲されたと書かれていました。推定年齢30歳とのこと。しかし、何を食べているのでしょうか。


(近くのダムで捕獲)

その水槽の裏には、「八代目うな太郎之墓」もありました。


(八代目うな太郎之墓)

墓の下には、遺影が飾られていました。


(墓の下には、遺影)

その横には、六地蔵もありました。信仰が厚いですね。


(六地蔵)

途中に、シイタケの榾木(ほだ木)」もありました。


(シイタケの榾木)
(写真撮影:2015.02)

長崎県南部へ島旅 14回目

2015-04-13 04:30:00 | 65九州西部・長崎県
1本の木がありました。プレートが付いていて「ナンジャモンジャの木」と書かれていました。対馬で自生するのを見たことがあります。白いサクラのようでした。


(ナンジャモンジャの木)

帰ってくる途中、袋が被せられた木が見えました。ビワの木です。


(ビワの木)

広場に戻ってきました。仲間がここで「オオウナギ」を見たということで、見に行きました。


(オオウナギ)

途中、極楽鳥花(ストレリチア)が咲いていました。


(極楽鳥花(ストレリチア))

アロエの花も咲いていました。


(アロエの花)

細かく「オオウナギ」への道案内がされていました。


(「オオウナギ」への道案内)
(写真撮影:2015.02)

長崎県南部へ島旅 13回目

2015-04-12 04:30:00 | 65九州西部・長崎県
樺島灯台資料館に展示されている灯台用灯器がたくさんありました。






(樺島灯台資料館の展示品)

さらに奥に行くと樺島灯台と樺島灯台資料館が一望できました。


(樺島灯台と樺島灯台資料館が一望)

遠くを眺めると「軍艦島」も見えました。


(軍艦島)

崖下の磯は、釣りの好ポイントとして有名で、イシダイも釣れるそうです。


(磯釣りの好ポイント)
(写真撮影:2015.02)

長崎県南部へ島旅 12回目

2015-04-11 04:30:00 | 65九州西部・長崎県
ここで、樺島の概要を書きます。
樺島は、長崎市の南、長細くのびる野母半島の先端にある島。島名は、水源が豊富であることから川場島と呼ばれたことに因むという。昭和61年、樺島水道で隔てられた脇岬との間に長さ227mの樺島大橋が架かった。北側に深く湾入した天然の入江があり、中世から海上交通の要衝で帆船の風待ち・潮待ち港としてにぎわい、明治以降は三池や天草炭鉱の瀬戸内海方面へ運ぶ船が寄港、近辺では島原や口之津に次ぐ港町として大いに栄えた。タイ・イワシ網漁は昭和初期から30年代前半まで大きな発展を遂げた。近年はビワの特産地として有名になっている。野母半島県立公園区域にある島で、水産の島から観光の島へ変貌中だ。

樺島漁港です。多分、大きな建物は、漁協だと思います。


(樺島漁港)

「からすみ本舗」と大きな看板が見えました。からすみは美味しいですが、高いですね。


(大きな看板)

ドンドンと奥へ進んでいきました。学校が見えてきました。樺島小学校です。


(樺島小学校)

奥の突当りまで、車を進めました。そこに「樺島灯台公園案内図」がありました。


(樺島灯台公園案内図)

樺島灯台公園を散策してみました。灯台が見えました。「樺島灯台」と思いましたが、入り口に掲げられた看板には、「野母灯台」と書かれていました。1953年に野母灯台から名称変更されたようです。


(野母灯台)

灯台の横に白い鉄筋建ての建物がありました。1993年には旧灯台吏員退息所を活用した資料館が開館したようです。


(樺島灯台資料館)
(写真撮影:2015.02)

長崎県南部へ島旅 11回目

2015-04-10 04:30:00 | 65九州西部・長崎県
標識に従って、右折すると前をバスが走っていました。樺島へ行くようです。


(前をバスが)

樺島の手前の脇岬港に着きました。


(脇岬港)

少し進むと赤い丸い橋が見えてきました。樺島大橋です。


(赤い丸い橋)

バスの後ろに付いて樺島大橋を渡りました。


(樺島大橋)

樺島に渡島しました。


(樺島に)

島に入るなり、海産物の販売についての看板が貼られていました。


(海産物の販売についての看板)
(写真撮影:2015.02)

長崎県南部へ島旅 10回目

2015-04-09 04:30:00 | 65九州西部・長崎県
橋の上には、たくさんのランタンがつるされていました。


(たくさんのランタン)

長崎にも市電が走っています。


(長崎にも市電が)

女神大橋の下を通っていきました。


(女神大橋)

道路沿いに、お寺がありました。極楽寺です。


(極楽寺)

沖合に島が見えてきました。無人島の横島か。


(沖合に島が)

樺島への道路標識が見えてきました。


(樺島への道路標識)
(写真撮影:2015.02)

長崎県南部へ島旅 9回目

2015-04-08 04:30:00 | 65九州西部・長崎県
これが現在の牧戸橋です。旧の牧島橋は、吊り橋だったようですね。


(牧戸橋)

牧島を見ると「牧島ちくわ」と大きな黄色の看板が目立ちました。


(「牧島ちくわ」と大きな黄色の看板)

戻る途中、「牧島橋竣工記念」の石碑がありました。


(「牧島橋竣工記念」の石碑)

牧島を後にして、次の島、樺島へ向かいました。


(さようなら牧島)

本土ですね。銀行がありました。当たり前ですね。


(銀行)

途中の道脇に「トラの像」がありました。清正によるものでしょうか。


(トラの像)
(写真撮影:2015.02)

長崎県南部へ島旅 8回目

2015-04-07 04:30:00 | 65九州西部・長崎県
弁財天の横の方に祠がありました。


(祠)

のぞいてみると中央に弁財天が祀られていました。


(弁財天が)

梅の古木に白い花が咲いていました。満開のようですね。


(梅の古木に白い花が)

広場に車を止めて、ナビをセットしていると駐車されたトラックのタイヤが面白いタイヤを履いていました。


(面白いタイヤ)

牧戸橋を渡り、本土に戻っていると2本の石柱が見られました。車を止めて、見に行きました。旧牧島橋の石柱でした。


(旧牧島橋の石柱)

その石柱には「昭和35年4月架設」と書かれていました。古くからつながっているようですが、車は渡れたのでしょうか。


(石柱には「昭和35年4月架設」)
(写真撮影:2015.02)

長崎県南部へ島旅 7回目

2015-04-06 04:30:00 | 65九州西部・長崎県
暗かったですが、先に進みました。恵比寿、大黒が祀られていました。


(恵比寿、大黒)

写真では明るく見えますが、実際は暗くて、階段になっていましたが、ここまでとして、戻りました。


(暗い中、階段に)

ネコが餌を欲しそうにこちらを見ていました。


(ネコが)

このネコはレンタカーの下で一休みしていたので、追い払い、車を動かしました。


(車の下にいたネコ)

港の端に向かいました。定置網の網が積み上げられていました。


(定置網の網)

港の端に行き、戻ってくると斜面にたくさんのハウスが見られました。


(斜面にたくさんのハウス)
(写真撮影:2015.02)

長崎県南部へ島旅 6回目

2015-04-05 04:30:00 | 65九州西部・長崎県
ここで、遅れましたが、牧島の概要を書いておきます。
牧島は、長崎市の東部、橘湾に面した島。島名は、慶安4年(1651)に佐賀藩諫早領の放牧場が開かれたことにちなむ。かつては沿岸漁業用の小型木造船の産地だったが、現在は養殖業とイチゴ栽培が営まれている。昭和30年に東長崎町の一部となり、同38年には長崎市に編入された。同44年11月これまでの吊り橋にかわり、当時としては長崎市一長い牧戸橋(長さ109m、幅5.5m)が竣工した。島内には「つくり育てる漁業」を積極的に推進する長崎市水産センターほか、国指定史跡の曲崎古墳群(昭和53年12月21日指定)や、修学旅行生が長崎伝統行事「ペイロン」を体験できる施設である。


港に着くと小さな鳥居が見えました。


(小さな鳥居)

近づくと岩穴に入っていくようになっていました。扁額には「弁財天」と書かれていました。


(弁財天)

狭い岩穴に入ってみましたが、先に続いているようでしたが、暗くてよくわかりませんでした。


(狭い岩穴に)

外に出ると若者が三人いたので、聞いてみると反対側からなら入られると教えてくれました。反対側に行くと大きな赤い鳥居が2つありました。


(大きな赤い鳥居が)

「水神」も祀られていました。


(水神)

「弁財天」と横に書かれた扁額が岩の間に挟まれていました。どうしてでしょうか。


(扁額が岩の間に)
(写真撮影:2015.02)