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昭JIJI(アキラジジ)の島旅賛歌*参加

日本全国に有人島が434島ほどある。全島制覇すべく島旅を継続中。

大村湾への島旅 1回目

2016-06-27 04:30:00 | 65九州西部・長崎県
今回は、大村湾の島旅に出かけました。
いつものように出向いた島々の概要を書いておきます

竹ノ島 西彼杵郡半島の北東部、西彼町大串郷の大村湾に浮かぶ島。本土とは最短で100m足らずで、前ノ島や三島とも近接している。現在は前ノ島と同じくカキの養殖が営まれている。



前島 西彼杵半島のつけ根、時津町子々川郷から約200m沖合の波静かな大村湾に浮かぶ小さな島で、高い山もなく標高もわずか30mほど。戦後、入植者によって開墾され、ミカン畑が開かれている。昭和35年には人口24人を数えた。また、開墾でいくつもの古墳群の存在が知られるようになった。これまでに2度の発掘調査が行われ、古代人の集団墓地であったと考えられている。古墳の島として、県内外から注目されるなか、「古墳群の保存を」との声が高まっている。

鹿島 船津郷黒崎の沖合300m、波静かな大村湾に浮かぶ16haの小さな島で、伊木力漁港から船で5分で行くことができる。以前2つの島だったものが砂洲で繋がったといわれている。この付近は伊木力ミカンの産地で、この島でも緩やかな傾斜地にミカン畑が一面に広がり、海岸では貝や小魚がとれ、真珠貝の養殖やナマコ漁も営まれている。



田島 亀浦郷恵比須鼻の北0.75km、大村湾西部の無人島。面積0.006km2、標高22m。スダジイなどの群落がみられる。かつて島内に水田や畑地が拓かれ、昭和35年の国勢調査では15人の人口を数えていた。島中央部の高台には、同45年に完成した白塔形の田島灯台がある。

出典:(財)日本離島センター発行の「日本の島ガイド SHIMADAS シマダス」から

今回行った島の人口を記載しておきます。
竹ノ島 4人、前島 5人、鹿島 8人
出典:(財)日本離島センター発行の「島々の日本」から (平成22年国勢調査(確定値)など)

長崎県南部へ島旅 34回目

2015-05-03 04:30:00 | 65九州西部・長崎県
鳥居がありました。扁額には、牧神社と刻まれていました。


(鳥居)

上の方に簡素な社殿がありましたが、望遠で撮ってみました。


(簡素な社殿)

奥まで行きましたが、特に、何もありませんでした。


(奥まで)

戻ってきて、江上大橋を渡りました。


(江上大橋)

橋を渡ったところに銅像がありました。どうも大島の奥にある特養の前理事長の銅像のようでした。


(銅像が)

橋の下を見ると色々な船が係留されていました。


(色々な船)
(写真撮影:2015.02)

長崎県南部へ島旅 33回目

2015-05-02 04:30:00 | 65九州西部・長崎県
また、寺島大橋を渡り、次の目的の島、前島、鼕泊島へ向かおうとしましたが、時間的に、ハウステンボス近くの島、大島(明日、行く予定の島)に行けることが分かり、急きょ、ナビの設定を変更しました。


(ナビ設定を変更)

大島大橋もまた渡りました。


(大島大橋)

大島へ向かっている途中に、3本のアンテナが見えました。針尾送信所 無線塔です。最新技術を投入し、完成した鉄筋の無線塔です。今日もその姿を保っています。また、開戦の暗号文『ニイタカヤマノボレ』を送信した塔でもあります。


(針尾送信所 無線塔)

郵便局がありましたが、今回は、パスしました。


(郵便局)

大島へ渡る橋、江上大橋に着きました。この橋は、1台しか渡れません。信号はありませんが。


(江上大橋)

江上橋を渡り、大島に渡島しました。
ここで、いつものように、大島の概況を書きます。
大島(佐世保市)は、佐世保市の南部、大村湾に臨む針尾島南東部に接する小島で、昭和63年4月に江上大橋で結ばれた。かつて約40mの瀬戸を、たぐり船と呼ばれるロープ付きの小舟が行き来していた。半農半漁の生活が営まれ、大正から昭和初期にかけて、れんが用の赤土が掘り出され島内2カ所にれんが工場が建てられていた。周辺には全国から観光客が訪れる国際級リゾート施設ハウステンボスがあり、リゾート地域として注目を浴びている。
先端まで、進むことにしました。


(先端まで)
(写真撮影:2015.02)

長崎県南部へ島旅 32回目

2015-05-01 04:30:00 | 65九州西部・長崎県
また、学校が見えてきました。大崎中学校です。


(大崎中学校)

また、橋を渡りました。中戸大橋です。蛎浦島です。


(中戸大橋)

崎戸港に沿って進んでいくと大きな船が接岸していました。また、赤い橋が見えました。崎戸橋です。


(大きな船が)

西海市崎戸ターミナルに着きました。ここからは、江ノ島・平島・中通島へのフェリーと佐世保へのフェリーが出ています。ナビは、それを認識したようですが、ナビとしては、間違っていますね。しかし、予定していなかった島々に渡島できました。ただし、これらの島々は、以前、渡島していました。




(西海市崎戸ターミナル)

戻ることにしました。バス停があり、面白い形ですね。アラカブを模したもののようです。


(バス停)
(写真撮影:2015.02)

長崎県南部へ島旅 31回目

2015-04-30 04:30:00 | 65九州西部・長崎県
ナビに従って、少し違うと思いましたが、左折しました。


(ナビに従って左折)

大きな橋が出てきました。先ほど、眺めた大島大橋です。


(大島大橋)

後で確認すると寺島に渡島しているようです。前に赤い丸い橋が見えました。


(寺島に)

赤い丸い大橋、寺島大橋を渡りました。大島です。


(寺島大橋)

海岸線を走っているといくつかの島影が見られました。


(いくつかの島影)

学校が見えてきました。大崎高校です。


(大崎高校)
(写真撮影:2015.02)

長崎県南部へ島旅 30回目

2015-04-29 04:30:00 | 65九州西部・長崎県
南串島へ戻る途中、海に突き出したところに神社がありました。


(海に突き出したところに神社)

車を止めて、参拝に行きました。扁額には、「市杵島神社」と彫られていました。


(市杵島神社)

小さな石の社殿に紫と赤の布が巻かれ、注連飾りも飾られていました。新しかったので、最近、奉納されたのでしょう。


(小さな石の社殿に紫と赤の布)

片隅に「移転建設記念碑」と刻まれた記念石もありました。どこかから移設されたようですね。


(移転建設記念碑)

七ッ釜大橋を渡り、南串島へ戻りました。


(七ッ釜大橋)

次の島、前島、鼕泊島(とうどまりじま)へ向かうべく、ナビをセットしました。


(前島、鼕泊島へ)
(写真撮影:2015.02)

長崎県南部へ島旅 29回目

2015-04-28 04:30:00 | 65九州西部・長崎県
ナビを見ながら、広い道に戻り、少し島内散策を続けることにしました。


(ナビを見ながら)

すぐに本土の大瀬戸町に着き、少し海岸線に沿って車を進めました。


(海岸線に沿って車を)

大瀬戸の港に着きました。ここも行き止まりになりました。


(大瀬戸の港)

防波堤越しに橋が見えました。寺島、大島、蛎浦島、崎戸島へつながる大島大橋です。


(大島大橋)

対岸が南串島です。


(対岸が南串島)

南串島の海岸線で養殖が行われていました。


(南串島の海岸線で養殖)
(写真撮影:2015.02)

長崎県南部へ島旅 28回目

2015-04-27 04:30:00 | 65九州西部・長崎県
大きな道路に戻ってくると道路脇に大きな赤い鳥居が見えてきました。


(道路脇に大きな赤い鳥居)

通過した時に見ると「ある宗教団体の総本山」でした。


(ある宗教団体の総本山)

その先から細い道に入っていきました。西彼杵半島を横断します。


(西彼杵半島を横断)

ナビに従って走ったので、どういうところを走ったのかよく分かりませんでしたが、反対側の海が見えてきました。


(反対側の海が)

橋を渡って、細い道に右折しました。南串島です。


(南串島)

ここで、南串島の概要を書きます。

南串島は、西彼杵半島の西岸北部、西海町七釜郷と狭い水道を隔てて相対している島。周囲6.5Km、面積0.69Km2、標高86m。南北に細長い島で、七釜郷を護るように入江の前面に横たわり、北部は天然の良港・七ツ釜港(県管理港湾)の一部を形づくっている。南西部は大瀬戸町柳地区と接している。江戸期の「大村郷村記」には難串島と記されている。昭和41年、西彼杵半島県立自然公園に指定された。西彼杵半島西岸を縦断する国道202号線が島の南部を通過しており、同58年には国道改良工事によって七釜郷四釜地区と結ぶ七ツ釜大橋が完成、現在は3本の橋で本土側と結ばれている。集落は水道に面した東側に立地し、運動場などもある。平成12年国勢調査では23世帯81人を数えている。

奥に進めるとすぐに行き止まりとなりました。そこでUターンをしました。


(行き止まり)
(写真撮影:2015.02)

長崎県南部へ島旅 27回目

2015-04-26 04:30:00 | 65九州西部・長崎県
本土側の小口集落には、たくさんの家々が見られました。


(小口集落には)

また、小口橋を渡り、本土に戻りました。今度は、南串島へ向かいます。


(南串島へ)

鵜瀬島の集落が見られました。


(鵜瀬島の集落)

「又兵衛」という名のバス停がありました。人の名前かと思いましたが、帰って調べると地区の名前でした。


(「又兵衛」という名のバス停)

車を降りて、その辺りを散策しました。「金魚、メダカ、錦鯉養殖センター尾戸」と大きな看板が掲げられていました。ここまでの沿道に何度も立て看板を見ました。


(金魚、メダカ、錦鯉養殖センター尾戸)

大村湾に雲海が見られました。

(大村湾に雲海)
(写真撮影:2015.02)

長崎県南部へ島旅 26回目

2015-04-25 04:30:00 | 65九州西部・長崎県
舗装された道をドンドン奥に進んでいきました。周りには、何もありません。


(舗装された道を)

ついに行き止まりになりました。ここを慎重にバックして、戻ることにしました。


(ついに行き止まり)

帰る途中、行く時には気付きませんでしたが、墓石のようなものと何かが祀られていました。


(墓石のようなものと何かが)

やっと家が何軒か見えました。


(やっと家が何軒か)

行く時にも移動してもらいましたが、帰りも作業しているミキサー車がいて、また、移動していただきました。ありがとうございます。


(ミキサー車)

小口橋近くに戻ってくると眼下に何軒も家が見えました。


(眼下に何軒も家が)
(写真撮影:2015.02)