今回は、大村湾の島旅に出かけました。
いつものように出向いた島々の概要を書いておきます
竹ノ島 西彼杵郡半島の北東部、西彼町大串郷の大村湾に浮かぶ島。本土とは最短で100m足らずで、前ノ島や三島とも近接している。現在は前ノ島と同じくカキの養殖が営まれている。

前島 西彼杵半島のつけ根、時津町子々川郷から約200m沖合の波静かな大村湾に浮かぶ小さな島で、高い山もなく標高もわずか30mほど。戦後、入植者によって開墾され、ミカン畑が開かれている。昭和35年には人口24人を数えた。また、開墾でいくつもの古墳群の存在が知られるようになった。これまでに2度の発掘調査が行われ、古代人の集団墓地であったと考えられている。古墳の島として、県内外から注目されるなか、「古墳群の保存を」との声が高まっている。
鹿島 船津郷黒崎の沖合300m、波静かな大村湾に浮かぶ16haの小さな島で、伊木力漁港から船で5分で行くことができる。以前2つの島だったものが砂洲で繋がったといわれている。この付近は伊木力ミカンの産地で、この島でも緩やかな傾斜地にミカン畑が一面に広がり、海岸では貝や小魚がとれ、真珠貝の養殖やナマコ漁も営まれている。

田島 亀浦郷恵比須鼻の北0.75km、大村湾西部の無人島。面積0.006km2、標高22m。スダジイなどの群落がみられる。かつて島内に水田や畑地が拓かれ、昭和35年の国勢調査では15人の人口を数えていた。島中央部の高台には、同45年に完成した白塔形の田島灯台がある。
出典:(財)日本離島センター発行の「日本の島ガイド SHIMADAS シマダス」から
今回行った島の人口を記載しておきます。
竹ノ島 4人、前島 5人、鹿島 8人
出典:(財)日本離島センター発行の「島々の日本」から (平成22年国勢調査(確定値)など)
いつものように出向いた島々の概要を書いておきます
竹ノ島 西彼杵郡半島の北東部、西彼町大串郷の大村湾に浮かぶ島。本土とは最短で100m足らずで、前ノ島や三島とも近接している。現在は前ノ島と同じくカキの養殖が営まれている。

前島 西彼杵半島のつけ根、時津町子々川郷から約200m沖合の波静かな大村湾に浮かぶ小さな島で、高い山もなく標高もわずか30mほど。戦後、入植者によって開墾され、ミカン畑が開かれている。昭和35年には人口24人を数えた。また、開墾でいくつもの古墳群の存在が知られるようになった。これまでに2度の発掘調査が行われ、古代人の集団墓地であったと考えられている。古墳の島として、県内外から注目されるなか、「古墳群の保存を」との声が高まっている。
鹿島 船津郷黒崎の沖合300m、波静かな大村湾に浮かぶ16haの小さな島で、伊木力漁港から船で5分で行くことができる。以前2つの島だったものが砂洲で繋がったといわれている。この付近は伊木力ミカンの産地で、この島でも緩やかな傾斜地にミカン畑が一面に広がり、海岸では貝や小魚がとれ、真珠貝の養殖やナマコ漁も営まれている。

田島 亀浦郷恵比須鼻の北0.75km、大村湾西部の無人島。面積0.006km2、標高22m。スダジイなどの群落がみられる。かつて島内に水田や畑地が拓かれ、昭和35年の国勢調査では15人の人口を数えていた。島中央部の高台には、同45年に完成した白塔形の田島灯台がある。
出典:(財)日本離島センター発行の「日本の島ガイド SHIMADAS シマダス」から
今回行った島の人口を記載しておきます。
竹ノ島 4人、前島 5人、鹿島 8人
出典:(財)日本離島センター発行の「島々の日本」から (平成22年国勢調査(確定値)など)