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昭JIJI(アキラジジ)の島旅賛歌*参加

日本全国に有人島が434島ほどある。全島制覇すべく島旅を継続中。

大村湾への島旅 11回目

2016-07-07 04:30:00 | 65九州西部・長崎県
そこに上陸かと思いましたが、チャーター船はドンドンと進んでいきました。また、小さな小屋と漁船が見えました。


(小さな小屋と漁船)

チャーター船は奥へ入っていきました。下見をされていた船長も潮が引いていて、入り江が入り組んでいて、上陸地点を見失ったようです。鳥居が見えてきました。


(鳥居)

岩がゴツゴツした風景も見られました。


(岩がゴツゴツした風景)

また、小さな作業小屋が見えてきました。


(小さな作業小屋)

浮き作業場もありました。


(浮き作業場)

大分、進んでいくと漁船が接岸した作業小屋も見られました。


(漁船が接岸した作業小屋)
(写真撮影:2016.01)

大村湾への島旅 10回目

2016-07-06 04:30:00 | 65九州西部・長崎県
田島(右)が遠くなっていきます。


(田島が遠く)

竹ノ島に近づきました。黒いプラウキがたくさん浮かんでいました。真珠の養殖をされているのでしょうか。


(黒いプラウキ)

右奥にも島影が見え、建物も見えています。この島は、前ノ島です。以前、この島も有人島でしたが、最近、無人島になっていました。


(前ノ島)

前ノ島に近づくと小さな桟橋で作業されている方がいました。


(小さな桟橋で作業)

その先の小屋の前でも作業されている方が見られました。


(その先の小屋の前でも)

反対側を見ると大きな建物が見られました。また、漁船が接岸していました。ここが有人島の竹ノ島です。


(大きな建物)
(写真撮影:2016.01)

大村湾への島旅 9回目

2016-07-05 04:30:00 | 65九州西部・長崎県
その横にも面白い形の建物がありました。


(面白い形の建物)

ここは丸太の橋を渡れば入れたので、入ってみました。


(建物の中へ)

上の建物には細い木でできた橋になっていて、私の胴回りを考えて、入れそうにないので、やめました。


(細い木でできた橋)

そこを出て、歩いていると「魔女の家・ターザンの家」と書かれた案内板がありましたが、どこにあるのかを聞かなかったので、分かりませんでした。


(「魔女の家・ターザンの家」と書かれた案内板)

ツリーハウスで出迎えくれたネコが見送ってくれました。


(ネコが見送り)

田島を離れて、次の島、竹ノ島へ向かいました。


(田島を離れて)
(写真撮影:2016.01)

大村湾への島旅 8回目

2016-07-04 04:30:00 | 65九州西部・長崎県
改装された建物で、ここでの宿泊が可能になっていました。


(改装された建物)

家の中を見せてもらいました。大広間になっていました。


(大広間)

水道設備もありました。


(水道設備)

2階にも広間があるようです。


(2階にも広間)

少し山に入っていきました。そこに「ツリーハウス」がありました。森の中の冒険の拠点になっているようです。センダンの大木に作られていて、地上11mにあって、ハシゴで上り下りできるようになっていました。私、高所恐怖症のため上りませんでした。


(ツリーハウス)

ツリーハウスの下で、ネコが出迎えてくれてくれました。


(ネコが)
(写真撮影:2016.01)

大村湾への島旅 7回目

2016-07-03 04:30:00 | 65九州西部・長崎県
屋根が少し崩れた下屋がりました。


(屋根が少し崩れた下屋)

その下には、カマドやピザ窯のようなものがありました。


(カマドやピザ窯のようなもの)

その横の建物に入ってみました。


(その横の建物に)

その建物の中には、囲炉裏もありました。


(囲炉裏)

大きなお釜もありました。


(大きなお釜)

壺なども置かれていました。


(壺)
(写真撮影:2016.01)

大村湾への島旅 6回目

2016-07-02 04:30:00 | 65九州西部・長崎県
田島に到着しました。ここでいつものように田島の概要を書きます。田島し、亀浦郷恵比須鼻の北0.75km、大村湾西部の無人島。面積0.006km2、標高22m。スダジイなどの群落がみられる。かつて島内に水田や畑地が拓かれ、昭和35年の国勢調査では15人の人口を数えていた。島中央部の高台には、同45年に完成した白塔形の田島灯台がある。


(田島に到着)

上陸すると3軒の建物が見られました。どれも立派な建物でした。




(3軒の建物)

右手の建物に近づくと釣り道具が置かれていました。


(釣り道具)

大きな壺が並んでいました。


(大きな壺)

その建物の裏に回ると奥にまた大きな建物が見えました。


(また大きな建物)
(写真撮影:2016.01)

大村湾への島旅 5回目

2016-07-01 04:30:00 | 65九州西部・長崎県
翌日、同行する仲間がホテルに訪ねてきました。レンタカーに同乗して、昨日、下見をしておいた亀浦港の「田島」の事務所に行きました。


(「田島」の事務所)

事務所のすぐ裏に桟橋がありました。


(桟橋)

接岸してあったチャーター船に乗りました。


(乗船)

チャーター船はすぐに出発しました。


(出発)

港内はゆっくりと走行していましたが、港を出るとスピードを上げていきました。


(スピードアップ)

対岸には、針尾送信所無線塔の3本の塔が見えてきました。


(針尾送信所無線塔の3本の塔)
(写真撮影:2016.01)

大村湾への島旅 4回目

2016-06-30 04:30:00 | 65九州西部・長崎県
レンタカーを借りて、そのまま宿泊ホテルに向かうのには、時間的に早かったので、明日、出向く亀浦港へ行くことにしました。途中、新西海橋の見えるところで、休憩しました。


(新西海橋)

海峡を見ると大きな渦が見られました。


(大きな渦)

そこにあった案内板で、向かうところを確認しました。


(案内板)

亀浦港に向かう途中に3本の塔が見えました。西海橋の近くにそそり立つ、コンクリート製の三本の塔。この塔は太平洋戦争の勃発の口火を切った真珠湾攻撃の暗号文「ニイタカヤマノボレ1208」が発信されたと言われています。大正11年に作られた針尾送信所無線塔です。


(針尾送信所無線塔)

明日、お願いする「田島」の事務所を確認できました。


(「田島」の事務所)

その後、宿泊する佐世保に向かい、港へ行ってみました。この港には、何回か来ています。


(佐世保港)
(写真撮影:2016.01)

大村湾への島旅 3回目

2016-06-29 04:30:00 | 65九州西部・長崎県
長崎空港には、「ねんりんピック長崎2016」開催まで277日と掲示されていました。


(ねんりんピック長崎2016」)

長崎空港を歩いて、レンタカー会社へ向かっているとお店がありました。


(レンタカー会社へ)

「五島うどん」のお店がありました。帰りに立ち寄って、食べたいと思いました。


(「五島うどん」のお店)

レンタカーを借りるために、長崎空港から会社の迎えで、向かいました。


(レンタカー会社へ)

長崎空港を出発するといつも渡る箕島大橋が見えます。


(箕島大橋)

箕島大橋を渡ると大村のモニュメントが見られました。


(大村のモニュメント)
(写真撮影:2016.01)

大村湾への島旅 2回目

2016-06-28 04:30:00 | 65九州西部・長崎県
今回の島旅は、以前から計画していましたが、役所や漁協やチャーター船会社に問い合わせても渡島を了解してもらうところがありませんでした。どうするかを考えていましたところ、昨年のアイランダーで「日本無人島協会」と書かれた名刺をいただきました。この方は、大村湾にある無人島「田島(たしま)」を購入されて、「ハックルベリー・フィンの冒険始まる」とパンフレットに書かれているように「無人島で、非日常の生活を、冒険好きのみなさんなら思い切り楽しむことできる」ように考えられたようです。
その方と色々と話しをしている中で、大村湾の有人島に渡島したいと話をしたら、案内するよとのことで、話しはすんなりと決まりました。
今回は、一泊二日で出向くことにしました。一日目は、現地に泊まることも可能でしたが、自炊となるため、近くに泊まることにして、ユックリ目の出発になりました。

(浜松町)
羽田空港第2ターミナルに着き、出発ロビーへ向かいました。

(出発ロビー)
羽田空港を飛び立ちましたが、外は雨でした。

(外は雨)
上空は晴れていました。

(上空は晴れ)
大村湾近くで低空になりました。

(大村湾近くで低空)
長崎空港に着陸しました。

(長崎空港に着陸)
(写真撮影:2016.01)