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昭JIJI(アキラジジ)の島旅賛歌*参加

日本全国に有人島が434島ほどある。全島制覇すべく島旅を継続中。

加藤庸二氏の「島あるきの学校2006」 長崎・池島「石炭の歴史紀行」4日間 51回目

2008-04-06 04:28:31 | 65九州西部・長崎県
食堂の女将さんの見送りを受けて、神浦港へ戻りました。


(食堂の女将さんの見送り)


(さようなら池島)

神浦港へ戻ってからは赤い橋を渡り、白い橋を渡り、長崎市内へと戻ってきました。


(白い橋)


(長崎市内電車)

長崎港のターミナル2階では炭鉱の島のパネル展示がされていました。


(炭鉱の島のパネル展示)

初日に行った軍艦島(端島)のパネルもありました。






(軍艦島のパネル)
(写真撮影:2006.06)

加藤庸二氏の「島あるきの学校2006」 長崎・池島「石炭の歴史紀行」4日間 50回目

2008-04-05 04:44:07 | 65九州西部・長崎県
港の近くの食堂みなと亭に戻ってきましたが、そこに巡回図書館がいました。人が図書を見ていましたが、この一周で人を見かけたのはゴミ焼却場での作業員とこの人でした。


(巡回図書館)

昼食を食べたみなと亭の中でチャーター船が来るまで、お茶をいただきました。


(みなと亭内)

店内には昔を偲ばせる色々なものが飾られていました。賑やかにお祭もされていたようです。




(店内の飾り物)

港へ行くと巡回バスが停車していました。次のフェリーの到着を待っているようです。


(巡回バス)

我々は到着しているチャーター船に乗り込みました。




(チャーター船)
(写真撮影:2006.06)


加藤庸二氏の「島あるきの学校2006」 長崎・池島「石炭の歴史紀行」4日間 49回目

2008-04-04 04:19:49 | 65九州西部・長崎県
まだ人が住んでいるようなアパートが見えました。研修センターのアパートで、外国からの研修生が住んでいるようでした。


(研修センターのアパート)

車を進めると相変わらずアパート群が出てきます。設備的にはすごいものが残っているようです。朽ちてはいますが。


(アパート群)

修理工場だと説明されましたが、本当に使われているのでしょうか。


(修理工場)

模擬坑道も作られていて、研修に使われているようです。


(模擬坑道)

石炭を坑道から運搬していた車両も残されていました。


(石炭運搬車両)

港近くに戻ってきましたが、船から見えたコンベアを近くから見ることができました。






(ベルトコンベアー)
(写真撮影:2006.06)

加藤庸二氏の「島あるきの学校2006」 長崎・池島「石炭の歴史紀行」4日間 48回目

2008-04-03 04:23:16 | 65九州西部・長崎県
長崎炭鉱技術研修センターの前には、銅像がいくつか建っていました。




(いくつかの銅像)

振り返ると海上に蟇島が見えました。入気と排気の両立坑の施設がまだ残っているのが見えました。


(蟇島)

港へ戻ることにし、車を進めました。また、別のアパート群が現われました。




(別のアパート群)

廃校になっている高等学校が見えてきました。立派な校舎が残っており、往時はたくさんの学生がいたことがうかがえました。


(廃校になっている高等学校)

島で唯一のスーパーへ来ましたが、休み時間で中には入れませんでした。


(島で唯一のスーパー)
(写真撮影:2006.06)

加藤庸二氏の「島あるきの学校2006」 長崎・池島「石炭の歴史紀行」4日間 47回目

2008-04-02 04:30:41 | 65九州西部・長崎県
アパート群を右に回って行くと池島小中学校がありました。すばらしく立派な校舎です。最盛期のにぎやかさが推測できます。


(池島小中学校)


(体育館と思われる建物)

「白山比神社」と書かれた額がある鳥居をくぐって階段を上っていくと社殿が見えてきました。しかし、社殿の近くには池島神社と書かれていました。






(池島神社)

戻ってきて、アパート群の前を通り越していくとゴミ焼却場がありました。


(ゴミ焼却場)

更に行くと長崎炭鉱技術研修センターが見えてきました。ここは炭鉱施設を炭鉱技術移転のための研修施設として活用されています。




(長崎炭鉱技術研修センター)
(写真撮影:2006.06)

加藤庸二氏の「島あるきの学校2006」 長崎・池島「石炭の歴史紀行」4日間 46回目

2008-04-01 04:41:07 | 65九州西部・長崎県
その横の方にはバス停があり、名前は「新店街通り」となっていました。しかし、そばの商店は全てシャッターを下ろしていました。


(新店街通りのシャッターの下りた商店街)

その裏には「池島ファミリーボール」と書かれたボーリング場がありましたが、やっていないようです。


(池島ファミリーボール)

その並びにスナックや雀荘の看板も見られましたが、やっているのでしょうか。


(スナックや雀荘の看板)

その先にはこの島唯一の信号機がありました。点灯だけはしていましたが、寂しい感じがしました。


(唯一の信号機)

更に進むとアパート群が見えてきましたが、これらの建物をよくよく見ると生活感が全く感じられませんでした。3棟同じ造りのアパートが横一列並んで5階に全体を覆った廊下があり、空中廊下みたいにして3棟を繋いでる造りに驚きました。何ともいえない存在感のあるアパートでした。






(生活感が全く感じられないアパート群)
(写真撮影:2006.06)

加藤庸二氏の「島あるきの学校2006」 長崎・池島「石炭の歴史紀行」4日間 45回目

2008-03-31 04:32:36 | 65九州西部・長崎県
更に、上って行くとアパートが見えてきましたが、色を塗り替えたのか新しい感じがしました。しかし、人が住んでいる感じはしませんでした。


(色を塗り替えたのか新しい感じのアパート)

更に、上って行くと工場施設が見えてきましたが、動いている感じはしませんでした。




(工場施設)

坑道に使う材木が山積みになっていました。


(山積みの坑道に使う材木)

そこから右側を見ると廃墟となったアパートが見えました。


(廃墟となったアパート)

その前には、池島郵便局と町役場の池島支所がありました。


(池島郵便局)


(町役場の池島支所)
(写真撮影:2006.06)

加藤庸二氏の「島あるきの学校2006」 長崎・池島「石炭の歴史紀行」4日間 44回目

2008-03-30 04:51:23 | 65九州西部・長崎県
船客待合所付近にはネコがゴロゴロいて、昼寝をしていました。






(ゴロゴロと昼寝をしているネコたち)

昼食場所へ向いました。


(昼食場所へ向う)


(昼食場所 みなと亭)

昼食は「みなと亭」で食べましたが、昔の炭鉱で食べた弁当を思い出すようにと炭鉱弁当が出てきました。アルマイトの弁当箱に日の丸弁当で、懐かしく感じました。


(アルマイトの弁当に入っていた炭鉱弁当)

昼食後、いよいよ島内散策に出かけました。




(島内散策へ)

最初に出てきたのが、水源でした。今も使われているのかは不明でした。




(水源)
(写真撮影:2006.06)

加藤庸二氏の「島あるきの学校2006」 長崎・池島「石炭の歴史紀行」4日間 43回目

2008-03-29 04:39:31 | 65九州西部・長崎県
池島へ近づくと湾に沿って立ち並ぶ炭鉱住宅(町営住宅)や貯炭場に積み上げられた石炭、選炭施設等がはっきりと見えてきました。しかし、見える範囲で人や車両の動きはなく、稼動しているようには見えませんでした。


(炭鉱住宅)






(選炭施設)


(クレーン)




(コンベアー)


(炭鉱住宅)

池島港に着いて、上陸しました。


(池島船客待合所)
(写真撮影:2006.06)

加藤庸二氏の「島あるきの学校2006」 長崎・池島「石炭の歴史紀行」4日間 42回目

2008-03-28 04:24:09 | 65九州西部・長崎県
運転手さんの見送りを受けて、フェリーは出港していきました。


(運転手さんの見送り)

振り返ると久本寺が見え、大きな銅像も見えました。誰の銅像でしょうか?


(久本寺と銅像)

船内を見渡しましたが、船は古く、あちらこちらが痛んでいて応急処置がされていました。




(壊れたところを応急処置)

母子島、大角力などを横に見ながら進むと、前方に池島が見えてきました。


(母子島)


(大角力)


(池島)
(写真撮影:2006.06)