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昭JIJI(アキラジジ)の島旅賛歌*参加

日本全国に有人島が434島ほどある。全島制覇すべく島旅を継続中。

愛媛県への島旅 89回目

2016-10-16 04:30:00 | 42瀬戸内海・愛媛県・来島群島
右には上層部への階段と左には入口がありました。


(階段と入口)

入口を入るとレンガ造りのしっかりした建物でした。


(レンガ造りの建物)

奥に入って行き、上を見ると金網と空が見えました。ここに探照灯が置かれていたようです。


(金網と空が)

その部屋を出て、階段を上り上層部へ行きました。


(上層部へ)

上層部に上ると先ほど下から見た金網がありました。落下防止のようです。


(金網)

その先には、見張り番をするところでしょうか、部屋がありました。


(見張り番所)
(写真撮影:2016.02)

愛媛県への島旅 88回目

2016-10-15 04:30:00 | 42瀬戸内海・愛媛県・来島群島
掲示されていた「要塞跡歴史散策コース」に従って、まず、「探照灯台跡」へ向かいました。左手にしまなみ海道の来島海峡大橋が見えました。


(しまなみ海道の来島海峡大橋)

海上にグリーンの海上標識が見えました。その先に来島が見えました。


(グリーンの海上標識)

馬島へ行った定期船が小島経由して、来島へ向かっていました。


(定期船が来島へ)

振り返ると小島の港が見えました。


(小島の港)

来島海峡大橋の下を大きなコンテナー船が通過していました。


(大きなコンテナー船)

「探照灯台跡」と書かれた看板がありました。


(探照灯台跡)
(写真撮影:2016.02)

愛媛県への島旅 87回目

2016-10-14 04:30:00 | 42瀬戸内海・愛媛県・来島群島
小島へ渡島しました。定期船は、馬島へ向かいました。桟橋は工事がされていました。


(小島に渡島)

ここで、いつものように小島の概要を書いておきます。小島を「こじま」ではなく、「おしま」といいます。
小島は、今治市の北部海上0.5Km、来島と馬島の中間に位置する。東側の馬島との間は来島海峡航路の西水道にあたり、多くの船舶が航行している。住民は江戸中期に来島から移住し、半農半漁で生計を立てていた。日清戦争後の明治33年、芸予海峡の西水道をロシア艦船の侵攻から防御する芸予要塞の一部として島内3カ所に砲台が築かれたが、使用されることなく現在に至り、その良好な保存状態などから、芸予要塞跡として専門家から高い評価を得ている。現在は遊歩道も整備され、散策、キャンプ、海水浴の適地として市民らに親しまれている。また、来島大橋が完成し、架橋の人口美と来島海峡の多島海景を一望できる島として、観光客の増大が期待されている。
上陸して眺めると大砲が見えました。何でしょうか。


(砲台)

小島観光案内MAPがあり、「要塞跡歴史散歩コース」も描かれていました。


(小島観光案内MAP)

黒い干されているものがありました。ヒジキのようですね。


(ヒジキ)

港から見えた大砲の所へやってきました。これはNHKドラマ「坂の上の雲」の撮影に使われた、28㎝榴弾砲のレプリカとのことでした。。




(大砲の所へ)
(写真撮影:2016.02)

愛媛県への島旅 86回目

2016-10-13 04:30:00 | 42瀬戸内海・愛媛県・来島群島
一昨日の夕方に渡島した来島が見えてきました。


(来島)

来島の桟橋に定期船は接岸しました。一昨日、訪れた神社が見えました。先ほどのゴミの回収箱や袋が降ろされました。


(来島の桟橋に)

定期船は、すぐに出航しました。来島漁港、来島城址を見ながら、小島へ向かいました。


(来島漁港、来島城址)

前方に小島が見えてきました。


(小島)

しまなみ海道と馬島も見えました。


(しまなみ海道と馬島)

定期船は馬島の桟橋に接岸しました。下船は前からでした。


(馬島の桟橋)
(写真撮影:2016.02)

愛媛県への島旅 85回目

2016-10-12 04:30:00 | 42瀬戸内海・愛媛県・来島群島
いよいよ愛媛県での4日目、最終日になりました。まず、向かったのは、来島へ出かけた時の港、波止浜港です。


(波止浜港)

定期船が接岸していました。


(定期船)

この定期船は、波止浜→来島→小島→馬島間で就航しています。


(波止浜→来島→小島→馬島間で就航)

波止浜港を出航しました。一昨日に見た造船所が見られました。


(波止浜港を出航)

船上には、ゴミの回収箱や袋が積まれていました。




(ゴミの回収箱や袋)
(写真撮影:2016.02)

愛媛県への島旅 84回目

2016-10-11 04:30:00 | 42瀬戸内海・愛媛県・来島群島
港の近くに戻ってくると流木がたくさん集められていました。何に使われるのでしょうかル燃料でしょうか、何か芸術的なものを造られるのでしょうか。


(流木がたくさん)

つてに島民にお会いできずに、比岐島を離れることになり、待ってもらっていた漁船に乗りました。


(漁船に)

比岐島を離れていきました。




(さようなら比岐島)

帰りは、風に押されて、静かな航海になりました。


(静かな航海)

桜井港に戻り、レンタカーで今治のホテルに着きました。ホテルからしまなみ海道の橋を見ることができました。


(しまなみ海道の橋)
(写真撮影:2016.02)

愛媛県への島旅 83回目

2016-10-10 04:30:00 | 42瀬戸内海・愛媛県・来島群島
先へ行くと船から見えた鳥居がありました。


(鳥居)

扁額には「三島神社」と刻まれていました。


(三島神社)

人が少ない島なので、参道がどうなっているか心配でしたが、きれいに整備されていて、問題なく拝殿に着きました。


(拝殿)

いつものように拝殿内を見ると太鼓や絵馬や皇室の写真などがありました。


(拝殿内)

神社から戻っていくと木間から港が見えました。


(木間から)

港へ向かう途中、振り返るときれいな海が見られました。


(きれいな海)
(写真撮影:2016.02)

愛媛県への島旅 82回目

2016-10-09 04:30:00 | 42瀬戸内海・愛媛県・来島群島
振り返ると桟橋に乗ってきた漁船が接岸していました。


(乗ってきた漁船)

整備されているような土地ですね。後ろの家は住まわれているのでしょうか。


(整備されているような土地)

細工されたポールが立っていました。その後ろに建物がありました。


(細工されたポール)

学校の校舎跡のようです。


(学校の校舎跡)

校舎に入ってみようとしましたが、階段が壊れていました。何とか校舎に近づくことができました。


(階段が壊れていました)

校舎内をのぞいてみると黒板、テーブルなどが残されていました。


(校舎内)
(写真撮影:2016.02)

愛媛県への島旅 81回目

2016-10-08 04:30:00 | 42瀬戸内海・愛媛県・来島群島
先に歩いて行くとコンクリート塀に沿って倉庫のような建物がありました。


(倉庫のような建物)

その前には色々なものが積み上げられていました。


(色々なものが)

庭には赤い実が生っている木がありました。


(赤い実が)

共同アンテナでしょうか。それとも自分だけのアンテナでしょうか。高くあげられていました。


(共同アンテナ?)

廃墟のようですね。


(廃墟のよう)

廃墟が続いています。


(廃墟が続く)
(写真撮影:2016.02)

愛媛県への島旅 80回目

2016-10-07 04:30:00 | 42瀬戸内海・愛媛県・来島群島
比岐島へ上陸すると廃屋も見られました。ここで、いつもの島の概況です。比岐島は、今治港の東約7Km、燧灘に位置する島。地質は黒雲母片岩からなる。すぐ東側には無人島の小比岐島、さらに北東約2Kmには岩礁の海獺磯があり灯標が設置されている。比岐島は、慶長年間(1596~1615)に松を植栽した記録が残り、松の茂った島の守役人を入島させたのが定住の始まりといわれる。その後、桜井の漁業者が移住、開拓が始まった。現在、定期航路はない。3世帯6人の住民が柑橘栽培や漁業を営んでいる。かつては人口も70人以上を数え、小中学校もあったが、今は閉鎖されている。


(比岐島へ上陸)

島内散策を開始しましたが、奥への道があるのかなあ。


(島内散策を開始)

海岸線は、防波堤があり、コンクリート道路がありました。それに沿って散策を開始しました。


(防波堤とコンクリート道路)

歩いて行くと住まわれている家が見えました。


(住まわれている家)

声をかけましたが、応答はありませんでした。


(無応答)

よく見ると「鳥獣禁漁区 愛媛県」と書かれた木柱がありました。何でしょうか。


(「鳥獣禁漁区 愛媛県」と書かれた木柱)
(写真撮影:2016.02)