goo blog サービス終了のお知らせ 

昭JIJI(アキラジジ)の島旅賛歌*参加

日本全国に有人島が434島ほどある。全島制覇すべく島旅を継続中。

憧れの小笠原諸島への旅 30回目

2007-09-14 04:54:41 | 12小笠原・小笠原諸島
メーンストリートと言っても閑散としていました。村役場、駐在所を通り、銀行、郵便局、商店を通過しましたが、閉まっていました。


(村役場)


(駐在所)

海岸線に出て、左折するとテニスコートが見えてきました。


(テニスコート)

ゴミ焼却場が見えてきましたが、今は、生ゴミで堆肥を作っているだけで、父島で処理しているとのことでした。発電所も見ることができました。


(ゴミ焼却場)


(発電所)

旧ヘリポートからはワイビーチ、小富士が見えました。


(旧ヘリポート)


(ワイビーチ)


(小富士)

ここに来るまでにラム酒を作る工場を林の奥にチラッと見ることもできました。
街中に戻り、教職員住宅や案内してもらっている方の経営されているYHを見て、港まで戻ってきました。


(教職員住宅)


(YH(ユースホステル))
(写真撮影:2006.1)

憧れの小笠原諸島への旅 29回目

2007-09-13 04:13:31 | 12小笠原・小笠原諸島
北村小学校跡などを廻って、最北端の北港へと出かけました。小学校跡は、植物が増えたためか、門しかわからなかったです。


(北村小学校跡)

第2次大戦時に島民が疎開までは、この北港にも集落があったようです。北港の説明をしているたて看板があり、当時の集落の写真が貼られていましたが、現在は全くその当時を偲ぶ風景は見られませんでした。


(北港の説明のたて看板)

少し北港の周りを散策しました。


(北港)


(展望台)

一路、沖港の街中へ戻ってきて、街中を散策しました。ロース記念館は、耐熱性に優れ、加工しやすいロース石造りの郷土資料館です。その横には、ロースの銅像がありました。


(ロース記念館)


(ロースの銅像)

小中学校、村民会館の横を通り、メーンストリートに入ってきました。小中学校は、生徒32名、教職員23名とのことでした。


(小中学校)


(村民会館)


(メーンストリート)
(写真撮影:2006.1)

憧れの小笠原諸島への旅 28回目

2007-09-12 04:43:01 | 12小笠原・小笠原諸島
北に向かう沿道にも、マルハチ、野ヤシ(セーボレーヤシ)、タコノキなどが見られました。 マルハチは葉脈跡が「八」の逆さまのようになっているので名付けられたようです。




(マルハチの葉脈跡)


(野ヤシ(セーボレーヤシ))


(タコノキ)

ビッグベイを過ぎた辺りから少し行くと東側の海が見えてきました。


(ビッグベイ)


(石門崎)

都道脇の壕の中に、戦時中の旧日本軍が設置した大型の探照灯の残骸が残っていました。


(大型の探照灯の残骸)
(写真撮影:2006.1)

憧れの小笠原諸島への旅 27回目

2007-09-11 04:08:37 | 12小笠原・小笠原諸島
桑の木山への入口に着きました。看板は桑の木でできているようでした。また、シーズンになるとそのところにグリーンペペが付いて、夜には緑色の光を放つようです。


(桑の木山への入口)

桑の木山は、学術参考保護林地区になっていて、色々な固有種があるようで、少し山の中へ入っていきました。ホシツルラン、アカギ、コブの木、リュービンタイ、シマキョクシンカ、ムニンシュスラン、オオタニワタリなどを見ることができました。小笠原の固有の植物がドンドン少なくなっている話を聞きました。オガサワラノスリや珍鳥アカガシラカラスバトの生息地でもあるようでした。
どちらも天然記念物です。


(ホシツルラン)


(アカギ)


(コブの木)


(リュービンタイ)


(シマキョクシンカ)


(ムニンシュスラン)


(オオタニワタリ)


(オガサワラノスリ)


(アカガシラカラスバト)
(写真撮影:2006.1)

憧れの小笠原諸島への旅 26回目

2007-09-10 04:08:08 | 12小笠原・小笠原諸島
生活圏との境に「扉」がありました。その近くに面白い道路標識がありました。「オカヤドカリ」に注意という道路標識です。オカヤドカリは天然記念物で、殆ど山に住んでいて、5月、産卵の時に谷を下りて、海で産卵するようで、踏まないようにとの標識でした。


(生活圏との境にある「扉」)


(オカヤドカリの標識)

更に、進むと太陽光発電が見えてきました。これで発電した電力を使って、谷の水をポンプで汲み上げて、農業用水として利用しているようです。


(太陽光発電)

新夕日ケ丘に着きましたが、ここは母島の代表的なサンセットポイントのようです。シーズン中はホエールウォッチングも見られるようです。周りには、固有種のオガサワラビロー、ビーデビーデ(デイゴ)、キバンジロやムニンヒメツバキ(ロースード)なども見ることができました。


(新夕日ケ丘)


(オガサワラビロー)


(ビーデビーデ(デイゴ))


(キバンジロ)


(ムニンヒメツバキ(ロースード))
(写真撮影:2006.1)

憧れの小笠原諸島への旅 25回目

2007-09-09 05:00:29 | 12小笠原・小笠原諸島
島内は、ユースホステルの方の案内で散策を開始しました。港を出て、北へ向かいました。最初に、村役場の支所、島内唯一のシュロ葺き屋根(オガサワラビローという固有のヤシの葉で葺いたもの)、島内唯一のお寺、都営住宅、墓地(モットレイとロース)を見ながら北上しました。


(島内案内をしていただいたYHの方)


(村役場の支所)


(島内唯一のシュロ葺き屋根)


(島内唯一のお寺)


(都営住宅)


(墓地(モットレイとロース))

昔は、沖村と北村と2つあったようですが、現在は、人が住んでいるのは、沖村だけのようです。
ハスベイを通過すると段々と民家がなくなり、沖縄から持ってきたガシュマルを住居跡に見ながら、北上しました。


(ハスベイ)


(ガシュマル)
(写真撮影:2006.1)

憧れの小笠原諸島への旅 24回目

2007-09-08 04:15:36 | 12小笠原・小笠原諸島
2日には、母島へ「ははじま丸」で出かけました。港では、常連さんなどに見送りをしてもらい、出航しました。停泊中のおがさわら丸といしかりを見ながら、二見港を出て行きました。


(ははじま丸)


(常連さんなどの見送り)


(おがさわら丸)


(いしかり)


(二見湾)

この道中も穏やかで、母島の沖港へ到着しました。


(ははじま船内)


(後、父島)


(母島)


(母島、沖港到着)
(写真撮影:2006.1)

憧れの小笠原諸島への旅 23回目

2007-09-07 05:22:08 | 12小笠原・小笠原諸島
海岸にはテントが張ってあり、島に伝わる伝統料理のダンプレン(チキンベースのすいとん風料理)が振舞われていました。


(仮設テント)


(振舞われたダンプレン)

昼食には、名物の「島寿司」や「亀刺し」を食べました。


(亀刺し)

その後は、島内をユックリと散策しました。小笠原父島の観光案内所「B-しっぷ」は、港から近くにあり、クジラとイルカをモチーフとした壁画があり、初めての人でもわかりやすくなっています。


(B-しっぷ)


(館内)

館内には、面白いお面が飾ってありました。謂れを最近聞きましたら、昔のカヌーの船首に飾ってあったものを復元したものとのことでした。


(船首に飾れていたお面(復元品))

この建物には観光協会、ホエールウォッチング協会、商工会が入っています。


(観光協会)

近くの商店には色々な柑橘類やお土産が売られていました。


(ブンタン)


(柑橘類)


(ラム酒)

その後、兄島瀬戸にある宮之浜園地へ出かけました。


(宮之浜園地)

街中に戻って、小笠原水産センターへ行きました。ここは、アオウミガメを保護しながら、子供たちに海洋生物の保護教育を行っているところでした。


(小笠原水産センター)
(写真撮影:2006.1)


憧れの小笠原諸島への旅 22回目

2007-09-06 04:00:12 | 12小笠原・小笠原諸島
会場では島の人たちのフラダンスや南洋踊りや楽器(KAKA)演奏などが披露されました。南洋踊りはサイパン、グアム、パラオなどと150年位前に交流していた頃に出来たもので、お祭りなどのときに伝統的に踊りつがれているようです。KAKAはタマナの木をくりぬいて作られた打楽器です。






(フラダンス)




(南洋踊り)


(KAKA演奏)

今年最初の運試し「新春福引大会」も盛り上がりました。しかし、残念ながら何も当たりませんでした。海開き会場では、ウミガメの放流などが行われました。


(海開き会場)


(海亀放流)

その後、一斉に海に飛び込んでいきました。




(日本一早い海開き)

今日の海開きに参加すると、会場で初泳ぎ証明書を発行してもらえますが、少し寒く、海に入るのはやめました。
(写真撮影:2006.1)



憧れの小笠原諸島への旅 21回目

2007-09-05 03:58:15 | 12小笠原・小笠原諸島
元旦は、日本一早い海開きです。初詣の後、海開きが開催される大村海岸沿いの大神山公園に出向きました。


(大村海岸)

沿道には、歓迎の横断幕が掲げられていました。


(歓迎の横断幕)

神事の後、小笠原太鼓が叩かれ、海開きが開始されました。


(神事)


(小笠原太鼓)


(海開き会場)

村長の海開き宣言の後、餅まきが行われました。


(村長の海開き宣言)


(餅まき)
(写真撮影:2006.1)