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昭JIJI(アキラジジ)の島旅賛歌*参加

日本全国に有人島が434島ほどある。全島制覇すべく島旅を継続中。

秘島・竹ケ島にも渡る宇和島諸島6島めぐり3日間 44回目

2014-05-24 04:30:00 | 56愛媛県・宇和海諸島
ドンドンとチャーター船は加速していきました。


(ドンドン加速)

大規模な養殖場ですね。


(大規模な養殖場)

養殖場にテントが掛けられていました。鯛でも養殖しているのでしょうか。


(養殖場にテントが)

生簀でしょうか、たくさんの鳥がとまっていました。


(生簀)

九島の百之浦港に到着しました。


(九島の百之浦港)

九島へ上陸しました。


(九島へ上陸)
(写真撮影:2014.01)

秘島・竹ケ島にも渡る宇和島諸島6島めぐり3日間 43回目

2014-05-23 04:30:00 | 56愛媛県・宇和海諸島
遠くを見ているとやはり浮島現象?のようですね。


(浮島現象?)

島の上に大きな樹が生えています。座っている動物のように見えました。


(島の上に大きな樹が)

また、定期船とすれ違いました。どこの島へ向かっているのでしょうか。


(定期船)

今度は、島の上に2本の木が立っていました。松でしょうか。


(島の上に2本の木)

作業船が接岸していました。これから養殖場へ向かうのでしょうか。


(作業船)

カモメがノンビリと浮いていました。


(カモメ)
(写真撮影:2014.01)

秘島・竹ケ島にも渡る宇和島諸島6島めぐり3日間 42回目

2014-05-22 04:30:00 | 56愛媛県・宇和海諸島
大きな建物が見えてきました。建物の形から見ると学校のようですね。


(大きな建物が)

島と島を結ぶ橋が見えてきました。帰って調べると島と島ではなくて、三浦半島の中部にある運河で「細木運河」というようです。宇和島港へ向かう船舶は約8キロ程度の迂回を強いられるなど航行の障害となっており、また、半島西北のふぶしの瀬戸は小船にとっては難所であったようで、昭和36年に完成した運河だったようです。


(細木運河)

細木運河を快調に通過していきました。


(快調に通過)

チャーター船は加速して、細木運河を後にしました。


(細木運河を後に)

防波堤の上では、釣りをしている人がいました。


(釣りをしている人)

大きな漁船とすれ違いしました。


(大きな漁船)
(写真撮影:2014.01)

秘島・竹ケ島にも渡る宇和島諸島6島めぐり3日間 41回目

2014-05-21 04:30:00 | 56愛媛県・宇和海諸島
九島は、宇和島の近くにあり、大分長いチャーター船での移動となります。


(長いチャーター船での移動)

海に長い防波堤が突出していました。海の牧場のようですね。


(海に長い防波堤が)

各所に養殖筏があり、作業がされていました。


(養殖筏)

海に緑色の灯台が見えます。何の意味があるのでしょうか。帰って調べると「緑は左舷標識」と書かれていました。さらに調べると「左舷標識とは、標識の位置が航路の左側(水源に向かって)の端であることを示します。緑色円筒形頭標が1個付き、塗色、灯火が緑色となっています。灯浮標とは、船舶に岩礁や浅瀬、また、航路を示すために、海上に設置された標識です。」と書かれていました。灯台ではなく、灯浮標というのですね。


(緑色の灯浮標)

定期船が走ってきました。戸島へ向かう定期船のようです。


(定期船)

海岸線に集落がいくつか見えてきました。


(海岸線に集落が)
(写真撮影:2014.01)

秘島・竹ケ島にも渡る宇和島諸島6島めぐり3日間 40回目

2014-05-20 04:30:00 | 56愛媛県・宇和海諸島
さすがに島ですね。たくさんのネコが集まっていました。


(たくさんのネコが)

港へ帰ってくると柱に注連飾りが飾ってありました。島への邪気の渡島を守っているのでしょうか。


(柱に注連飾りが)

「月ヶ浜公園」と書かれた石柱がありましたが、新しいものでした。ここでトイレ休憩をして、チャーター船に戻りました。


(月ヶ浜公園)

竹ヶ島を後にして、九島へ向かいました。


(さようなら竹ヶ島)

船が揚げる波に虹が出ていました。


(虹)

船尾に錨が置かれていました。こういう置き方も珍しいですね。


(船尾に錨が)
(写真撮影:2014.01)

秘島・竹ケ島にも渡る宇和島諸島6島めぐり3日間 39回目

2014-05-19 04:30:00 | 56愛媛県・宇和海諸島
集落に向かいました。


(集落へ)

入り江は、干潮で干上がっていました。行く時には、また水があったのですが。


(入り江は、干潮で干上がって)

郵便ポストがあり、郵便局かと思いましたが、このような島では、ありえないと思いました。


(郵便局か)

前に回ってみると公民館でした。


(公民館)

その横に小学校がありました。竹ヶ島小学校です。


(竹ヶ島小学校)

玄関の中には、行事予定表が貼ってありました。


(行事予定表)

教室を外からのぞくと大きな机と小さな机が1つずつありました。帰ってから確認すると生徒が一人の小学校でした。


(大きな机と小さな机が1つずつ)
(写真撮影:2014.01)

秘島・竹ケ島にも渡る宇和島諸島6島めぐり3日間 38回目

2014-05-18 04:30:00 | 56愛媛県・宇和海諸島
畑の道をそのまま少し歩きましたが、途切れてしまいました。少し戻って、海岸線に出て歩きましたが、ゴミや石ころで大変歩きづらかったです。


(海岸線へ)

情報として、「高島とは砂州でつながっている」とありましたので、先端まで歩きました。しかし、少し満ちていて、つながっていませんでした。


(高島)

その先端に一軒家がありましたが、戸閉になっていました。


(一軒家)

沖では、船で作業がされていました。真珠母貝の養殖が盛んと書かれていましたので、その作業でしょうか。


(真珠母貝の養殖)

建物群のところへ戻ってきましたが、あまり人の気配がしませんでした。


(あまり人の気配が)

その建物の片隅にサンゴが置かれていました。大きなサンゴでした。

(大きなサンゴ)
(写真撮影:2014.01)

秘島・竹ケ島にも渡る宇和島諸島6島めぐり3日間 37回目

2014-05-17 04:30:00 | 56愛媛県・宇和海諸島
入り江のようなところに、小さな船が係留されていました。


(小さな船が係留)

歩いていくと港には大きな船が係留されていました。手前の船は、我々が乗ってきた船かと思いましたが、少し違っていて、瀬渡し船のようですね。


(瀬渡し船)

建物群の横にやってきました。棟が長く続いています。


(建物群の横に)

建物群を通り過ぎるときれいな海に出てきました。


(きれいな海に)

真珠貝の貝殻がたくさん捨てられていました。


(真珠貝の貝殻)

さらに進むと畑がありました。周りにネットが張られていて、獣除けがされていました。鹿でしょうか、イノシシでしょうか。


(畑が)
(写真撮影:2014.01)

秘島・竹ケ島にも渡る宇和島諸島6島めぐり3日間 36回目

2014-05-16 04:30:00 | 56愛媛県・宇和海諸島
ここで、いつものように竹ヶ島の概要を書いておきます。竹ケ島は、津島町の西約10km、宇和海にある周囲3kmの小島。東北にある高島とは砂州でつながっている。地形は急峻で平地が少ない。わずかに1集落31世帯が立地している。元禄13年(1700)に開拓されたと伝えられ、大正7年に住民が土地を買い取るまでは宇和島の大庄屋・赤松家の所有だったという。母屋と呼ばれる家が7軒あり、もともとは日振島からの分家だとか、兵庫の淡路島からの移住によるなど諸説がある。年間を通じて温暖な気候で豊かな海に囲まれていることから、水産業を主として発展してきた。今では昭和38年に母貝養殖を開始した真珠産業の好況下で、ほとんどの世帯が真珠関連産業に従事している。
貝殻が付いた網が山のようになっていました。これから整理されるのでしょうか、それとも捨てられるのでしょうか。


(貝殻が付いた網)

港の前に立派な建物がありました。島には珍しい建物です。


(立派な建物)

港へ入る前に見えた島には珍しい建物群の方へ向かうことにしました。目の前に瓦葺の平屋の大きな建物もありました。倉庫にでも使われているのでしょうか。


(島には珍しい建物群の方へ)

石碑がありました。「防波堤記念碑 昭和38年5月」と書かれていました。写真の後ろに写っている石積みのものでしょうか。


大分、続いていますね。


(続く防波堤)

歩いていくと集落が見えてきました。この辺りに集まっているようですね。


(集落)
(写真撮影:2014.01)

秘島・竹ケ島にも渡る宇和島諸島6島めぐり3日間 35回目

2014-05-15 04:30:00 | 56愛媛県・宇和海諸島
浮島かと思い写真を撮ってみました。少し浮島のようですね。


(浮島か)

竹ケ島に近づいてきました。


(竹ケ島に)

島に近づくと島には珍しい建物群が見えてきました。


(島には珍しい建物群)

ずんずん陸地に近づきした。


(陸地に)

定期船がないので、桟橋ではなく、防波堤の階段に接岸しました。


(防波堤の階段に接岸)

竹ケ島へ上陸です。

(竹ケ島へ)
(写真撮影:2014.01)