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昭JIJI(アキラジジ)の島旅賛歌*参加

日本全国に有人島が434島ほどある。全島制覇すべく島旅を継続中。

これで佐賀県の離島を制覇! 玄界灘に浮かぶ8つの島々へ 20回目

2009-07-07 04:30:00 | 62九州北部・佐賀県・玄海諸島
少し周りを歩くと海側に、これから行く「小川島」、明日行く「加唐島」、以前行ったことのある「小呂島」も見えました。


(小川島)


(加唐島)


(小呂島)

駐車場近くの売店では、木に成ったまま完熟した甘夏が売られていました。美味しそうなので買ってみました。後で食べましたが、ジューシーで大変美味しかったです。


(完熟した甘夏)

戻る途中で、先ほど通過した田島神社に立ち寄ることになりました。田島神社は肥前最古といわれる神社で、創建年代は不詳ですが、最も古い記録は『松浦古事記』(天平3年(731))があります。海に向かって建つこの神社は、海上の安全を守る神様として有名ですが、もう一つ、松浦佐用姫伝説にまつわる佐用姫神社があることから、縁結びの神としても密かに注目されています。ここに祀ってある望夫石は、朝鮮半島へ向かう大伴狭出彦を愛しみ、悲しみのあまり佐用姫が石になったものだといわれています。「夫恋ひ」の万葉歌碑もあります。境内からの眺めは素晴らしく、眼下に小さな漁村と透通る翡翠色の海が広がります。




(田島神社)


(元寇碇石)
(2009.03写真撮影)

これで佐賀県の離島を制覇! 玄界灘に浮かぶ8つの島々へ 19回目

2009-07-06 04:30:00 | 62九州北部・佐賀県・玄海諸島
橋を渡ると直ぐに「風の見える丘公園」への道がありましたが、バスでは上れないということで遠回りすることになりました。海岸線を走り、田島神社の前から上っていきました。頂上のバス駐車場で下車して、赤い屋根の小屋へ向かって歩きました。


(加部島の海岸線)


(頂上のバス駐車場)


(赤い屋根の小屋へ)

その裏に風車がありました。その先からの展望はすばらしかったです。先ほど通ってきた呼子大橋が見えました。きれいな形の橋ですね。


(風車)


(呼子大橋)

その先の半島には、たくさんの風力発電機が建っていました。風が強いようですね。


(たくさんの風力発電機)
(2009.03写真撮影)

これで佐賀県の離島を制覇! 玄界灘に浮かぶ8つの島々へ 18回目

2009-07-05 04:30:00 | 62九州北部・佐賀県・玄海諸島
さらに、消防団のポンプ格納庫もありました。


(消防団のポンプ格納庫)

待合所で待っていると時間になり、定期船が入港してきたので、湊港へ戻りました。


(待合所)


(定期船)

島を振り返ると屋根に大きく「かしわじまほいくえん」と書かれていました。鯨と魚の絵もかわいいですね。下を歩いているときには、見られない風景です。


(神集島保育園)


(さよなら神集島)

湊港へ戻ると待っていたバスで今度は、加部島(かべしま)へ向かいました。


(加部島へ)

平成元年に完成した呼子大橋を渡り、加部島へ渡島しました。


(呼子大橋)
(2009.03写真撮影)

これで佐賀県の離島を制覇! 玄界灘に浮かぶ8つの島々へ 17回目

2009-07-04 04:30:00 | 62九州北部・佐賀県・玄海諸島
時間まで、もう少し島内散策を続けました。家の庭にやきものの窯がありました。丁度、家の人がおられたので、聞いてみましたら、息子さんの趣味で作られたものとのこと。どんなものが焼かれているのでしょうか。


(家の庭にやきものの窯)

港の近くに大きな看板で「神集島購買部」と書かれていました。漁協のスーパーでしょうか。中を見ましたが、スーパーでした。


(神集島購買部)

その横に郵便局がありました。簡易郵便局でした。

(神集島簡易郵便局)

その周りの広場には、お地蔵さんや不動明王や仏像が祀られた建物がありました。信仰は、色々とありますね。

(お地蔵さん)


(不動明王)




(仏像が祀られた建物)
(2009.03写真撮影)

これで佐賀県の離島を制覇! 玄界灘に浮かぶ8つの島々へ 16回目

2009-07-03 04:30:00 | 62九州北部・佐賀県・玄海諸島
ここにも万葉の歌碑がありました。この島には、全部で7つあるとのことでしたが、この2つしか見られませんでした。


(万葉の歌碑)

神集島へ近づいたときに、最初に見えた灯台のところへ出てきました。近くには行かず、そのまま通過していきました。


(灯台)

海上には、明日行く島々が見えました。名前はどれだかよく分かりません。


(明日行く島々)

丁度、壱岐へ行くフェリーが航行していました。


(壱岐へ行くフェリー)

道端には、色々な石仏も祀られていました。


(石仏)

神集島小学校がありましたが、非常に近代的な建物になっていました。少し不似合いな感じがしました。


(神集島小学校)

小学校前の下水溝に置かれていたものですが、何に使うつもりなのでしょうか。散歩のときのイス代わりにするのでしょうか。


(何に使うの)
(2009.03写真撮影)

これで佐賀県の離島を制覇! 玄界灘に浮かぶ8つの島々へ 15回目

2009-07-02 04:30:00 | 62九州北部・佐賀県・玄海諸島
住吉神社は、岬の先端にあり、石の鳥居が海中に建てられていて、底筒男命、表筒男命、中筒男命、息長足姫命、天ノ兒屋根命を祭神として祀られ、豊漁・海上安全の海を司る神として親しまれています。毎年8月には、神集島住吉神社祇園祭が行われるようです。






(住吉神社)

その境内には、「蒙古碇石」が置かれていました。長さ2.68m、最大幅0.38m、最大厚み0.26mで、玄界灘沿岸で発見された蒙古碇石30例のうち、二番目に大きいものと言われているようです。






(蒙古碇石)

境内の桜も満開で見ごろでした。


(境内の桜も満開)

帰りは、外海側を歩くことにしました。ハマユウの群生地とのことでしたが、季節が早く、見られませんでした。サボテンが多く見られました。


(ハマユウの群生地でのサボテン)
(2009.03写真撮影)

これで佐賀県の離島を制覇! 玄界灘に浮かぶ8つの島々へ 14回目

2009-07-01 04:30:00 | 62九州北部・佐賀県・玄海諸島
上陸すると大きな鯉幟が飾られていました。


(大きな鯉幟)

お地蔵さんなども祀られていました。


(お地蔵さん)

島内案内地図があり、皆さん、思い思いの方向へ散らばっていきましたが、時間的にあまりないので、私は、まず、船から見えた住吉神社へ向かうことにしました。


(案内地図)


(住吉神社へ)

まず、目に入ったのは、「老人憩いの家」でした。


(老人憩いの家)

島内散策を続けると「万葉の歌の石碑」がありました。ここは、新羅に向かう日本の使節が島に立ち寄り、旅の準備をし、風待ちして玄界灘に乗り出して行ったようで、歌七首がここ神集島に残され、現在では石碑として島民が守っているようです。


(万葉の歌の石碑)

歌碑やハマユウ群生地があるようですが、まず、住吉神社へ向かいました。


(住吉神社)
(2009.03写真撮影)

これで佐賀県の離島を制覇! 玄界灘に浮かぶ8つの島々へ 13回目

2009-06-30 04:30:00 | 62九州北部・佐賀県・玄海諸島
直ぐに、神集島が見えてきました。この台状の形から「軍艦島」とも呼ばれているようです。


(湊港出港)


(神集島)

神集島へ近づくと灯台が見えてきました。


(神集島の灯台)

神集島の湾に入っていくと左方向に住吉神社や色々な建物が見えてきました。また、神集島漁港も見えてきました。


(住吉神社)


(色々な建物)


(神集島漁港)

漁港の右手方向の丘の上には、龍海禅寺が見えてきました。


(龍海禅寺)
(2009.03写真撮影)

これで佐賀県の離島を制覇! 玄界灘に浮かぶ8つの島々へ 12回目

2009-06-29 04:30:00 | 62九州北部・佐賀県・玄海諸島
港の近くに鳥居がありました。「疫神社」と書かれた額がありましたが、近くには、神社が見当たりませんでした。時間がなく、それ以上は、探せませんでした。




(疫神社)

湊港と神集島の間の定期船は、日に14便もあり、生活のための定期便になっているようです。


(湊港)


(定期便の時刻表)

定期船は、接岸していましたので、慌てて乗船すると出港していきました。


(湊港)


(定期船)


(定期船船内)
(2009.03写真撮影)

これで佐賀県の離島を制覇! 玄界灘に浮かぶ8つの島々へ 11回目

2009-06-28 04:30:00 | 62九州北部・佐賀県・玄海諸島
本土には、唐津火力発電所が見えてきました。


(唐津火力発電所)

また、壱岐へのフェリーも見られました。


(壱岐へのフェリー)

東港へ上陸しました。


(東港へ上陸)

そこには、バスが先回りしていて、乗車しましたが、時間がなく、少し心配になってきました。バスは神集島へ向かい出発しました。


(神集島へ)

車窓から先ほど渡島した高島が見られました。


(高島)

また、その先でこれから出向く神集島が見えてきました。


(神集島)

何とか時間前に湊港へ着くことができました。


(バスから下車)
(2009.03写真撮影)