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昭JIJI(アキラジジ)の島旅賛歌*参加

日本全国に有人島が434島ほどある。全島制覇すべく島旅を継続中。

これで佐賀県の離島を制覇! 玄界灘に浮かぶ8つの島々へ 62回目

2009-08-18 04:30:00 | 62九州北部・佐賀県・玄海諸島
教会の近くには、紅白の花が咲いている桃の木を見ました。


(紅白の花が咲いている桃の木)

番所ノ辻へ向かって歩き始めました。しばらくすると保育園がありました。この保育園は、島民の要望で昭和40年に聖母保育園として設立されたようです。ここで園内を見ていると丁度、お休み時間のようで、子供たちがグランドで遊んでいました。その中に、先程、車に乗せてもらった人の子供さんが遊んでいました。


(聖母保育園)

どんどんと番所ノ辻へ向かい歩いて行くとビワの木に小さい実が生っていました。

(ビワの木)

さらに歩いていくと下の方に展望台のようなものが見えましたが、位置的には番所ノ辻ではないようでした。また、海岸もよく見えるようになりました。


(展望台のようなもの)


(海外線)

少し歩いて上の方を見ると番所ノ辻の展望台が木の間から見えてきました。


(番所ノ辻の展望台)
(2009.04写真撮影)

これで佐賀県の離島を制覇! 玄界灘に浮かぶ8つの島々へ 61回目

2009-08-17 04:30:00 | 62九州北部・佐賀県・玄海諸島
この島で行きたいと思っていたカトリック教会を目指しました。小中学校を越えて、少し先で、道が2つに別れていました。どちらに行こうかと迷っていたところ、丁度、車がこちらに向かってきました。手を挙げると止まってくれました。そこで質問したところ、では、教会まで行くなら送るといわれ、車に乗せてもらいました。島では、こういうことはいつも経験することです。こういう気持ちは、なかなか都会では味わえないことです。この親子は、一緒の定期船で戻られた親子でした。若いきれいなお母さんで記憶していました。教会まで送っていただき感謝です。後で聞くと皆さんは、歩いてきたようです。これで時間も稼げました。この教会は、フランス人のブルトン神父が、長崎県平戸の紐差の聖堂を解体して馬渡島へ船で運び、島の信者が再建した木造建築で、柱の少ない梁天井が特徴で、祭壇など当時のものが残っているとのことでした。思っていたより立派な教会でした。集落は島の東半分に片寄っており、港を中心とした南部に主として漁業に従事する仏教徒の人達が住み、北部の丘陵地に主として畑作に精を出すキリシタンの集落が散在しているとのことでした。












(カトリック教会)

敷地内の墓地の形も変わっています。


(敷地内の墓地)
(2009.04写真撮影)

これで佐賀県の離島を制覇! 玄界灘に浮かぶ8つの島々へ 60回目

2009-08-16 04:30:00 | 62九州北部・佐賀県・玄海諸島
島内散策を開始しました。まず、皆さんは、港近くの神社へ向かいましたが、先に遠くへ行って、帰ってきてからでも行けると思い、もう一人の人と一緒に別行動をとりました。直ぐに小さい石仏があり、公園広場には、桜が満開でした。


(小さい石仏)


(公園広場の満開の桜)

今、使われているのかわかりませんが、懐かしい形の趣のある家がありました。


(懐かしい形の趣のある家)

島には、この様な祠が随所に見られますね。信仰心が篤いですね。


(小さな祠)

少し登っていくと駐在所がありましたが、お巡りさんはいませんでした。巡回中なのか、常駐されていないのかも知れませんね。車が止まっていましたが、誰の車なのでしょうか。


(駐在所)

もう少し登っていくと馬渡小中学校が見えてきました。調べると小学生32名、中学生41名と出ていました。人口600人からすると多いような気がしました。




(馬渡小中学校)
(2009.04写真撮影)

これで佐賀県の離島を制覇! 玄界灘に浮かぶ8つの島々へ 59回目

2009-08-15 04:30:00 | 62九州北部・佐賀県・玄海諸島
肥前名護屋城は、豊臣秀吉が文禄・慶長の役に際し、その出兵拠点として築いた城です。築城は1591(天正19)年後半に始まり、諸大名による割普請によってわずか数ヶ月で完成したといわれています。ここへの近道である名護屋大橋が見えました。


(名護屋大橋)

直ぐに出港していきました。外海へ出ると少し船は揺れましたが、船酔いを心配するほどではありませんでした。


(外海で少し揺れる)


(定期船船内)

そう時間もかからず、馬渡島漁港に入港して、馬渡島へ渡島しました。


(馬渡島漁港)


(馬渡島渡島)

そこにも島内案内板があり、「歴史と野鳥の島」と書かれていました。


(「歴史と野鳥の島」と書かれた島内案内板)
(2009.04写真撮影)

これで佐賀県の離島を制覇! 玄界灘に浮かぶ8つの島々へ 58回目

2009-08-14 04:30:00 | 62九州北部・佐賀県・玄海諸島
朝市へ出向き、昨日買っておいしかったというお饅頭を売る露店へ出かけましたが、今日は、来ない日ということで、もう1つの露店でおいしい漬物を皆さんは購入していました。


(漬物の露店)

時間になり、定期船の発着場へ向かいました。その途中には、相変わらずイカがたくさん干されていました。


(イカの一夜干し)

馬渡島への定期船の発着場には、定期船が着いていました。


(馬渡島への定期船)

呼子大橋の下を通過して、一日目に出かけた加部島の裏側を見ながら、名護屋の桟橋に接岸し、乗客の乗り降りがありました。


(呼子大橋)


(加部島の裏側)


(名護屋の桟橋)
(2009.04写真撮影)

これで佐賀県の離島を制覇! 玄界灘に浮かぶ8つの島々へ 57回目

2009-08-13 04:30:00 | 62九州北部・佐賀県・玄海諸島
加唐島漁港を後に呼子へ戻りました。


(さようなら加唐島)

呼子港に入ると今日宿泊予定のホテルが見え、近くにある観音様も見えました。


(観音様)

今夜のホテルでもイカが出てきました。昨日よりも透き通っていました。昨日よりも新鮮に感じました。


(イカの料理)

その他にイカシュウマイが出てきました。おいしかったです。今は、名物になり、土産物で売られていました。


(イカシュウマイ)


(ホテルの夕食)

翌朝、仲間で朝市にもう一度行こうということになり、皆さんよりも早く出かけました。ホテルを出ると昨日、船からみた観音様がよく見えました。


(宿泊したホテル)


(観音様)
(2009.04写真撮影)

これで佐賀県の離島を制覇! 玄界灘に浮かぶ8つの島々へ 56回目

2009-08-12 04:30:00 | 62九州北部・佐賀県・玄海諸島
港へ戻ってくると皆戻っていて、早い人はここでひと寝入りしたという人もいました。やはり北の端まで行くと時間が掛かったようでした。途中で見たタコ壷が売られていました。値段は2500円と書かれていました。買う人がいるのでしょうか。


(売られていたタコ壷)

さすがに漁師町ですね。エビスさんが祀られていました。



定期船が接岸しました。これで呼子へ戻ります。








(定期船)
(2009.03写真撮影)

これで佐賀県の離島を制覇! 玄界灘に浮かぶ8つの島々へ 55回目

2009-08-11 04:30:00 | 62九州北部・佐賀県・玄海諸島
オビヤ浦には、「神功皇后伝説」があります。紀元3世紀初頭、朝鮮半島にあった新羅を征討するため松浦の地に入った皇后はこのとき懐妊しており、加唐島の入り江(オビヤ)で着帯の式(帯祝い)をあげられたという。「オビヤ」という名は、「帯祝い」が訛ったものといわれているようです。


(オビヤ浦)

そこから松島が見えましたが、本当に「ひょっこりひょうたん島」に似ていますね。


(松島)

桜並木の中を港の方へ下って行きました。そこには、「百済武寧王生誕の地」と書かれた碑がありました。また、説明が書かれていました。


(桜並木)




(「百済武寧王生誕の地」と書かれた碑)


(碑についての説明看板)
(2009.03写真撮影)

これで佐賀県の離島を制覇! 玄界灘に浮かぶ8つの島々へ 54回目

2009-08-10 04:30:00 | 62九州北部・佐賀県・玄海諸島
そのまま歩きましたが、なだらかな登りとなり、メイン道路へ戻ることができました。海の向こうに昨日泊まった小川島が見えました。


(小川島)

道路を戻っていると「櫓木(ろうぎ)観音」と書かれた看板がありました。しかし、どけがそうかが分かりませんでした。


(どれが櫓木観音?)

丁度、こられた人に聞いたところ、あの岩だと説明されました。これでやっと分かりましたが、聞かなかったら、多分、分からないままだったと思います。


(櫓木観音)

漁港へ向かって歩いていると「武寧王生誕伝承地」と書かれた石柱がありました。


(「武寧王生誕伝承地」と書かれた石柱)

そこから下っていきました。すると海岸線まで降りることができました。そこには武寧王生誕伝承地」と書かれた立看板がありました。


(「武寧王生誕伝承地」と書かれた立看板)

しかし、そこに書かれている場所を特定することができませんでした。たぶん、この辺かと写真を撮りましたが、後で調べると違っていたようです。


(武寧王生誕地?)


(武寧王生誕地)
(2009.03写真撮影)

これで佐賀県の離島を制覇! 玄界灘に浮かぶ8つの島々へ 53回目

2009-08-09 04:30:00 | 62九州北部・佐賀県・玄海諸島
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椿園をジックリと見ながら帰りましたが、椿は終わっていました。


(椿園)

加唐島には二つの集落があり、一つは南部の港に面した集落ともう一つは北東部に位置する大泊があります。 「大敷網」と呼ばれる定置網をする漁家があり、周りを照葉樹林に囲まれた静かな集落ですといわれていて、帰りに寄ることにしました。


(大泊漁港)

大泊漁港へ下っていく途中に「エビスさん」が祀られていました。漁港で豊漁を祈願して祀られているようです。


(エビスさん)

大泊漁港についてどう帰るかを考えました。地図では、お宮さんがあり、そのまま行けるようになっていましたが、少し不安であったので、近くにいた少年に確認するとお宮さんはないが祠があり、そのまま行くと帰れるとの話しを聞いたので、そちら周りで帰ることにしました。


(大泊漁港)

少し歩くと上の方に祠が見えてきました。


(祠)

登っていくと祠がありました。太子堂と書かれていました。


(太子堂)
(2009.03写真撮影)