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昭JIJI(アキラジジ)の島旅賛歌*参加

日本全国に有人島が434島ほどある。全島制覇すべく島旅を継続中。

長崎県北部へ島旅 50回目

2015-07-30 04:30:00 | 66九州西部・長崎県・平戸諸島
チャーター船のお支払いをお店で行いました。壁には有名人のサインが飾られていました。中に高校の後輩のアナウンサーもいました。


(壁には有名人のサイン)

その後、本日の宿泊場所の民宿に着きました。ここで連泊します。


(民宿に)

民宿は、漁師さんが経営しているので、新鮮な魚料理が出てきました。


(夕食)

的山(あづち)大島へ向かうため、平戸港にやってきました。平戸城が見えますね。


(平戸城)

発券場にやってきましたが、少し早かったようで、開かれていませんでした。よく見ると駐車場代が半額になると書かれていました。有難いですね。


(発券場)

乗船券を購入して、フェリー乗り場に向かいました。


(フェリー乗り場)
(写真撮影:2015.05)

長崎県北部へ島旅 49回目

2015-07-29 04:30:00 | 66九州西部・長崎県・平戸諸島
高島を後にしました。


(高島を後に)

チャーター船は少し違う方向に行くので、何故かを船長に聞いたところ、「高島の砲台跡と尾上島」へ向かっているとのことでした。高島の概要の中で、「太平洋戦争当時は軍の要塞となり、今も砲台跡が残る。」と書きましたが、それを見せるということでした。これがその砲台跡です。


(砲台跡)

外海に出たので、チャーター船は少し揺れましたが、小さな島の頂に灯台が見えてきました。


(小さな島の頂に灯台)

これが尾上島の灯台で、1966年に当時世界最初の太陽電池が設置された灯台とのことでした。


(太陽電池が設置された灯台)

船長は、波が荒くなければ渡島できるといわれましたが、今日は、波が荒く無理とのことでした。灯台までの道が整備されていました。


(灯台への整備された道)

高島を横に見て、宮ノ浦に戻りました。


(高島)
(写真撮影:2015.05)

長崎県北部へ島旅 48回目

2015-07-28 04:30:00 | 66九州西部・長崎県・平戸諸島
港には漁船が何艘か係留されていました。また、その先にも何軒かの住居も見られましたが、帰ることにしました。


(港には漁船が何艘か係留)

港へ戻ってくると「緊急用のヘリポート」がありました。


(緊急用のヘリポート)

係留されていたチャーター船に乗り、帰りました。


(係留されていたチャーター船)

先の方にあったお屋敷がチャーター船から見ることができました。石垣づくりのお屋敷でした。歩いて行きたかったです。


(石垣づくりのお屋敷)

鳥居と神社も見えました。


(鳥居と神社)

防波堤に色々な絵が描かれていました。


(防波堤に色々な絵が)
(写真撮影:2015.05)

長崎県北部へ島旅 47回目

2015-07-27 04:30:00 | 66九州西部・長崎県・平戸諸島
学校の校舎が見えました。向かおうとしましたが、道がありませんでした。たまたまお会いした人に聞くと先ほどのポスト側の方から入るとのことで、そちらに向かいました。


(学校の校舎)

近づくと体育館の壁に風景や魚が描かれていました。


(風景や魚が)

「市立野子小中学校高島分校」と書かれたプレートがありました。


(小中学校名)

校舎がまだ残っていました。概要では、生徒がいると書きましたが、実際は、閉校になっていました。


(校舎)

校舎の壁面に取り付けられていた時計が「12:01」で止まっていました。何年前の時刻なのでしょうか。


(壁面に取り付けられていた時計)

まだ住まわれているお宅ですね。新築のようです。


(新築のお宅)
(写真撮影:2015.05)

長崎県北部へ島旅 46回目

2015-07-26 04:30:00 | 66九州西部・長崎県・平戸諸島
高島へ向かっている途中、右手にいくつかの島が見えてきました。中央奥の島は「阿値賀島」とゆようです。この島には、カラスバトやミサゴ、オオミズナギドリなど野鳥の繁殖地でもあるとのこと。海が荒れていて、行けないとのことでした。残念。


(阿値賀島)

クルーズ船が近づいてきました。たくさんの生徒が乗っていました。この地域で、体験学習をしている生徒さんとことでした。


(体験学習中の生徒)

高島に接岸しました。


(高島に接岸)

高島に上陸しました。


(高島に上陸)

ここでいつものように「高島」の概要を書いておきます。
高島(平戸市)は、平戸島南西端・宮ノ浦地区の0.3Km沖合、美しい「九十九島」の1島。小高い岩山の小島であり、平戸島を望む東側に集落があり、小中学校の分校に中学生2名が在籍している。温暖な海洋性気候で、住民のほとんどが水産業を営んでいる。以前、タヌキの餌付けをしていたことがあり、タヌキの島とも呼ばれている。太平洋戦争当時は軍の要塞となり、今も砲台跡が残る。平成14年、定期航路のない小離島の将来を憂慮する住民から全戸集団移転の要望もなされたが、15年4月から宮ノ浦との間に定期船が就航するようになった。
散策を開始するとポストがありました。


(ポスト)

島の奥へと向かいましたが、少し先で人家はなくなりました。


(島内散策)
(写真撮影:2015.05)

長崎県北部へ島旅 45回目

2015-07-25 04:30:00 | 66九州西部・長崎県・平戸諸島
チャーター船をお願いしていたお店に向かいました。


(チャーター船お願いの店)

お店の横には大きな恵比寿像がありました。


(大きな恵比寿像)

迎えに行っていたチャーター船が帰ってくるのを少し待ちました。帰ってきたので、それに乗船しました。


(チャーター船を待つ)

湾内に小さな島がありました。沖ノ島です。島内に神社の鳥居が見えました。


(沖ノ島)

宮ノ浦をユックリと離れていきました。


(宮ノ浦を後に)

操縦席を見ると船長がいません。上で操縦されていましたので、上に上りました。


(操縦席)
(写真撮影:2015.05)

長崎県北部へ島旅 44回目

2015-07-24 04:30:00 | 66九州西部・長崎県・平戸諸島
黒島が遠くなっていきました。


(さようなら黒島)

御厨に戻り、レンタカーで平戸島の下の方にある宮ノ浦へ向かいました。平戸島を結ぶ平戸大橋を渡りました。


(平戸大橋)

海岸線に沿って進んでいきまし。たくさんのウキが並んでいました。真珠養殖でしょうか。


(たくさんのウキ)

途中、教会が見えてきました。紐差教会堂です。一度、訪れているので、パスしました。


(紐差教会堂)

宮ノ浦に着きました。


(宮ノ浦)

看板があり、「橋で結ばれた日本最西端のみなとまち」と書かれていました。


(看板)
(写真撮影:2015.05)

長崎県北部へ島旅 43回目

2015-07-23 04:30:00 | 66九州西部・長崎県・平戸諸島
フェリーの待合室で、用意してきた昼食を食べ、少し休憩をしました。


(フェリーの待合室)

フェリー待合室の壁には、「環境美化協力金として、一人一日100円をお願いします」との掲示がされていました。一応、協力をしてきました。


(環境美化協力金の掲示)

待合室には、正月飾りがそのまま飾られていました。


(正月飾り)

この2日間の交通アクセス図が掲示されていましたので、眺めながら2日間を思い出してみました。


(2日間の交通アクセス図)

鷹島からのフェリーが近づいてきました。


(鷹島からのフェリー)

接岸したフェリーに乗り、御厨へ向かいました。


(フェリーに乗船)
(写真撮影:2015.05)

長崎県北部へ島旅 42回目

2015-07-22 04:30:00 | 66九州西部・長崎県・平戸諸島
学校から戻ろうと思いましたが、そのまま先に歩いて行きました。島をほぼ半周して、集落に戻ってきました。


(集落)

この島でも道路沿いに消火栓がありました。


(消火栓)

集落を後に港へ戻りました。


(港へ)

途中に、墓場がありました。高い黒い石柱の墓がありました。


(高い黒い石柱の墓)

その横に、観音像もありました。


(観音像)

港が見えるところまで帰ってきました。


(港が見えるところまで)
(写真撮影:2015.05)

長崎県北部へ島旅 41回目

2015-07-21 04:30:00 | 66九州西部・長崎県・平戸諸島
小学校にやってきましたが、建物が解体され、何かが建設されていました。


(小学校を解体)

建設中の建物です。何に使われるのでしょうか。工事名は、「原子力災害施設整備事業、旧鷹島小学校黒島分校校舎改修事業」と書かれていました。


(建設中の建物)

その前に石柱があり、「鷹島小学校黒島分校」と刻まれていました。


(石柱に「鷹島小学校黒島分校」)

グランドはそのままで、保管用建物がありました。


(グランドと保管用建物)

保管用建物の中には、小学校の備品が残っていました。


(保管用建物)

小学校の教員事務所と思われる設備はそのままでした。


(小学校の教員事務所)
(写真撮影:2015.05)