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昭JIJI(アキラジジ)の島旅賛歌*参加

日本全国に有人島が434島ほどある。全島制覇すべく島旅を継続中。

長崎県南部へ島旅 62回目

2015-05-31 04:30:00 | 66九州西部・長崎県・平戸諸島
「お告げのマリア修道会黒島修道院」は、九州を中心に活動している修道会だそうです。


(お告げのマリア修道会黒島修道院)

もう少し案内していただけることになり、小学校まで戻ってきました。


(小学校)

黒島天主堂の前を通り、少し先で左折しました。道路脇には、各家庭がお花を整備されていて、きれいです。


(道路脇には、各家庭がお花を整備)

右側に海が見えてきました。沖には、大島、蛎浦島、崎戸島が見えました。


(沖には、大島、蛎浦島、崎戸島)

根谷地区のアコウの木で、とても大きく圧巻の姿です。アコウは、亜熱帯を中心に分布する植物です。アコウは親木に寄生して気根を垂らして成長していき、最後には親木を覆うので別名「絞殺しの木」とも言われています。



(アコウの巨木)
(写真撮影:2015.02)

長崎県南部へ島旅 61回目

2015-05-30 04:30:00 | 66九州西部・長崎県・平戸諸島
「信仰復活之地」の石碑の横にあるのが、出口氏のお家です。


(出口氏のお家)

「信仰復活之地」の石碑の前に屋根が見えました。潜伏キリシタンのお宅で、見えないように低いところに建てられているとのことでした。


(潜伏キリシタンのお宅)

中学校の横を通り、広い道路へ戻ってきました。見えた来た建物は、黒島保育園とデイサービスの建物のようです。


(黒島保育園とデイサービスの建物)

今度は、お告げのマリア修道会黒島修道院へ向かいました。細い道に入っていきました。話しでは、この道は、島民が皆で造られた道だとのことでした。生産されたイモを運ぶために造られたようです。


(島民が皆で造られた道)

下に見える道が昔からの道とのことです。


(昔からの道)

下の方に「お告げのマリア修道会黒島修道院」が見えてきました。


(お告げのマリア修道会黒島修道院)
(写真撮影:2015.02)

長崎県南部へ島旅 60回目

2015-05-29 04:30:00 | 66九州西部・長崎県・平戸諸島
歩道工事がされているところがありました。島で、歩道があるのは、あまり見かけませんね。それもこの辺りだけでした。先に、中学校があったので、通学用に造られたのでしょうか。


(歩道がある道路)

ここで散歩されていた島民にお会いしました。挨拶をしたところ、どこへ行くのかと聞かれたので、「お告げのマリア修道会黒島修道院」へ行くというと暇だから案内するといわれ、自宅から自動車を持ってこられました。有難かったです。大きな建物が見えてきました。、中学校の体育館のようです。


(中学校の体育館)

狭い道に入っていきました。歩いてきていたら、迷っていたかもしれませんね。


(狭い道に)

「信仰復活之地」と刻まれた記念碑にやってきました。


(「信仰復活之地」と刻まれた記念碑)

ここは、黒島で最初にミサが行われた場所で、1956年12月25日に記念碑が建てられたとのこと。最初は「信仰発祥之地」となっていましたが、信仰が生まれた場所でなく、復活の場所であるということで、平成元年8月に「信仰発祥之地」の文字を削り取り、「信仰復活の地」の文字を植え込んだとのことでした。


(記念碑の説明文)
(写真撮影:2015.02)

長崎県南部へ島旅 59回目

2015-05-28 04:30:00 | 66九州西部・長崎県・平戸諸島
蕨展望所に着きました。


(蕨展望所)

展望所の石のベンチに座り、景気を眺めました。


(ベンチに座り)

沖を右から左にフェリーが航行していました。「フェリー なるしお」のようで、佐世保~宇久・小値賀航路を航行しているようです。


(フェリー なるしお)

左から右に大きな船が航行していました。


(大きな船が)

そのまま先に行こうと思いましたが、何もないようなので、戻り、お告げのマリア修道会黒島修道院へ向かうことにしました。民家に看板が掲げられていて、「九電の営業所」の看板でした。


(「九電の営業所」の看板)

朝、民宿から出てきた道の近くの黒島小学校に戻ってきました。


(黒島小学校)
(写真撮影:2015.02)

長崎県南部へ島旅 58回目

2015-05-27 04:30:00 | 66九州西部・長崎県・平戸諸島
そのお店の横の縁石に座っているご老人がおられました。お年をお聞きすると90歳とのことでした。お若く見えました。デイサービスの車を待っておられたようです。


(デイサービスを待つご老人)

たくさんの薪が積まれていました。風呂に使われているのでしょうか。


(たくさんの薪が)

倉庫には大きな稲束がありました。


(大きな稲束)

さらに進むと大きな石塀だけが残っていました。この中には、昔、大きな屋敷があったことでしょう。


(大きな石塀)

広い道を進んでいきました。


(広い道)

海が見えてきました。


(海が)
(写真撮影:2015.02)

長崎県南部へ島旅 57回目

2015-05-26 04:30:00 | 66九州西部・長崎県・平戸諸島
広い道を蕨展望台に向けて歩いていきました。


(蕨展望台へ)

島ですが、しっかりとしたごみ回収ゲージが設置されていました。


(ごみ回収ゲージ)

広い畑があり、その後ろに建物群がありました。


(広い畑と建物群)

建物は、商店と民宿でした。


(商店と民宿)

歩き続けていると倉庫付の店舗が出てきました。「黒島の天水」という黒島の深井戸から組み上げた「鉱水」を利用し製造しているようです。


(倉庫付の店舗)

その横の広場には、ルルドがあり、水が飲めると書かれていましたが、ほとんど水は湧いていませんでした。


(ルルド)
(写真撮影:2015.02)

長崎県南部へ島旅 56回目

2015-05-25 04:30:00 | 66九州西部・長崎県・平戸諸島
十字路に戻ってきました。そこを左折するとまた、商店がありました。小さな島なのに3軒も商店がありました。


(また、商店)

少し坂道を上ると「カトリック共同墓地」と書かれた案内板がありました。


(「カトリック共同墓地」と書かれた案内板)

そちらへ向かいました。たくさんの墓石が見えてきました。


(たくさんの墓石)

大きな墓石がありました。


(大きな墓石)

たくさんの墓石がありました。


(たくさんの墓石)

散策を続けました。センターラインが引かれた幅の広い道路が続きました。島では珍しいくらいの広さですね。


(センターラインが引かれた幅の広い道路)
(写真撮影:2015.02)

長崎県南部へ島旅 55回目

2015-05-24 04:30:00 | 66九州西部・長崎県・平戸諸島
「マルマン神父と黒島天主堂」と書かれた名板が石碑に埋め込まれていました。


(名板が石碑に)

黒島天主堂の下の方に駐在所がありました。行った時には、お巡りさんはおられませんでした。


(駐在所)

何かの竣工記念碑が建てられていました。あまり興味もないので、そのまま通り過ぎました。しかし、どうも違う方向に歩いていたことが分かり、戻ることにしました。


(何かの竣工記念碑)

立派な消防分団の建物がありました。


(立派な消防分団の建物)

「キレイナしまに」とペットボトルのキャップを使った看板がありました。


(ペットボトルのキャップを使った看板)

そこから先ほど出向いた黒島小学校の全景が見られました。


(黒島小学校の全景)
(写真撮影:2015.02)

長崎県南部へ島旅 54回目

2015-05-23 04:30:00 | 66九州西部・長崎県・平戸諸島
ここで、黒島の概況を書きます。
黒島(佐世保市)は、佐世保市の相浦港から出航した「ニューフェリー黒島」は、途中高島に寄り、黒島の白馬港に着く。沖合から見ると平らに広がるなだらかな姿をしている。西と東にやや高くなったところがあり、五島に近い西が「番岳」、中学校のある東が「岳」と呼ばれている。番岳には寛永17年(1640)、鎖国中の日本に異国船が近づくのを警戒するための見張り所がおかれた。住民の7割がキリスト教徒といわれ、島の中ほどにはカトリック黒島教会の名切天主堂があり、平成10年度には国指定重要文化財となっている。禁教令で弾圧を受けたものの、西彼杵半島の外海地方や五島などからキリシタンが移住し、出口大吉宅で密かに信仰が続けられていた。明治19年から修道会愛苦会の保育・福祉・奉仕が進められ、女性修道者の自給自足の生活(通称「女部屋」)がみられた。島名は、ポルトガル語のクルス(十字架)に由来するという説と、密生した樹林により黒く見えたためという説がある
十字路の左折方向には、黒島小学校がありました。在校生は、12名とのことでした。


(黒島小学校)

十字路を直進すると右にJAの建物がありました。


(JAの建物)

そのまま歩いていくと広場に昨日、フェリーに乗っていた検診車が止まっていました。今日は、集団検診があるようで、車の出入り口には、履物が並んでいました。


(広場に検診車)

その先に、黒島天主堂が見えてきました。


(黒島天主堂)

黒島天主堂は、フランス人マルマン神父の設計と指導、黒島カトリック信徒の献金と労働奉仕で明治35年に完成し、煉瓦造一部木造の教会堂。当時としては大規模な教会建築で完成された3層構造をもち後の教会建築に影響を与えたそうです。


(黒島天主堂)

丁度、お掃除の方がおられて、内部を見せていただき、説明をしていただきました。丁度、太陽がステンドグラスに当たり、反対側の壁にきれいに映っていました。カメラでの撮影は駄目ダガ、スマホではよいということで、スマホで撮影しました。


(写真撮影:2015.02)

長崎県南部へ島旅 53回目

2015-05-22 04:30:00 | 66九州西部・長崎県・平戸諸島
フェリーの船内です。


(フェリーの船内)

検診車がまず、下船しました。


(下船する検診車)

港に旅館の車が迎えに来てくれました。


(港に旅館の車が)

夕食は、食べきれないほどでした。仲間と楽しく飲みながら歓談しました。


(食べきれないほど夕食)

翌日、朝食後、荷物を宿に預けて、AM11:00過ぎのフェリーに間に合うように荷物を運んでもらうようにお願いして、旅館を後にしました。


(宿泊した旅客)

旅館も前に商店を経営していましたが、しばらく歩くと十字路にもストアーがありました。


(十字路にもストアー)
(写真撮影:2015.02)