昭JIJI(アキラジジ)の島旅賛歌*参加

日本全国に有人島が434島ほどある。全島制覇すべく島旅を継続中。

瀬戸内に浮かぶアロハな島 周防大島と柱島諸島めぐる3日間 57回目

2011-03-05 04:30:00 | 46瀬戸内海・山口県・周防大島諸島
最初の日に渡島した前島が見られました。


(前島)

久賀の石風呂へ着きました。ここには、いくつかの建物がありました。その1つは、島へんろ52番札所の薬師堂です。




(島へんろ52番札所の薬師堂)

島へんろ52番札所の薬師堂への途中に「久賀の石風呂」がありました。国指定の重要有形民俗文化財である久賀の石風呂は、西日本最古の風呂で文治二年(1186年)に築造されたものと伝えられていて、石風呂は花崗岩を積み、目地および室の内部は粘土を塗り込み構築されており、現在のサウナのように使われ、一度に十七人の人が利用でき、近郷住民の湯治場として、また社交場として昭和初年まで利用されていたとのことでした。




(久賀の石風呂)

その横に、「延命の水」と書かれた石柱がありました。水を飲んでみましたが、冷たくておいしかったです。どれくらい延命になったのでしょうか。


(延命の水)
(写真撮影:2010.12)
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瀬戸内に浮かぶアロハな島 周防大島と柱島諸島めぐる3日間 56回目

2011-03-04 04:30:00 | 46瀬戸内海・山口県・周防大島諸島
この道を登った頂上付近に竜崎観音がありました。これは、立岩、帯石観音、岩屋権現による四合わせ奇岩(仕合わせ祈願)のひとつとのことでした。ご本尊は、十一面観音が祀られているとのことでした。




(竜崎観音)


(十一面観音)

その後、狭い道をバスで移動して、立岩へ向かいました。


(立岩)

その周りに、小さな花が咲いていました。何という花でしょうか。


(小さな花)

今度は、久賀の石風呂へ向かいました。


(久賀の石風呂へ)
(写真撮影:2010.12)
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瀬戸内に浮かぶアロハな島 周防大島と柱島諸島めぐる3日間 55回目

2011-03-03 04:30:00 | 46瀬戸内海・山口県・周防大島諸島
バスを橘民俗資料館の駐車場に止めさせてもらい、下車しました。近くに椿が咲いていました。少しピンク系のきれいな花でした。


(少しピンク系の椿の花)

防波堤沿いに歩いて行こうとしましたが、行けなくて、元に戻って、別の道から竜崎遊歩道へ向かいました。そこには、案内板と小さな祠がありました。


(竜崎遊歩道案内板)


(小さな祠)

その横にある階段状の山道を登って行き、海岸へ降りると見える波の浸食によってくりぬかれた巨大な奇岩が巌門でした。


(巌門)

少し砂浜を歩いてみました。天候も回復していく様子が見られました。


(少し砂浜を散策)

竜崎漁港へ戻ろうと登り始めたところ、キャラブキの花が咲いていました。暖かいのでしょうか。


(キャラブキの花)
(写真撮影:2010.12)
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瀬戸内に浮かぶアロハな島 周防大島と柱島諸島めぐる3日間 54回目

2011-03-02 04:30:00 | 46瀬戸内海・山口県・周防大島諸島
このホテルで、連泊しました。一日目に着いたのは暗くなってからだったので、よく見ていませんでした。また、二日目の朝は、雨が降っていて、外に出かけませんでしたので、周りがよくわかりませんでした。三日目は、雨がやみ、やっと朝食後に周りを少し散策できました。


(連泊したホテル)



(ホテルの周り)

天気がだんだんと良くなってきました。紅葉が目立っています。最後の日は、笠佐島だけの渡島になっています。その前に、周防大島を少し散策することにしました。




(車窓からの紅葉)

向かったのは、竜崎漁港でした。


(竜崎漁港)
(写真撮影:2010.12)
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瀬戸内に浮かぶアロハな島 周防大島と柱島諸島めぐる3日間 53回目

2011-03-01 04:30:00 | 46瀬戸内海・山口県・周防大島諸島
道の駅へ向かい、皆さんと買い物をしましたが、ここに来る前に小さな島が見えていたので、皆さん、買い物もそこそこに島へ向かいました。そこへは、防波堤のような道がついていました。


(真宮島へ)

真宮島を少し歩いていると向かいに小さな島が見えました。もう少し潮が引くと渡れそうでしたが、時間がなくて、バスに戻りました。


(真宮島の近くの島)

そのままホテルへ帰ってきました。風雨で冷えた体を温泉で温めました。夕食は、みかん鍋がでました。この地の名物料理とのことでしたが、特に、おいしいという感じではなかったようです。というのは、私は、食べなかったのでわかりませんでした。


(二日目の夕食)


(みかん鍋)

その後、ホテルで用意してくれたフラダンスを楽しみました。




(ホテルで用意してくれたフラダンス)
(写真撮影:2010.12)
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瀬戸内に浮かぶアロハな島 周防大島と柱島諸島めぐる3日間 52回目

2011-02-28 04:30:00 | 46瀬戸内海・山口県・周防大島諸島
次に向かったのは、周防大島文化交流センターです。ここには、この島に生まれ、半世紀にわたって日本の国土を歩き続けた民俗学者宮本常一氏(1907-81)の著書、蔵書、撮影した写真等を収蔵しています。宮本常一氏は「庶民の文化の発見者」として知られるだけでなく、離島振興や農山村の地域づくりの実践者でもありました。このセンターでは、宮本常一氏の足跡、思想や思考などを学習することや、島の産業の歴史や文化の体験学習を通して、島内外の都市や農山漁村との、人・技術・知識・知恵の交流を促進し、島の未来を担う創造的な人の育成を目指すために建てられた施設です。宮本常一氏の生い立ちをビデオで見て、学芸員の方に「写真でつづる宮本常一」コーナーを案内いただきました。












(周防大島文化交流センター)
(写真撮影:2010.12)
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瀬戸内に浮かぶアロハな島 周防大島と柱島諸島めぐる3日間 51回目

2011-02-27 04:30:00 | 46瀬戸内海・山口県・周防大島諸島
この記念館は、昭和18年6月8日爆沈した陸奥を昭和45年6月、遺族や生存者らの熱意が実り、引き揚げが再開され、昭和53年6月までの8年間の引き揚げ作業で、将兵の遺骨や遺品と共に、主砲など艦体の75パーセントが引き揚げられたとのことで、昭和47年11月、恒久平和の殿堂として引き揚げられた遺品や艦の一部と、遺族から寄せられた貴重な資料を展示するため、陸奥の沈没地点を望む丘に陸奥記念館が建設されたとのことでした。バスに残った人たちもいましたが、館内を一回りしてみました。












(陸奥記念館)
(写真撮影:2010.12)
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瀬戸内に浮かぶアロハな島 周防大島と柱島諸島めぐる3日間 50回目

2011-02-26 04:30:00 | 46瀬戸内海・山口県・周防大島諸島
集落が途切れると、安芸灘が開け、鉄筋コンクリートの学び舎、情島小中学校が見えてきました。隣が1951(昭和26年)に開設された児童養護施設「あけぼの寮」です。戦後は戦災孤児たちを受け入れていましたが、今は家庭内のさまざまな事情で親元を離れた子どもたちが、ここから学校に通っているようです。




(情島小中学校)


(児童養護施設「あけぼの寮」)

防波堤には、どこの島でもよく見かける小学生による絵が描かれていました。


(小学生による絵)

雨風が強く、これより先には、特に、見るものもないということで、港へ引き返しました。港では、島旅仲間が、11年前にこの島へ来て、お世話になった方を探していて、我々が乗ったために下船していただいた方が、その方であることが分かり、迎えに行った船が帰って来たときに、島旅の仲間はお会いして、お礼を言われたようです。最初、あちらの方は、記憶になかったようでしたが、話しをしている中で、思い出されたようでした。島の人たちの親切は、私も、いろいろと記憶に残っています。これが日本だと思います。帰りの船も我々が乗ったため、定員オーバーになり、残っていただいた人がいました。船長からは、早めに言ってくれると別便の運航をしたのにと言われました。この間、満員で、身動きができず、写真を撮っていませんでした。伊保田港に戻ってきました。


(伊保田港)

その後は、周防大島散策になりました。まず、出向いたのは、陸奥記念館でした。


(陸奥記念館)
(写真撮影:2010.12)
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瀬戸内に浮かぶアロハな島 周防大島と柱島諸島めぐる3日間 49回目

2011-02-25 04:30:00 | 46瀬戸内海・山口県・周防大島諸島
歩いていると左上の方に大きな甍が見えました。お寺があるようでした。早速、階段を登ろうとしましたが、「情島神社」と書かれた石柱がありました。


(大きな甍)


(階段を登る)

この神社は、かつて、荒神社といわれ、村上水軍の大将であった村上武吉が慶長年間に入り創建したものと伝えられています。


(情島神社)

ここからは、遥かに愛媛県の忽那諸島が眺められるといわれましたが、風雨で見えませんでした。しかし、集落を見渡すことはできました。


(情島の集落)

下ってきて、歩いて行くと岬に慰霊碑がありました。「ふたば海難慰霊之碑」です。昭和51年情島沖合でフェリー「ふたば」と貨物船が衝突事故を起こし、フェリーが沈没しましたが、情島の住民の献身的な救助活動により犠牲者の数を最小限に食い止めることができ、その海難事故による犠牲者の慰霊碑が島の東側の諸島海峡に望む位置に建てられました。


(ふたば海難慰霊之碑)

それが建てられている岬を回り、その先に進みました。


(続ける島内散策)
(写真撮影:2010.12)
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瀬戸内に浮かぶアロハな島 周防大島と柱島諸島めぐる3日間 48回目

2011-02-24 04:30:00 | 46瀬戸内海・山口県・周防大島諸島
皆さん、雨の中、早速、島内散策へ向かいました。海岸線沿いの道しかなく、傘を差していても大変な状況でした。


(島内散策開始)

集落もこの辺りに集中しているようです。


(集落への道)

旅館の看板が見えてきました。以前、ここに来られたツアーでは、この宿に泊ったといわれていましたが、インターネットでは、「旅館はなし」となっていましたので、やめられたのでしょうか。


(旅館の看板)

小さな祠がありました。そこにネコが雨宿りしているようです。自分が祀られているのだと思っているのかもしれませんね。


(ネコが雨宿りする祠)

公民館と書かれた建物もありました。


(公民館)

進んでいくと島が見えてきました。諸島です。以前、人が住んでいたようです。一時期、ウサギの島だったこともあったようです。


(諸島)
(写真撮影:2010.12)
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