昭JIJI(アキラジジ)の島旅賛歌*参加

日本全国に有人島が434島ほどある。全島制覇すべく島旅を継続中。

瀬戸内に浮かぶアロハな島 周防大島と柱島諸島めぐる3日間 47回目

2011-02-23 04:30:00 | 46瀬戸内海・山口県・周防大島諸島
情島への定期便は、1日4便があるようです。


(定期便の時刻表)

出発まで、少し待ちましたが、定期船に乗船しました。ところが、先に乗っていたお年寄りが下船していきました。何が起きたのかと思いましたが、どうも、乗船定員をオーバーしたようでした。この下船していただいたお年寄りと今回、参加した島旅仲間との感動的なつながりがあったことが、後で分かりました。


(定期船へ乗船)

定期船は、小さな船で、特に、雨が降っていたので、オープンスペースに乗れなく、ギュウギュウでした。操舵席から外を眺めていました。情島に近づいてきました。


(操舵席)


(操舵席からの眺め)

情島に到着して、下船しました。下船が終わるとすぐに定期船は、戻って行きました。下りていただいたお年寄りを迎えに帰って行きました。


(下りていただいたお年寄りを迎えに)
(写真撮影:2010.12)
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瀬戸内に浮かぶアロハな島 周防大島と柱島諸島めぐる3日間 46回目

2011-02-22 04:30:00 | 46瀬戸内海・山口県・周防大島諸島
あと少しで、この集落も終わりそうです。


(あと少し)

バスが待っている沖家室大橋のたもとに戻ってきました。そこには、「御船蔵跡」と書かれた石柱がありました。その昔、沖家室島が瀬戸内海航路の要所でありにぎわったころがしのばれました。この石柱は、島の開拓400年を記念して建てられたようです。


(「御船蔵跡」と書かれた石柱)

沖家室大橋のたもとに神社がありました。この恵比寿様は漁民・島民が漁の豊漁と安全を祈願し守り継がれているようです。


(沖家室大橋のたもとに神社)

時間になり、全員がそろったので、沖家室島を後にして、情島へ渡るべく、伊保田港へ向かいました。


(沖家室島を後にして)

沖家室大橋を戻り、周防大島の海岸線に沿って、伊保田港へ向かいました。また、風雨が強くなってきました。


(周防大島の海岸線)

伊保田港に着きました。


(伊保田港)
(写真撮影:2010.12)
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瀬戸内に浮かぶアロハな島 周防大島と柱島諸島めぐる3日間 45回目

2011-02-21 04:30:00 | 46瀬戸内海・山口県・周防大島諸島
ここで見つけた昔懐かしい看板の数々を見てみましょう。まだ、こんなに残っているのですね。中国電力の電球引換所という看板。こんなことが行われていたのですね。私は、知りませんでした。


(中国電力の電球引換所という看板)

三菱鉛筆の看板も懐かしいですね。


(三菱鉛筆の看板)

自力地下タビ、運動靴という看板もありました。まだ、売られているのかをインターネットで調べたところ、売っていました。地下タビは今、ファッショナブルなものになって、売れているようですね。先日、テレビの「Cool JAPAN」でやっていました。


(自力地下タビ、運動靴という看板)

忠臣学生服という看板もありました。狭くてうまく撮れなかったので、パノラマでくっつけてみましたが、撮り方がおかしく歪んでいます。インターネットで見るとこういう古い看板のサイトがあるのですね。


(忠臣学生服という看板)

この集落にも、消防団の倉庫がありました。


(消防団の倉庫)

また、その先に「御番所跡」と書かれた石柱がありました。沖家室は長州藩の国境の港として重要視されていたようです。


(「御番所跡」と書かれた石柱)
(写真撮影:2010.12)
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瀬戸内に浮かぶアロハな島 周防大島と柱島諸島めぐる3日間 44回目

2011-02-20 04:30:00 | 46瀬戸内海・山口県・周防大島諸島
州崎集落へ向かうべく、海岸線に来ると派出所がありました。ここらでは、大きな問題は起こらないでしょう。


(派出所)

沖家室大橋もどんどんと近づいてきました。


(沖家室大橋)

後で知ったことですが、「沖家室の漁村集落」が、2006年(平成18年)に水産庁の「未来に残したい漁業漁村の歴史文化財産百選」に選ばれたようでした。素晴らしい街並みを色々と見ることができました。これからそれらを見ていきましょう。今は、普通の民家のようですが、「パン屋」という看板がありました。過去、そういう商売をされていたのでしょうか。それとも今もされているのでしょうか。それとも屋号なのでしょうか。


(「パン屋」と看板がある家)

昔、懐かしい路地が続きます。


(懐かしい路地)

少し歩いていると明治38年に開局したといわれる沖家室郵便局がありました。州崎の集落の中心部にあり、白い木造のレトロな郵便局でした。相変わらず、島旅仲間は、郵便局に立ち寄っていました。


(沖家室郵便局)

大きな家がありましたが、改修するには、以前のままとはいかず、雨戸などは、現代的なものになっていました。致し方のないことですね。


(現代的な雨戸に改修された大きな家)
(写真撮影:2010.12)
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瀬戸内に浮かぶアロハな島 周防大島と柱島諸島めぐる3日間 43回目

2011-02-19 04:30:00 | 46瀬戸内海・山口県・周防大島諸島
蛭子神社に到着しました。蛭子神社は州崎と本浦の氏神で、島民は信心が深く、毎年10月に島を挙げ、お祭りがあり、御神輿で島中を回るようです。






(蛭子神社)

隣に御霊神社がありました。


(御霊神社)

その高台から沖家室大橋を見ることもできました。もう少しで、着きます。


(その高台から沖家室大橋)

蛭子神社から下りてきて、沖家室大橋近くの州崎集落の散策へ向かいました。


(蛭子神社)
(写真撮影:2010.12)
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瀬戸内に浮かぶアロハな島 周防大島と柱島諸島めぐる3日間 42回目

2011-02-18 04:30:00 | 46瀬戸内海・山口県・周防大島諸島
泊清寺を後にして、島内散策を続けました。泊清寺の山門は、竜宮城への門のような面白い形の山門でした。


(泊清寺の山門)

海岸線に戻ってくると風雨は少し穏やかになってきました。そこに、背の高い木枠の建物がありました。高札場跡でした。高札場とは、江戸時代に上の定めた禁制、法令掟書などの公儀を一般に周知させるため町や村の中心地などに設けられたもので、2006年に開島400年を記念して復元したもののようです。


(高札場跡)

また、細い路地に入って行きました。そこに「消」と書かれた建物がありました。消防団の詰所のようでした。


(消防団の詰所)

壁には、組織名簿が掲示されていました。


(組織名簿が掲示)

広い道に出てくると大きな甍が見えました。下に、「蛭子神社入口」と矢印が書かれていました。登って行くことにしました。


(「蛭子神社入口」の立看板)


(蛭子神社へ)
(写真撮影:2010.12)
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瀬戸内に浮かぶアロハな島 周防大島と柱島諸島めぐる3日間 41回目

2011-02-17 04:30:00 | 46瀬戸内海・山口県・周防大島諸島
細い路地を伝っていくと「泊清寺」に出てきました。このお寺は、寛文3年(1663)に創建され、江戸時代は、海本陣として使われていたようです。また、海の守り本尊として漁業者や船乗りの間で信仰が厚いようです。








(泊清寺)

その別院に弘法大師空海の御真作と伝えられる地蔵菩薩が安座されていて、地蔵菩薩は鱶地蔵といわれ、伝説が残っているようです。鱶地蔵縁起では、「むかし、当島には「おつや」という娘がおりました。おつやは生来温厚にして誠実、常に深く菩薩を尊信しておりましたが、継母はおもしろくなく日増しにその思いは深くなっていきました。ついには磯遊びを理由に、千貝瀬に連れて行き置き去りにしてしまったのです。潮が満ち千貝瀬は海の中へ、もうだめだと思ったその時、地蔵菩薩が「ふか」の形で現れ無事に陸地へおつやを救い出したのです。」のようなことが書かれていました。


(鱶地蔵)


(鱶地蔵縁起)
(写真撮影:2010.12)
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瀬戸内に浮かぶアロハな島 周防大島と柱島諸島めぐる3日間 40回目

2011-02-16 04:30:00 | 46瀬戸内海・山口県・周防大島諸島
記念石碑の横には、中学校校歌が刻まれた石碑もありました。これは、往時からあったものと思います。


(中学校校歌が刻まれた石碑)

海岸線に沿って歩いて行きましたが、ますます風雨が強くなってきましたので、ある作業場の軒先を借りて、合羽をきました。また、傘を差しながら、片手でのビデオ撮影は、大変でした。バスタオルでビデオを包んで、雨に濡れないようにしていましたが、バスタオルが風にあおられて画面に入ったり、その音が入ったりして大変でした。バスが帰ってしまったので、歩かざるを得ず、皆さんからは少し遅れましたが、追いかけました。木造の家並みが続いて、見られました。


(作業場の軒先を借りて)


(木造の家並み)

小さな漁港があり、漁船が係留されていました。


(小さな漁港)

その脇には、小さな祠がありました。「恵比寿さん」を祀っているのでしょう。いつもなら見に行くのですが、強い風雨の中なので、どんどん歩いて行きました。


(小さな祠)

細い路地道がありましたので、そちらを歩くことにしました。少し風雨は、避けられる感じでした。


(細い路地道へ)
(写真撮影:2010.12)
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瀬戸内に浮かぶアロハな島 周防大島と柱島諸島めぐる3日間 39回目

2011-02-15 04:30:00 | 46瀬戸内海・山口県・周防大島諸島
二日目の朝、起きると雨が降っていました。昨日の予測通りで、昨日、回るだけ回ったのが大正解だったと思いました。まず、バスで沖家室島へ向かいました。ここは、橋でつながっていて、その沖家室大橋を渡り、渡島しました。雨が激しくなってきました。


(バスで沖家室島へ)




(沖家室大橋)

バスでそのまま、島の奥にある本浦の集落へ乗って行きました。そこでバスを降りて、歩いて、島内散策を開始しました。しかし、雨と風がどんどん強くなってきました。


(島内散策を開始)

バスを降りて、すぐにあったのは、中学校跡でした。この中学校は、昭和40年に、小学校も平成元年に周防大島の中学校、小学校に統合されていました。その名残としての石積みと記念の石碑がありました。


(名残としての石積み)


(記念の石碑)
(写真撮影:2010.12)
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瀬戸内に浮かぶアロハな島 周防大島と柱島諸島めぐる3日間 38回目

2011-02-14 04:30:00 | 46瀬戸内海・山口県・周防大島諸島
乗船が終わるとすぐに定期船は、出航しました。港も薄暗くなっていました。




(樽見漁港)

港の岸壁では、釣りをしている人たちがいました。夕食の魚を釣っているのでしょうか。


(港の岸壁では、釣り)

定期船は、2つの港に立ち寄りました。少しの乗船客はありましたが、何とか、定員以内でよかったです。周防大島の港に着き、下船し、少し歩き、待っているバスに乗り、本日の宿泊ホテルに着きました。少し強行軍でしたが、ルート変更した島々を皆、渡島できてよかったです。


(周防大島の港で下船)

ホテルでは、お品書きの付いた夕食を皆さんと堪能しました。


(お品書き)


(一日目の夕食)
(写真撮影:2010.12)
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