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小沢グループの造反に理あり 理念を掲げて総選挙を実施せよ

2012-06-30 17:09:57 | 民主党、維新の会

ダイヤモンド・オンライン より
http://diamond.jp/articles/-/20611

【第280回】 2012年6月25日
原 英次郎 [ダイヤモンド・オンライン編集長]

 

小沢グループの造反に理あり 理念を掲げて総選挙を実施せよ


 社会保障・税一体改革に関する自公民3党の合意を受けて、明日26日にも消費増税関連法案が、衆議院で採決される見通しだ。
これに対して、民主党の小沢(一郎元代表)グループは増税に反対し、離党も辞さない構えだ。
今回の消費増税に関しては、小沢氏の行動は筋が通っている。
今回の消費増税の引き上げには、反対せざるをえない。
以下にその理由を述べてみたい。

代議制民主主義崩壊の扉を開く愚行

 最も大きな理由は、明確な民主主義のルール違反である。
03年の衆議院選挙以降、各政党が発表するマニフェスト選挙がようやく根付き始め、
09年の衆議院選挙では、国民はマニフェストを参考にして民主党に投票し、政権交代を実現させた。

 そのマニフェストでは行政のムダをなくし、財源を組み替えることで、16.8兆円の財源をねん出して、増税は行わないと言っていたはずだ。
実際の消費税率引き上げが、民主党の政権担当期間中より後に行われるから、マニフェスト違反ではないというのは、全く国民を馬鹿にした詭弁としか言いようがない。

 もちろん、情勢の変化でマニフェストがある程度修正されることがあってもよい。
が、「増税を行わない」から、消費増税という増税路線へカジを切るのは、基本方針の大転換である。
これを選挙もなしに行うということは、「うそつき」のそしりを免れない。
何よりも、次回以降の選挙で、国民は何を根拠にして投票を行えばいいのか。
今回のようなやり方は、代議制民主主義に対する不信と崩壊の扉を開くことになりかねない。

社会保障問題の本質は本当に理解されているか

 二つ目の理由は、社会保障・税一体改革の問題の本質が、国民1人1人に十分に理解されているとは言えないことだ。
日本の社会保障制度は、長い自民党政権下において、対症療法を重ねてきた結果、非常に複雑な仕組みとなっている。
この結果、一部の官僚や専門家しか理解できず、国民はおろか
「国会議員でも問題の本質が分かっていない」(某シンクタンンク専門家)。
それこそが、最大の問題点なのだが、ここでは問題の所在を、ごく単純化して整理してみよう。

 社会保障・税一体改革の目的は、財政再建と社会保障制度を、将来にわたって維持可能なものにすることにある。
日本の財政は収入(歳入)のうち、半分以上を国債などの借金で賄うという異常な事態が続いている。
政府の国債の借金(債務)残高は、12年末には、日本が1年に生み出す(付加)価値であるGDP(国内総生産)の2.2倍にも達する見込みで、
イタリアの1.3倍、米英仏の約1倍を大きく上回って、先進国中で最悪の状態にある。

 一刻も早く財政再建に踏み出さないと、いずれギリシャのようにならないとも限らない。
財政赤字の最大の要因は、急速に進む高齢化によって、毎年1兆円以上のスピードで増え続ける社会保障費にある。
現在、社会保障制度は給付(支出)と負担(収入)がバランスしていない。
したがって、社会保障・税一体改革が必要だということである。

社会保障問題を理解する4つのキーワード

 では、なぜ給付と負担がアンバランスになってしまったのか。
公的年金(以下、年金)を取り上げて、考えてみる。
社会保障制度の中心は年金、医療、介護だが、実は年金が最も大きなウエイトを占めていると同時に、医療や介護も問題の本質が、ほぼ同じだからである。

 年金を理解するキーワードは、「賦課方式」と「積立方式」、それに「社会保険方式」と「税方式」の4つである。

 賦課方式とは、現役の勤労者が払う保険料で高齢世代の年金を払う仕組みで、若い人が高齢世代を養っている。
これに対して、積立方式は高齢になり年金を受け取るときに備えて、保険料を積み立てておく。
社会保険方式は、その名が示すように、年金の支払い財源が保険料で、保険料を支払った人だけが、保険金(年金)を受け取ることができる。
これに対して、税方式は年金の財源が税で、一定の基準を満たせば、税を支払ったかどうかに関わりなく年金を受け取れる。

 賦課方式、積立方式とも、それぞれ長所・短所があるが、賦課方式の場合は、人口構成が高齢世代より、常に若い人の方が多いピラミッド型になっていないと、問題が噴出する。
社会保険方式は保険加入者がみなでリスク(年金の場合は長生きのリスク)をカバーし合うもので、対象は加入者で保険料を払った人だけ。
負担と給付の対応関係が明確で、自己責任型ともいえる。

 税方式は、何らかの事情(年金の場合は老齢)で所得がなくなったか、低くなった人に対して、税を財源に所得を補助する。
つまり、所得の再配分であり、税を納めているかどうかは関係がない。
言い換えれば、保険方式と違い、受益と負担は対応していない。

 現在、日本の公的年金は、賦課方式でかつ社会保険方式である。
これが現在の問題を生みだしている根源である。
ごく簡単な例で、考えてみよう。

 主に民間のサラリーマンなどが加入する厚生年金の場合、年金受給者は現役時代の給与の約60%の年金を受け取っている。
今から約50年前の1965年には、9.1人の現役世代で1人の高齢者を支えていたので、単純計算すれば60÷9.1=6.6%の保険料率でよいことになる。
これに対して、2012年では現役世代2.4人で一人を支えなくてはならないから、60÷2.4=25%の保険料率になるはずだが、実際は約16%なので、保険料だけでは年金の支給金額を賄いきれない。
その不足分を「国庫負担」という名の税金(国債よる収入かもしれないが)を投入して、補っているという構図だ
(実際はもっと複雑。どのように国庫負担が行われているかは『西沢和彦の「税と社会保障抜本改革」入門』第1回を参照)。

 こうした構図が二つの問題を引き起こしている。
現在の年金受給者も、現役時代には年金保険料を支払っており、一般の保険や貯金の感覚からすれば、支払ったおカネは年金支払いの原資として積み立てられていると思っていても、何ら不思議ではない(正確に言うと一部は積み立てられている)。
だから、年金を減額しようとすると激しい反発が起こる。
二つ目は、受益と負担の関係が明確な保険方式に、それが明確でない税金を相当金額つぎ込んでしまったということだ。
国民からすれば、保険料の引き上げに加えて、なぜ増税まで行われなくてはいけないのか、増税を認めたとして、どんな受益があるのか理解しづらい。

長期の道筋は示されず消費増税だけが先行

 賦課方式は現役世代の保険料で高齢世代を養う仕組みだから、収支をバランスさせる方策は、
①経済成長率を上げるか、
②年金の給付額を減らすか、
③保険料をあげるか
の三つしかなく、実際にはこれらを組み合わせるしかない。

 第1の論点は、我が国の「名目」成長率をあげることができるのか、できないのかということである。
名目成長率が上がれば、税収も増えて増税も少なくてすむし、給与が増えれば保険料の負担感も小さくなる。

 日銀の金融緩和が欧米に比べて小さいため、物価の持続的な下落であるデフレから脱却できず、円高も続くという根強い意見がある。
これに対して、国会で徹底した議論が行われたとは言えず、自公民がどのような経済見通し、経済政策を前提としているかが分からない。

 第2の論点は、現状の年金制度について、抜本的な改革が必要なのか、現状の制度を前提にした調整でよいのかが、うやむやにされたということだ
(3党合意では社会保障制度改革国民会議で議論するとされている)。

 実は、自公政権下で「100年安心」を謳った2004年の年金改革の柱は、給付金額を抑制し、保険料率に上限を設けるということだった。
最終的には、年金の給付を現役時代の約50%まで引き下げ、保険料率は約18%で頭打ちにするといものだ。
だが、2050年に現役世代1.2人で1人の高齢者を支えなくてはならないとすると、保険料だけでは大幅に財源が不足する。
自公両党は年金は現行制度を前提に考えるとしているが、保険料が大幅に不足することを考えると、消費税率がどこまで上がるのか、国民には長期的な展望が不明なままだ。

 一方、民主党が掲げていた税財源による最低保障年金と社会保険方式による所得比例年金の導入は、抜本的な改革に近いが、これも消費税引き上げのために棚上げされてしまった。
そもそも、長期的な負担と受益の関係すら示されなかった。

 国民が知りたいのは、今後、ますます労働力人口が減り、高齢人口が増える中で、現状の社会保障制度のままでよいのか、
それとも抜本的な改革が必要なのか、
それぞれの場合に、長期的な負担と受給の関係はどうなるのかということだ。
結局、その道筋は示されることなく、消費増税だけが先行されようとしている。
しかも消費税の使途が社会保障に限定されたために、社会保障が赤字だから、大切な社会保障を維持するために、という理由でいくらでも増税が可能になりかねない道を切り開いてしまった。

 社会保障と税のあり方は、国のかたちでもある。
自己責任を重視し、格差を受け入れるのか。
格差を小さくするために、再配分を重視する社会を目指すのか。
まずは、その理念が求められる。
理念が明確にならなければ、4つのキーワードを組み合わせて政策を練り上げることができない。

 理念と政策を同じくするものが結集しない政党は、結局のところ分裂せざるを得ないことを、今回の民主党の内紛が如実に示した。
今こそ、理念と政策という旗の下に、志を同じくする政治家同士が集まり、国民に信を問う。
それこそが民主主義の筋というものだ。
今回、消費増税が実現したとしても、国民の信頼を失った政党・政治家が、さらなる国民負担を求めることに国民は納得しないだろう。

 小沢一郎氏も「増税はやるべきことをやってから」一辺倒ではなく、やるべきことをやっただけで問題が解決するのかどうか、その先の長期的な展望をも示すべきである。

(ダイヤモンド・オンライン編集長 原 英次郎)


1 コメント

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今度こそ小沢一郎を徹底的に利用するべきである。 (堀岡篤志)
2012-07-01 14:47:19
憲法に保障する一般国民の暮らしとはどのようなものか。というより、好景気の時代に最低限度の生活をすることが可能であった人が今の不況を嘆いて憲法に違背する状態であると主張する権利は確かにあるだろう。憲法の判断は法の下の平等による限り国民の意思で自由に判断できるべきものであるからだ。

ところが日本の場合は万事が憲法に違背しないというところからスタートする。そういう国家が社会保障制度においても常に姑息で応急的な政策を実施してきたために、振り返ると継ぎはぎだらけの法体系として改革の障害となっているのは政治家泣かせでもあろうか。

それでも国内が活力を取戻し好景気ともなれば年金問題も消費税なども解決方法に国民の理解は得られやすくはなるだろう。今でさえ企業努力で高所得を得る人は少なくはないのだから。しかし国内での所得格差は固定化現象を示すようになってから長期化している。特に若い労働者の年収を上回るボーナスを1回で受給する人などは現実をどう考えているだろうか。いくら一生懸命に働いても暮らしが楽にならないと考えている人は政治に何を訴えたいのだろうか。それぞれの立場の人間が自らの社会的な努力に相応しい報酬の結果であると現実を解釈するのは不合理だろう。

政治の目的は国民の所得にある程度の公平性をもたらす政策を決定し実行してより多くの国民の評価を得ることにあるのはないだろうか。その上で競争の原理や努力の成果が加味されるべきであるはずだ。それがいつの時代も政治が場当たり的で応急的であったから僅かに時間が経過すると法律の不備が問題として浮上してくる。この繰り返しを国民が常に見守るだけというのでは政治が悪いと非難されて当然だ。

そして未だにデフレ脱却もできない、失業率も下がらない、所得や給付の額が目減りしていくと経済不況が報道され一向に改善する兆しもない。なぜ間違った政治を反省し改めないのだろうか。日本はバブル崩壊後の政策を誤ったとする認識がないから不況脱出できないのだ。このことを軟らかく言えば政治家やマスコミが聞く耳を持つだろうか。あるいはテレビに出演する大学教授や評論家、政治家や専門家などによろしく取り次げば間違った過去の政策を是正すると確約してくれるのだろうか。どうしてニュース番組や報道番組は重大なことの視点や焦点をボカして国民の関心事を野次馬好みの感覚がする方向へと誘導するのだろう。景気のいいとどりで潤うマスコミは国民に対して政治と表裏一体の責任があるとするのは合理的な判断だ。

東北の出身であるという小沢一郎も持ち前の粘り強さだけで国難に匹敵する現在の政治局面において真価を発揮することができるだろうか。そもそも国民は小沢一郎が出した政治の結果というものを選挙の例や政治倫理などごく一部しか知らない。漠然と期待するよりこの際は十二分に活用させていただくくらいのコントロールはあって然るべきだ。

いまのデフレは根本的にバブル崩壊後の政治判断を誤ったことに起因している。臨時的な立法措置により不良債権が続出するの食い止めることは可能であった。また既に不良債権とされるべき契約上の法律関係であったとしても総理大臣の国内経済を想うが故の命令ならば緊急事態の措置として時限的な立法や法律の執行停止など、手段や方法に事欠かせないくらい可能なことだったはずだ。しかし対峙する事態の本質を見極めることもなくただただ見逃してしまった。正しく原因を認めないどころかテレビ・マスコミまで延々と言い訳やら中途半端な追及を繰り返してきただけでダメな状態はそのまま続いたということだろう。

政治家はその状態を放置して不作為責任を不当に免れただけではなく、不良債権を大量に保有するようになった銀行を最初は注意深く見守ったなどとして事態を国内規模で悪化させてしまった。総理大臣の短命が続く理由も推察されるべきである。前任者の責任は言えないし、後任の立場で過去の判断の責任を免れないと言われるくらいなら辞めたい。何代にも及んで続かざるを得ない不誠実な政治を誤魔化すために浪費される官房機密費も国民の血税の一滴一滴ではある。

国は経営危機に陥った大銀行に公的資金を投入し銀行がたったの一年で全額を返済した事実をもって金融機関を救ったなどと言ったのであるが、いくら大学で経済を修めた政治家や大学教授の言うことであっても現実の国民の苦しみも分からぬ本当に馬鹿な政治家か偽善者か単なる報酬泥棒ではなかったのか。

日本がとった経済政策の誤りとは、国民から見れば年収に匹敵する額のボーナスをたった一回で支給される人が経済不振に陥ったとき、直ちに政府は優先的に公的資金を融資するようになったと言い換えれるだろう。

これを改める政治家が誰か現れればデフレ問題はすぐに回復に向かう。サラリーマン政治家ではないというのなら、どこに国費を使えば落ち込んだ資産価値が回復し信用経済がより長く維持できるように成長していくか少しは考えるべきである。もはやこれ以上は馬鹿の壁を打ち砕くハンマーショック以外に方法はないのかもしれない。
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