ひょうきちの疑問

新聞・テレビ報道はおかしい。
2020年のアメリカ大統領選以後はムチャクチャ

ポリアモリー(複数愛)考

2016-08-11 06:37:51 | 女性、夫婦別姓、外国人

男は女をゲットしたがる。
逆に女は男にゲットされたがる。ゲットされて満足する。

俺は昔はもてたんだ、と男が言う場合、それは聞くに堪えない自慢話だが、
私は昔はもてたのよ、と女が言う場合、それはうなづける自慢話になる。

男は自ら求める。
女は求められるのを待つ。そのために女は着飾って、自分を魅力的に見せる。

それは非常に理にかなったことだ。
昔、男は惚れさせて結婚せよ、ということが言われた。

しかしそれはちょっと違う。
ナンパするのも、プロポーズをするのもやはり今も昔も男からなのだ。

これが男と女の性の特徴である。

女は男から惚れられて、他の男とつきあわないでくれといわれれば、喜んでそうする。
そこには誇らしささえある。

しかし男はそうではない。
いくら惚れた恋人がいても、絶えず他の女に目移りする。それも男の性の特徴だ。

だから男は浮気性である。
ポリアモリー(複数愛)などという言葉を喧伝する人たちが女性の中にもいるが、体は頭で考えているだけであり、体で考えていない。

モノガミー(1対1の男女関係)がこれだけ多く世界中に広がっているのは、それなりの理由がある。
それは人類の知恵の蓄積である。

子供が育つまでは、人間以外の他の動物でもそうする。
人間と違って他の動物は子供が巣立つのが早いから、子供が巣立った後はまた別のつがいを組むだけのことだ。

人の一生は短い。人の一生よりも大事なことは、子供を育てるということである。
そのことを中心に社会は構成されている。

必然的にそうならざるを得ない。
人間の英知はそういうことを大切にしてきた。

今も昔も社会の中心は女である。しょせん男は消耗品である。
男は何のために戦うか、女房・子供を守るためである。

これは多くの自然界の掟でもある。
人間の社会もその一つにすぎない。

男も女も多くの人を好きになれる。
「なぜ好きな人を一人に限定しなければならないのか」というのが、ポリアモリーの原点である。
しかし世の中はそれほど都合よくできていない。

子供を育てる、この一点において多くの動物社会は構成されている。
もちろん恋愛は刺激的で魅力的なものである。

そして多くの男女が1対1の男女関係に倦んでくるというのも事実である。

「人を平等に愛する」というキリスト教の教えを、アメリカ人を中心とするポリアモリー主義者たちは勘違いしている。
家庭というのは基本的には、愛に支えられて子供を育成する場所である。

凹と凸は結合したがる。これは自然がしくんだ摂理である。遺伝子を混ぜ合わせるためにはどうしても必要なことである。
陰陽は二つで一つになって初めて完成する。
そうやって男女は求め合う。

男は求めてそれが得られたときに満足するが、
女は求められて満足する。それは子供を育てる条件を成立させるための自然がしくんだものである。
そういう意味で、女こそ惚れさせて結婚しなければならない。

しかし今そのことに満足できない女が増えている。
女性の社会進出が増えるにつれてそうなってきた。
また一つにはSNSの普及がそれに輪をかけた。
その一方で少子化に歯止めがかからない。
私は当然だと思う。

女が子供よりも自分の恋愛や自己実現という実体のない殻の中にとじこもった場合、育児は二の次になる。
女は求められて満足する。求められて幸せになる。

しかし今の多くの女性は、夫以外の刺激を求めている。
結婚は日常であり、日常に特段の刺激を求めるのは無理である。
しかしその無理な刺激を女が求めた場合どうなるか。
「人を好きになるのがなぜ行けないの」と既婚女性がいう場合、そこには一種のごまかしがある。

自己実現や夢の実現は空の彼方にあるものではない。
青い鳥はいつも自分の家の中にいる。

働く女性が増え、自分一人でも子供を育てていける、という女性が増えている。
しかし本当にそれだけの社会的力を持つ女性は多くはない。
多くのシングルマザーは貧困である。

男が目移りするのは今に始まったことではないが、
今新たに起こっていることは、女の家庭からの脱出である。
それが男との出会いを求めるという方向に進んでいる。
ここ20年、女性が急に若くなった。
いつまでも若作りをするようになった。
昔のような堂々としたおばちゃんが少なくなった。
そのことは女性が何を求めているかを象徴している。


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