ひょうきちの疑問

新聞・テレビ報道はおかしい。
2020年のアメリカ大統領選以後はムチャクチャ

南北戦争から明治維新へ、イギリスの影

2019-01-05 10:34:51 | 旧世界史11 18C後半~

土曜日

 今は世界帝国みたいなアメリカですけど、19世紀には新興国で、もとイギリスの植民地です。独立したものの南北対立がある。利害の対立がある。南北戦争という有名な戦争がありますが、そこにはどういう利害の対立があったのでしようか。
 この時代に、今の二大政党制、今の共和党、民主党の原型ができます。ちなみに今の大統領トランプ大統領は共和党です。前のオバマ大統領は民主党です。アメリカ人は時々、日本人にできないことをやる。大統領は共和党を選んで、議会では民主党を選ぶ。今もそうです。これが得意技です。わざと停滞させる。進むのを遅らせる。今アメリカは中身は二つという話があって、どっちに行くかもわからない。日本政府も読めなかった。
 トランプが大統領選に勝ちましたが、安倍政権はそう思ってなかった。ヒラリー・クリントンが、絶対勝つと思っていた。しかしトランプが勝った。安倍さん真っ青です。それで外務省に、何をしてるんだ、おまえたちの情報なんか2度と信用しないぞ、と言ったという話がある。日本も読めてない。アメリカ人自身もわからない。

 この時にも、こういうふうに二つの利害の対立がある。これが北部と南部です。この時に自由貿易を主張しているイギリスはどっちかというと南部びいきです。向かうところは南北戦争ですけれども、これは何の対立かというと、表面的には、奴隷州、これは奴隷を認める南部の州、それと、自由州、奴隷を認めない北部の州、これが表面なテーマになるんですが、実は本当のことをいうと、リンカンがその奴隷解放宣言を出したのは、ヨーロッパを味方につけたかったからなんです。
 それと同時にカリフォルニアまで領有して、今のアメリカの領土の形になって、太平洋が開けてくると、ペリーがやってきたのが1853年です。本当は中国なんです。今も昔も変わりません。日本が中心じゃない。アメリカにとってはやはり中国です。

 その4年後の1857年には、初の世界恐慌、株が大暴落する。この時のアメリカのお金は、銀行が勝手に発行している。今からは想像できない。銀行が1万6000銀行ぐらいあって、アメリカのお札、今のドルは一種類じゃない。銀行が勝手に、福岡銀行券みたいな形で発行するから、7000種類もある。もう訳わからない。熊本では熊本銀行券、福岡では福岡銀行券、みたいなものです。よくわからない世界です。経済も混乱している。

 そういう中で、1861年になると、北と南を分断する大戦争、南北戦争が起こる。ペリーが来てからアメリカがしばらく日本史にはでてこないのは、アメリカがこの戦争で分裂しそうになって、日本どころじゃなくなるからです。イギリスは自由貿易をしたいから南部を支援する。もっと言えばイギリスは、アメリカに強大な国家を作って欲しくなかったんじゃないかという話もある。分断してもらったほうがいい。この時ナンバーワン国家はアメリカじゃない。まだイギリスです。アメリカがこれ以上大きくなったら、俺たちの上をいくと心配している。実際その通りになっていく。

 この南部を支援する民主党の党首には、ヨーロッパのロスチャイルドから派遣されたオーガスト・ベルモントが1856年に就任しています。この人は、アメリカ第二銀行が廃止された翌年の1837年、21才の時にフランクフルトのロスチャイルド商会の代理人としてアメリカにやってきた人で、このオーガスト・ベルモントの奥さんの父親が日本を開国させたペリー提督なのです。

 この時の大統領が、共和党のリンカンです。彼は北部支持です。北部の利益を代表する。そうすると南部が腹を立てて、それなら独立するといって、一瞬国ができた。
 これをアメリカ連合国と言います。南部11州が連合したもので、南北戦争中の1861年から1865年まで存続します。だとするとこれはアメリカの内乱ではなく、正式な国と国との戦争です。
 このアメリカ連合国を支援したのがイギリスです。金融面では、ヨーロッパの金融資本家であるロスチャイルドがついています。そして南部勢力の中心である民主党の党首が、約15年前にロスチャイルド商会の代理人としてアメリカにやってきたオーガスト・ベルモントなのです。アメリカが二つの国になり、別々の国どうしが北と南で戦うのです。

 南北戦争が始まって2年後の1863年にリンカンが出したのが、奴隷解放宣言です。さっき言ったように、人道的に奴隷はかわいそうだからではなくて、イギリスはヨーロッパでは奴隷支配やめよう、人権の観点からまずいぞということで、奴隷はいち早くヨーロッパが廃止していく。しかしアメリカは奴隷労働に産業を背負わせているから、やめるわけにはいかなかった。その時にリンカーンが北と南で戦うなかで、世界を味方にしようとして、特にヨーロッパに味方してもらいたいから、ヨーロッパが奴隷解放にすすんでいるんだったら、いち早く奴隷解放を宣言してヨーロッパの支持を得ようとした。北部に味方して欲しい。これが本当の狙いです。これが功を奏した。ヨーロッパを味方につけて、お金の力から言えば南部が強かったかも知れないけれど、北部が勝った。この時アメリカの北部の工業は弱いけど、北部が勝った。

 もう一つは、戦争にはお金がかかるから、リンカンは銀行が勝手に発行していたお札を政府が発行するようになる。緑のインクで刷っていたからグリーンバックスという。つまり政府紙幣を発行する。これで大砲とか鉄砲とか弾薬とかを買えるようになって北軍が勝った。これによりリンカンは通貨発行権を握ったのです。このころヨーロッパの金融資本家ロスチャイルドは、アメリカに中央銀行の設立を働きかけていましたが、リンカンのグリーンバックス発行はその動きを封じるものでした。勝った1865年にリンカンは、劇場に行って劇を見ていたところで、後ろからバーンとやられて、暗殺される。犯人はジョン・ブースという役者で、彼も約10日後、農場の小屋に隠れていたところを殺され、秘密裏に埋葬されています。何でかな、この政府紙幣が関係しているという話しもある。謎です。
 ポイント、ポイントでアメリカの歴代大統領はよく殺される。戦後は1963年のケネディ暗殺です。犯人とされたオズワルトは2日後、こともあろうにダラス警察署内で、ジャック・ルビーに殺された。真犯人はわからないけれども、なぜか2035年には公表しますと政府は言っている。わかっているということです。ケネディも政府紙幣を発行しようとしていました。
 他にも、半分以上は謎なんだけど、お金を整理して中央銀行を作ろうというイギリスの意向に、それはダメなんだ、そんなことをすればもっと貧富の差が激しくなる、と反対したガーフィールド大統領も1881年に暗殺されます。謎です。まだ分からない。100年経っても。
 さらに1901年には、マッキンリー大統領も暗殺されています。傷は回復しつつあったが、8日後に死亡しています。その次の大統領になったのが、副大統領であったセオドア・ルーズベルトです。アメリカ大統領で暗殺されたのは4人です。
 最近では、1981年にはレーガン大統領暗殺未遂事件も起きています。犯人はヒンクリーと言われますが、よく分かりません。レーガンもアメリカ中央銀行FRBの制度に疑問を持っていました。

 南北戦争は北部の勝利で1865年に終わりました。南部を応援したイギリスもロスチャイルド家も、次の手を打ちました。その同じ年の1865年にロスチャイルドは、同じ家に住んでいた18歳のジェイコブ・シフを渡米させ、2年後にはクーン・ローブ商会を設立させました。この人物は40年後の日露戦争で日本に戦争資金を貸した人物です。
 また、その1865年にはロスチャイルドは、仲間のトーマス・サザーランドに香港上海銀行を設立させます。この銀行はもともとはジャーディン・マセソン商会が中国とのアヘン貿易で稼いだ資金をイギリス本国に送金するために設立されたものでしたが、このあと香港ドルの発券銀行の一つになり、やがて香港ドルの通貨発行権を手に入れます。現在も香港ドルはこの銀行によって発行されています。
 1859年に21歳で日本にやってきたイギリス人トーマス・グラバーは1861年にこのアヘン貿易会社ジャーディン・マセソン商会の代理店として、長崎にグラバー商会を設立しています。そのトーマス・グラバーと関係の深かった土佐の浪人坂本龍馬が長崎に武器輸入会社として亀山社中(のちの海援隊)を設立したのも、南北戦争終了と同じ1865年です。そしてこの坂本龍馬を仲介人として成立したのが翌年1866年の薩長同盟です。これによって幕末日本は倒幕に向けて大きく動いていくことになります。
 ただ坂本龍馬は、このあと大政奉還を唱え、倒幕に反対したため、明治維新直前の1867年11月に暗殺されます。
(グラバー商会は倒産したことになっていますが、実質的には土佐の岩崎弥太郎によって三菱に受け継がれます。坂本龍馬と同じ土佐の岩崎弥太郎は、海援隊のメンバーとして長崎で活動しています。グラバーが興した長崎造船所やキリンビールは、今でも三菱グループです。)

 このことをイギリスから見ると、イギリスは南北戦争でアメリカ工作には失敗したが、明治維新という日本工作には成功したといえます。ちなみに、のち4度総理大臣になる長州藩の伊藤博文は、グラバーによって1863年にイギリスに密航し、すでに帰国しています。この時24歳です。
 1902年の日英同盟はこの延長です。ただ伊藤博文は、ロシアと戦うことには反対でした。ということは日英同盟にも反対でした。そういう意味ではイギリスの裏側を知り尽くした人物だったのでしょう。1909年、伊藤博文は暗殺されます。


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