アナザースカイ エジプト

もうひとつの故郷のように感じるエジプト。たびたび訪れるエジプトのフォト旅行記をご覧下さい。

9.革命から2年 娘のJICAレポート

2017年05月12日 | 日記


2013年1月30日 記す

1月25日、革命以前までは「警察の日」という国民の祝日でした。

2年前のこの日、カイロのタハリール広場を中心として大規模デモが起こり、年間続いたムバーラク政権が国民の力により崩壊しました。

25日は「エジプト革命記念日」と名前が変わり、前大統領の名前が付けられていた地下鉄の駅も名前が変わりました。

2年前のデモ隊と治安部隊の大衝突の後、変わってしまった町を見た時の衝撃は今でも忘れられません。

毎日通勤で使っていたピラミッド通りは、ほとんどの店やホテルの窓ガラスが割られ、

あちこち放火されて燃えた跡が残っていました。

            

デモの中心となったタハリール広場は、いつも友達との待ち合わせに使っていた場所。

道路は、投石に使うためコンクリートが剥がされ、ひどい状態という、激しい衝突の跡が残っていました。

次々と目に飛び込んでくる光景は、私の知っているカイロの町とはあまりに違っていました。

変わり果てて傷だらけの町を見て、まるで自分の大切な人が、理不尽に殴られ、傷つけられ、

大怪我を負ってしまったような気持ちになり、胸がずきずきと痛みました。


           

エジプトは、私が自らが選択して暮らした地、愛する人々が暮らす地です。

人懐っこくて、親切な人が多く、友人以外にも、スーパーでいつもおまけしてくれるおじさん、

親切なバスのドライバー、道を教えてくれたおばさんなど、沢山の人々の顔が脳裏を過ぎります。


        

誰も怪我しないで欲しい、誰も死なないで欲しい、もうこれ以上一滴の血も流さないで欲しいと強く思いました。

でもエジプトの未来を諦めて欲しくはないとも。


       

今でもデモがある度にそう思います。

非武装革命と言われたエジプト革命、しかし、エジプト民主化への過程で、多くの犠牲者の血が流れ続けています。

革命やデモで亡くなった人々、昨年2月に起こったサッカー場での悲惨な事件で亡くなった人々、

エジプトの人々は、そんな彼らのことを決して忘れることなく、エジプトの未来のために戦っています。


       

しかし、2年前と今と大きく違うところは、国民が一丸となってムバーラク政権と戦っていたのが、今は国民同士が分裂してしまっているということです。

経済が悪化しても、それでも革命をやってよかったと皆が口を揃えて言っていたのが、今では、「この国に疲れてしまった」と言う人がいるということ。


         

エジプトがより良い国を創りあげていくことには、多くの時間を費やすことが必要かもしれません。

でも、決して諦めずに一歩一歩進んで行って欲しいと思います。

革命の時に生まれたフレーズ、「irfa3 rasak fooooooo2 enta masri !!!」

顔をあげよ、あなたはエジプト人なんだから! もう一度、誇りを取り戻して欲しいと強く願います。

                

革命時のタハリール広場では、イスラーム教の礼拝時間が来ると、コプト教徒たちが手を繋ぎ「人間の鎖」で

礼拝中のイスラーム教徒たちを取り囲み、前大統領支持派や治安部隊の攻撃から守りました。

宗教の違いを越えて、エジプト国民がひとつになる瞬間を見ました。

エジプトの人々が暴力に屈せず、助け合い、労わり合い、平和的にデモを続けるその姿に、世界中の人々が注目し感動しました。

そんな素晴らしいエジプトを再び私たちに見せて欲しいのです。

 

                      


現在世界には、目を背けたくなるような現実があります。

戦争や災害の災禍の地に暮らしている人たち、その地に大切な家族や友人が暮らしている人たち、

そこで暮らし友情を育んだことのある人たちは、今どんな気持ちでいるのでしょう。


                        

人間としての尊厳を傷つけられ不条理に亡くなっていく人々が多いという現実から、

エジプト革命以来、ますます目を背けてはいけないと思うようになりました。

小さな存在の私たちに何ができるのか、これからも自問していきたいと思います。




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