Schreib mal wieder!

自分の感じるままに...それがクレームと言われても

日帰りスキーおすすめ列車

2007-02-12 23:54:39 | Weblog
 
やっぱりシーズン真っ只中ともなると、直前ではなかなか新幹線の指定席は取れない。そこで考えた末選んだ列車は、とき303号とMaxとき344号。

いずれも大宮-越後湯沢間ノンストップ。だから、出発したらドア横のデッキのスペース使い放題なのだ! 今回は折りたたみイスも持って行こうかと思ったけどさすがに面倒なので、新聞紙持参で。帰りも車椅子が通れる広いドア前のデッキを占領。47分の快適な旅。満席の指定席で子供を膝に乗せてるよりかえって楽だし、何よりなんか楽しいじゃん!! ふと...

「ここにテント張ったら怒られるよなぁ」

って言ったら、

「それは、車掌さんに怒られるでしょーーー!」

っと4歳のガキに叱られました。はい、やっぱりそれはやり過ぎです。失礼しました。


モテたい vs. 護りたい

2007-02-11 23:06:51 | Weblog
 
今日も日帰りでスキーに行ってきた。
今日は雪が十分にあり、頂上から降りてくる上級者コースも開放されていた。滑れると思ってあらためて見てみると、見上げるほどの急斜面。それでもコースの途中から降りてくる人がいるので訊いてみると迂回路があるという。

「じゃぁ、行ってみようか」

と怖いもの知らずの親子はリフトのおじさんの心配顔をよそに、中間降り場をパスして頂上へ。最初はさすがに怖かった。2人とも何度もコケたりしたが、そのうちにほとんどコケずに滑り降りるだけは降りられるようになった。やっぱり負荷をかけなければ人間うまくならない。とくにヒヤリとするよな状況や緊張感があると一気に上達したりする。

というわけで、僕は今日1日で相当うまくなった。まさに一皮むけた感じ。ただそれは去年からの見えない努力の積み重ねの結果という気がする。

やっぱり単にモテるためにかっこよく滑りたいなどという動機より、目の前にいる滑れない子供を護りたいという動機の方が僕にとっては明らかに勝った。

そもそも大してうまくもないのに、見よう見まねで背負って滑ったり、抱えたりして滑ってみたり、紐で引っ張ってみたり、滑りながらビデオを撮ったみたり、転んでるところまで斜面を駆け上がってみたり、スケーティングしながら押したり、ストックを出して引っ張り上げたり...10年前に彼女(=今の妻)とスキーに行くのにモテたい一心で道具を買い揃えたあのころにはできもしなかった、いや考えもしなかったようなことだった。

それでも、強い動機さえあればできるようになってしまうのだ。それは「できるようになる」というよりも、もしかしたら、「できるんだけど、自分にそんな力がないと思っている」力をただ引き出しただけかも知れない。

とはいえ、ここまでは子供と一緒にやってみたらできちゃったというレベルの話が多かったが、今日の急斜面はさすがに一回転したり、カメラごと顔から雪に突っ込んだりと「やっぱ甘く見ちゃいかんのよね」とかなりヒヤッとした。そりゃぁ怪我する人もいる危険なスポーツだもんな。相当スピードも出てきたし、これから先は恐らく護りきれないと思うのでほどほどにします。

確信

2007-02-10 23:08:40 | Weblog
 
どんなキッカケであれ、その人の本を4冊も読むとどんな人なのかと一度会ってみたくなる。今回はそのチャンスが思わぬ早さでめぐってきたので乗ってみようと思い、今朝は転職EXPOなるものに出かけてきた。そう、そこで行われる和田裕美さんの講演を聴くために。

ほんの1時間の講演ながら、話されたことすべて「そのとおり!」と納得できることばかりで聴いていて興奮した。裏を返すと新しい発見は少なかったということではあるが、それがとりもなおさず、自分が今までやってきたことが間違いないんだということを確信させてくれたからだ。

和田さんは、実践の中で試行錯誤して得たものを理論に昇華させた、まさに自分で体得した理論というアプローチで話をされる。

一方僕はというと、デールカーネギートレーニングで学んだ理論に出発して、トーストマスターズ、コーチングなどで得たものをいろいろと取り入れながら、実践を通してスキルを身につけるという言わば、和田さんとは逆のアプローチをとってきている。

それなのに、和田さんが話す話と、僕が僕なりに導き出した結論がことごとく符合するのだ。これには強く興奮したし、すごく嬉しかった。

昨年の10月ごろから、いったい自分は何をやってるんだろう...と悩みもがき苦しむ中で、友達の助けもあって、だんだんと自分の持っていたテーマはコミュニケーション能力であることがわかるに至る。1月に入って、繰り返し人と話をするうちに、だんだんとそれが本当の意味で自分の強みであり、売りであることに気がつくようになった。

一昨日は尊敬するおっちゃん相手と食事をしながら話をする中で、自分もある分野ではこの人に負けないくらいのものを持っているなと思える機会があった。

そして昨日は久しぶりに会う友人との対話を通して、去年からの一連の出来事を振り返ることにができ、自分に対する認識を確実にするいい機会となった。

そして今日。まがりなりにも著名なスペシャリストが目の前で話すのを聴き、「さすがはそこまで見えてるんだ」「これは僕とまったく同じ結論だ」などと冷静に見ることができ、いよいよ確信するに至った。

この和田さんという方を知ったのは恥ずかしながらたったの20日前。自分が大切に思う友人がセミナーを受けるという話を聞いて、興味を持ち、本を読み、今日に至った。そんな貴重なきっかけ(和田さん流に言えば「出会い」というところか)をくれた友人にも心から感謝せねばならない。とともに、こういう行動力こそが「出会い」を生むんだという和田さんの言葉に深く共感した。確かに勢いをつけて、動き出さなければ何も変わらない。

10月から始まった一連の悩みというか自分探しみたいなものが、一応の区切りを迎えようとしているのを感じる。次のステージは、この力を使ってこれから何をしていこうとするのかに移るんだろう。

あらためて、僕のくだらない悩みに真摯に付き合ってくれたIさん、振り返る機会を作り真摯に聴いてくれたSさん、そしてこの不思議な出会いを作り出してくれたSさん...いい距離感で常に刺激をくれるO、りんごの絆での不思議な出会い、それに導いてくれたいつも何かとお世話になっているTさん、自分はこれでいいんだと確信させてくれた不思議な形でお会いすることになったOさん、こんな僕でもこうして付き合ってくださるY先生、登亭をめぐって出会うことの出来たKさん、ハナヒロのKさん、akariのみなさん、中里で歓迎してくれる方々、そしてもちろんM...のみならず自分は多数のいい人に囲まれていて恵まれていると思う。ほんとうにみんなに感謝したい。

振り返るとものすごくいろいろなことがあった数ヶ月だった。それが今一区切りつこうとしている。今日はセミナーの話を書くつもりが、何となくここまで書いてしまった。このままでは「何かあったの?」と言われてしまいそうだが、そんなことはないです。ただ、今週の水・木・金・土の4日間で一気に殻が破れてしまっただけ。

ありがとう。

そう、実は今日のセミナーにはもう一つ別の目的があった。相当周到な準備ををして臨んだが、案外簡単に達成されてしまい、むしろその周到な準備を実行する際にイマイチ手際が悪かったことが悔やまれた。ただそれもやってみたからわかったこと。次回にうまくやるための、ものすごくいいデータ(経験)が集められたのは確かだ。今回はうまくいったのを良しとして、次はもっとうまくやってやろうと考えよう。

なんだか幸せ

2007-02-09 23:21:00 | Weblog
「おいそがしいの?」

というメールが突然飛んできた。何なのかしらんと思って返信。何かを感じたのでもどかしくなって電話してみた。ダメもとで電話してみるとT店長も今日入ってるじゃん。とりあえず20時東京駅集合でakariに行くことに。

なんかすごく楽しかった。

「何だか話の聞き役にしてしまってスイマセン。」

なんて言われたけど、こっちこそ言いたい放題いろんな話をしちゃって、聴いてもらったていう気分。アドバイスをするなんておこがましい気持ちはまったくない。ただ思うことを話さしてもらって、そこからまた自分ってこんな風に感じてるんだなとか、考えてるんだなっていうのに気付かされたり。

akariに入った新しい料理人も、さすがにOがいい人が採れたというだけあって、出された料理を見た瞬間、そこに気迫とか勢いが感じられて、「違う」って思えた。

この前初めて会ったバイトのYくんも、いい感じだった。

そういう時にメールをもらえること。そこに何かを感じることができたこと。ここぞというときに店の予約をして中央ライナーの席押さえて...ガーっと行動を起こせること。なんか自分の家みたいに扱ってもらえるお店があること。アリバイ工作?!を快く引き受けてくれる友達がいること...

こういう人間関係があるって、僕にとってはほんとに幸せで、ステキなこと。

今週はいろいろあって忙しくて、6時過ぎにはもう帰ろう!!って思ってるところにこんな展開になってほんとに楽しかった。

いい気分に酔っ払って、なんだかすごく幸せ。

物は言いよう

2007-02-09 22:07:12 | Weblog
 
「Yさんって、すごく頭がいいんですね。頭の回転が速いから、相手が全部言わなくても何を言おうとしているのかわかってしまうんだと思います。だ・か・ら...そこで我慢してください。もどかしくても、こいつ頭悪いなと思っても、我慢して相手がしゃべるのを聴いてあげてください。そうすればその人が自分の考えだとしてその先を進めてくれます。こちらが先回りして代弁してあげてしまうと、向かう方向に違いはありませんが、Yさんの考えに従うという姿勢になってしまいます。

Yさんは頭がいいから、それができる。だってこれは逆はできないから。回転の遅い人が速くするのは相当難しいけど、速い人が遅くするのは我慢すればできますから...」

意識調査の結果を受けて、改善案を提起する委員会の席で、若手の発言を何度か言い換えてしまったYさんに、どう伝えようかと考えた末に、さっきのまとめをしましょうと彼女のところに話に行き、その会話の中で何気なくこんな風に伝えてみた。

すると、僕より10も上で人間が出来ていることもあって、指摘してくれてありがとうとすんなり聞いてくださった。賭けに出て正解だったということだ。

「あんた、しゃべり過ぎ!! もう少し黙っててくれる??」とか「どうして彼等の意見を取り上げるの!!」って言ってしまえば、当然人間関係すら危うくなってしまうが、物は言いよう。今回は久しぶりにクリーンヒット(いや二塁打くらいはいったか)が出せて自分なりに嬉しかった。


2007-02-06 23:42:16 | Weblog

ここのところ、やたらと本づいている。
基本的に本を読むのは嫌いではないのだが、読むのが遅い方なので、さぁ読もうと決意しないとなかなか読み始められないところがあった。

しかし、どうしても和田さんの本を読んでみたい、しかも4冊読みたいという思うきっかけがあり、かつ、ちょうどそのときにPCが壊れたのもあって、一気に読んだら案外読めてしまい、以来、藤巻さん2冊、その他、読んでみたいと思って買っていた本や、あっと思うものを即Amazonの中古で買ったりしながら、そのままの勢いで読んでいる。

読み出すと本も面白いもので、また、どうせ全部は拾えないと割り切ってしまうとざーっと読めて、読み終わる快感も味わいながら、次へ次へとどんどん読んでいる。

こういうときもあっていいかなと、流れに任せて一気に読んでみようと思う。和田さんの本を読んでみたいと思わせてくれた友人に感謝したい。しかし、いつまで続くかな。

想像・予測と違う反応

2007-02-04 23:35:42 | Weblog
 
昨日Kidzaniaに行ってきた。オープン当初の友人の日記を見てすぐに予約した日がやっと来た。それ以来今日までの数ヶ月間、そこはすごくいいところで、子供はいろんなものを進んで体験し、スキーをしているときのように楽しそうにいろんな仕事を得意げにやるんだろうな...

うちのガキは快活だから、臆することもなくそうなるに違いない。5時間のうちいくつ体験できるかな。きっと昼なんて食うひまがあったら、もっと「仕事」したいっていうのでは...じゃぁ入る前に徹底的に食わせておこうか...などなどなど妄想は膨らみ膨らんだ。

...ところが

実際に入ってみると、思うように職に就けないし、ガキはいろんなことにびびるし、何よりひとりで(親から離れて)「仕事」をするのが嫌らしい(後になって妻から聞いたが、今はどうもそういう時期で、トイレにすらひとりで行きたがらないとのこと。ちょっと前までなんでもひとりでやりたがっていたのに...)。

だから、パビリオンに並んでもいざとなると逃げ出したり、一緒じゃないならやりたくないと言ってみたり、すぐ並べばできたのに、迷ったり、どうしようと言いながら、やっぱりやると戻ってみるとそのときには締め切られていたり...という具合で、僕が数ヶ月間楽しみにしていた空想の世界とは、まったく違った現実が目の前に突きつけられた。

いったい何のために予約したの? なんのためにお金払ったの? 何のために朝早く起きたの?? 恥ずかしながら、この現実をなかなか自分の中で受け入れることができなかった。そういう自分がまた許せなくて、子供にとっても、自分にとっても楽しくない5時間になってしまった。

現実の仕事の世界には実はこういうことは多々ある。よくある例としては、こうしてほしいとか、当然こうしてくれるだろうということをしてくれなかったとき。すなわち、こちらが当然だと考えて「期待」したことに、相手が応えなかったときだ。

それはよくよく考えるとそんな期待をすること自体に無理な相手だったり、しっかりと前提を共有する機会が用意されてなかったりとか原因がかならずある。例えば、冷静に考えればそもそも50-60%程度の待遇しかしていない派遣社員に、社員並みの過度の期待をしてみたり、知ってて当たり前と高をくくってろくに説明もせずに、やっておいてねと突き放していたり...。あるいはもっと卑近な例をあげれば、新人のくせに挨拶に来ないとか、進んで仕事をしようとしないとか...。

それはとりもなおさず、こちら側の問題なのだ。相手の問題はさておいて、こちらの対応を変えれば、自ずと相手の対応も変わるし、期待と現実の間に大きなギャップが起こらなくなる。また、ギャップが露呈したときに、それをどれだけ柔軟に受け入れることができるかも、次の手を打てるかどうか、こちらの対応を変えられるかどうかのカギになる。

あるところで思いがけず尊敬する人から「懐が深くないとできないでしょ」と言われ、仕事上はそれなりにいろいろとわかってきて、そういう対応が自然と身についてきているなんて思い上がっていたが、やはりまだまだ全然足りないということ。所詮4歳のガキが仕事を楽しむなんて無理!! そんな簡単なことが冷静に判断できないというということ自体、単なる親バカということだ。

実は場内で知り合いを見かけたのだが、敢えて知らんフリをした。とても自分の気持ちの整理ができていなくて、こんな状態で楽しいフリしてお話するのもとても面倒だったから。

プライベートでも過度な期待をせずに、あるがままの現実を見据えることができるように鍛えないといけない。幸運の女神のみならずそんなことにも気付かされるキッザニアは、僕にとって不思議なテーマパークだった。


幸運の女神

2007-02-03 21:53:32 | Weblog
 
「○○に出演してくれる人を募集していま~す!」

スカウトと呼ばれる募集人は突然現れたかと思うと、ものすごいスピードで通り過ぎていった。ほんとに募集してるの?っていうくらいの勢いで消えていってしまった。

キャリアカウンセラーなる人から、あの辺りに行ったらスカウトがいますからと言われたところには誰もおらず、マジックショー出演の夢もその場でなくなった。仕方なく建設作業の仕事を得るために長い時間並び、やっとの思いで職に就くとそのスカウトが現れた。もう身動きは取れない...。

自分はすごく運がよく、そういう機会や縁をものにして生きているんだなんておぼろげにでも思い上がっていたが、まったくそんなことはないのかも知れない。こうして、幸運の女神が気がつきもしないところで目の前を通り過ぎているのを、見えていないだけなのかも知れない。

一方で、今を幸せと思うなら、今まで巡り会えた幸運、縁や機会に感謝しなさければならない。Sさん、Tさん、Sさんのみならず、出会ったすべての人たちに。その出会いがなければ今の自分はない。

初めて出掛けた話題のキッザニア。足早に通り過ぎていったスカウトのおねーさんの後姿と、それに気付きもしないで建設作業に勤しむ子供を見ながら、人生の縮図を見たような気がして、いろいろなことが頭をめぐった。



本の裏側

2007-02-01 23:36:34 | Weblog
 
ちょっとした感動、いや、相当な感動。
本の編集者をする友人が「担当」した本をきっかけに本の仕組みに興味を持ち、会った機会にいろいろ訊いてみた。

僕はその本の構成がいいなぁと思っていた。そう、本というよりWebページという感覚。見た目は絵ばかりとはいえ、ケーススタディー的なものも随所に織り込んであり、理論と実践がちゃんと説明されている。さて、そういう企画って誰が考えてるのか...さすがは有名な著者だから、そういうところまで頭が回るのか...そうだとしたらやっぱりすごいな、なんて思って訊いてみると...

答えは至って簡単だった。その友人自身がすべて企画し...すなわち目次を考え、それに合う話を著者から引き出し、本に仕上げるのだそうだ。著者にもよるけれど、売れる本は多かれ少なかれそうやって作ってるとのこと。

...びっくり!!

企画の作り方、著者との接し方、著者とのやりとりのさまざまなエピソードなどなど、いろいろ聴けてすごく面白かった。と同時に、なんかこの本いいこと書いてあるなんて思ってた感動がちょっと薄れたりして?!

「商品を作っているのであって、作品を作っているのではない」

そう、売れる本と(著者が)書きたい本は違うとのこと。ここの切り分けをしっかりやらないと二ケタ万部は到底いかないらしい。ビジネスとして取り組む以上、売れてなんぼ。

しかし、そんなマーケティングから企画から、著者とのコミュニケーション、構成、校正、すべて担当してもそんなに莫大なお金にはならない。だって1冊せいぜい1500円とかだから、30万部で15億円の売上。製作原価、印税を引くと、どれだけ手元に残るのか想像に難くない。それが外して1万部なんていうのが続いた日には...。

なんとかそんなすごい才能、スキルを他で生かせるフィールドはないものだろうか。少なくとも僕が毎日よろず相談してるのよりはすごい仕事してる。そう思うと、資本主義とはほんとに理不尽な世界だ。