よくドラマなんかで最期の最期に「お前と一緒になれてよかった」なんて言うシーンがあって、まるで美談のように映し出されるが、僕はそれなら「どうして普段からそう言わないのか?」「言ってれば日々が美談でいっぱいじゃん」と思う。
「あの鬼のような先生が、卒業式の日に涙を流しながら『おまえはいい生徒だった』と言ってくれた」なんていうのも同様。鬼のように振舞うことにどういう教育効果があるのか...。
「安売りするのはもったいない」とかいう人もいるが、利子がつくわけでなし、それにほんとにちゃんと伝えられる瞬間を迎えられるかどうかなんてわからないんだから、今言えるときに言っとかないといけないのでは...それよりなにより、今を楽しく充実して過ごす方がよっぽど重要だ。
いわゆる「美談」を「美談」として受け入れたくはない。
鬼のような先輩が居ても良いと思う。
ある程度のレベルの集まるチームと、
そうでないチームがあって。
そうでないチームは多いと思うよ。
知的水準が高かったり、自己実現の意欲がある人間が多いなら、Yhの様な考え方だけで良いと思うけど、
やっぱりね、恐怖を与えないと動かない人間はたくさん居ると思うよ。そして後でそれが良かったと感謝するんじゃないかな。
恐怖を与えて人を動かすのも、かなりの根気と信念がいることも確かだけど。
んー、月に二回くらいシャンパンを
二人で飲むようなタイミングで、
『僕は幸せで、キミのおかげ』と言うなぁ。
部下にも同じようなことを言う。
普段は、妻にも部下にも
『もっとこうして欲しい!』と言うようなことしか
言ってないけど。
とにかく、僕は嘘はつきたくないんだぁ。
根本では感謝をしてるけど、
普段は『もっとこうしたら良くなる』と
思うことが多いから。
僕も嘘は言わないというところは同じです。でも、運用に開きがあるんじゃないかと思うけどね。
まだまだ不勉強な部分は多いと自覚するけど、
僕のリーダーシップ論がある。
僕は叱ってくれた人たちに感謝してるから。
褒めてくれた人たちにも感謝するけど、
叱ってくれる人を大事にしたいな。
何のためのリーダーシップなのか? 結論は組織目的の達成、収益だから、そのプロセスに正解はないと思う。