コラム(351):
森発言が日本人のジェンダーフリー意識を変える
東京五輪組織委員会の森会長による女性蔑視発言は国内のみならず国際的な波紋を広げ、最終的に森氏は辞任に追い込まれました。
森発言を政治問題にすると問題の本質が見えなくなる
森発言をめぐって保守の多くの沈黙は森発言への暗黙の追認です。もし森氏の意見と違うなら自らの考えを世に問うべきです。
一方、立憲民主党などの反体制左派は、アメリカの女性参政権運動を模して白い服に身を包んで森氏への批判を表明しましたが、森批判の先にある別の意図が見え透いています。
メディアに色濃く残る女性蔑視
朝日新聞やNHKなどのメディアも森発言を政治問題にするという過ちを犯しています。
森発言の本質は、一般常識や通念の基礎となっている倫理観や宗教観的な信念に根差す問題であって、政治的解決とは無関係です。
森氏の信念から発した言葉を法律的に裁くことも経済的な利益の配分という観点で処理することもできません。それを意図的に政治問題に仕立てようとしています。しかし森氏が処断されたところで、女性蔑視問題という倫理観、道徳観の問題が解決するわけではありません。
しかも、国際社会に対し、こうした一部の日本人が持つ古い価値観が従軍慰安婦を生み出したのだという印象を広めかねません。
森発言を本気で批判するなら、発言に潜んでいる森氏の信念の部分、すなわち女性を見下し、女性より優位に立ち威張りたがる精神性を批判しなければならないのです。
メディアが言及しないのは、メディア自体が女性を馬鹿にするだけでなく、国民を見下す風潮があるからです。
メディアのコラム担当者の文章を見ると、女性蔑視の視点がはっきりとわかります。読売やサンケイなどでは、東京都の小池都知事の政策に対する批判の中に皮肉を込めた表現をよく見かけます。女性がトップに立っていることが我慢ならない気持ちがにじみ出ているのです。5年前の都知事選で石原慎太郎氏が小池氏に「厚化粧の女」と揶揄したことと同じ精神構造です。
実際、新聞メディアに女性の役員は皆無です。新聞紙面で女性の社会的進出が少ないと政府や社会を批判したところで、それは口先だけにすぎません。メディア自身が女性蔑視や女性の能力への嫉妬を改めることが先決です。
ジェンダーフリー論の在り方
ジェンダーフリーという言葉をよく聞くようになりました。性別にとらわれず、男女が平等に生活できることであり極めて当たり前の考え方です。しかし、日本国内では建前的な政治論ばかりで、男女平等が人びとの共通の信条にまで醸成されていません。
男女を問わず機会の平等はすべての人に補償されているのです。機会を通してすべての人が誰からも差別されることなく自分らしく生きる社会の実現こそ、ジェンダーフリーの真の意味だと思うのです。
性別に関係なく人間の本質はまったく変わりません。性差を利用して優位性を得るという考えを根本的に改めることに力を注ぎたいと思います。
新しい組織委員会長がこうしたことを深く認識されていることを願っています。
いずれにせよ私たち日本人は、森氏の発言をきっかけに、ジェンダーフリーの真実を真剣に考える時が来たのではないでしょうか。
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