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ちくわの夜明け

『怒りをうたえ』という映画

2005-06-21 03:19:14 | Weblog
『怒りをうたえ』という記録映画があります。

学生運動の激動の歴史を綴った全3部作からなるドキュメントで、歴史的にもフィルム的にも非常に価値のある内容のものです。

私達のちょうど親父の世代がこのフィルムの中に登場するいわゆる全共闘世代なのですが、こういった歴史がその息子である我々に引き継がれていないのは非常に惜しいことのように感じます。
それどころか我々の受けた教育って、彼らの気概とはかけ離れた、恐ろしいほどに偏向した教育だったように思われます。
なんでだ?

彼らの最も罪な点は、敗北したことなんかより(というより敗北を前提とした戦いだったと思われ)敗北した後、何も残さず「総括できてないから」という詭弁によって自身を埋没させてしまった点です。なんていうか、若気の至りだったとのたまってるように聞こえます。

結局生きていくために、かつての敵(?)である企業に与し、挙句今ではその重たい椅子に鎮座しています。ばかちん!
鎮座してるのはまだ良いですが、そこから何もしないのは罪です。そういった人たちは一刻も早く糾弾の俎上に引きずり上げ、デコピンの一発でもかましてやらなくてはなりません。

とりあえず分かりやすい『権力』という敵がいなくなった今、当時と比べて正義ってのはかなり曖昧になったと思います。日常ですら、それを行使する機会は与えられていません。こんな世の中を作ったのは彼らであります。

でも彼らを責めることに執着していると、自分たちの事がおろそかになります。私達の子供にあたる世代に、同じような事を思われないようにちっとは考えるのも必要です。

そんな考えの手助けにさせていただいているのが『怒りをうたえ』上映実行委員会のお手伝いです。昨日も行ってきました。
委員会といっても実質おひとりでやってらっしゃるので何か手伝えることがあれば、と。
主催の方はかつての活動家であり、敗北を認めた上で逃げずに語ってくださる数少ない当事者のひとりです。このような方は、本当に貴重で有り難い存在だと思います。

私は市民活動に与するのも、デモに参加するのも嫌いだしイヤです。でも住み良い世の中にはしたい。そんな自分が社会に(大げさですが)関連した行動を起こすことが出来るとすれば、この上映会のお手伝いぐらいだと思います。

こんな偉そうなことを語る私は、しかし新聞なんぞ全く読んでいません。たまにこのことを話すと一般参加者の方から唖然とされるほどです。
でも、あらゆることの判断や社会的な正義には、知識より大義より饒舌に思想を語ることより、もっと大切なことがあると思うのです。
普段、こうして新聞も読まず、映画製作、仕事、趣味にといっぱいいっぱいの私ですが、それでも社会に参加して、より『自分的に』住みやすい世の中にするための発言を堂々とすることは出来ると思います。デモに参加してる人や市民活動をしてる人、小難しい本をいっぱい読んでる人たちが社会を憂える頼もしい人間だとか偉くて良い子だとか、そんなことはぜっっっっってーにありえません。断言できます。
では、普段ふつうの生活者である私達が、何を糧にものごとの判断や正義を行使するべきかと言うと、それは権威への猜疑と常識的な道徳観念です。

こうした中から生まれる考えがまさに、どこの誰にも帰依することのない自前の正義だと思います。

かつてあの時代に戦った人々は、何を考えて行動していたのか。それを知ろうとすることもまた自前の正義を醸成するために大切なことだと思います。
と言ってもこれもまた趣味の範疇なので、是非にというものでもありません。もし興味をもたれた方は検索するなりしてみていただけるとうれしいです。HPのアドレスはあえて晒さないことにしておきます。

夏あたり、また本編を上映するとのことっす。
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