『御室』から『妙心寺』へ
ここには一枝の桜もありません。
仁和寺の賑わいなど微塵もなく
この季節に、ふたりでふらりと散歩するには
これほどの場所はないかもしれません。
それでも、春は・・・ありました。
【妙心寺南総門】
左右には塔頭寺院が居並びます。
この日は、北総門からお目当ての
塔頭寺院のひとつ『大通院』をめざしました。
『大通院』は
旧土佐藩主山内一豊と妻千代の菩提寺です。
通常は非公開ですが、この日は
大河ドラマ「功名が辻」にちなんでの
特別公開中でした。
トップ画像は、大通院境内に咲く『八重山吹』です。
【院門】
他の寺院山門と比べ、高く造られており
参拝に来た殿様が馬から降りずに
お参りできるように配慮されている。
そのため、別名「馬上門」という。
二重の屋根を設け、見上げると
ひし形の欄間が配されている。
【山内一豊夫妻の御廟・見性閣】
境内の奥にあり、向かって左手に妻千代(見性院)
右手に山内一豊(大通院)の卵塔の墓石があり
また、肖像画「山内一豊画像」と「妻千代画像」も祀られている。
境内には、こんな春が・・・
【八重山吹(やえやまぶき)】
「山吹」より少し咲き始めが遅いようですが
”やまぶきいろ”と呼ばれる黄色は鮮やかです。
やけに印象深く見えましたが
なんという名の野草なんでしょうか?
【花散里(はなちるさと)】
なんとも意味ありげな名前です。
【大通院(だいつういん)】
南化玄興(なんかげんこう)を開山として創建し
山内一豊の庶子湘南和尚が南北に嗣ぎ住持となる。
以来山内家の菩提寺となった。
山内一豊は信長・秀吉・家康と三代に仕えた戦国武将。
関ケ原の戦いでは徳川方についたことで
土佐一国を授かり初代土佐藩主となった。
一豊の妻千代が里から持参した黄金十両を鏡の底から取り出し
その資金を充てて買った名馬が主君信長の目にとまり
出世の糸口をつかんだというエピソードは
内助の功で夫を支えた賢夫人の物語として
あまりにも有名である。
院内で説明を聞くにつけ
「奥さんは偉い!」
つくづくそう思いました。
千代さんのことですが・・・
ただ、一豊も見上げたものです。
この時代にあって
生涯千代さん一途だったんですからね。
<幕>
♪明日は、最後の一幕です。
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