岩木山を考える会 事務局日誌 

事務局長三浦章男の事務局日誌やイベントの案内、意見・記録の投稿

今日の写真が語ること / 第17回写真展「私の岩木山」のこと(4)

2010-01-15 04:55:19 | Weblog
 弘前市下白銀町21-6「NHK弘前ギャラリー」で、今日から写真展「私の岩木山」が始まる。雪降りが続き、寒い日々になりそうだが、大勢の方の来場を期待している。
 会場前は「100円バス」の停留所にもなっているので、来場する方は、それを使うと「安く」て安全だろう。
 久しぶりに「冬らしい冬」となった。展示されている写真、まさに様々、春夏秋冬、それぞれの「季節を切り取った」私の「岩木山」が並べられている。
 もちろん、真冬の、厳冬期の岩木山もある。
 
(今日の写真は、11日、午前11時45分に岩木山の頂上に着いた時のものだ。「相棒」さんが写してくれた。「相棒」さんとは10mも離れていないのだが、第三者にこの写真を見せて、「これは誰か?」と訊いたところで、みな「?」であるだろう。
 風は強いが、雪は降っていない。吹雪ではないのだ。これでも、「晴れ」なのだ。それでは、「晴れ」ているのに、なぜ、顔の判別が出来ないのか。もちろん、「目出し帽」で、目だけ出して、他は覆うているという所為もある。だが、それだけではない。
 晴れているが青空が見えない。これは、雲に覆われているからだ。雲といっても「薄い」ものだ。しかも、強い風に吹かれて、猛スピードで流れていく。
 笠雲のように、ゆっくりと移動したり、あるいはすっかり停滞しているということはない。だがら、瞬時に青空が見えたりもする。
 これが、夏場で黒々とした岩が出ていると、もう少し、この「雲」は薄くなる。同じ気象条件であると、夏の方が「クリア」な写真となる。
 それは、山頂を覆う白い「雪面」とこの「薄い雲」が同化して、軽度の「ホワイトアウト」をていしているからである。)
 
◇◇ 今日の写真が語ること ◇◇ 

 これは、私が山頂に着いた時に「取った」バンザイをしている「ポーズ」だ。
「40年間一度も欠かさず『厳冬期』に登り続けて、登頂した『感激』のあまり、思わず『バンザイ』をしてしまった」のだろうと、大方の人は考えるだろう。
 だが、それは違う。「感極まって」などという思いはまったくなかった。あったとすれば、「頂上に着いた。これでもう登らなくてもいい」という思いだけである。
 私は、これまで一人で「厳冬期」に来た時にも「バンザイ」はしなかった。「バンザイ」という行為そのものが、あまり好きではないのだ。その根底には、これまで日本が仕掛けた戦争で兵士が敵弾に倒れる時に「天皇陛下、万歳」を唱えて死んでいったという事実がある。
 「バンザイ」という語が持つ意味からすると、「天皇陛下、万歳」とは「天皇陛下の御代よ、永遠であれ、いつまでも、栄えてほしい」であり、加えて、「天皇陛下への祝福」なのである。私は「」という語に、その影を見ている。だからだろう。あまり好きにはなれないのだ。だが、日本人は総じて「バンザイ」が好きらしい。おそらく、この語が持つ別の意味「めでたいこと。祝うべきこと」に因っての「バンザイ」だろう。

 私がする「バンザイ」は、むしろ、「お手上げの状態」で、「万策尽きてバンザイする」の方だろう。

 脇道に逸れてしまった。私がこの写真で言いたいことは、両手に持っているもののことだ。
 右手に持っているものは「ピッケル」である。形状は小型の「ツルハシ」だと思えばいい。だが、その機能はだいぶ違う。
 「ツルハシ」は主機能を「穿つ」ことに置いているが、「ピッケル」は時には「穿つ」ために使うこともあるが、「氷のように硬い雪面」を「登下行」する際に、体と行動の「バランス」を保ち、滑落することを防ぐために使うものだ。
 もちろん、「滑落」した場合は、これを使って「停止」させることも出来る。とにかく、氷化した斜面の登り降りでは、なくてはならない「器具」なのである。
 「いい気になっている人たち」は、ピッケルを「岳人のシンボル」のように扱うが、単なるシンボルだと意味をなさない。そのような人たちが「滑落」したら、イコール、それは「死」または「大けが」につながる。
 岩木山でも、この「ピッケル」を持っていたが、「使う能力」がない故に「滑落」して大けがをした人は多い。

 今度は左手に注目してほしい。左手には「送り」がしっかり握られている。しかも、たった一本である。この「送り」は「相棒」さんが約20本、私が25本持って行った。昨日も書いたが、この送りを付けはじめた場所は「鳥の海噴火口西端外輪」の鳥海岩稜帯上部である。
 そこから、点々と付けながら(挿しながら)、山頂についた時は、握りしめていたのは、わずかに1本だけとなっていた。だが、相棒のザックにはまだ、数本残っていたのである。 最後の1本は、「ホワイトアウト」の中では、「今、自分たち」が何処にいるのかを「示し」てくれる貴重な、命綱とも言える「道しるべ」なのである。これがないと、下山の時に、次の「送り」の位置にたどり着けない。山頂は大まかな「円錐」である。数mのずれは「大幅な」方向の間違いに連なるのだ。「最後の送り」を挿したら「ホワイトアウト」の時は、そこから動いてはいけない。
 
◇◇ 第17回写真展「私の岩木山」のこと(4) ◇◇

 昨日の15時から、展示写真の搬入と受付をした。私は、13時30分から15時まで「NHK文化センター講座・岩木山の花を訪ねる」の講義をして、ギャラリーに降りていったのは15時10分だった。
 すでに、幹事を中心とした会員が、写真を箱から出して、展示の準備をしていた。16時から「展示準備」と案内していたのに、早い対応で、これだと、早めに設営が終わると思った。その通りになった。

 出展数はちょうど70点、A4サイズを基本的に提供してほしいと案内していたが、サイズはまちまちである。
 だが、これはどうしようもないことかも知れない。「現在持っている額縁」を使うというのが世の常だろう。
 まず、「全紙」はなかったが、「半切」はかなりの数があった。「半切」ほどの大きさになるとさすが、「見応え」がある。A4サイズ以外で多かったのは254mm×368mmという「ワイド四切」だった。さすが、「四切」はなかった。それに、「六切」もかなりあったが、これは特定の会員が、毎年出展してくれているものである。
 中には同一の人が「ワイド四切」「半切」「A4サイズ」というバラエティーに富んだ出展の仕方をしていて、おもしろいヴァリエーションを見せてくれていた。(明日に続く)