岩木山を考える会 事務局日誌 

事務局長三浦章男の事務局日誌やイベントの案内、意見・記録の投稿

今日の写真が語ること / 第17回写真展「私の岩木山」のこと(3)

2010-01-14 04:18:51 | Weblog
 (今日の写真は、11日に雪を戴いた岩稜の中を進む私である。私は「私が写っている写真」を殆ど持っていない。たとえば、厳冬期の岩木山を撮ったものはあっても、それを撮っている私を「撮る」ことが出来ないからだ。
 また、厳冬期という「時季」は「写真が写る」という好条件を殆ど与えてくれないのだ。それは、「晴れる日」が少なく、里で晴れていても標高1200mよりも上部では、大体雲に覆われていることが日常だからである。
 一昨日、昨日、今日の写真のように「写真撮影」が出来たということは、そのような機会に、気象条件のいい機会に、たまたま恵まれただけのことなのである。しかも、私の写真が「撮られた」ことは「相棒」さんがいなければ出来ないことだったのだ。)

◇◇ 今日の写真が語ること ◇◇

 これは、スキーをデポして、ワカンに履き替えてから山頂を目指すところである。リフトの終点辺りから、鳥の海爆裂火口の西端外輪で、キレット状になっている場所に降りていく手前を、先頭に立って進む私だ。
 この写真が撮られた「瞬時」はこのように、透き通った雲に覆われながらも、一応は晴れである。しかも、風も一瞬は弱まったのだろう。風は「西風」なのだが、ここでは「南」から吹き込んでいた。そして、「キレット」に降りた途端に、強烈な「西風」に変わる。
 赤沢に吹き込んだ風が「収斂」されて、吹き上がってくるからだ。このルートを辿る登山者が、最初の「猛烈な風の洗礼」を受けるのが、この「キレット」である。
  
 この辺りから、ザックにくくりつけられている「赤布」の出番となる。写真では、私のザックから突き出て、「赤くて細い布」が風になびいているのが分かるだろう。それを言う。
 冬山の、標高1200m以上の場所では、登山者は「視界」との戦いである。「見えている」ことが正常でない世界なのである。「視界数m」ということが正常な世界なのだ。晴れていて何処までも見通せるということは、「異常」な時でしかない。
 そのような時に備えて、トレース上の「目印」として、この「赤布」の着いた細竹を雪面に挿して、立てながら進んでいくのだ。この「赤布」の着いたものを「送り」という。
 噴火口西端外輪から「相棒」さんが先に立った。私はその後ろを行って、この「送り」を設置する役だ。そんな「送り」など必要はないという人もいよう。
 だが、風が強いと「踏み跡」は直ぐに消えてしまう。また、雪面の堅い場所だと、「踏み跡」さえ付かない。
 ワカンや靴跡よりも、堅い雪面では「ピッケル」を差し込んだ「痕跡」が頼りになる。これはなかなか消えないものだ。
 「送り」を付ける場所は難しい。ホワイトアウトになっても、「よく目立つ」場所であり、前後の「送り」を付けたところから「確実」に見えるところでなければいけない。この判断はかなり難しいし、「熟練」を要する。
 山頂に着いた時、私は「1本」の送りを握っていた。山頂に着く前に「送り」を使い切ることは間違いだ。ホワイトアウトになると、何処が山頂かも分からなくなる。そういう時の「基準点」が最後の1本の「送り」なのだ。

◇◇ 第17回写真展「私の岩木山」のこと(3) ◇◇

 今日の午後4時からNHK弘前ギャラリーで、写真展「私の岩木山」の設営・設定が始まる。このブログをご覧になっている会員で、お手すきの方はお手伝いをしてほしい。
 お手伝い出来る仕事はたくさんある。箱から「写真」を出す。その額縁に入っている写真を並べて、壁面につり下げる。コメント等の記された名票を貼り付ける。吊す時に写真を手で述べるなど多くの作業が伴う。
 そのような作業の結果が「整然と並べられて展示されている」会場ということになる。また、展示場も造らなければいけない。長い机を倉庫から運ぶ。ならべる。受付の場所を決める。それぞれの説明文などの貼り付けをする。スクリーンを取り付ける。オー場ヘッドプロジェクターの位置を決めてセットする。パソコンの置く場所を決めて配置する。  そのようなことを、午後4時から6時までにすべて終わって、明日の「開場」を待つのである。
 ところが、写真展の責任者で、設営時に「陣頭指揮」するAさんが仕事の関係で5時過ぎないと会場に来ることが出来ないという。
 これには困っている。彼の頭の中には「展示場」のレイアウトが詰まっている。その指示によって他の者は動けばいい。それが出来ない。だが、出来ないといって「作業」をしないでいるわけにはいかない。
 私がその代理として「しばし」陣頭指揮に当たることになるだろう。

 この写真展「私の岩木山」について嬉しいことが、2つあった。1つは陸奥新報、東奥日報新聞各社が、「一般の人」の出展が可能であることを報じてくれたことであり、早速、それに呼応した問い合わせが事務局に数人からあったということである。
 もう1つは、朝日新聞青森総局から、写真展「私の岩木山」のことを紙上に掲載したいという問い合わせがあったことである。
 何だか、年を追うごとに、写真展「私の岩木山」が社会性を帯びて、社会から広く認知されてきているように思えてならない。これは、事務局として嬉しいことである。