岩木山を考える会 事務局日誌 

事務局長三浦章男の事務局日誌やイベントの案内、意見・記録の投稿

「40年連続で冬の岩木山登頂/弘前・三浦さん」と「「厳冬の岩木山登頂40回」」という見出し

2010-01-18 05:56:46 | Weblog
 (今日の写真は「40年連続で極寒期の岩木山登頂に挑んだ三浦さん(左)と同行した竹浪さん」という見出しで陸奥新報に掲載されたものだ。
 これは、当日、私たちの「ラッセル跡」を登って来た一人と二人のグループ、その中の一人に写してもらったのだ。このような使い方があるかも知れないと予想したよりも、「相棒」さんと一緒に山行を何回もしているが、二人並んで「写される」という機会は殆どない。ここで写してもらえるのは千載一遇のチャンスと考え、「シャッター」を押してくれることを頼んだのだ。このような「使い方」をされようとは思いもしなかった。
 昨日「陸奥新報」に掲載されて、それを読んだ人から、「相棒」さんの胸に、私の右手に「ポリ袋」が見えるがあれは何なのだという質問を多数受けた。
 これは、首に提げているカメラを、雪で濡らさないために「覆い」とする「袋」である。提げているカメラは移動中、この「袋」の中に入っているのだ。
 あまり格好のいいものではないが、雪や雨の降る中では、これ以上重宝なものはない。軽いうえに、いくらでも調達が可能であるというメリットがある。
 「カメラケース」などといわれる「既製品」は形状が固定されるので、応用が利かず、「不便」なものだ。「カメラケース」をお望みの方にはただ同然のこの「ポリ袋」の活用をお勧めしたい。)

◇◇ 陸奥新報の記事と東奥日報の記事 ◇◇

 2010年1月17日、昨日の陸奥新報に「40年連続で冬の岩木山登頂/弘前・三浦さん」という見出しで、次の記事が掲載された。全文を紹介しよう。今日の写真は、その記事で使われたものだ。

 …極寒期の岩木山登山を続けている岩木山を考える会事務局長の三浦章男さん(68)=弘前市田町=が今年で、40年連続となる登頂を達成した。三浦さんは「岩木山の冬山は夏山のイメージとはかけ離れており、日常では見られない世界や自分自身との対決の場を与えてくれる」と岩木山への思いを熱く語った。
 三浦さんは29歳から冬の岩木山登頂を150回近く行ってきた。体力の衰えを感じ出した3年前からは同会の会員竹浪純さん(58)=弘前市安原=と一緒に登っている。
 40年目の登頂となった今年は1月10日朝、2人で岳登山口から出発。ひざ上まである湿った重い雪に行く手を阻まれながらも、たどり着いたスカイラインターミナル建物の裏手にテントを張って1泊した。
 翌日の午前には山頂に到達。珍しく見えた晴れ間にこれまでの40年間が頭をよぎり、竹浪さんと互いに記念撮影し合った。竹浪さんに「一緒でなければとても登ってこられなかった。ありがとうという思い」と感謝していた。
 弘前南高校の教諭を長年勤めていた三浦さん。30年目の岩木山登頂時、雪に埋まった岩木山神社の奥院を掘り起こし、生徒の進学を願って「合格祈願奉書」を奉納したことも。
 さらにこれまでの登頂では過去3回、雪崩に遭い、死を覚悟したこともあった。
 冬山登山の魅力について「常に危険と隣り合わせな状況は『生きている』ことを強烈に感じさせてくれる。色がない冬山から生き生きとした春がやって来るなど、巡る季節の中に自分の存在を置くことですべての季節を感じ取ることができる」と強調した。
 40年間続けてきた登山を振り返り、「当時は缶詰やコメをそのまま持参していたのでとても重かったが、今では軽いパック式。いい時代になった」と笑顔を見せた。
 登山は自宅をスタートした時点で始まり、帰宅して終わるというスタンスを貫く。「強さと優しさを両方兼ね備えた岩木山。いつまでもそのままの姿で、360度見詰めている人たちに優しさを振りまいてほしい」とメッセージを寄せた。…

 ところが、同じ地方紙である東奥日報は14日付の朝刊紙上で見出しを「厳冬の岩木山登頂40回」としたのだ。これは明らかに間違いである。
 この記事を読んだ数人から、早速電話や口頭で「冬山登頂、あれくらいではないだろう。40回とは少なすぎる」という疑問的な問い合わせがあった。そう思うのも無理はない。
 40年間1年も欠くことなく登り続けてきたことは事実である。記事はそのことには触れている。しかし、厳冬期の岩木山登頂は40回ではない。これだと、厳冬期の岩木山に1年に1回しか登っていないことになる。明らかに間違いである。
 私は、厳冬期といわれる12月から2月まで平均して3~5回登頂してきた。単純に5回登頂したとしても40年間を乗じると、200回近くなる。
 体調不良とか、天候悪化で、その厳冬期に「山頂」を前にして、撤退したことも確かにあったことはあった。
 だが、それでも、最低でも「厳冬期」には3回は登頂してきた。
ただ、残念ながら、正式な山行記録が今現在手許にはない。だから、確実な回数は分からない。しかし、150回は登頂していると確信している。
ただ、98年11月20日から99年4月までの、記録はあるので、どの程度「冬の岩木山」に登っているのかの「実証」となるだろうから、述べることにしよう。

 11月は20日以降2回、12月には年末登山を含めて3回。1月には4回。2月には2回。3月には4回。4月には20日までに2回登っている。詳しい日付は以下の通りだ。
 11月22日。11月29日。12月12日。12月19日。12月28日。1月7日。1月15日。1月18日。1月23日。2月11日。2月21日。3月7日。3月14日。3月22日。3月31日。4月11日。4月18日。
 厳冬期に限ってみると、11回に及んでいる。

 ところが、前述した東奥日報紙は14日に報じた記事には「見出し」として「厳冬の岩木山登頂40回」とあったのだ。
 私は取材の中で、「40年であって40回ではない。40年と40回を混同しないように」と念を押したのであるが…。
 本当ならば、見出しは「厳冬期の岩木山、40年連続、登頂回数は150回を越える」…となるはずだったのだ。40年間積み重ねてきた自分の歴史が「多くの人」から誤解されるようで、何とも気持ちが落ち着かない悔しい思いでもあった。
 その訂正記事が「昨日の東奥日報」の下欄に小さく出ていた。果たして、これに気づく人は何人いるのだろうか。
 近々、私が40年継続して調査してきた岩木山の雪崩のことが記事になるそうだ。その中で、「厳冬期の岩木山、40年連続、登頂回数は150回を越える」…というような文章をうまく挿入してもらえるように連絡はしてある。それを読むことで多くの人の「誤解」は解けるであろうと考えている。