岩木山を考える会 事務局日誌 

事務局長三浦章男の事務局日誌やイベントの案内、意見・記録の投稿

今日の写真から…思うこと / 12月29日に一人で姥石の上部まで…(6)

2010-01-06 05:01:05 | Weblog
 (今日の写真は、1月1日に岩木山の「寄生火山」である小森山と森山に行った時のものだ。このブログに貼り付ける写真には「人物」は出来るだけ登場させないように気を配っているのだが、「2010年1月1日」の登山を証明する写真にはすべて、人物が写っているのである。しょうがないので今日はこの写真の「登場」となってしまった。
 「人物」はいつもの「相棒」さんだ。場所は「森山中腹部」にある「守山」大神を祀る社である。地図や住所記載では「森山」と呼ばれたり、記載されているが「社」の名前は「守山」である。石碑に刻まれた碑文を読むと、「江戸時代」の年号などの記載があるので、その当時からのものであるようだ。
 なぜ、「人物の入っていない写真」が撮れなかったのか。その理由は2つだ。降雪が続き、カメラに雪がかかり、濡れてしまうことを避けたために、カメラはずっと行動中ザックの中に入っていたことである。降雪が少ない時にはカメラは私の首にぶら下がっている。 もう1つは、山行計画に無理があったのだが、それを圧して「計画通り」に歩き登ったことである。「それはよかったですね」という御仁もいるかも知れないが「計画」は飽くまでも「机上」のこと、「積雪の深さや雪質」という現況は、その場所に行って初めて「知る」ことなのだ。
 そして、その「小森山を経て姥人沢右岸を遡上して、西に移動して毒蛇沢に出てから、沢筋を下って環状道路に出て、そこから森山に向かい、森山山頂へと進む」という計画が、その「現況」からは「無理」であると想像されたにも拘わらず「計画」を実行してしまった故に、「行動自体」に精神的にも、時間的に「余裕」がなくなり、「カメラ」などどうでもよくなっていたことなのである。
 「相棒」さんに助けながらの登高と歩行だったが、とにかく疲れた。この疲れは4日になっても抜けなかった。2010年はずっと「疲れ放し」かも知れない。)

◇◇ 今日の写真から…思うこと ◇◇

 1月1日の行動ルートにおける積雪は「深いところ」で膝上から、吹き溜まりだと股下まであった。しかも、積もっている雪と降り続いている雪は「湿って」いた。これは、重い。乾いて軽い雪に比べると、その「アルバイト」量はまったく違うのである。
 環状線から小森山集落に入り、自動車を駐めて、入山した時に、私はこの「積雪の量と質」に気づいた。
 正常な思考ならば、この時点で「小森山を経て姥人沢右岸を遡上して、西に移動して毒蛇沢に出てから、沢筋を下って環状道路に出て、そこから森山に向かい、森山山頂へと進む」という計画を破棄して「小森山に登り、戻って来て、環状道路に出てから森山山頂へ登る」という「計画」に変更しなければいけなかったのだ。
 だが、私は「当初」の計画に拘った。むしろ、大したことはないと「侮った」のである。それは、いずれの山も「ヤブ山」と呼ばれる程度のものだし、いくらこれから気象条件が悪くなっても、そのために「遭難」に至ることはないだろう。何たって、人里近くの「里山」だ、という思いがあったのだ。
 これが間違いだった。標高400m程度の山だって、1000mを越える山だって「登ることと積雪」の関係は比例しているのである。「積雪」が多ければきついし、少なければ楽なのである。
 むしろ、雪の締まっていないこの「年末年始」は標高の低い山の方が「きつい」のである。積雪の底が凍結していないため、登る者の重量を支えられず、ぶすぶすと埋まるし、その下にある藪が足枷となるからである。
 そのようなことを「百も承知」していながら、無理なことをしてしまったのだ。これも、「甘え」からのことである。
 「低い山」だからという甘え、それに、「相棒に頼る」という甘えだ。単独で登山する場合は、このような「甘え」はないのである。

◇◇ 12月29日に一人で姥石の上部まで…(6) ◇◇
(承前)

 …姥石は素通りだ。そのままどんどん降りる。急がないとバスに間に合わない。急斜面の「鼻こくり」の脇を一気に降りる。降りるのも疲れるものだ。背負っているものも重い。
 急斜面の下は、どの山でも大体はなだらかになるものだ。「カラスの休み場」近くになってきた。

 私の耳は、先刻から、私が降りている方からの「若やいだ女性の話し声」をとらえていた。それは、確実に「登って来ている者」たちのそれであった。
「おお、この12月27日に、登ってくる奇特な人もいるのだ。しかも若い女性だ。何処の誰たちだろう。今頃来るというのは、ひょっとして『安寿の会』のメンバーかも知れない」と思った。そうしたら、無性に胸が高まり、逢ってみたくなった。
 「安寿の会」とは弘前大学の登山グループで「岩木山をこよなく愛している学生」たちのサークルである。私は彼らに「共通性」を見いだして、好感を常々持っているのだ。
 時間は気になるが、私はそこにザックを置いて、水分を補給しながら「彼女たち」を待った。2分後「彼ら」は現れた。それは若い女性4人、若い男性2人のグループだった。
 「おや?」という顔をして、先頭の女性が「こんにちわ」と言う。その次の女性が「お一人ですか」と言う。
 おいおい、それはないだろう。わたしの「踏み跡」を見れば1人であることは分かるではないか。それとも、私の踏み跡を辿ってきて複数名が登ったとでも思っていたのだろうか。しかも、目の前には「私1人」しかいないだろう。「複数の踏み跡と単独行の踏み跡」
の違いすら分からないのである。
 私たちは、他人が造った「踏み跡」をちゃっかりと使う連中のことを「ラッセル泥棒」と呼ぶ。彼らは、「私の踏み跡」を盗んだ「ラッセル泥棒」なのだ。
 良心的な「ラッセル泥棒」は「踏み跡使わせてもらいました。有り難うございます」という挨拶を返すものである。だが、そのような「挨拶」は一言もなかった。
 どうも見ていて、その印象からは「良心がないのではなく、そうするものだ」ということを知らないらしいのだ。つまり、「冬山登山」に慣れていないのである。(明日に続く)