岩木山を考える会 事務局日誌 

事務局長三浦章男の事務局日誌やイベントの案内、意見・記録の投稿

相棒との寄生火山めぐり…に思うこと(2) / コンピュータ、ダウンする…

2010-01-08 05:11:33 | Weblog
 (今日の写真は、焼け止り小屋に向かう左岸尾根の縁に見られる「雪庇」である。写真の中央部だ。これはかなり、雪の少ない年のものである。落ち込んでいる沢は石切沢の上流部である。この雪庇もよく崩落する。残雪期になると、このふちに亀裂が入り、氷河のクレバスのようになる。残雪期にも、登下降の際には気をつけるべき場所である。)

◇◇ 相棒との寄生火山めぐり…に思うこと(2) ◇◇
(承前)

 …私たちは「森や雑木の中の雪面が穿たれ、くっきりと浮かび上がっている」そのルートを辿ったのである。だが、姥人沢に流れ込んでいる沢を渡る「橋」がないのだ。私は雪のない時に何回かこの橋を渡って姥人沢の左岸に出ている。
 「NHK文化センター講座」の受講者たちとも昨年に9月に渡って、この辺りのミズナラ林の散策をしていた。その橋がないのである。そして、橋があったであろう場所近くには大型の重機が置かれてあった。
 何ということはない。石切沢に「堰堤(砂防ダム)」を造るための工事用の道路敷設のために、既存の橋を壊してしまったのだ。橋がない以上、沢に降りて対岸によじ登るしかない。大きい沢でないので、深さ(高さ)は6mほどだろうか。斜めに降りて、対岸には直登である。新雪でしかも根雪が凍結していないので崩れやすく登りづらい。この沢はここの部分だけが「西から東」に向かって流れている。だから、雪庇は殆どなかった。
 ようやく対岸に上がったところ、姥人沢方向へのルートが分からないのだ。進むべき北東に「雪面に穿たれた」部分を発見できないのである。
 ところが、相棒が「踏み跡」の目印としていた大岩を見つけた。この岩もさらに積雪が増えると埋没してしまい「目印」という役割を果たせなくなってしまうのである。
 そこから、毒蛇沢に出るには先ず、西にルートを採り、さらに北に向かって登り、また90度方向を変えて西に向かうということになる。この途中には名前のない小さな沢が2つある。その沢を跨いで進むのだ。沢を跨ぐということは、当然、橋などないので「アップダウン」を繰り返すことになる。
 「沢を跨いでアップダウンを繰り返す」と表現することは簡単だ。だが、新雪と深雪の時の「これ」は容易ではない。大きくて深い沢は言うまでもないが、小さな沢でも「距離」の違いだけで「単位時間」における負荷は同じなのである。
 その負荷を2つの沢で味わうことになるのである。姥人沢にしろ、毒蛇沢にしろ岩木山の南麓に流れ落ちている沢は、その右岸に冬場、「雪庇」を育てる。「雪庇」とは「読んで字のごとし」で「雪の庇(ひさし)」である。
 これは、西から吹き付ける季節風が雪を運び、風下にどんどん「雪の庇」を造っていくものだ。大きなものは数mにもなる。そして、これが怖いのだ。この庇が崩落したらどうなるか。埋まる。そして、圧死だ。そうでなければ、雪崩を誘発して、雪崩と一緒に「流されて」あの世行きである。
 雪庇が出来るということは「この時季」であっても、「北から南に向かって流れ落ちるどんな小さな沢」でも共通することなのである。
 果たして、跨ごうとする沢には「雪庇」はすでにあった。それは、浅い沢なので、その形状は「吹き溜まり」となっている。突然の「深雪」だ。それまでの平坦な場所でのトップは私だ。だが、距離はすごく短い。その吹き溜まりに突入する前に相棒とトップを交代する。「苦しくつらい」ところは、相棒任せというていたらくである。
 雪の深さは膝上から股下まである。こうなってくると登高のスピードはがくんと落ちる。
 かつて、年末年始登山をしていた頃のことだ。場所は標高1000mを越えている大沢である。その日は蔵助沢の左岸を詰めて、焼け止り小屋に一泊して山頂に向かう予定であった。相棒はいない。その頃の私はいつも「単独」だった。
 ブッシュに足を取られながら、ようやく大沢の左岸に立った。蔵助沢は最後の滝を境にして名前が「大沢」となる。だから、大沢の左岸に立つには「滝の左岸」という急峻な斜面をよじ登らなければいけない。毎回ここでは、真冬だからではないが「冷や汗」をかく。
 さて、「焼け止り小屋」に向かうにはこの大沢を跨がねばならないのだ。百沢登山道を登ったことのある人ならば分かっているだろうが、この沢も大体、「北から南」に向かって流れ落ちているのである。
 私が跨ごうとしている場所にも、当然、「雪庇と吹き溜まり」があった。そこは夏場でいうと「小屋」からの道が沢に入るところである。何の変哲もない一歩か二歩で沢におりることの出来る岩盤状の道である。
 だが、その時、私は、そこを跨いで小屋のある尾根に取り付くのに何と40分ほどかかったのであった。夏場の「一歩か二歩の距離と時間」の場所に40分を費やしたのである。
 信じられないだろうが本当のことだ。何故これほどに時間と負荷がかかったのか。それは「西から吹き付ける季節風の造った雪庇と吹き溜まり」のためであった。(明日に続く)

◇◇ コンピュータ、ダウンする… ◇◇

(お詫び)12月29日に一人で姥石の上部まで…(7)は明日掲載する。弁解がましいが、…その理由を書こう。
 昨日、この続きを書いていたら、1500字ほど書いて、ほぼ書き終えた時に、突然コンピュータがフェードアウトしてしまった。勝手に電源が切れたのである。私は煩わしいので、この文書を「自動バックアップ」にしていない。途中で「上書き処理」もしていないから、当然、書いている文章は「消失」だ。
 PCが突然、ダウンしたのは、これで2回目。その時は「入力」していず、ただ、画面を見ているだけだったので「被害」はなかった。さらに、直ぐに「自力」で再起動して立ち上がった。そこで、BIOSを開いて調べたら、供給電力のところが「赤書き」になっていて、Vcore、+12V、AVccが異常な数値になっていた。
 おかしなところは「電源」だと目星をつけて、電源に負荷がかからないように各パーツを外して最少の構成で「スイッチオン」。起動するが直ぐにシャットダウンしてしまう。この症状は、「電源」が「マザーボード、メモリ、CPU、ビデオカード」などが必要とする電力を供給出来なくなっていることから起きるものだ。おそらく、コンデンサー等の劣化によって「定格電力」が出ない状態になっているのである。
 昨日はNHK文化センターの講座だったが、それが終わってから、新しい電源「800W」をパワーデポで購入して、付け換えた。何ということはない。読みはばっちりで、回復した。
 このような「リスク」が自作PCにつきまとうことは当然といえば当然なのだが、覚悟は出来ているものの、いざこうなると困ってしまうことも事実である。新品の「電源」も高かったし…、「自作PC」は金がかかるものだ。
 …という訳で、再び書く気にもなれず、今日も休載とする。