岩木山を考える会 事務局日誌 

事務局長三浦章男の事務局日誌やイベントの案内、意見・記録の投稿

えっ!農水省で「農業不要論」が出ている、ここまできたか

2007-06-15 06:30:56 | Weblog
 今朝は表題に関するお知らせについて書くことにしよう。

  ◆◆「農水省試算:食料自給率12%、急浮上した国内農業不要論」に関する学習会のお知らせ◆◆

 まるで「ポチ」のように、日本はアメリカの覇権拡大に協力させられ、戦争行為に組み込まれていくことが着々と進められている。それだけではない。食の世界戦略としての「食料戦争」では、日本は既にアメリカに完全に占領されている。
 我が国の「食料自給率」が30%をきっていると言われてからすでに久しい。単純に考えると「食料の輸入」が止まると、現在私たちが口にすることの可能な「食料」が70%以下になってしまうということである。
 国内には「ワーキングプア」があふれ、飢饉と同じような「飢餓」に喘ぐ「プア」がさらに増える。何という「美しい国」日本であろう。「飽食」になれた人々にとっては、この「食糧難」はいっそうこたえるだろう。
 自給率低下とそれに反比例する「輸入増加」は、言ってみれば、他国によって「我が国民の命」が握られていることに等しい。日本人の生殺与奪の権利をアメリカが握ってしまうということだ。いつも首に刃を突きつけられたり、銃口を向けられて「俺の言うことをきかなければ…殺すぞ」と脅かされている状態にある。「言うことをきかなければ、飯を抜くぞ!」である。
 ところが、最近にわかに、「農水省」が「食料自給率12%」を試算し、まるで「国内での農業は不要である」と言わんばかりの議論が浮上しているというのだ。
 もし、「食料自給率12%」を目論んで農業「政策」をすすめていくと、これは北朝鮮のミサイルや核爆弾の脅威どころではない。
 これだと、日本という国が全方位的に「核弾頭」を搭載したミサイルで包囲された自主独立とはほど遠い「弱小国家」になってしまうはずだ。
 私にはどうしても、政府が自分の国の「自主独立」を捨てて「弱小国家」になることを進めるのか、訳が分からない。そのくせ、「イージス艦」などの「軍備」にはかなりの気の使いようだ。

 はっきり言って私は、この訳が分からないことで非常にいら立っている。格差社会で働いても楽にならず企業の論理だけが通用する弱者切り捨て社会のこと、年金のこと、介護保険のこと、公務員天下りのこと、教育行政の無策ぶりのこと、官から民へという競争社会への転換のこと、世界に誇れる憲法9条を否定し「改憲」するということなどなど、すべて政府の責任のない無策のなしたことではないか。
 はっきり「改悪」だと国民の目に映ることでも「国会用語」では「改正」とい表現されること自体、「国会」と国民との間にはあまりにも大きな溝があるのだ。

 安倍総理、「美しい国」とは言葉ではない。その実質をいう。
「美しい国」とは古語の「うまし国」である。万葉集には「うましくにそあきづ島」とあり、竹取物語にも「…月を見給ふぞ、うましき世にー」という用例が見える。
 「うまし」とは「味し・美し・甘し」と書いて「人または事物に対する満足や賛美の気持ちを表す・すばらしい、よい、りっぱだ」という意味を持つのである。
 だから、「美しい」という語を使う以上は「国民一人一人の日々が満足のいくもの」でなければいけないし、そのために国政を動かしていかねばならないはずなのだ。だが、安倍総理よ、あなたのそれは、そうではない。
 それは、私が総理大臣任期中に「これこれをする」という絵に描いた「実績」づくりのためだけである。ところが、絵に描いた餅でも国会を通過すれば、それは「国民」に重い「お仕着せという実績」を強要する。
 安倍総理よ、自己目的化のために国政を「私物化」してはいけない。あなたの祖父は60年「安保」に、大叔父が「沖縄返還」に政治生命をかけたようだ。
 あなたが「改憲」にこだわることは、「血脈」上、あなたが何は何でもしなければ無能な三代目として見劣りがするとでも思っているからではないのか。国民の目は「改憲」でなく、「年金」なのだ。あなたの祖父も大叔父も「自己目的化」のために国政の「私物化」をそこまではしなかっただろう。

 私はこの「いら立ち」を少しでも鎮めたいと考えているので、この学習会には参加するつもりだ。

 ※日時と場所 :6月16日(土)午後3時より
           :コープ青森 和徳店2階ホール
 ※講 師    :全国農民運動連合会 笹渡事務局長
 ※参加費    :資料代として300円 
  なお、4時20分から交流会も予定しているようで、こちらの会費は1000円だという。


助け合いは「美しい」が寄りかかりは危険で見苦しい

2007-06-14 05:22:57 | Weblog
 私は「詩」が好きだ。俳句も好きだ。中でも特に好きな女流詩人は「茨木のり子」や「石垣りん」であり、「金子みすず」だ。俳人は「中村汀女」を筆頭にたくさんいる。その茨木も石垣も鬼籍に入って、はや数年になる。

 茨木の詩に「寄りかからないで…」というのがある。
   もはや できあいの思想には寄りかかりたくない…
   もはや いかなる権威にも寄りかかりたくはない
   ながく生きて 心底学んだのはそれぐらい 
   じぶんの耳目 じぶんの二本足のみで立っていて なに不都合のことやある

 数年前の朝日新聞天声人語で、人語子は「茨木さんは、いま73歳。自分が…そこまで生きられたとして、できあいの思想や学問に相変わらず寄りかかっているのではなかろうか。」と言っている。
 私たちは常に過去を背負っている。過去とは決して「過ぎ去り、忘却の彼方に消滅」してしまうものでもないし、消滅させてていいものではない。
 ところが、最近の世情の中では「過去」に対する関心が希薄であり、政治家や起業家やその他の人々も「自分の過去の所業」に対する責任のない行動・言動が非常に目立つ。これは、その人たちが、自分の「過去」の一時点における「今」と真剣に向き合っていなかったことでもあるだろう。「今」するべきことに自分の全力を尽くして取り組むことをしない、「自力」ですることをしないのである。
 「今」を大切にして生きていると、その「今」が「過去」となった時に、きっと「過去」は愛おしいものになるはずだ。ただ、「今を大切に生きる」ということは「今に安住して、今を保守する」ということではない。
今の自分としっかり向き合い、自分の二本足のみで立つ時に自分が見え、他人も見える。これは、なにかと他に寄りかかって暮らすという平穏無事な日常のベールが剥がされるからであろう。
無常な営為の中で、私たちは「山や自然」を常住不変で、永遠のものであるとしていないだろうか。姥捨てとは、命をその永遠性に託したものであるに違いない。
 それは自分と向き合い、山を見つめてきた者が、自身の処し方を決めた所業だろう。無常を己のことと受け止め、しかも、周囲の者も深く理解を示した辛く悲しい厳然とした所業でもあるはずだ。
 厳しく深い理解は、しばしば深い悲しみと辛い行動と決断を必要とするものだ。しかし、人間は己の無常になかなか気づかないし、気づこうともしない。
 時には集団的に同一化を謀り、無常とは拒否出来ないものであるにも関わらず「みんな仲間で同じように変わりはしない、いつまでも同じでいよう。」ということになる場合が多々ある。ただ、これは互いに無常だと思いたくないのであって、単なる自己満足の寄りかかり集団に過ぎないものだろう。

 人とは、他人に固定観念のレッテルを貼り、その人の行動や性格を決まり文句で決めつけると、心が楽になるものなのだそうだ。時として、この寄り合い集団はレッテル貼りを好む。逆に他人が複雑で理解が遠い時は不安になり、同じ思いの人同士ひとつ所に集まって集団で特定の個人に対してのレッテル貼りにいそしむ。
 面白いことにその行為は、傍目に組織内の異質者を糾弾して正常化していると見えるらしい。往々にしてレッテルを貼る側はそれを計算しているふしがある。「我々は組織内に芽生えた悪を懲らす善者なのだ」というレッテルを自身にも貼るらしいのだ。ところが、決まり文句では複雑性は表現が不可能なので、このレッテルは多面多様なその人の一面だけを見ているに過ぎないものになる。
 
 26才で自裁した詩人、金子みすずが…
「すずと、小鳥と、それからわたし、みんなちがって、みんないい。」
 …と詠ったように、まさにみんな違って、みんないいのである。
 みんなが金太郎飴になり、異質を排除しようとする時、そこにはある種の権威が生まれ、些末な規制が敷かれるようになるのが常だ。
 最近の国会の動きに「些末な規制が敷かれる」予兆を感じて恐ろしい思いがしている。我が国の軍国主義台頭という歴史を見ても、みんなが同じになった時に、危険な方向に歩き出していたことがよく解るではないか。
 組織や集団がその構成員から「個人」を取り上げることは決して出来ないことだ。「岩木山を考える会」という組織自身の顔貌を変化させないために、会員の無顔貌を望むのならば、会からも会員からも個性は消失し、活動が「組織の目的化」だけに終始するようになるだろう。
 最近の安倍総理の自民党は「自己目的化」的な動きに終始している。口では「国民のみなさま」と言うが、行動の対象に「国民」はいない。慇懃無礼な言葉の裏で自分の党の存続だけを考えている。
 年金にしろ介護保険にしろ、上からの「お仕着せ」には一人一人の個性をかけた吟味が必要なのだ。ところで「介護保険」、集めたお金はどうなっているのだろう。社会保険庁の年金のように、とてつもない「無駄づかい」はされていないのだろうか。

 ※高山の花に「出会う」ということ

2007-06-13 05:37:32 | Weblog
     ※高山の花に「出会う」ということ

 白花のミチノクコザクラが最近、多いような気がする。暖冬、少雪と続けば、白花が多いことも「温暖化の顕現」でないだろうかなどと考えてしまう。
 温暖化と書いたが、実際地球は現在、何回目かの氷河期の始まりに移行しているのだそうだ。それなのに温暖化が言われているわけだから、その「絶対値的な異常さ」はかなりのものである。つまり、「もの凄い温暖化が地球上で起きている」ということであろう。
 その主たる原因は「森林の減少だ。」と言い切る研究者は多い。私は研究者ではないが、そう思っている一人である。
 百沢から登って大沢上部の両岸に、数株の白いミチノクコザクラを発見し気分をよくして、種蒔苗代の縁に入った。
 その時、鳳鳴小屋を背にして、二十人くらい老年者のグル-プが大沢方向に降りてきた。そして、種蒔苗代の上部で、その中の一人がロ-プを越えて侵入したのが見えた。
 そばにかけ寄って、小声でその人に注意をしたあとで、リ-ダ-にも注意を喚起した。リ-ダ-は丁重(ていちょう)に謝ったあとで、「実は白いミチノクコザクラを見たくて、秋田から来たのです。去年も来たんですけれど会えなかったから、今回はぜひ、会いたいのです。」と言う。
 私はこの「会いたいのです」という言い方に、人間味と優しさを感じた。
「会いたいのです。」という言い方には「会う」とか「出会う」という表現の持つ偶然性は薄いように思える。
 そこには意志と「何々に」という間接的な目的がある。それは対象であり到達点であり、「何々を」自分のものにするという利己性も優位性、支配性も希薄であるように思われた。
「会いたい」と考える人とそれを「受け入れる物」はもはや対等なのだ。ここには、偶然性に支配される人間の弱さはない。偶然性があるから思いがけない出会いがある。だから偶然性は楽しいことをもたらすことも多い。
 ところが、この偶然性は、時としてまったく正反対な事態を作り出すことがある。
 それは、人間の弱さがもたらす「出来心」と呼ばれる曖昧で自己弁護的な要素を持った心理である。人の中には、この偶然性に支配されて、突然盗人に豹変(ひょうへん)したり、略奪に走るものもいる。                
私はこの秋田から来た人たちにほのぼのとした安らぎを感じ取った。
その日の予定は、山頂から大鳴沢の源頭付近に降りて、最後に消えた雪渓近くにエゾノツガザクラを探して、赤倉口に下山することであった。
私は無性(むしょう)にこの人たちに「白花のミチノクコザクラ」を愛でてもらいたかった。そこであっさりと予定を変えた。
「秋田からだと朝早立ちだったでしょうからお昼にするにちょうどいい時間でしょう。ここを降りたあの標識のところで昼食を摂って休憩していて下さい。私は頂上を経て反対側の鞍部(あんぶ)まで行って来ます。30分はかからないと思います。戻ってきたら白花のミチノクコザクラが咲いているところに案内しましょう。」
ゆっくりだけど、一気に話した。
リーダーと思われる人は顔をくしゃくしゃにして頷(うなず)いた。
「よろしくお願いいたします。あそこを一歩も動かないで待っていますから。」
ほかのメンバーも嬉しそうに「お願いいたします。」とか「待っています。」をそれぞれ口にした。
彼らと別れ、目的地に行って、帰ってきたのは、それから25分後であった。遅い者はまだ昼食中であったが、私を目敏(めざと)く見つけると、慌てて出かける準備にかかった。
白花はそこから錫杖清水(しゃくじょうしみず)のほぼ中間の両岸に数株ずつ咲いている。その手前にはウコンウツギも淡泊な黄色い花をつけていた。
私は白花の前で彼らと別れた。安心感があったし、彼ら個々人の観賞に雑音を混ぜてはいけないと考えたからだ。
 ミチノクコザクラという名を持つ実物に十分親しみ、加えて、めったに会えない白花ミチノクコザクラに面と向かい、名前が示す実の妙を味わい、満足して帰ったものであろう。

 激しく音をたてて湧き出る錫杖の流水を見ながら、つくづく「よかったなあ」と思った。
 

高山植物、どうなっているの「盗掘」?

2007-06-12 05:51:09 | Weblog
      ※高山植物、どうなっているの「盗掘」?

 手提(てさ)げ袋や不透明なポリ袋を持ち歩いている人には要注意である。一見「ゴミ」拾いをしているように見える。そのように(見せて)いる。このスタイルはおばさんたちに多いし、不法採取や盗掘をしている可能性が大きい。
 大沢の錫杖清水付近で大勢のこのスタイルのおばさんたちが、せっせと「ミチノクコザクラ狩り」をしているのに出会った。
 「止めて下さい。」と丁重に頼んでも知らぬ顔である。大声で「自然公園法に抵触(ていしょく)し、三万円以下の罰金です。」と言ったらお互い顔を見合わせてしぶしぶ止めた。
 また、ある時は、集団がミチノクコザクラを摘(つ)んでいたので注意したら、その一人が持っていたパンフ状の紙を見せて「採ってもいいだろう。」というような顔をした。
 なんとそのパンフには「ミチノクコザクラ狩りツアー」と書かれていたのである。なんと恐ろしいことだろう。主催は「営林局関係の親睦団体」と「旅行業者(ツアー会社)」であった。
 あきれてしまって、しばし絶句である。森林法を遵守(じゅんしゅ)し、かつ、守らせるはずの営林局関係者までが不法採取に手を貸しているのである。貸しているのでなく「進んで実行」しているのである。
 ところが、中にはこんな風体や格好でも「ゴミ」拾いをしている人もいる。頭が下がる思いだ。だから、時には「色めがね」を外して見ることも必要だ。しかし、「ゴミ」拾いの方は非常に稀であるから、あまり神経質になる必要はないだろう。
 だが、上にはうえがいるものだ。ゴミ拾いのふりをして、せっせと盗掘に励むものもいるので気が抜けない。

 山のものを里に運ぶということは、「山を里の基準や価値観で捉える」ということであろう。それは「あるがままの価値」に飽(あ)き足らないのだし、「時・所・位に適(かな)う価値を理解出来ない」ものでもあろう。
 つまり、きわめて一般的な都市的な感覚で山に来ているわけである。しかも、自分に都合のいい都市感覚の持ち主でもあるのだ。
 言い換えれば、山と里との間に一線を画(かく)すことが出来ないおおまかな人か、またはご都合主義に凝(こ)り固まった人間であるに違いない。
 それとも、里という社会では人格高潔な紳士淑女であるのに、大自然の中で気分が解放され、「自律のたが」がすっかり緩んでしまうとでもいうのだろうか。
 そうではあるまい。このような人は、おそらく里社会でも、自分の都合を最優先に生きている人、生きてきた人であるに違いない。裏で何をしているのか解らないと評されてもいい人たちであろう。

 私は最近、山に来てまで、こんな「色めがね」で人を見なければいけなくなっている。実に情けないことだ。その上、非常に疲れる。だから、「人」のいる山には行きたくないし、岩木山からも足が遠のいている。特に、岩木山の場合は「山頂部」付近には近づきたくないというのが本音である。
 しかし、無心に可憐に咲く花々である。それらを前にして、私はますます「色めがね」で人を見ることが恥ずかしくなる。また、「環境省自然公園指導員」という役割が、自主的なものだとはいえ恨めしく思うのである。この役割はいつまでも続けるべきものではないようだ。もう、10数年になる。そろそろ、「潮時」だろう。
 しかし、厳密に「自然保護」を考えていくと、恨めしさなどは小さい問題に思えてくるのだ。
 「自然保護」とは、どうしても営利主義(資本主義)としての『高度成長・大量生産・大量消費・大量廃棄・労働生産性・製造業中心・使い捨て製品・輸出主導・経済合理性』などや開発としての『国主導・資源の浪費・公共事業』などや社会主義的な産業何か年計画、それに戦争や軍拡などとは絶対に相容(あいい)れないものであるからだ。
 自然保護とは平和主義をその根底に置いているものだ。気を引き締めて頑張っていかなければと思う。
 山に登っているだけでは、自然保護活動なぞ決して出来るわけがない。山に登ることで「癒されて」いるはずの登山者にはその「癒し」の根源である「自然」が壊されていることに無頓着である人が多い。環境省の腕章をつけただけでは、自然保護活動にはならない。
 政治や経済の方向性や仕組みを厳しく糾(ただ)していかねばならいことは目に見えている。
 「私たちを支えている自然があと40年もすればなくなる。」と西丸震哉は「滅びの大予言」で言っているのだ。今年を基準にすれば「あと30年」と「その日」が近づいてきている。


高山植物受難の季節

2007-06-11 06:00:05 | Weblog
      ※高山植物受難の季節
 
 今年もまた、「一昨日咲いていた白花ミチノクコザクラが、もう今日には根こそぎないという状態」が続いている。それに対処しようと、「白花」の部分をすべてむしり取ってしまう自然愛護家まで登場してくるから人間世界は複雑である。
 理屈はこうだ。「シロバナは貴重だ。希少価値があるから盗掘される。根こそぎにさせないためには、目立たなくすればいい。花の部分をむしり取っておけば、その株自体は盗掘されない。」
 なんともはやおかしな論理、勝手な論理ではある。種を存続させるという花の基本的な生命を抹殺しているのだ。哀れ!「シロバナミチノクコザクラ」である。清楚で美しいが故に、短命に終わる運命を考えると、人生も目立たず、ひっそりとした方が望ましいのかも知れない。

 私はこれまで、多数の足跡で踏みつけられて出来てしまった無意味な「道」に入っている何十人かを「ミチノクコザクラはもう少し上の、近いところにもあります。」と言って、上部の道脇に咲いている場所に案内してきた。
 そうすると「申し訳ない。」と言って指導に従い、別な場所に案内されることを素直に受け入れる人のほうがはるかに多い。私はそのことに救われてはいる。
 ところが、「すぐに出ますから。」と言って出ない者がいる。
 入ることが悪いのに、「すぐに出る」ことですませようとする。「行動の質と範囲」を問題にしているのに、自分勝手に「行動の時間」で対応する。
 人間とは、自分の都合になると途端に頭がよくなるもののようだ。言い分にはみな自分の都合が優先されている。これなども現在を条件反射的に生きる類の人間であろう。
 または「ここが一番いい被写体なんだ。」と言って出ない人がいる。そう言ったところで、ミチノクコザクラが撮影者のために咲いているわけでは決してない。咲くという営為は子孫を残す、種を存続させるという花の基本的な生命にほかならないのだ。
 さらには「ここが一番多く咲いているから、ここにいる。」と言う人もいる。これは「一番多く咲いているから、一本二本採取したって、踏みつぶしたっていいではないか。」と聞こえてくるから不思議だ。きっと本音なのだろう。
 N社やC社など有名メーカーの高級カメラ、または六九判や六七判の大型カメラを持っている者、つまり一見お金持ち風で、それなりの社会的地位にいたと感じさせる者ほど傲慢不遜(ごうまんふそん)であり、「お願いや指導」に従わないことが多いのである。
 ちなみに私は、ここ20年ほど、あのHOYAからTOBをしかけられているP社製のカメラを使っている。性能はいいし、使いやすく、値段も「お手頃」である。なによりも、「製造」に職人肌的なコンセプトの見られることが大好きなのだ。しかも、「大衆」向けである。私はどこにでもいる「大衆」の一人なので大満足である。
 もちろん、花の周囲の自然環境に配慮して、三脚は使わない。咲いている場所に踏み入る者ほど三脚を使い、この三本の「足」でまた自然を踏みつけ、攪乱させるのである。

 「よき人は、ひとへに好(す)けるさまにも見えず、興ずるさまもなほざりなり。片田舎の人こそ、色濃くよろづはもて興ずれ。(中略)よそながら見ることなし。」唐突(とうとつ)な感じはするだろうが、これは吉田兼好が徒然草(つれづれぐさ)で述べていることである。よき人とは「教養のある人」のことであり、片田舎の人とはその対義語である。
 簡単に訳してみると『教養のある人は観賞する様子もあっさりしているが、「教養のない人はすべてのものを距離をおいて見る」ということがない。』となる。
 今から600数十年前に書かれたものだが、これは現代にも通ずる真理であろう。
 教養のあるなしは外見で判断は出来ない。その人の「行動」だけがその人に「教養があるなし」を物語るのである。
里という社会では地位があり、教養ある人士として振る舞っていても、お花畑や花のそばに、ずけずけと入り込んでしまうのであれば、それで「よき人」とはおさらばだ。
 たとえ教養書を多数読み、文化サークールで何かを学び、文化講演会に足繁く通って、テレビは教育テレビだけという生活を里社会でしていて、他人さまからも教養ある人と見なされていたとしてもである。

 そばで注意してもこうなのである。だれも見ていない時・所の場合はどうなのだろう。もっと大胆に「悪さ」をしているのではないだろうか。
 日本人の文化を「恥の文化」とある人が言ったそうだ。「する・しない」という行動の規範に恥じを求めるというのだ。「絶対の善」とか「絶対の悪」とかが、その人の行動を決定づけるわけではない。
「このことは人として、してはいけないこと。」「盗むことは悪いこと。」だからしないということよりも、これを盗(と)って見つかったら「恥ずかしい。」「人に見られたらどうしよう。」などと、周りに人目があるかないかが、重要なことになる。
 宗教や道徳によって培(つちか)われた行動の自主規制が日本人には薄いということだろう。
 いくら民主主義という行動で成り立つ「思想」を60数年前に導入しても、それが個々人の行動やその基準とはならず、形式的な「制度」として「ある」だけでしかない我が国日本、「民主主義」の一手法、一形態である多数決のみが幅を利かせる我が祖国である。個の確立はままならない。
 個が確立しない社会にあっては「自己責任」や「自主規制」は単なる言葉であって実をなさない。北朝鮮などその典型ではないか。いや、足許を見れば日本だって、この部分では「北朝鮮」と同根であろう。
 「お仕着せに従い、何もしないことが一番望ましい。」また、その対極として「自分の満足のためならば何をしても構わない。」という風潮が日本を覆い尽くしている。これでは「美しい国」には決してならない。総理大臣殿、「唇、寒くはないですか。」
 これでは、日本人に行動の自主規制など未来永劫(えいごう)に望むべくもないだろう。自主規制の出来ない人たちに、「みんなで気をつけましょう。」と言ってもそれは無理なことである。

東北自然保護のつどい開催場所・花の名前、ものの名前

2007-06-10 07:17:09 | Weblog
      ※東北自然保護のつどい開催場所

先ず、昨日、話題にした「第28回東北自然保護のつどい・岩手大会」の開催場所のことが少し分かったのでそれについて書こう。
 岩手・大沢温泉(自炊部)のhtmlは「 www.oosawaonsen.com/s-zisui.htm 」である。住所は岩手県花巻市湯口字大沢181、電話:0198-25-2315 Fax:0198-25-2316となっている。道順など事前に知りたい方はこのhtmlにアクセスするか、電話で問い合わせてみたらいかがだろう。
 歴史があり、しかも、とても大きな施設のようで「四つの温泉」巡りが出来るようで、自炊部というはその一つのようである。
 「自炊部」というから昔の「湯治」場のイメージを持つが、実際は「伝統的な湯治場としての雰囲気と形、運営形態」を残しながら、一方で普通の「旅館」としての経営をしているのであるらしい。私は今から何となく嬉しくなっている。楽しみである。
      
      ※花の名前、ものの名前

 今、道端や原野ではハルジョオンの花が最盛期である。これとよく似たものにヒメジョオンというのがある。しかも同じ場所に咲くというからどっちがどっちなのかを判定することが難しい。ハルジョオンの方が開花が早く、ヒメジョオンの方が遅いという「咲く時期」に違いがあるものの、ヒメジョオンも咲き出してしまうと、形態や色彩からの違いでは「見分け」は困難になってしまう。
 こんな場合は、大まかに「あの花」とか「あれ・これ」とかと代名詞的な方法や「何とかに似た花」という表現をすることが多い。名前を知らないで、すべてを「あれ」とか「これ」という代名詞で呼んでいるうちに、その実体を指し示しきれなくなるだろうし、我々とそのものとの関係も希薄になっていくに違いない。
 「あの人」とか「彼」という漠然とした人称代名詞で呼んで話題としているよりは、自分だけが相手の名前を一方的に知っているとしても、固有の名前を用いた話題の方にぐっと親しみを持てた気分になるものではないだろうか。お互いに知り合うとなればもはや言うまでもない。このことは、何事にも当てはまるもののようである。

 「動物」と「植物」という大別的な呼び方も同じく希薄である。もう少し小さく分けて「魚類」「両生(りょうせい)類」「爬虫(はちゅう)類」「鳥類」「哺乳(ほにゅう)類」「昆虫類」、また「双子葉(そうしよう)植物」「単子葉植物」としたところで、その希薄さは大して変わらない。
 草をみんな「草」と呼ぶだけでは味っけがない。どのような鳥をも「鳥」の一語で、すべて花をたった一語の「フラワー」という語で呼び合っていたら、あっち見てホイ、こっち見てホイの世界で煩(わずら)わしい上に、これまた親しみがわかない。

私たちはこれらの弊害を取り除くために、概括的な広い範囲から順次狭(せば)めて、人の場合は「動物」から「セキツイ動物門」へ、そして「哺乳綱」から「霊長目(もく)」へ、「類人猿科」から「ヒト属」へ、最後は生物学的に分割出来ない種に至って「…人種」というように、幹・枝・葉のような図式分類をしているのである。「…人種」に至って我々は社会性を維持し、最後の最後として、つまりこれ以上は細かく分けられない固有の人格として名前や氏名を持つのである。
 マウンテンゴリラやローランドゴリラは我々と同じ「霊長目、類人猿科」の動物である。だからといって彼らを「霊長目、類人猿」と呼んで親しみが湧くだろうか。やはり「ゴリラ」と呼ぶほうが身近だろう。
 昆虫のカブトムシを「動物、節足(せっそく)動物、昆虫綱、鞘翅(しょうし)目」の動物と呼んでは異次元の世界だろう。「こがねむし科、カブトムシ属」とまでくれば、なんだかほっとし「カブトムシ」という個別の種の名前に至ると、思わず微笑みがこぼれて、親しみは倍加する。
 春に弘前公園を彩るソメイヨシノは「植物、種子植物門、双子葉植物綱、バラ目、バラ科」の花でもある。しかし、やはり我々にとっては「サクラ属」の仲間であるソメイヨシノという種を措(お)いてはないのである。
 本県の特産品であるリンゴも同じ「バラ科」の「リンゴ属」とされ、フジやムツという種がある。フジはそれだけで、すでにこの地方ではリンゴというを「実体」を指すのであり、誰も「バラ科」のフジやムツとは言わない。
 鳥にしてもそうである。センダイムシクイという名の鳥がいる。「ショウチュウイッパイグーイ」と聞きなして、野鳥愛好家の中ではよく知られている鳥であると言う。ところが一般の人には余り知られていない。これは範囲を広げて見ると「セキツイ動物門」までは我々と同じ仲間なのだが、「鳥綱、スズメ目、ヒタキ科、ウグイス亜科、ムシクイ属」の鳥である。これと横並びの親戚にヤブサメといってウグイスによく似た鳥がいる。もちろん「ウグイス属」だ。そこで、「これらはスズメやウグイスの仲間ですよ。」と言われたらどうだろう。
鳥の中では、哺乳類の犬と同じように人間と逞しく、営々と共存している身近な鳥、雀(すずめ)である。知らない人はいないはずだ。
 梅にウグイスである。しかも人里に近い藪あるところにいる鳥、姿や羽毛の色を知らない人でも、うぐいす餅を食べたことがあると色具合は想像出来るし、つとに知れ渡っている鳴き声から誰もが知っている鳥である。センダイムシクイやヤブサメに雀や鶯(うぐいす)を連想して「親しさ」を感じはしないだろうか。

 名前を知ることの基本的な効果と意義はこんなところにあるような気がしてならない。名を知ることはより多くの事柄を身近なものとして自分に引き寄せ、多くのものに親しむことにつながることなのである。
 多くのものの名を知っていることは、その名が示す多くの実体を知ることであり、知っていることである。
 しかし、何でも知っているという博学振(はくがくぶり)りをひけらかすという側面だけの満足では軽薄に過ぎるというものだろう。多くの実体に接してそれらを身近な親しいものとして把握できることはすばらしいことだ。
 実体を知るということになるのだから、これは「科学的」ということ、動物、植物という自然界だけでなく人間社会、つまり政治等の社会人文の世界の諸動向にも、その実体へと目を向けることになるはずである。
 ところが、「名のみを知っている」者が結構多いので社会生活は厄介である。
「ササエビネ」(コケイランの別名)という名前に触れて、その実物と出会った時に、薄く暗黄色に輝く一輪一輪の小さい花が、この上なく美しく愛(いと)おしく思え、これがそうなのだと納得出来得るのである。                      
実体を見つめ、その名前を知るべきだ。花も草も樹木も、鳥も獣も虫たちも、名前を知ったその時から、人生の疲れを癒(いや)してくれるものになり、楽しさは倍加する。
 それだけではない。雲も星も風もが、我々の仲間であり、我々を支えてくれているものに思えてくる。名前を知ることはそれらへの感謝の一表現かも知れない。

岩木山環境保全協議会には一人参加となった

2007-06-09 06:44:21 | Weblog
 ※「岩木山環境保全協議会」定例会議参加報告の前に、

 残念ながら、岩木山環境保全協議会には私一人の参加となってしまった。
 昨日朝5時、S幹事と私の電話のやりとり(核心部分だけ)である。
「今日はどうしますか。午後から雨が降るらしいので、迎えに行きますが。」「私は12時半ごろ歩いて岩木総合支所に行きます。車での迎えは必要ありません。」
 私がなぜS幹事に「岩木山環境保全協議会」の定例会議に一緒に参加してくれることを頼んだかというと…それは次の理由からである。
 これまで協議会会議には会長といつも二人で参加していた。私は「二人」で参加すということに、より客観性を求めていたからである。
 つまり、一人で参加すると、述べる本会としての意見や見解が恣意的でなくても、証明する人がいないから報告の中で「恣意的」と受け取られかねない。本会としての意見だって私と会長では微妙な点で違う場合もある。協議は「多くの異質な意見」が出てはじめて成立するものだろう。
 それに協議内容や決まったことなども、「たった一人」という密室状態では「都合のいい」ように「作り替え」ることも可能なのである。報告の中で「都合のいいねつ造」だと疑い持つ人もいるかも知れない。発言をしなかったことも、あたかも「発言した」かのような報告でさえ「一人」参加の場合は出来るのである。
 このようなことを出来る限り「払拭」することが「客観性」ということであり、これまで、会長とはお互いに、このことを理解した上で「二人」で参加していたのである。
 私はS幹事に、一緒に「参加」してほしいとお願いした時に、まず、これまで一緒に参加していた会長が研究のため外国に行っていて不在であること、出来るだけ複数で参加することが望ましいこと、加えて、この「二人」参加の客観性と意味を話した。「はい、分かりました。」ということだったのである。
 また、S幹事は6日に明鏡欄の切り抜きを持って来てくれた。本当にありがたいことである。その時には「8日、よろしくお願いします。雨が降っていたら車に乗せて行って下さい。そうでなければ私は徒歩か自転車で行きますから。」と言った。その時も彼は「分かりました。」と言っていたのである。
 
 私は昨日、家を12時30分に出た。天気がいいので「歩いて」岩木総合支所に向かった。着いたのは13時45分である。途中、歩いている私を目ざとく見つけた岩木山パトロール隊事務局長のAさんが、わざわざ車を対岸に止めて「乗っていかないか」と誘ってくれた。これもありがたいことである。しかし、私は「歩く」ことも、その日の目的であったので、感謝しながらも断った。
 便乗することが目的であったら最初からS幹事の車で一緒に来るのである。
会場に着いたが、S幹事の姿はなかった。事前に参加者名を届けてあったので、その名簿にはS幹事の名前が刷り込まれていた。係のBさんが「Sさんは今日来ますよね。」と訊く。「はい、来ますよ。」と私は応える。
 開始予定時間になった。S幹事は姿を現さない。気にしている様子のBさんに「もう少し待って下さい。」と私は目で合図をした。5分ほど遅れて協議会は始まった。
 
 これは「ボタン」の掛け違いである。私は「二人で参加することの客観的な重要さ」を大切にしてS幹事に、同行参加をお願いした。そのことの意味も話したので理解しているものと思っていた。しかし、それは私の思いこみであったのだ。やはり、大切なことほど「理解」してもらうまで何回も話さなくてはいけないのである。S幹事には心から申し訳ないことをしたと思っている。赦してほしい。
 一方、S幹事の方は、軽く「アッシー君」(自動車に乗せて運ぶ役割)のつもりで引き受けていたのである。
 前述の「私は12時半ごろ歩いて岩木総合支所に行きます。車での迎えは必要ありません。」という一言で「一緒に行く必要はない」と考えたことは妥当なことだろう。
  
 いつも思うことだ。「組織にあっては、いろいろな違った意見が沢山あるほどいい。しかし、そこには出来るだけ主観的な要素をそぎ落とした客観性が望まれる。」のであると…。

お知らせ・季節の移ろいを知る

2007-06-08 06:08:20 | Weblog
      ※まずは二つの問い合わせに答えよう。

 その一:「会費納入に関するお知らせ」が同封されてこなかったがどういうことか。
 これは、あなたがすでに今年度分(またはこの先数年分)まで会費を完納しているということである。心配なさらず、今後も継続して会員であってほしいものだ。
 「会費納入に関するお知らせ」が同封されている方は早めに納入をお願いしたい。なお、まとめて「数年分」を前納すると「毎年納入する」という煩わしさがないので、余裕のある方には「数年分の前納」をすすめたい。

 その二:「第28回東北自然保護のつどい(岩手大会)が開催される会場の具体的な場所」を知りたい。自動車で行く予定なので、そのルートを確認したいからである。
 申し訳ないが「大会主管事務局」から送付された文書には「開催場所 大沢温泉 自炊部(夕・朝食付き)」としかない。
 詳しい大会開催要項がおそらく8月あたりには送られてくるだろうから、それまで待ってほしいものだ。

        ※ついでだから、幹事の方々に連絡をする。
 会長が現在マレーシヤに「研究」のため出かけていて、今月いっぱいは不在である。よって、今月の幹事会は出来ない。次回は来月の中旬を予定している。
 本日午後2時から「岩木山環境保全協議会」が岩木総合支所で開かれる。例年5月に開かれていたが、今年はなぜか「遅い」のである。私とS幹事が参加する。報告は近日中に、このBlogでする予定である。

       ※季節の移ろいを知る

 今朝は穏やかな天気だ。しかし、一昨日は激しい雨、そして雷鳴と落雷と、まさに、荒天であった。しかも、この地、「東北地方の北部」だけではない。西日本の一部から東日本、それに北日本の全域でである。
 ところで、少し視点を変えると、この「気象事情」もきわめて当たり前の「季節の移ろい」が示す「自然の営為」であることが分かる。
 この荒天は「春が夏に推移していく一過程」に過ぎない。「春」のまだ寒気を伴う気団と「夏」の太平洋からの暖かい気団とが日本の上空でぶつかる。今回はそのどちらの気団も勢力が強く、四つに組んで大きく荒れた。今朝はいい天気だが、まだ上空には「寒気」が残っているから、明日、明後日ごろには、また荒れる天気になるだろう。
 そして、いつの間にか「春」の冷たい寒気団は北に押し上げられて、季節は「梅雨」を迎え、その後に暑い「夏」がやって来ているのだ。
 何も「雷鳴・落雷・大雨」は春から夏に移行する時のものだけではない。冬が終わり、春の始まりを告げるものでもある。気象的な原理は「春から夏へ」と同じである。そして、夏から秋へ、秋から冬へと年に4回は、季節の節目に強弱の違いこそあれ、この荒天を繰り返しているのである。
 毎年、4月上旬ごろ、夜半過ぎの雷鳴で熟睡を妨げられ、朝は屋根を打つ雨音で、目が醒(さ)める経験をする。
 そんな時は… 雨だ。「おお、本来の春が巡って来た。草木はきっと待っていただろう。」よかったなあと嬉しくなる。それまで、乾いた庭を眺める都度、胸が痛んでいた。
 山を歩く者にとって「晴天」は有り難いことだが、恵みの雨を実際私も待っていた。これで一雨毎に草木は緑を増して、夏緑に向かうだろう。…などと考える。
 季節が正常であることは心の穏やかさを育んでくれるものだ。

 とまあ、この年齢(とし)になったから冷静に分析することが出来るのだが、子供ころは、次のようなことに頭を悩ます「ぼんくら」であった。

 春になると草花が芽を出すことが不思議でならなかった。小さいころには、何故だろうと素朴に真剣に考えたことがある。それには春を冬という季節と単純に比較するということから始めた。
 気温が高く暖かい。積雪がないため頭を押さえられないので土の中から芽を出せる。お日様の照っている時間が長くなる。理由は解らないがお日様と草花とは密接な関係にあると思っていた。根を張る土がぽかぽか暖かい布団のようになるから、のびのびとゆったり眠ることが出来るのだ。そして、朝、目覚めればぐんと大きくなっている。大人がよく口にする「ぐっすり眠ると大きくなるよ」を思い出して真剣にそう思ったものだ。

春、この季節の特徴は夜半から朝方にかけて雨が降ることである。植物はこの天候・気象の摂理に合わせて進化・生育してきた。
 小さい時に考えた幼稚な理由の他に、草木には雪解けの水が、そして、この雨水が絶対に必要なのである。

HP間もなく更新・6回目「明鏡」掲載・市議会議員が本会に入会

2007-06-07 06:07:03 | Weblog
      ※ HP、間もなく更新
 私のBlogは2月22日から毎日更新されているが、本ホームページは4月20日以来、更新されていない。管理人の葛西さんの都合と出来るだけこの事務局用のBlogで済ませることが出来ることは済ませようと考えたことと、物理的に葛西さんにHP用の写真と原稿の送付が遅くなったことが「更新されていない」理由である。
 というわけで、タウン誌月刊「弘前」の5月号と6月号の表紙写真とその元写真、それに「表紙の弁」原稿を先日、葛西さんに送った。間もなく掲載してもらえるだろう。
 この「Blogで用が足りること」と「用が足りない」ことを明確にしていきたいと考えている。何しろ、このタウン誌月刊「弘前」の表紙と解説文は月刊「弘前」編集部からの本会に対する依頼を受けて始めたものであり、HPへの掲載は昨年からのシリーズで、多くの人たちに「岩木山に生息している野鳥やほ乳類、それに蝶やトンボ」などに関心を持ってもらい、さらには「岩木山の自然環境」を護ることの大切さを認識してもらいたいとの願いも込められているものである。
 ということだから、これは私の個人的なBlogに掲載することはおかしい。つまり、「Blogで用が足りること」ではないのだ。

      ※6回目「明鏡」掲載

 24日付東奥日報夕刊「明鏡」欄に「弘前公園有料化問題」に関する投稿が掲載された。このテーマでの掲載はこれで6回目となった。
 私が付した「題」は「弘前公園、姿を消した多くの蝶 」であったが、編集子が付けたものは「自然的な遺産の自己回復に力を」となっていた。
 次に全文を提示するので、明鏡欄を読んでいない方は目をとおしてほしいものだ。

『 チョウは幼虫の食べる草や木の葉が決まっている。だから、なくなるとその場から姿を消す。チョウの調査でその場の草花の盛衰が類推可能になる。園内でこの時季、容易に見られるのはエゾスジグロチョウやツマキチョウである。食草のコンロンソウやタネツケバナが生育しているからだ。
 かつて弘前公園には多種の食草が繁茂していたのでウラジロミドリシジミやヒオドシチョウなど20種以上のチョウが確認されていた。
 しかし、最近は殆ど見られなくなってしまったという。これは幼虫の食草等がなくなってしまったからである。
 園地内の竹やぶは、はく離され南内門付近と遊園地売店裏にわずかに残るのみだ。「竹やぶはく離」という整備を続けていけば、ササを食草とするオオチャバネセセリもいなくなることは明らかである。 
 チョウやトンボが飛び交い、松のこずえにはオオタカ、草むらから子連れのタヌキが出てきて、ちょろちょろと目の前を歩いているという「生きた里山」の風情とお城が実感出来る場所こそが公園ではないだろうか。かつては珍しいキイトトンボまでが生息していた公園の「自然」はすばらしかったのである。整備はほどほどにして、公園の「自然的な遺産」が自己回復していくことに、弘前市も目を向ける時である。』

        ※ 「新人」市議会議員が本会に入会

 本会にはこれまでも複数の弘前市議会議員が入会・在籍していたし、現在もいる。また、はっきりと入会の意思は示さないが、「協力者」的な行動・発言をする議員やシンポジウムや集会に参加して発言をしてくれる議員も数名いる。
 別に本会としては積極的に「議員」の入会を勧めているわけではない。私も、これまで会ったことのある「議員」に「入会しませんか」などと一言も言ったことはない。
 ただ、本会の姿勢としては「来るものは拒まず」であり、「去る者は追わず」であるから誰でも入会は可能である。
 そのような姿勢であるから、会員である議員の中には、本会が反対している「岩木山弥生地区自然体験型拠点施設」建設に賛成する者もいたくらいである。

 先日、ある新人議員から次のようなメールが送られてきた。

『 正しいことを「正しい」、間違っていることを「間違っている」とはっきりと言うために、新人ですが無会派の道を選びました。このように、会派や政党とは別に、政策ごとに志を同じくする仲間と協力し、議会や古参議員に蔓延している澱んだ空気を、少しずつ変えていきたいと考えています。いろいろとご指導賜りますようお願い申し上げます。
 さしつかえなければ、岩木山を考える会に正式に入会したいと思いますが、如何なものでしょうか。』

 「来るものは拒まず」である。早速私は、会報42号に、「本会の概要」「本会規約」「入会申込書兼郵便振替用紙」を同封して郵送した。
 もちろん、この新人議員は「弘前公園有料化」には本会同様、反対の意思表示をしている。
 なお、4月14日の総会以来、新しい会員は5名増えている。嬉しいことだが、現在の「事務局の処理能力」からすれば「400名」が限度だろう。


ミチノクコザクラ、無惨!

2007-06-06 04:56:58 | Weblog
   ※ミチノクコザクラ、無惨!
山野草ブ-ムとかで、写真に撮(と)る以外に高山植物を盗(と)って、自分の庭で育てることが流行(はや)っている。盗掘して、自分の庭で育てるのである。大半は育たないはずである。殺してしまうのが落ちだろう。

 もちろん、これは違法な行為である。踏みつけ行為などを含めて文化財保護法、森林法、自然公園法では「採取」は厳しく禁じられている。
 ところで、盗掘や採取は「個人が自分の庭で育てる」という目的以外に「売買」が目的でされていることもある。
 盗掘・採取・売買を生業(なりわい)としている者すらいるのだ。「盗掘・採取・売買」が生業として成り立つためには、それらを買い取る「山野草店」が存在している必要がある。
 そういうわけで、巷(ちまた)の山野草店には、彼らが持ち込んだ高山植物が並ぶのである。これは「盗品」だと知りながら、それを買い取り、「売りさばく」という不法な商売と一般的社会常識のモラルからすれば、基本的には同じことだ。
 規制のない「資本主義」は人々を「悪行」へと走らせる。しかし、この主義を代表する国会議員(規制のための法律をつくることが生業)の先生方は「自分たちの首をしめるような」法律(規制)は作ろうとはしない。

 だからだろう。「採取していけない」と法的に禁じていながら、「売買」してはいけないという法規制は、実に中途半端で不明確なのである。
 販売禁止は数年前に「種の保存法」として制定されたが、その対象がキタダケソウ、ハナシノブ、アツモリソウ、ホテイアツモリソウ、レブンアツモリソウの僅かに5種類に過ぎないのだ。
 岩木山の特産種「ミチノクコザクラ」は販売禁止の対象にはなっていない。だから、「種の保存法」に規定された「販売禁止」の効力が発揮されないのと等しい状況が、今も続いているのである。
 とにかく盗掘は、全国の高山植物が生えている地域の9割に達していると言われている。盗掘・採取は写真を撮ることによる踏みつけよりも数等悪いが、自分のことしか考えないという点では根は同じだ。

 高山の花は、「あなただけの花」ではない。高山植物は国民一人一人が共有する財産である。まさに氷河時代からその場所にひっそりと生き続けてきた生きた化石なのである。
限られた地域に、孤立化しながら独自の進化をとげてきたものを固有種と言う。
「ミチノクコザクラ」も固有種である。それ故に貴重であるが、生物学的にその命はこの上なく脆(もろ)いのである。脆いものには手厚い保護が当然必要である。
 
 大沢上部の雪渓の切れる辺りの鳥海斜面には、いつのまにか、はっきりとした道が出来てしまった。その斜面は大沢付近で一番早くミチノクコザクラが開花する場所なのである。百沢から辛い登りを続け、あえぎながら雪渓を登り切る。ほっとして目をあげるとそこには、安寿姫のかんざしと呼ばれる、濃いピンク色のミチノクコザクラが一面に咲いている。
 それはまさに登山して来た者を優しく迎える風情なのだ。思わず惹(ひ)かれて、その雪が消えたばかりの斜面に入る。その心情はよく解る。しかし、つつましい歓迎にはつつましい態度で応えるべきだ。もみくちゃにする必要はない。遠くから眺めることで、彼らの歓迎を受けようではないか。
 そばに寄るあなたの足下には、次に芽を出すミチノクコザクラが、ほかの草ぐさの芽がそっと頭を、顔を出している。あなたの歩みはそれらを踏みつけていく。
「あそこに咲いている」という話はすぐに伝わる。スカイラインを利用してきた者たちも「そこ」へと行く。その数は百沢から登って来る者の数ではあるまい。

 一人一人に道を造る意志はなくても、自(おの)ずから道は出来てしまい、火山灰地の表土は剥がれいつかは土石流の発端になるはずだ。そこを大勢の客が歩く。そして植物は殺され、地肌が露出して、そこには無意味な「道」が出来てしまった。残念ながら、もとに戻ることはもはやないだろう。
 時期を少し遅らせると、「登山道からすぐの、入る必要のない」大沢上部の両岸や種蒔苗代周辺で咲き出して、「登山道でも」会えるのに、それが待てないのである。
 また、時季を同じくしても、侵入せずに十分美しさを愛(め)でて堪能出来る場所が近いところにあるのである。
 しかし、人は「人の後ろに付き従うという易(やす)きにつく性(さが)には弱い」ものらしい。侵入しないでミチノクコザクラを愛でる場所を探して、見つけようとはなかなかしない。
 だから、私はこの無意味な「道」の侵入口に、「ミチノクコザクラはもう少し上の近いところにもあります。」という、その場の風情と景観を壊してしまいそうに「無粋」な立て札を設置しなければいけない、などと考えてしまうのである。

岩木山登山道第一おみ坂上部の大岩、落下のおそれ

2007-06-05 06:12:52 | Weblog
     ※岩木山登山道第一おみ坂上部の大岩が落下のおそれ

 日赤岩木山パトロール隊の事務局長Sさんから連絡があった。連絡というより、相談を受けたという方がいいかも知れない。
 ここ数年、本会と日赤岩木山パトロール隊とは、登山客や登山者たちの安全を確保するという点で一致協力して業務提携したり、情報を提供したりしてきた。
 たとえば、岳温泉にある「岩木山トレイルセンター(別名:岩木散歩館)の運営や資料の提供」「登山道の整備およびそれに関する合同の実地踏査」「登山道の危険箇所の点検」「スズメバチ対策」「清掃登山や刈り払い」「雪崩の早期発見とその対処」「ミズバショウ沼の整備」などである。
 
 一昨年も本会と相談した上で、「第一おみ坂上部」からの落石を考慮して、その部分に景観を壊さないことに配慮し、細めで緑色の防御用のネットを張った。
 「第一おみ坂」というのは百沢登山道で来ると種蒔苗代の上部で、岳やスカイラインで来ると鳳鳴(ほうめい)小屋からの急な登りの呼称である。まさに「岩」だらけの岩石累々たる場所である。この場所を年間、5万人近い人が登り・降りをしているのである。
 そして、その急峻な地形と岩だらけという条件から、落石が発生しやすく、これまでに数件の落石事故があり、不幸にも数名の方が死亡している。

 ついでだから書こう。登山客や登山者は、この「第一おみ坂」を登る時は、「右側を一列」でを厳守してほしい。次いで、この「登りの途中では絶対に休まないこと」つまり、「第一おみ坂は一気に登ること」も守ってほしい。これらは当然、「降りる」時も厳守しなければいけない。
 よく、落石事故の現場に設置されている「慰霊碑」の傍で「休んで」いる人がいるが、これは「落石」を待ち受けている、つまり「落石」に当たることを望んでいる「自殺行為」に等しいのである。落石のおそれがある場所で「のんびりと休んでいる」などはまさに「狂気の沙汰」であろう。
 この「第一おみ坂」を休まず、一気に登り・降り出来ない人は、山頂に行くことを断念してもらいたいものである。
 「第一おみ坂上部の大岩が落下のおそれ」があるということは、以上のような実態を踏まえた上で、検討されている懸案事項なのだ。
 つまり、こういうことである。
 前述した「ネットを張った」場所近く(「第二おみ坂下部のテラス状下端」)に、動き加減のする大きな岩がある。その岩が「自然落石」する可能性は高い。
「落石」事故を防ぐには「落石」の可能性がある石や岩を人工的に落としてしまう方法もある。
 しかし、これには…
 1.どのように位置した岩でも、他の岩と微妙なバランスを保ちながら支え合って崩落を止めている。だから、無理矢理に人工的な崩落を加えると、連鎖的に他の岩も動いたり、落下をすることになり、結果的には「落石」を助長することになる。
 2.あるがままの自然的な景観を壊すだけでなく、これは「自然破壊」につながることになる。「落石」は造山活動の自然現象の一つに過ぎないものである。
…などの問題点がある。
 
 そこで、Sさんの提案では…
「上部に支点(鉄杭を打つ)をとり、金属製のワイヤーで、その岩を適当な帳力を保持しながら、静止状態で牽引させて固定する。」ということである。
 私は、賛成した。そして、詳しくは8日に開かれる「岩木山環境保全協議会」で聞くことにした。作業は、この3、4日に行われたはずである。本当にありがたいことである。
 
 ついでに「岩木スカイライン」にも言いたい。スカイラインやリフトを利用する登山客には、「リフト」乗り場などで「第一おみ坂の危険性とそこの登り・降りに関する注意」を徹底させてほしいものだ。料金を取って、1400mまで引き上げておいて、その後は、登山客の「自己責任」でというのでは、あまりにも法人としての「自己責任」がないのではないか。
 企業が「儲ければいい」ということでは成り立っていかない時代に来ていることを考えるべきだろう。

スポーツジャーナリスト谷口源太郎さんから…

2007-06-04 07:02:10 | Weblog
    ※スポーツジャーナリスト谷口源太郎さんから電話があった

 一昨日、久しぶりに谷口さんの声を聞いた。本会と谷口さんとは長い付き合いになる。足かけ、8年にもなるのだ。
 最初の出会いは2000年3月に、鰺ヶ沢拠点館で開いたシンポジウム「岩木山のスキー場と水問題」に顔を見せた時だ。

 その次は同年10月21日に、弘前市民会館で開催したシンポジウム「鯵ヶ沢スキー場拡張と冬季アジア大会」で基調講演「コクドに売られた岩木山」をお願いした時である。
 彼は、基調講演で「西武グループの成長に関わる経営方針や開発の手口」などについて、長野五輪と岩菅山、秋田県森吉町や岩手県雫石町、北海道富良野の事例などを挙げながら話してくれた。
 さらに、まとめとして、一流から駆けだしの選手まで交流できるスキークラブ(ノザワ・スキークラブ)などの事例を紹介をしながら「今後、自然とも調和した、新しい価値観を持ったスポーツの土壌を創りあげていかなければ、一方的に自然を破壊するという悲劇はくりかえされていく」と言い切ったものだ。
 その中で、今でも思い出せる話しを一つ紹介しよう。
 プリンスホテルで提供しているスパークリングワインはIOCのサマランチ会長の親戚が製造しているもので、ホテルでそれを取り扱いをはじめた頃に、堤氏がIOCの名誉委員に指名されたということである。西武グループは色々と悪どいことをして「王国」を築いてきたのである。これもその一つの事例だろう。
 東京新聞が、堤氏が提訴されるなどして、退陣していく時に「落日の王国」の報じたことは、まさに当を得た表現であったと思う。
 
 その次は、アジア大会当日である。本会は、その時モーグルスキー競技が行われている鰺ヶ沢スキー場「拡張ゲレンデ」で、自然を破壊して競技が行われることに反対する抗議行動をした。
 その趣旨を染め抜いたゼッケンをつけ、その趣旨を印刷したパンフレットを観客に、説明しながら配って歩いたのである。谷口さんはその行動にも協力してくれたのである。この時のことは本会のホームページを見ていただきたい。

 4回目は3年ほど前になる。その時は、ひょっこりと弘前に現れた。「今駅前の…ホテルにいるんだけれど会いたい」と言うのだ。会長に連絡をして会長と3人でとある寿司やでかなり遅くまで飲みながら、語り合ったものだ。
 その時に彼から、上梓したばかりの著書の謹呈を受けたのである。
 
 彼の電話は「会報送付のお礼」と「鰺ヶ沢スキー場、その後」についてであった。
会報は本会では彼を「協力者」と位置づけているので、発行の都度送っている。
「鰺ヶ沢スキー場、その後」については、東奥日報07/03/27付の記事を参考に次のようなことを伝えておいた。

『鯵ヶ沢プリンスホテル、鯵ヶ沢高原ゴルフ場、鯵ヶ沢スキー場の3施設は西武グループとしての営業を終えて3月27日、米シティグループの投資会社が設立した運営会社「ウインターガーデン・リゾーツ」による経営へと移行した。
 従業員は同じ労働条件で、そのまま雇用が継続された。2008年5月まではプリンスホテルの商標を継続使用できることから、3施設とも当面は従来の名称を使う。
 西武ホールディングスから、このプリンスホテル系列の3施設を購入した「シティグループ・プリンシパル・インベストメンツ・ジャパン(CPI)」は、同時に購入した糠平温泉(北海道)、函館七飯(同)、阿仁(秋田県)、湯沢中里(新潟県)、表万座(群馬県)の各スキー場についても、ウインターガーデンに運営させる。
 ウインターガーデンの本社はCPIと同じ東京都港区赤坂で、CPIの柴尾英樹代表取締役がウインターガーデンの代表を兼務する。鰺ヶ沢3施設の総支配人に就任した高橋政由氏は「鰺ヶ沢はウインターガーデンの中で中核機能を担う。今までの経験を生かし、みんなで一緒になって頑張りたい」と決意を語った。このほか県内のプリンスホテル系列施設では、平川市の津軽高原ゴルフ場も6月1日付でCPIに譲渡されることが決まっている。』

 加えて、夏場の「ゴンドラ」運行についての懸念も伝え、ゲレンデ最上部に位置する「高層湿原」の調査についても、その計画を話しておいた。

草花にカメラを向けるたびに…思うこと

2007-06-03 06:19:18 | Weblog
  ※花を写しながら考える…

 今月も中旬になると岩木山では、特産種の「ミチノクコザクラ」、ミヤマキンバイなどが咲き始める。ミチノクコザクラの早咲きは先月の上旬から咲いてはいるが、例年、今月中旬から「見ごろ」になる。
 
 ところで、撮(うつ)し手であるカメラの持ち主は花であればその「花」にだけ主眼を置いて撮影する傾向があるように思える。だからその「形状」や「色彩」のみを捉えようとして、その花の周囲や空間を含めた多くの植生・土壌・岩石・動物等を見ていない。
 つまり、本気で見つめていないわけであり、対象を客観的な存在としていないのである。
カメラの視点は肉眼のそれよりも遙かに狭い。肉眼で広い範囲を見ることで同一場所に生えている種々の植物を客観的に、比較・相対的に把握出来るのである。

 私たちの、対象への理解というものは、自分の総合的な経験と知識を無意識のうちに動員して範囲を絞り込み、その結果として理解、つまり花の名や木の名に行きつくのである。多くの情報の中で対象を相対的に決定しているといってもいい。
 ところがカメラに頼り過ぎると、一面的な特殊な形象を追うことになり、偏(かたよ)りある限られた視点からだけ物事を把握することになり、対象を網羅(もうら)的、総合的にに捉えることは出来なくなる。
評論家、森本哲郎は「人間の本質は記憶で成り立っている」と言う。写真で記録することは、自分の脳に記録すること、つまり記憶することをカメラという機械に肩代わりさせていることでもあろう。
 これはコンピュータに情報を入力・保存し「それでよし。」とする姿勢に似ている。これだと、あくまでも情報の保存であって「記憶」ではない。記憶を機械にさせることは、「人間の本質を損ねることだ。」と考えると何かそら恐ろしさを感じる。

 私は「岩木山が大好きだ。」と言いながら、もしかして、カメラに頼る姿勢があったとすれば、それは「本物の岩木山」を見落としていることになるのではなかろうか。
 山を遠くから眺め、その山容の美しさだけに満足している者は「見ることの横着(おうちゃく)さ」の中にいるのではないかと、拙著「おお悲し、泣くはみちのく岩木山」で批判したが、カメラに頼る姿勢が私にある以上、そこにもはっきりと、対象を見つめない横着さが存在していると言える。情けないことだ。

高山植物の写真撮影もほどほどにすべきだし、撮るのであれば、それはあくまでも「記憶の補助手段」の一つと考える時にきているような気がする。
 かなりの高年者と見受けられる人たちが大型カメラを胸に提(さ)げ、三脚をザックに着け、両手にはストックを握り歩いているのを見るにつけ、彼らの姿に自分を見るような気がして、寂しい上に腹立たしい思いがあるのも事実である。
 映像のみに頼ることは、テレビ文化の中で育ってきた若い世代と同じなのである。年配者は少なくとも映像の少なかった時代に育っているのだから、相対的に「ボキャブラリーが貧しい」わけではないはずだ。
 思考するという領域を持たなければ成り立たない書くという表現は楽なことではない。絵を描くこともこの点では同じだろう。
 だからといって記録や表現をすべて写真映像に頼るのであれば、そこには「対象を見つめないという横着さ」の他に、「楽をしたいという横着さ」までが同居していることになるのではなかろうか。

本会担当のNHK弘前文化センター講座「津軽富士・岩木山」の案内

2007-06-02 05:40:55 | Weblog
   ◎講座「津軽富士・岩木山」(7~9月期)の案内 

 5月20日に実施した26回目の本講座は、野外実習・観察で岩木山の寄生火山「森山」に出かけた。観察をとおり越して「山菜」狩りの趣が強いものになってしまったが、しっかり「寄生火山とは?」「どのようにして出来たか?」また、春から初夏にかけて咲きだす「花々」についての学習は出来たものと思っている。
 その時、中途からの受講者である「新人」Sさんから「7月からのテーマは何ですか」と訊かれた。
 本講座は開講の3ヶ月前にカリキュラムを作り、届けることになっているので、その質問に答えることは容易だった。
 「主題は岩木山の野鳥たちです。初回は岩木山に見られる野鳥全般について、2回目はその中から猛禽類をピックアップして、3回目は野鳥の探鳥ということで野外観察となります。」
 「そうですか、おもしろそうですね。この講座に参加してよかったと思っています。」

 そういえば、10~12月期のカリキュラムも考えなければいけないのだ。ああ、困った。これは本音である。毎回主題を変えて実施することは至難だ。「会の力量」の広がりと深さが、これほど問われることはない。
 でっかい花火を一発上げることは、どのような組織でも出来るだろう。しかし、多面的総合的に、しかも回を重ねて別な主題で「事」を実施していくことには「力」が必要だ。このことを「痛切」に感じる時が新しく「カリキュラム」を作り考える時なのである。

   ・次にその案内を掲載する。

 ・通算第28回 7月29日(日)10:30~12:00 (担当:飛鳥和弘・三浦章男)
  主題: 岩木山の自然(岩木山の野鳥たち)(座講) 

 ◎岩木山に生息している野鳥の姿を映像で、また生息場所や生態に則して、鳴き声を聴きながら鑑賞・学習する。

 ・通算第29回 8月26日 (日)10:30~12:00 (担当:飛鳥和弘)

  主題: 岩木山の自然(岩木山の野鳥たち)(座講)

  イヌワシやオオタカなどの生態写真を中心に猛禽類の学習
 ◎生態学的に自然界の頂点に位置する猛禽類の特徴とその生態を学習し、理解する。
   
 ・通算第30回 9月30日 (日) (担当:飛鳥和弘・土岐修平・三浦章男)

  主題: 岩木山山麓(草原と雑木林)に野鳥をたずねる
 ◎(野外観察と実習)
                             
         ※ 第30回の日程 ※

→10:00 NHK文化センター集合・オリエンテーション
→10:15 乗車・出発出発
→10:45 観察地到着
→11:00 観察・散策開始
→12:00 (昼食)観察・散策
→12:50 参加者感想発表・その他
→13:00 閉会・乗車出発
→13:30 NHK文化センター前着・解散

 *詳しい日程は未定。天気が極端に悪い場合は日程を変更したり、主題内容を変えて座講に切り替える場合もある。

 受講を希望する方は、遅くても今月25日ごろまでにNHK弘前文化センター(0172-35-1800)に問い合わせて、受講手続きを済ませて下さい。

ブログ、今日で100日・明鏡欄投稿には「きまり」があった

2007-06-01 05:50:48 | Weblog
       ・このブログ、今日で100日間、毎日書いてきた。

 このブログを書き始めたのは2月22日である。今日で100日目となった。
Weblogの記録では109となっているが、これは同一日に複数の文章(記事)を書いたこともあり、そのトータルとして「109の記事」を書いたという記録を表示してあるらしい。だから、継続してきた日数をさすものではない。
 ということで、毎日欠かさず100日間書き続けてきた。今後も毎日「何か」について書いていくつもりだ。内容は「岩木山の自然」をベースにそれを取り巻く様々な社会問題や政治、それに人間の本性的な行動・行為に目を向けたものになるだろう。
 先日、長女から「お父さん、ブログというものは、短いことが原則」と言われた。私はこの「インターネット」に関わる常識に疎い。普通、「疎い」ということは恥ずかしいこととするようだが、このことに関して、私は恥ずかしいとはこれぽっちも思わない。
 「インターネット」的常識なんて、一体誰が決めたのだ。そのようなもので束縛するのならば、それこそ「インターネット」の大原則であり、根本基本である「自由」を否定することになるだろう。これは明らかに「矛盾」することである。
 だから、これまでどおりの「書き方」で続けていく。だが、「読んでくれる人」の立場になると、「短い」方が読みやすいのは当然だ。ここはやはり大事にしなければいけない。こうしよう。「内容や表現は自由に、文の量は少なめに」を毎回忘れずに書くことにしよう。

       ・東奥日報、明鏡欄投稿内容には「きまり」があった
 
 昨日、「明鏡」編集子から電話があった。文章の訂正と削除の依頼である。今回の投稿題目は「弘前公園、姿を消す蝶たち」で、主題は「過剰な整備が公園の里山的な自然を奪い、生息している蝶たちを絶滅させている」である。
 その最後の部分に『… 公園整備は「自然植生」を中心に行おう。樹木を伐らない。下草や藪を剥ぎ取らない、別種の植物を植えない。人が歩きやすく広いだけの道にしない、歩道も拡幅しない。自然植生が自己治癒と回復していくことに、行政が目を向け、手助けしていく時である。本会も蓄積してきた「ノウハウ」で協力することに吝(やぶさ)かではない。』と書いた。
 問題とされたのは、この本当に「最後」の部分の『本会も蓄積してきた「ノウハウ」で協力することに吝(やぶさ)かではない。』である。
 …この表現は「削除」していただきたい。それは、本欄は原則として「個人の意見・主張」を掲載している。よって特定団体や組織の意見やそれが想像可能な表現は許可していない。前回の投稿に「岩木山を考える会会長阿部東の報告によると」という表現があったが、これも編集部では投稿採用の基準に抵触することになるのではと「問題」になった。…ということなのである。

 私は、これまで、70回近く投稿しているが、この投稿規定の「原則」を知らなかった。知る必要もなかったのである。なぜならば、私はいつも「個人」として自分の意見や主張を書いてきた。だから、実名で投稿しているのである。
 これからは、気をつけることにするつもりだ。…あっ、もう忘れているが、思い出した。もう一つ気をつけて、今日はこの程度の「文」量で終わりにしよう。