たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

懐かしい恩師のことばにふれる

2019年02月14日 19時46分08秒 | 祈り
 「年があけて十日もすぎたようにやっと年賀状を書く私、貴方からみたらしみたれやなと見えるかも知れんが、老人になった私にとっては果たして正月がきっと喜んで迎えられるかしらんという不安があると同時に正月といっても手ばなしで喜ぶことができないのですよ。いやーネ年を取ることは。66才になりました。静かに一人草取りをしたり、本読みをしたり、今朝ふっとNHKの作家の訪問を見たら86才のおばあさん、まだ小説を書いていると言っておられ感心しましたと同時に自分を反省しました。こんなしみたれてはいけない、父や母、祖母のことを自分の知っている限りを作文にして書いておくと良い!ということに反省しました。たんぽぽさんは小学校一年の時、お母さんがいわれるほど手のかかる児童ではなかったよ。そして自分から言われるほど陰険でもないの。ただお母様やお父さんの躾でとってもおとなしい子供さんでした。気が小さい様に見えたので現代の社会では要領よくわたる人が一般から良く見られるので、あんまりおとなしくて何でも気持ちよくひたすらゆずるあなたがかわいそうで心配だったワ。でも高校で基礎教育をつけられ、社会人となられたら意志をはっきり相手に伝え信念を通して行ってくださいネ。たんぽぽさんはきっと幸せをつかむ人と思います」

 家にいる時間はひたすら断捨離の日々。ずっとそのままにしていた古い年賀状を一枚一枚読み返しながらお別れしています。名前をみてももはや誰だったか思い出すことができない人もいたり、高校の同級生かもう会うことはないなと思ったり、勤めていた銀行の先輩や後輩かと思ったり、もうこの世にいない人もいるだろうし、全ては自分の心の引き出しへとしまいこんでお別れしていきます。そんな中で何十年ぶりかに再会した恩師からの年賀状。小学校一年生の時の担任の先生でした。母と同じ名前のこの先生を、内弁慶で家の外に出ると人がこわくって話せなかったわたしは安心感を抱いていたのでしょう。すごく慕っていました。小学校を卒業してから毎年年賀状を書いていました。先生は律儀に返事を書いてくださっていました。自分こんな歳になって思うと、先生にとってはすごくしんどいことでしたね。もうこの世にはいらっしゃないと思います。優しかった先生からの年賀状。わたしのエンパワーメントを信じて書いてくださったあたたかい言葉だと沁みます。昭和55年1月12日付の消印。

 わたし今実家に暮らして弟にごはん作ってもらっている無職の中高年独身女。知らない人がこれだけきいたらどんだけダメな、救いようのない奴なんだよっていう話。明後日のために睡眠のリズムを崩してくなくって日曜日から眠剤に連続で頼り中。寒風が吹きすさぶ中、また一週間ぶりで主要駅まで出向いて美容院で髪を整え、先ほどなんとか写真を撮りました。よくある証明写真を撮るボックスは駅ビルの外にありました。このために美容院に行ったのに風に吹かれちゃんと整わないままの写真となってしまいました。こういう写真を撮るたびに年くって貧相な自分の顔をみるのがいやでいやでたまらなくって涙がでそうなほどいやでした。都心と違ってスイカ使えないの痛いし、あーって思いながら800円投入して寒い中重ね着しているものを脱いで撮影。またかよ、この4年間で何回目なのよ、と思うと次の居場所を見つけるためとはいえいやでいやでたまりません。撮影日を記入しなければならないのでウソはつけません。これを明日切って受験票に貼付しなければなりません。こういうことは家でやると気持ちが追い詰められてくるので外でやりたいですこんな田舎ではなかなかむずかしいです。論文なんて求められても書けないのでせめて作文を書けるようにと一年間の業務で出会った事例を二日間かけてカフェで思い出しながらパソコン使ってまとめました。一つとして同じことはなくそれぞれにそれぞれで一つ一つほんとに大変でした。10件ほどあったのできりがなくって全部をまとめることは無理でした。詳細は忘れているところもあり思い出しているうちに頭がしびれてきました。事案に応じて事務手続きもほんとに細かくてわからないことが次々と現れてきつい毎日でした。こんなに大変なことをやっていたのだからまた私働けるのかな。働けるはず。そのためには論文と面接。その前にそもそも駅から30分、自転車に乗れない時は7時33分のバスを逃したら全てが終わるという事実でアウトの可能性もあります。自転車で走っていると風の冷たさが沁みるし、ビュンビュン飛ばす車の音に恐怖心さえ感じる毎日。特に実家の近くは幹線道路の出入り口が交差しているのであぶない、あぶない。普段車ばっかりで歩かない奴らが減速しないまま曲がってきます。歩行者や自転車がいるっていう認識がないので、いつ事故にあってもおかしくないと思いながら過ごす毎日。一昨日総合病院のド〇ールで聞こえてきたおばあちゃん同士の会話。かつての商店街はシャッター通り、デカい家があっても若い日とは住んでくれないと。実家の近辺で空き家になっていると思われる木造の二階建てをみかけます。親がいなくなって子どもは処分しきれないままきてしまっているのかな。自分もさらに歳をとっていったら自転車で行ける範囲では必要なことを満たしきれないのでせっかくのデカい家なれど終の棲家にするのはきびしいと思わざるを得ませんが、いつあの世からお呼びがかかるかわからないのだし、今はそんなことを考えながら生きていたくありません。明後日の場所を確認してきたので、明日はどこかで時間と場所をみつけてコンビニでプリントアウトした作文読み返しながら頭にいれます。それ以上のことはできない。募集要項をみただけで気力が失せた求人。早く明後日の夕方になってほしいです。その前にもう一つの朝巡回バスでは間に合わないとわかりつつ書類を提出したところに辞退する連絡をいれねば。

 明日東京宝塚劇場で星組の初日。すっかり遠くなった日比谷へ思いを馳せます。木曜日に花組の宝塚大劇場日帰りバスツアー。舞台からエネルギーをもらって生きています。なんとかふんばれ、わたし。(花組チケット難なのかな。田舎だとバスツアー、催行待ちだったりするようです)。

 主要駅近辺には電源とれてネットがつながる店があるのでゆっくりしてしまいました。明後日のためにはいい加減帰って就寝しなければ。




 

 

2008年『フェルメール展-光の天才画家とデルフトの巨匠たち-』_「オルガン・ロフトの下から見たデルフト旧教会の内部」

2019年02月13日 22時16分07秒 | 美術館めぐり
ヘンドリック・コルネリスゾーン・ファン・フリート
(デルフト 1611/12-1675 デルフト)

《オルガン・ロフトの下から見たデルフト旧教会の内部》
 1662年頃、個人蔵

「ファン・フリートは、1652年から1650年代後半にかけて、デルフトの旧教会と新教会の内部を斜めから眺めた作品を多く描いた。それらの多くはヘラルト・ハウクヘーストの初期作品に負うところが大きいようだ。1657年頃から1660年頃には、旧教会の南側廊の眺めも描いた。身廊西側端のオルガン・ロフトが、全部あるいは部分的に描きこまれた構図である。教会をこんなふうに眺めた作品は、デルフトの建築画において、前例がない。

 本作品は、オルガン・ロフト下から身廊を通り、内陣障壁の戸口にまで至る深い奥行きの眺めを正面からとらえた図である。1世紀もの間、画家たちは、フレデマン・デ・フリースの伝統にのっとって、教会身廊の眺めを正面から描いてきたが、デルフトの教会室内画の自然主義的な伝統のなかにおいては、そうした見方が新しいものとなった。それは、ファン・バッセンによる1630年代の早い作例、あるいはそれよりも時代が下ったアンソニー・デ・ロルメによるロッテルダムの聖ラウレンス教会の内部の眺め、あるいはダニール・デ・プリークによる様々な教会内部を描いた作例の影響かもしれない。しかし、デルフトに限っては、それはファン・フリートの考案であったようだ。

 本作品は格別に興味深い。というのも、この作品には、同じく1662年の年記のある、同じ大きさの対作品、《オルガン・ロフトの下から見たデルフト新教会の内部》があるからだ。本展では、初めてその2作品が引き合わされることになる。ファン・フリートが描いた唯一の対作品であるが、いかなる画家であろうとも、建築画の対作品というのは実に珍しい。構図を類似させるため、ファン・フリートは2つの教会内部をオルガン・ロフト下の位置から描いただけではなく、旧教会の横に広いプロポーションを新教会のより幅の狭いプロポーションに似せて処理し、一方で、新教会の高さをいくらか誇張した。」

(2008年『フェルメール展-光の天才画家とデルフトの巨匠たち-』公式カタログより)








茂木健一郎『赤毛のアンに学ぶ幸福になる方法』_エミリーとアン(1)

2019年02月12日 22時47分40秒 | 本あれこれ
 モンゴメリーという作家の実像は、「エミリー」と合わせ鏡にしないと見えてこない。

 『可愛いエミリー』(Emily of New Moon)から始まるエミリー三部作は、『赤毛の アン』とはうって変わって、この作家の暗黒面を表している作品です。僕はこちらも十代の頃に原文で読んだのですが、とにかくものすごい作品です。 物語のプロットとしては、「 アン」に似ています。アンと同じく孤児になった少女エミリーが、これも未婚で初老のおばさんの 家に引き取られ、プロの作家になることを目指して成長していくという物語。しかしここで描かれている世界は、「アン」で描かれている世界の明るさとは、百八十度異なる暗黒の世界です。 エミリーが引き取られた先は、アンにとってのマシューやマリラのように、無条件に彼女を愛してくれる人々ではありませんでした。また作家を目指して成長していく過程のエミリーの内面の葛藤というものも、すさまじいものです。リアルで、かつか なリスピリチュアル。エミリーという人物はちょっと不思議な力があり、時々聞こえるはずのない声も聞いてしまう。精神の内面に深く入り込みすぎていて、しかもちょっと「電波系」。そういうところで、アンとは全く逆の深く暗い世界が描かれているのです。けれどもおそらく、「クリエーター」の内観ということに関しては、いちばん誠実に描かれていると思います。モンゴメリーは、下積みが非常に長かった人です。『 赤毛のアン』を出版するまで、ありとあらゆる出版社に原稿を送っては返され、送っては返され、と試練の日々を重ねてきました。出版社からの返信が厚いものだと、それは自分が送った原稿がそっくりそのまま入っているとい うことだから、断りの返事だとすぐ分かる。それくらい、何度もチャレンジしては打ちのめされてきたのです。

 その頃の精神的なつらさや、それでもどうしても作家になりたい!という不屈の精神。そういった「クリエーター」としての精神面が、「エミリー」シリーズには非常に率直に描かれています。

 しかしこうしてみると、アンとエミリーの人生の選択は完全に分かれています。たしかにしかにアンも、子どもの頃は物語クラブを作って創作活動に励んでいました。けれども、結局それは彼女の人生の目標にはならなかった。キャリアを積む人生というより は、ギルバートという素敵な男性と結婚して、家庭を守る主婦の立ち位置に落ち着きました。一方のエミリーは、あくまで「クリエーター」としての道を貪欲に求め続け、なんとか成功への 手がかりを掴み取ろうと努力し続けます。アンにとっての人生が「道の曲がり角」というなだらかな表現で表されているのなら、エミリーにとっては作家になるという絶対的な人生の目標は、「アルプスの頂上」を目指すという比喩で表現されています。この違いからもアンとエミリー、このモンゴメリーが生み出した二人の主人公の人生が、完全に分裂したものであるということが分かります。

 ただ面白いのは、カナダや欧米では、実はアンよりもエミリーの方が人気があるということです。アンの方が圧倒的に人気のある日本と比較して考えてみると、これは面白い現象かもしれません。単なる作品に対する好み、というだけでなく、日本という社会の成り立ちの側面が少し見えてくる気がします。つまり、どんな女性になりたいかという話になった時に、アンに共感するかエミリーに共感するかで、その人の人生の志向性が見えてくると思うのです。エミリーのように才能を生かして、自分で自分の道を切り開いていくような女性に憧れるか、あるいはアンのように、必ずしも強烈な才能を追い求めるわけではないが、自分の家族を大切に丁寧に生きていく女性に憧れるか。もちろん、どちらが正しいというものではありません。また、こういった選択は時代背景によっても変化していくものです。しかし少なくとも戦後の日本女性にとっては、アンの生き方は一つの理想の生き方であって、ロールモデルとして人気があったということです。これは突き詰めていくと、女性の幸せとは何なのか、という問題にも繋がってきます。アンの生き方は世間的な意味から見ると、女性の幸せのようなものを手に入れているでしょう。立派な男性と結婚をして子どもがいて。

 でも、それではアンが最初に持っていたポテンシャルは何だったんだろいうということになりますよね。あのポテンシャルはどこへ行ってしまたんだろうと。そして、アンのこのような生き方が、特に日本で非常に受けている、ということが表す社会的な意味とは。」


(茂木健一郎著『赤毛のアンに学ぶ幸福になる方法』より)


「赤毛のアン」に学ぶ幸福になる方法 (講談社文庫)
茂木 健一郎
講談社

マグノリアの花の如く

2019年02月12日 13時42分06秒 | 宝塚
 昨夜やや久しぶりに紫ともちゃんのブログをのぞいて、いつき吟夏さんが昨年12月20日に永遠の旅に出られていたことを知り驚きました。

http://blog.livedoor.jp/murasakitomo/archives/52163389.html#comments

 宝塚歌劇団70期生、1991年月組『ベルサイユのばら』オスカル編の小公子でした。東京公演のプログラムを振り返ってみると小公子は汐風幸さんになっているので大劇場公演で退団されたのかな。わたしは舞台を拝見していないことになりますがベルばら大全集のDVDで拝見しています。同期はほかに羽根知里さん、灯奈美さん、詩乃優花さん、宝樹芽里さん、現歌唱指導の楊淑美さん、現星組組長の万里柚美さんら。

 退団後はご主人と池田市内で飲食店を営んでいらしたとのこと。闘病生活を続けていたとあるので苦しかったですね。安らかに眠ってください。

 52歳での旅立ちはあまりにも早過ぎます。

 生きていくということはこうして同世代の訃報に接することが多くなっていくということでしょうか。

カウンセリングスクールのつぶやきメモより(12)

2019年02月11日 17時36分20秒 | 祈り
「2004年10月20日

1.この授業を受けて、感じたこと、考えたことを自由に書いて下さい。

論理療法ということで、数学的な考え方をイメージしていましたが、「気」「呼吸」のお話など、深いお話をきくことができてよかったです。
今日も疲れ切っていて、少し眠ってしまったのが本当に残念です。
自分をダメ人間だと思わないこと。
ポジティブに生きたいです。」

 ド田舎ではなかなかむずかしいですが、一日中家にいると夜と話す以外は誰とも話さないことになるので自転車に乗って店に繰り出しました。夕方5時まで開いているカフェでシフォンケーキをいただきながらパソコンに向って一年間担当したケースのことを思い出しながらまとめてみます。土曜日の朝8時45分集合、9時開始で論文を要求されても書けっこない。どんなお題が出るのかわかりませんが自分が経験したことから、実際に自分がやってきたこと、自分が感じたことをありのままに書くしかないです。それ以上でもそれ以下でもない、それしかできないです。作文、作文。一つ一つ課題は違っていて細かい制度との絡みなどはもう忘れてしまっています。右も左もわからないままこんな大変なことをよくやったなあって自分ながらに思います。論文のあとは面接。またかよっていう感じで考えただけでエネルギーを削がれる感です。この4年の間に何回これをやっていることか。組織の2か月ルールという壁もあり、一回一回全力でやってきても繋がっていかないのが辛いです。経験の積み上げにつながっているのか。援助職を全くやったことがなかった時のことを思えば少しは経験値あるなあとは思いますけど継続しない。こうして一回一回エネルギー削がれながら書類を提出して試験と面接。郷里に戻ってたら朝の通勤の限界という自分のがんばりでもどうしようもない問題ものっかりました。自転車ほんと危ないし、天気が悪い時一時間に一本の巡回バスを逃したら全てが終わるというプレッシャーと闘い続けなければならない。朝のことは居場所がみつかったら考えるしかない。まずは試験。あんまり真剣に考えすぎるとどんどん気持ちが追い込まれてくるので、ダメだったらダメで縁がなかったと思えばいいだけのこと。まだ起こっていないことを勝手に想定して悪い方へ悪い方へと考えてしまうのはわたしの悪い癖。不安を振り払うために明日はまた総合病院の中のド〇ールで体験した内容をまとめてみます。今夜から眠剤に頼って早寝しなければ、どこの店もモーニング、モーニングって安く出しているから朝早く行ってパソコンやればいいのよね。基本夜型なのでなかなかやれません。自分を追い込むことなかれ、やれる範囲でやれることをやれば十分。

 母を見送ってから7年、母の病気を受け入れることができずもがきにもがいて心身をすり減らしながら仕事と勉強を両立させた日々がありました。今振り返ってもあり得ないことを自分していたと思います。回りまわって結果的に援助職に少し足を踏み入れてみると、次の居場所を見つけようとするときに事務では飽き足らず現場でまたやってみたいという思いが残る自分。だからこうしてまたもがいています。一駅乗ると都心のスパのようにはいきませんが温泉施設があるようなので金曜日はそこにいって頭の中すっきりさせたい。来週の木曜日は花組の大劇場日帰りツアー。9月以来のみりおちゃん。今月はライブビューイングと観劇でまたまた宝塚いっぱい。自分にご褒美を用意しているのだからふんばれ、自分。

 コンビニのイートインで電源とりながらパソコンやるってド田舎では誰もいません。都心なら紛れられたけどなかなかやりにくいですが今日は祝日で高校生がいないのでやれました。家でこういうこと考えていると気持ち追い詰められるので外でね、考えるようにしています。家に帰ったら動画見たり、楽しいことだけ。


雪組『ファントム』_東京宝塚劇場千穐楽ライブビューイング(2)

2019年02月11日 14時34分31秒 | 宝塚
 記憶が鮮明なうちに断片的な備忘録。

 オペラグラスではそこまでわかりませんでしたが、衣装が豪華だなあと思いました。冠スポンサーがついているだけのことはあります。エリックもキャリエールも登場するたびに衣装が変わっていてさり気なく煌びやかな飾りがついていたりするのは宝塚ならでは。幻想的な世界観を高めています。カメラワークは個々の上半身のアップを映すことが多かったかな。細やかな表情の移り変わりをみることができて嬉しかったですが、大劇場で観劇した時にはすごいなあと思った従者のダンスがあまりわからなかったのは残念。娘役さんの二人がとても目をひいいたと記憶しています。全体も個々もみたい、同時に叶うのはなかなか難しい。

 一幕、エリックがオペラ座からクリスティーヌを連れ出す場面、わたしがみた大劇場公演ではエリックがクリスティーヌを抱き上げていましたがこの日はなかったですね。デュエットダンスではリフトしていました。望海風斗さん、男役さんとしては小柄だしすごく細いので無理のないようにと思います。

 二幕、クリスティーヌを陥れるためオペラ座の出番直前、声が出なくなる飲み物をクリスティーヌに飲ませたカルロッタの部屋を訪れて復讐を遂げた直後、地下に戻りクリスティーヌに「よく眠れたかい?」と優しく声をかけるエリック。残酷さと優しさの両面をもちあわせている人間エリックの姿を望海さんは美しく魅せてくれました。クリスティーヌを森へ連れていった時の表情は人生のなかで少なかったであろうと束の間のやすらぎの時間で彼は自分を愛してくれた母といるような心地よさを感じていたのかな。自分はこれで十分幸せなんだって。そんなエリックが、仮面を外すと怖がってクリスティーヌが逃げ出したあとの泣き崩れる様は痛々しいものがありました。母だけは自分を愛してくれた、だから自分の顔が醜いと知ったあとも彼は生き続けることができたのかな。クリスティーヌと出会うとクリスティーヌだけが全て、クリスティーヌは自分だけのものという一途さが哀しい結末へと集約していきます。望海さんエリック、プログラムに大きな写真がとじ込みで掲載されていますが横顔が特に美しい。彫刻のように美しいお顔立ち。望海さんも在団年数を考えると引き際をすでに自分の中では決めていらっしゃるのかもしれません。わたしの勝手な推測なのでわかりませんが一回一回大切に拝見していきます。

 真彩希帆さん、ラブ・ネバのテーマ曲「愛は死なず」を聴いてみたいとふと思いました。かなりの歌唱力が要求される楽曲。ラブ・ネバではラウルと結婚したもののラウルは酒におぼれてすっかりやさぐれて二人の間に生まれたグスタフは実はたった一度だけファントムと月のない夜に結ばれて生まれた子どもでしたというなかなかの設定。クリスティーヌは嫉妬に狂ったメグジリーの放ったピストルに撃たれて旅立っていうエンディング。『ファントム』のクリスティーヌは、パリに出てきて歌えることがただただ嬉しく歌える喜びにあふれ、真っ直ぐに必死に生きていこうとしていてエリックに美しい声を見出され、エリックに一途に愛されと可憐なヒロインポジションっぽいですが真彩さんの持ち味は強い女性なのでバランスが難しいと思いましたが、強くなりすぎず望海さんとのバランスよかったと思います。パリの街頭で歌っていた時のちょっとまだうまくないところからだんだんと上手く歌えるようになっていくプロセスを細やかに歌いわけていました。ビストロで最初に歌った時は声が小さく、エリックが裏でサポートすると伸びやかな美声を聴かせて周りをあっと驚かせる場面が一番好き。さすがです。こんな美しい声、ずっと聴いていたいですよね。

 カルロッタの舞咲りんさんも大劇場よりもパワーアップしてました。笑いを取る場面もやりすぎずにカルロッタの滑稽さに客席が共感できるようなさじ加減で素はかなりの歌うまさんなのかなと思いますが聞くに堪えない音程の外し方など絶妙。今まで気がついていなかったのでこれまでどんな役をされてきたのか、プログラムを見返してみようと思います。

 シャンドン伯爵は『オペラ座の怪人』ではラウルのポジションであってますかね。役替わりで朝美絢をみることはできませんでした。彩凪翔さん、しどころはそんなにないのにすごくカッコいい印象で醜いエリックとの対比を鮮やかに魅せてくれたところが素晴らしいと思いました。エリックはシャンドン伯爵と対決するも殺そうと思えば殺せたのに殺さないんですよね。どころかシャンドンを生かした。エリックはシャンドンにクリスティーヌを託そうとしたのかなってふと思うのはエルベに気持ちが入りすぎているからですかね。

 若き日のキャリエールと劇中劇でオベロンを演じていた永久輝せあさん、光っていました。オベロンとタイテーニアが登場する劇中劇「真夏の世の夢」ですね。

 初演の宙組公演、オンデマンドで配信されているならみてみたいと思います。年を重ねてリアルタイムでみていた時にはわからなかった発見がいろいろとありそう・・・。

写真はすべて宝塚ジャーナルよりお借りしています。
























 2013年の2月に母を見送って7年が過ぎました。自分が今生きているということが全て。とにかく一日一日を無事に生き延びていきたいです。郷里に帰ってきてからは自然災害の次に交通事故がこわいです。いつ車に轢かれるかわからないリスクが高すぎ。せめて押しボタン式の信号をつけてほしいっていう要望を行政に出そうと真剣に考えているこの頃です。年に数人事故は起きているようなので実際危ないのよ、事故がおこってからではおそい。ライブビューイング会場いずれにしても遠いのでまた社会に戻ることができたとしても翌日休まないと厳しいかなとかそんなことはまたその時に考えよう・・・。


雪組『ファントム』東京宝塚劇場千穐楽ライブビューイング

2019年02月10日 23時34分56秒 | 宝塚
 昨年の12月6日の宝塚大劇場ぶりの『ファントム』、東京宝塚劇場千穐楽ライブビューイング。哀しい物語ですが、エリックすごく哀れですが、望海風斗さんのエリックが千穐楽だったからかな、すごく幸せそうな表情をしていたので清らかな気持ちです。彩風咲奈さんのキャリエールが歌も深まりエリックへの愛が深化していると感じました。冷静にみるとキャリエール、かなりのダメ男ですが、結婚していてカトリックだから離婚できないとわかっているのにダメでしょう、って言いたいところですが役者の力量が息子を愛する父親へと美しく昇華させていました。自分の不甲斐なさと罪深さがわかっているのか、キャリエールが父親だと知った時のエリックが自分の最期をキャリエールに託す銀橋のエリックとキャリエールの場面、「自分はこの世に生まれてきてよかったんだよね、幸せなひと時もあったからよかったんだよね」ってキャリエールに語りかけるエリックは自分の生を肯定していると感じました。クリスティーヌに出会えて、音楽に出会えて自分は幸せなんだというエリックは父親に甘えるような表情をしていました。「ああっ」、エリックを愛おしく見つめながらエリックの想いを受けとめるキャリエール、この時すでにキャリエールは自分の子であるエリックを自分の手で始末しなければならない時が近づいていると感じているわけで、エリックはキャリエールがそう感じていることをわかっているのかなって思いました。警察に生け捕りにされようとしているエリックが、キャリエールに「撃ってくれ」「早く」っていう時の表情は幸せそうでした。自分はなんのためにこの世に生まれてきたのか、その答えを自分の中で見つけることができてエリックはこの世から旅立ったのだと。悲痛な最期なのにエリックは幸せそうでした。

 真彩希帆さんのクリスティーヌがエリックに仮面を外した顔をみせてほしいっていう場面、エリックは自分の醜い顔をみせることに恐れおののいているのに(ライブビューイングだから表情を鮮明にみることができました)、クリスティーヌは「決して恐れないで真実から 私の愛に振り向いて 今 素顔を見せて さあ さあ」と透き通るような美しい声で歌い上げていました。こんなに歌い上げていたんだとあらためて知りました。クリスティーヌはエリックの全てを受け入れることができると思った、なのにためらっていたエリックが決心をしてようやく仮面を外すと悲鳴を上げて逃げ出してしまったのは、エリックの顔のみならず背負っているものがクリスティーヌには重すぎて受けとめきれなかったっていうことなのかなって思いました。そんな自分に恐れおののき混乱するクリスティーヌ、エリックが神に召されようとしている時に腕の中にエリックを抱いて仮面を外してエリックの傷にキスをしたのは、エリックが背負っているものも含めて受け入れることができたっていうことなのかな。クリスティーヌは歌のみならず難しい役ですね。先週ラブ・ネバみながらファントムを思い出して、ファントムをみながらラブ・ネバ思い出していました。クリスティーヌは居方が難しい役だと思いました。

 彩凪翔さんのシャンドン伯爵がものすごくカッコよくて、エリックとの対比がより際立っていました。クリスティーヌとものすごくお似合いで二人が一緒の場面の直後、二人の姿をみたエリックの、自分の醜さを嘆く歌声が悲痛でした。

 エリックとクリスティーヌの歌声が東京宝塚劇場に一カ月余り響いていたのか。幸せなことですね。こうしてライブビューイングでも拝見できるようになってほんとにありがたい。駅からの暗い道、夜は交通量が少なくなるので自転車を飛ばして無事に帰ってきました。一回一回、生の観劇もライブビューイングも一期一会、この世にいる間だけの楽しみ、妹が遺したコンサートチケットを少しずつ処分しながら思います、その人の思い出はその人がこの世にいる間のその人だけのもの、生きている間だけなんだなって。わたしの思い出は、こうしてブログに書くことで共有させていただきながら、わたしの心の引き出しにしまってこの世を旅立つ時一緒にもっていく。遺影は康次郎の大切な蓮の舟で撮った写真と決めました。今日またあの世への行く時の心のお土産ができました。

 退団者は2名、まだお若い。入団4年目と6年目、4年目までは最後の挨拶で大階段を降りてくることができないのだと知りました。まだまだこれからなのにそれぞれ納得できたものがあったのかな。惜しいですね。カーテンコールの望海風斗さん、清々しい笑顔でした。客席でいつかこの舞台に立ちたいと夢みていたのが、こうして夢が叶って毎日幸せだったと。ずっとこの光景を眺めていたいけど幕を下ろさないといけないので、ファントムを天に返さないといけないのでと、締めはお父さん(彩風咲奈さん)ともじゃもじゃの人(朝美絢さん)が考えてくれたという、望海さんが「ファントム」といったら右手で顔を隠して、左手で顔を隠しながら「閉幕」で最後天に向かって手を振りながら「さようなら」だったかな。望海さんがいちばん嬉しかったんでしょうね。ほんとに幸せそうな笑顔に幸せな気持ちになることができました。

 指揮は西野淳先生。客席からはみえませんが舞台からはオーケストラピットでファントム、クリスティーヌ、そして専科へ異動する梨花ますみ組長の仮面をつけているのがみえるとのこと。客席におみせできないのがほんとに残念ですと望海さん。オーケストラも一緒に創り上げたファントムでしたね。

 明日の予定ないけど、土曜日は朝8時45分集合なので遅寝はいけない、早起きに戻さなければのプレッシャーを感じつつ遅くなったのでここらへんで・・・。

 スクリーン3つの大盛況、広い駐車場がある片田舎の古いショッピングモールの一角、普段は駅も映画館もこんなに混まないんでしょうね。ヅカのライブビューイングがあるときだけオバチャンいっぱい、女性いっぱい、知らない人はびっくりでしたとさ。

2月2日(土)の東京宝塚劇場。次は星組のエルベ、トップコンビの退団発表後でさらに紅カールの温かく優しい涙に劇場中が包まれることでしょう。











星組『霧深きエルベのほとり』『エストレージャス』_二度目の観劇でした(3)

2019年02月09日 23時14分01秒 | 宝塚
 

 余韻はまだまだ続いています。トップコンビの退団が発表されたあとの東京宝塚劇場公演はさらに沁みるものとなることでしょう。わたしはせめて千穐楽をライブビューイングで見届けるべく、先行抽選に申し込みました。

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第12場 シュラック家のサロン
     -マルギットの怒り-

二階の扉から、ヨゼフとカール、ザビーネが出てくる。

ヨゼフ「マルギット、どうしたのだ」

マルギット「・・・」

ヨゼフ「喜びなさい。カールはお前と別れることを承知したよ。金をやったのだ。その金が思ったより多額だったので、カールは喜んでいるよ」

マルギット「お父さま」

フロリアン「カール」

カール「マルギット・・・お前の親父さんなあ、どうしても承知しねえんだよ。だから俺、金をもらった。よーく考えてみろ、お前のようなお嫁さんを連れて貧乏暮らしをした日にゃ、一生足手まといにならあ。金さえありゃ、どんな女だって手にはいるからな」

マルギット「カール、どうして!」

カール「まあ怒るなよ。お前だって責任があらあな」

マルギット「あなたは卑劣な女たらしよ」

カール「景色がいいからって誘ったのはそっちだぜ」

マルギット「あたなは悪魔よ!」

カール「やかましいやい!第一なあ、お前が俺を、あの湖のレストランへ連れていった時、なんと言った。俺が一般席はあっちの中庭だよと言ったのに、お前は特等席に座った。おかげで俺は赤っ恥かいたぜ。お前には、金持ちの上流階級が染みついてやがるのよ」

マルギット「あたなは、私よりお金に目がくらんだのです!」

カール「第二はさっきのパーティだ。俺あお前なんぞに哀れんでもらってまで、こんな家の養子になんぞなりたかねえよ。おい、俺を誰だと思ってやがるんだ。船乗り仲間じゃちっとは名の知れた、カサブランカのカール様よ! おかげでたんまり金を頂戴したぜ、ありがとうよ」

マルギット「・・・」

ヨゼフ「マルギット、その男の正体がわかったら、今日かぎり、この一週間のことは、何もかも忘れてしまうことだ」

カール「俺あ覚えてるぜ。金がある間だけはなあ(笑う)」

フロリアン「(近づいて)カール、言うことはそれだけか」

カール「ああ、お前さんにも世話になったな」

 フロリアンがカールを殴る。

カール「野郎!」

ヨゼフ「馬鹿者!刑務所に叩き込まれないのを、せめてもの情けだと思え!」

カール「いてえな・・・おい」

 カールはコートを引ったくり、扉まで行く。


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 脚本を読んでいると舞台の声が鮮やかによみがえってきます。1月29日(火)15時公演、紅カールが悪態つきながら、札束で白いドレスを着た綺咲マルギットの背中をペシッ、ペシッ、ペシッと叩くこと三回。マルギットは「ふぇ~」と声をあげていました。ト書きにカールがマルギットを叩くと書かれていないので初演からある演出なのかわかりませんがもっとも緊張感のある場面。カールがどんな気持ちで真剣に叩いているのかと思うと心が痛くなる場面。トップコンビの応酬がすさまじいと思いました。素で二人の信頼関係がないと成立しない繊細な心が描かれている場面。シュラック家のパーティーでマルギットとの身分の差を思い知らされたカールはどのあたりからマルギットをフロリアンの手に委ねようと心に決めたのか・・・。

 2月6日の退団会見の記事を読んで、宝塚を心の底から愛し、五作で全力を出し切ろうと覚悟を決めて命がけで舞台をつとめ、相手役の綺咲愛里さん、ファンと星組生への心使いを忘れない、こんな紅ゆずるさんが演じるからこその、温かさと優しさに満ちたカールなのだと納得しました。舞台に滲み出る人柄。人の心を動かすのは技術のみにあらず、なんというかもっと大きなものなのだと。思い切って二度目も行ったよかったと心から思います。こんな素敵な方が劇場中を包み込む舞台に出会えたことに感謝。


2月6日の退団会見を報じた日刊スポーツのネット記事

「真っ白なスーツ姿で、首元にはシルバーのネックレス。“泣いて”笑わせる持ち味の人情味を存分に発揮した。大好きな宝塚との別れ、組メンバー、ファンへの感謝の思いがあふれ、思わず涙。「泣かんとこうと思ったのに」「私、いっぺん泣いたら(涙が)止まらないんで」「こんな泣いた(退団会見の)人、いるんですかね」と、号泣しながら、自らにつっこみ続けた。

大阪出身で、02年入団。173センチの長身を生かした華やかな立ち姿と、人情物、軽妙な芝居運びを得意とする“大阪人トップ”らしい、ボケつっこみ。武器をさく裂させた。

16年11月のトップ就任後は、「ドリームジャンボ宝くじ」のテレビCMにも出演するなど、達者な話術を生かして、劇団の“広報”的役割も担い、昨秋には第3回台湾公演にも主演した。

退団については「(17年3月の本拠地)お披露目のスカピン(スカーレット・ピンパーネル)が終わってからすぐ」決めたという。

宝塚のトップスターは、退団時期をめぐって「自分の中で鐘が鳴って知る」と表現することが多いが、紅は「私は一生、鳴らないんじゃないか」。宝塚音楽学校の受験前から、電車を乗り継ぎ通う自身をイメージしていたというほどのあこがれの“聖地”だ。
「もう1度、退団して、もう1度、入団できるのならば、入団したい。音楽学校で制服を着たい。朝の掃除は苦手でしたけど、どんなつらいことも、制服を着られるだけで幸せでした」

あふれる宝塚への愛をこう表現した。離れたくない思いが強過ぎ、自らに区切りをつけるために「5という数字が浮かんだ。(トップ)6作だと中途半端。4作だと短い。5作で退団。そこまでに力を出し切ろうと決めていました。あ(自主ユニットの)紅5(くれないファイブ)ですしね。今思いついたけど、私、うまいな~」と、笑わせながら振り返った。

紅は、トップ娘役綺咲愛里(きさき・あいり)とともに、7月12日に兵庫・宝塚劇場で開幕する「GOD OF STARS-食聖-」「エクレール・ブリアン」の東京宝塚劇場公演千秋楽をもって退団する。同作で、トップ就任から本拠地5作になる。

「(綺咲に)いつ伝えたか覚えてないんで、電話して聞いた。無駄ばなしで1時間ぐらいしゃべっちゃった」と苦笑。綺咲には、昨年4月の「ANOTHER WORLD」公演中に、退団時期を伝えたという。


綺咲も「絶対に紅さんと一緒に卒業します。一点の曇りもないです」と返し、添い遂げ退団が決まった。組のメンバーには、今月3日に伝えた。

「あんまり私が明るく言っちゃったもんだから、皆固まっちゃって『…』みたいな。その後にポロポロ泣いてくれた。うれしかった」

寂しさは胸に押し隠し、おどけて笑ってみせるのが紅らしさ。その様子での退団報告に、組メンバーが戸惑った様子も明かした。

一番の思い出の作品は新人公演初主演で、トップ本拠地お披露目だった「スカーレット・ピンパーネル」。厳しい指導で知られる小池修一郎氏の演出初体験だった。思い出のできごとには「余興が楽しすぎて…。でもここで、人を喜ばせる楽しさ、術、サービス精神を磨けました」とも話した。
退団後については「今は宝塚のことしか考えられない。というか、考えたくない」と言い、進路は未定。「可能性を感じることにであれば、考えたい」とした。

また、恒例の寿退団への質問が出ると「この質問聞かれたかった~っ」とおどけてみせ「ありません。結婚は1人では無理なので」と口にすると、大笑い。ただ、その後、真摯(しんし)な表情で「私は宝塚で綺咲と結婚しましたし、大切なファンの方もいる」と続け、17年の劇団生活を支えてくれたファンに感謝した。」





 真っ白なスーツを着こなした姿が潔く清々しい。瀬奈じゅんさんが「いちばんいい時に辞めたい」とテレビ番組で話されていました。ギャッツビーをみたかったな、もうあと二作と思いますが台湾公演もあわせると大劇場6作分なわけで十分すぎるほどつとめを果たさているかな。さみしいですが退団後どんなふうにさらに個性をみせてくださるのか楽しみ。退団後のOGさんはすごく元気。早霧せいなさんが退団後にもう一度男役としてるろ剣を演じたり、先日東京国際フォーラムのベルばら45で拝見したアラフィフのOGの方々はさらにパワーアップしていたし、可能性はさらにひろがっていくことを期待。その前に最後まで無事に楽しく舞台をつとめられますようにと思います。

 ショー、『エストレージャス』、中詰めの客席折りがある場面、銀橋では、紅ゆずるさんが綺咲愛里さんの肩に腕を回してワチャワチャしていると礼真琴さんがすりすりと寄っていって紅さんが礼さんの肩にも腕を回して3人でワチャワチャ、ほほえましい場面でした。礼さん、すごくさびしくなるなあと心配。


 明日は雪組の『ファントム』東京宝塚劇場公演千穐楽ライブビューイング。朝から論文なんて書けない、無理だー、面接もういいよ、って考えていると気持ち追い詰められるので明日は忘れるようにつとめます。大劇場からどんなふうに深化しているか楽しみ・・・。

2013年『アンナ・カレーニナ』_思い出し日記(6)

2019年02月08日 23時05分03秒 | ミュージカル・舞台・映画
アンナに心を奪われたヴロンスキーが、クリケット?だったかな?手ほどきをしながらアンナにせまっていく場面があったと思います。伊礼彼方さんが美しかった。ためらいながらもヴロンスキーへと心が傾いていく一路真輝さんもときめきに輝いていてすごく綺麗でした。冒頭の列車事故がアンナの行く末を暗示している物語。アンナ、ヴロンスキー、カレーニンは自分の奥底に眠っていた激しいものに気づき、素直にしたがった結果アンナの死という結末が待っていました。ヴロンスキーと出会ったことが、ヴロンスキーがアンナの死期を早めてしまったのでは・・・、ついそんなことを思いながら観劇している自分がいました。それは正解でも不正解でもないと思います。人からそしりを受けるような生き方になってしまったけれど、アンナ自身が納得していれば、結末はどうあろうと命を燃やして生きた時間があったのだからそれでいいのかな・・・。むずかしい・・・。原作を読んでみましょうかね。

 ヴロンスキーとの生活も満たされなくなり、二人の間に生まれた子供ではアンナの心のすき間を埋めることはできずやがてセリョージャへの思慕と、ヴロンスキーへの懐疑心で破綻していくアンナがヴロンスキーは重荷になっていく。めでたしめでたしでは物語になりません。葛藤が生まれるところに物語が生まれるのですがやりきれないです。

 アンナ・ヴロンスキーとは対照的なレイヴィンとキティのカップルが描かれていたのが救いでしょうか。どこかに救いがないとなかなかにきつい。宝塚の『アンナ・カレーニナ』にはありませんでしたが、プログラムを久しぶりに読み返していてキティに振られて田舎に引っ込んでしまったレイヴィンが自室でダンベルかなんかやって体を鍛える場面があったと思います。ちょっと変わり者で一途なレイヴィン。レイヴィン役の葛山信吾さん、ドラマでしか拝見したことがなかったのでミュージカルの舞台に出ているの、びっくりでした。キティは元タカラジェンヌの遠野あすかちゃん。可愛いキティでした。キティを見舞うため部屋を訪ねたレイヴィンが、キティを励まそうとボードを使ったなぞかけみたいなことだったかな、キティとのかけあいで客席の笑いを誘う場面がありました。唯一の楽しい場面でした。
 
 ミュージカルだけどストレートプレイのような芝居色が強い舞台。一路さん、お休みを経て再演で舞台復帰された時は稽古着ってどうするんだっけっていうところからまたスタートしたとか。男役時代の一路さん素敵でした。トップになってからの全作品観劇。退団された時はすごくさみしかった。サヨナラショーをおさめたビデオ買いました。昨年12月に『オン・ユア・フィート』で拝見した一路さんも素敵でした。ほぼ同世代。一昨年の35周年記念コンサートにいくこともできたし、これからも一緒に歳を重ねていきます。こうして舞台で会えるのがほんとに嬉しいです。東京から離れてしまったので5月の明治座はなかなかきびしいかもですが、その前に当日券でコンサートに行けるといいかな。伊礼彼方さんは『レミゼ』でジャベール。帝劇に行くことはもうなさそうなので今のところ観劇予定はなく、郷里近郊の舞台情報は全くつかんでいないのですがまた拝見したいです。

「歴史上、成功を収めた悲劇はすべて、ある特定の瞬間に書かれている、と評論家のフィンタン・オトゥールは語っています。


「・・・二つの異なる価値観、二つの異なる世界観、個人の社会に対する二つの異なる関わり方、その二つが圧倒的な緊張関係に至った時だ。悲劇的な人物というのは、その二つの世界観の板挟みとなり、それゆえに正しいことが見えなくなった人間のことである。

 この引用は、オトゥールが書いたシェイクスピアに関する著書からのものですが、まさにトルストイが描くヒロインの置かれた状態を適格に描写しているのではないでしょうか。『アンナ・カレーニナ』は社会的にも、政治的にも、そして経済的にも激動の変革期を迎えた1870年代のロシアを舞台にしています。それはまさしく、農奴が解放され、産業化が始まり、蒸気機関車がヨーロッパ流の考え方と風習をロシア社会に運び込み、それまで何百年も重んじられてきた秩序、信仰、価値観に新しい風が吹き始めた時でした。

 また当時、結婚や貞節、女性は夫に従属するという観念が、一方では極めて神聖なものとして尊重されていたのに対し、もう一方では嘲笑われ、ないがしろにされていたのです。アンナ・カレーニナは情熱的で、豊かな感受性と温かい心を持つ女性です。そんな彼女が板挟みになってしまったのです。アンナ・カレーニナが究極の「悲劇のひと」であり続け、時を超え否応なしに轢きつけられ共感してしまうのは、二つの世界と二つの価値観の間の究極の緊張関係の中で生きたからにほかなりません。

 ピーター・ケロッグ(脚本・作詞)&ダン・レヴィーン(音楽)

                    (2010~11年上演パンフレットより転載)」

 ずっと振り返りたかった2013年『アンナ・カレーニナ』、たいしたことありませんがやっと書けました。一路さん主演の『シャーロック・ホームズの冒険』『ブラック・メリー・ポピンズ』の思い出し日記もいずれ書ければと思います。




駅から遠いという現実

2019年02月08日 17時44分16秒 | 日記
 極寒の金曜日、月曜日からほとんど家にこもっていたので、ハロワに行くため久しぶりの外出、久しぶりの繁華街。駅から遠く、近くに自転車で行ける範囲にカフェがようやく2件だけ、あとはやたらとドラッグストアがあるだけ。人のざわめきから遠ざかった生活。あっちもこっちもこっちもあっちも車が飛び出してくる車社会に適応できない自分がいることに気持ちが沈む。わかってはいたけど巡回バスしかない生活は不便すぎる。家を出てまた部屋を借りる以外、自分の努力ではどうすることもできない駅から徒歩30分、どんなにがんばっても25分はかかるという現実。次の居場所をみつけるにも仕事内容以前に通勤手段で心が折れる。書類を提出した2件とも面接に呼ばれた。同日。書類審査にとおったっていうことか。一時間に一本の巡回バス利用では間に合わないとわかりつつ提出した方は面接のみ、辞退せざるを得ない。駅まで自転車を利用するにしても天候が悪く自転車に乗れない時代替手段はない。一時間に一本の巡回バス利用で間に合うところは論文と面接。論文なんて書けない。あと一週間で自分の経験から考えることをまとめてみるしかない。通えますかときかれたらどうするか。普段は自転車を利用し天候が悪い時は一時間に一本の巡回バスを利用することを考えていると答えるしかない。それを逃したらアウト。そこまでは言わなくていい、それをどう受け取るかは向こうの判断なので自分に戻ってきたときにまた考えればいいとハロワの話。家で書類を読んだり作文を考えたりすると気持ちが追い詰められてくるので外でやりたい。できればパソコンの電源をとることができてネットもつながるとありがたいけどないんですよね。きつい。贅沢をいっちゃいかん。大きな家があって住む場所が確保されているんだ、弟は優しい。家賃から解放されたんだし、贅沢をいっちゃいかんよ、ほんとに。ただ不便すぎる。場所が悪すぎていつ車に轢かれるかわからないリスクと背中合わせ。わかってはいたけどきつい。慣れない自分がいることに気持ちがへこむ。ほんの2カ月半前まで苦労して家賃を払いながら利便性を享受していた日々が夢だったかのような、すごく遠いことのように思える田舎暮らし。

 帰ってきたら訪ねてみたい古本屋カフェが県内にあるのですが行き方を調べてみると公共交通機関の利用では日帰り無理っぽい。古い民家をリフォームしているから駅から近い所にあるわけはないですがバスの本数も少ないし、さらにバス停からも遠い。車で行くなら日帰り可能かな。東京に行く方が近いかもしれないぐらい遠い。かなりの気合がないと無理だとわかった時点で気持ちが折れた。田舎暮らしは気合がいる。

 自分、かつて家に暮らしていた時どうやって通勤していたのだろうと思い返してみるに細かいことは思い出せませんが雨や雪がひどくって自転車に乗れない時は父親が車で送迎してくれました。思い返せば高校時代からそうでした。土地を買う時駅から遠いと将来大変だって考えなかったの?って今さら恨み言をいっても仕方ない。こんな場所にどうしてアパート?って思いますがかつては畑だった近所にアパートが立っていて世帯向きは満室。不思議で仕方ありませんが車で生活する人にとっては便利な場所。車があれば便利で快適な田舎生活。車がないと不便このうえない田舎生活になれることができないでいる自分。気持ちを追い詰めてはいけない。次の居場所に出会うため、やれる範囲でやれることをやろう。大劇場に日帰りでいけるんや、ライブビューイングをみるため新幹線に乗る人だっているんや。十分すぎるぐらい恵まれている、贅沢をいっちゃいかんよ、自分。

 面接のために写真もとらねば。ふんばれ、自分。

 久しぶりにカフェで弱音の、つまらないひとり言でした。あとはまた観劇日記、旅日記など書きます。