「年があけて十日もすぎたようにやっと年賀状を書く私、貴方からみたらしみたれやなと見えるかも知れんが、老人になった私にとっては果たして正月がきっと喜んで迎えられるかしらんという不安があると同時に正月といっても手ばなしで喜ぶことができないのですよ。いやーネ年を取ることは。66才になりました。静かに一人草取りをしたり、本読みをしたり、今朝ふっとNHKの作家の訪問を見たら86才のおばあさん、まだ小説を書いていると言っておられ感心しましたと同時に自分を反省しました。こんなしみたれてはいけない、父や母、祖母のことを自分の知っている限りを作文にして書いておくと良い!ということに反省しました。たんぽぽさんは小学校一年の時、お母さんがいわれるほど手のかかる児童ではなかったよ。そして自分から言われるほど陰険でもないの。ただお母様やお父さんの躾でとってもおとなしい子供さんでした。気が小さい様に見えたので現代の社会では要領よくわたる人が一般から良く見られるので、あんまりおとなしくて何でも気持ちよくひたすらゆずるあなたがかわいそうで心配だったワ。でも高校で基礎教育をつけられ、社会人となられたら意志をはっきり相手に伝え信念を通して行ってくださいネ。たんぽぽさんはきっと幸せをつかむ人と思います」
家にいる時間はひたすら断捨離の日々。ずっとそのままにしていた古い年賀状を一枚一枚読み返しながらお別れしています。名前をみてももはや誰だったか思い出すことができない人もいたり、高校の同級生かもう会うことはないなと思ったり、勤めていた銀行の先輩や後輩かと思ったり、もうこの世にいない人もいるだろうし、全ては自分の心の引き出しへとしまいこんでお別れしていきます。そんな中で何十年ぶりかに再会した恩師からの年賀状。小学校一年生の時の担任の先生でした。母と同じ名前のこの先生を、内弁慶で家の外に出ると人がこわくって話せなかったわたしは安心感を抱いていたのでしょう。すごく慕っていました。小学校を卒業してから毎年年賀状を書いていました。先生は律儀に返事を書いてくださっていました。自分こんな歳になって思うと、先生にとってはすごくしんどいことでしたね。もうこの世にはいらっしゃないと思います。優しかった先生からの年賀状。わたしのエンパワーメントを信じて書いてくださったあたたかい言葉だと沁みます。昭和55年1月12日付の消印。
わたし今実家に暮らして弟にごはん作ってもらっている無職の中高年独身女。知らない人がこれだけきいたらどんだけダメな、救いようのない奴なんだよっていう話。明後日のために睡眠のリズムを崩してくなくって日曜日から眠剤に連続で頼り中。寒風が吹きすさぶ中、また一週間ぶりで主要駅まで出向いて美容院で髪を整え、先ほどなんとか写真を撮りました。よくある証明写真を撮るボックスは駅ビルの外にありました。このために美容院に行ったのに風に吹かれちゃんと整わないままの写真となってしまいました。こういう写真を撮るたびに年くって貧相な自分の顔をみるのがいやでいやでたまらなくって涙がでそうなほどいやでした。都心と違ってスイカ使えないの痛いし、あーって思いながら800円投入して寒い中重ね着しているものを脱いで撮影。またかよ、この4年間で何回目なのよ、と思うと次の居場所を見つけるためとはいえいやでいやでたまりません。撮影日を記入しなければならないのでウソはつけません。これを明日切って受験票に貼付しなければなりません。こういうことは家でやると気持ちが追い詰められてくるので外でやりたいですこんな田舎ではなかなかむずかしいです。論文なんて求められても書けないのでせめて作文を書けるようにと一年間の業務で出会った事例を二日間かけてカフェで思い出しながらパソコン使ってまとめました。一つとして同じことはなくそれぞれにそれぞれで一つ一つほんとに大変でした。10件ほどあったのできりがなくって全部をまとめることは無理でした。詳細は忘れているところもあり思い出しているうちに頭がしびれてきました。事案に応じて事務手続きもほんとに細かくてわからないことが次々と現れてきつい毎日でした。こんなに大変なことをやっていたのだからまた私働けるのかな。働けるはず。そのためには論文と面接。その前にそもそも駅から30分、自転車に乗れない時は7時33分のバスを逃したら全てが終わるという事実でアウトの可能性もあります。自転車で走っていると風の冷たさが沁みるし、ビュンビュン飛ばす車の音に恐怖心さえ感じる毎日。特に実家の近くは幹線道路の出入り口が交差しているのであぶない、あぶない。普段車ばっかりで歩かない奴らが減速しないまま曲がってきます。歩行者や自転車がいるっていう認識がないので、いつ事故にあってもおかしくないと思いながら過ごす毎日。一昨日総合病院のド〇ールで聞こえてきたおばあちゃん同士の会話。かつての商店街はシャッター通り、デカい家があっても若い日とは住んでくれないと。実家の近辺で空き家になっていると思われる木造の二階建てをみかけます。親がいなくなって子どもは処分しきれないままきてしまっているのかな。自分もさらに歳をとっていったら自転車で行ける範囲では必要なことを満たしきれないのでせっかくのデカい家なれど終の棲家にするのはきびしいと思わざるを得ませんが、いつあの世からお呼びがかかるかわからないのだし、今はそんなことを考えながら生きていたくありません。明後日の場所を確認してきたので、明日はどこかで時間と場所をみつけてコンビニでプリントアウトした作文読み返しながら頭にいれます。それ以上のことはできない。募集要項をみただけで気力が失せた求人。早く明後日の夕方になってほしいです。その前にもう一つの朝巡回バスでは間に合わないとわかりつつ書類を提出したところに辞退する連絡をいれねば。
明日東京宝塚劇場で星組の初日。すっかり遠くなった日比谷へ思いを馳せます。木曜日に花組の宝塚大劇場日帰りバスツアー。舞台からエネルギーをもらって生きています。なんとかふんばれ、わたし。(花組チケット難なのかな。田舎だとバスツアー、催行待ちだったりするようです)。
主要駅近辺には電源とれてネットがつながる店があるのでゆっくりしてしまいました。明後日のためにはいい加減帰って就寝しなければ。
家にいる時間はひたすら断捨離の日々。ずっとそのままにしていた古い年賀状を一枚一枚読み返しながらお別れしています。名前をみてももはや誰だったか思い出すことができない人もいたり、高校の同級生かもう会うことはないなと思ったり、勤めていた銀行の先輩や後輩かと思ったり、もうこの世にいない人もいるだろうし、全ては自分の心の引き出しへとしまいこんでお別れしていきます。そんな中で何十年ぶりかに再会した恩師からの年賀状。小学校一年生の時の担任の先生でした。母と同じ名前のこの先生を、内弁慶で家の外に出ると人がこわくって話せなかったわたしは安心感を抱いていたのでしょう。すごく慕っていました。小学校を卒業してから毎年年賀状を書いていました。先生は律儀に返事を書いてくださっていました。自分こんな歳になって思うと、先生にとってはすごくしんどいことでしたね。もうこの世にはいらっしゃないと思います。優しかった先生からの年賀状。わたしのエンパワーメントを信じて書いてくださったあたたかい言葉だと沁みます。昭和55年1月12日付の消印。
わたし今実家に暮らして弟にごはん作ってもらっている無職の中高年独身女。知らない人がこれだけきいたらどんだけダメな、救いようのない奴なんだよっていう話。明後日のために睡眠のリズムを崩してくなくって日曜日から眠剤に連続で頼り中。寒風が吹きすさぶ中、また一週間ぶりで主要駅まで出向いて美容院で髪を整え、先ほどなんとか写真を撮りました。よくある証明写真を撮るボックスは駅ビルの外にありました。このために美容院に行ったのに風に吹かれちゃんと整わないままの写真となってしまいました。こういう写真を撮るたびに年くって貧相な自分の顔をみるのがいやでいやでたまらなくって涙がでそうなほどいやでした。都心と違ってスイカ使えないの痛いし、あーって思いながら800円投入して寒い中重ね着しているものを脱いで撮影。またかよ、この4年間で何回目なのよ、と思うと次の居場所を見つけるためとはいえいやでいやでたまりません。撮影日を記入しなければならないのでウソはつけません。これを明日切って受験票に貼付しなければなりません。こういうことは家でやると気持ちが追い詰められてくるので外でやりたいですこんな田舎ではなかなかむずかしいです。論文なんて求められても書けないのでせめて作文を書けるようにと一年間の業務で出会った事例を二日間かけてカフェで思い出しながらパソコン使ってまとめました。一つとして同じことはなくそれぞれにそれぞれで一つ一つほんとに大変でした。10件ほどあったのできりがなくって全部をまとめることは無理でした。詳細は忘れているところもあり思い出しているうちに頭がしびれてきました。事案に応じて事務手続きもほんとに細かくてわからないことが次々と現れてきつい毎日でした。こんなに大変なことをやっていたのだからまた私働けるのかな。働けるはず。そのためには論文と面接。その前にそもそも駅から30分、自転車に乗れない時は7時33分のバスを逃したら全てが終わるという事実でアウトの可能性もあります。自転車で走っていると風の冷たさが沁みるし、ビュンビュン飛ばす車の音に恐怖心さえ感じる毎日。特に実家の近くは幹線道路の出入り口が交差しているのであぶない、あぶない。普段車ばっかりで歩かない奴らが減速しないまま曲がってきます。歩行者や自転車がいるっていう認識がないので、いつ事故にあってもおかしくないと思いながら過ごす毎日。一昨日総合病院のド〇ールで聞こえてきたおばあちゃん同士の会話。かつての商店街はシャッター通り、デカい家があっても若い日とは住んでくれないと。実家の近辺で空き家になっていると思われる木造の二階建てをみかけます。親がいなくなって子どもは処分しきれないままきてしまっているのかな。自分もさらに歳をとっていったら自転車で行ける範囲では必要なことを満たしきれないのでせっかくのデカい家なれど終の棲家にするのはきびしいと思わざるを得ませんが、いつあの世からお呼びがかかるかわからないのだし、今はそんなことを考えながら生きていたくありません。明後日の場所を確認してきたので、明日はどこかで時間と場所をみつけてコンビニでプリントアウトした作文読み返しながら頭にいれます。それ以上のことはできない。募集要項をみただけで気力が失せた求人。早く明後日の夕方になってほしいです。その前にもう一つの朝巡回バスでは間に合わないとわかりつつ書類を提出したところに辞退する連絡をいれねば。
明日東京宝塚劇場で星組の初日。すっかり遠くなった日比谷へ思いを馳せます。木曜日に花組の宝塚大劇場日帰りバスツアー。舞台からエネルギーをもらって生きています。なんとかふんばれ、わたし。(花組チケット難なのかな。田舎だとバスツアー、催行待ちだったりするようです)。
主要駅近辺には電源とれてネットがつながる店があるのでゆっくりしてしまいました。明後日のためにはいい加減帰って就寝しなければ。