「パートタイマーが必要とする制度
第一に、進行しつつあるパートタイマーの有期契約化を規制する緊急の必要性がある。現在の日本では、有期雇用契約は基本的に会社の自由に属している。およそ非正社員の契約期間終了後の雇用保障は危うい。これまで事実上は無期契約であったパートの安易な人員整理については、これを解雇権の乱用とする盛岡地裁98年4月の判例などはあるものの、なお明確な法の規定はなく、改正派遣法の「努力義務」としての「1年ルール」についても、企業には多くのぬけ穴がある。
労働者の立場からみれば、恒常的な業務に同じ人が働きつづけるとき、有期雇用ということに納得できる合理性はない。有期雇用は原則的に禁止し、これが認められるのは、業務それ自体に臨時性・季節性があるとき、休暇取得や欠勤に対する補充雇用のとき、契約にもとづく訓練・試用のとき、といった条件を設定すべ きであろう(伊田1998)。各地でこれまでに行われ、そしていま行われている一方的な解雇に抗う非正社員女性たちのいくつかの提訴は、こうした内容をもつ法制化の必要性を物語っている。
第二。パートと正社員の間の賃金格差の適否をはかるに際しても、ベイ・エ クイティの原則が適用されなければない。両者の間の職務分離の程度は調査によって実に多様ではあるが、両者の職域が大きく重なっているのにパートには正社員に固有の残業、配転、転勤の応諾や業務上の「責任」がないことなどを言い立てて、企業がパートの低賃金をあくまで正当化しようとするケースはきわめて多い。私は日本企業で正社員であることのそれなりのしんどさは認めるけれども、高密度の基幹労働を担うことも多い、とくに常用型パートの賃金が今の水準にとどめられる正当性は認めない。地域最低賃金ばかりでなく、適正な賃金水準をはかるものさしというものを企業にいわば強制しなければならない 。
すでに多くの国々でパート関係法のなかに盛り込まれている「時間比例賃金」とは、ベイ・エクイティを適用して、フルタイム(8時間)労働者とパート(6時間)労働者の間に仕事の差がないことがわかれば、時間給は同じにし、収入差は8対6にするということだ。日本で非正社員差別を痛感するフルタイム「 パート」女性たちの法廷闘争によって、80%(丸子警報器)、70%(テクノエ―スの97年名古屋地裁和解―『日本経済新聞』1997年1 月18日)を認めさせるところまでは来た。この流れを確実にしたい。「雇用管理区分」を超えた均等賃金原則を不可欠とする時代への感性が、今ユニオンリーダーにつよく求められている。
第三に、男女労働者ともに、フルタイムがパートに、パートがフルタイムに転換できる制度の獲得がつぎの段階の課題として浮上する。この制度は有期雇用の原則的廃止や時間比例賃金制なしには実現が困難であるが、このシステムにおいてこそ、男女労働者は家事・育児・老親介護の負担、健康状態と体力といったライフサイクル上のニーズに応じて勤務形態を選びうるようになるだろう。また、この制度導入によってはじめて、失業多発期の時間短縮、ワークシェアリングも可能になる。すでに周知のオラング・モデルがそれである。
多くの女性やかなりの高齢者が働くこれからの時代にあっては、パート勤務はまったくノー マルな働き方と認められるべきであろう。しかし私たちの国では、30代後半以降に求職する女性たちは、選択してというよりはいわば宿命的に、あらゆる面で労働条件の保障の危うい非正社員ステイタスを前提としたパート勤務に就く。彼女らは結局、性別役割分業を内包する世帯という単位で、対極的に長時間労働となる正社員男性の収入に依存しなければ生きてゆけない……。企業社会のジェンダー批判はこうして、ついには正社員と非正社員という日本でのみ明瞭な区別をなくしてゆく、そしてとりあえずはパートの「正社員」を認めさせるという主張に帰着する。時間比例の収入差以外に処遇差別のないパート勤務の「正社員」。公務員などは、 たとえばスウエーデンの医療、福祉部門ではまったくふつうのことなのだ。
非正社員制度は経営側にとってさしあたり大きな経済性があり、また日本の男も女もなお、その「内面化」の程度はさまざまであれ、性別役割分業論にかなり肯定的である――このように、この方向での政策追求をむつかしくしている要因を指摘することはたやすい。けれども、男も女も従来のジェンダー規範にとらわれず職場、家庭、地域のどの領域でも対等に協同すること。そこに否定できない自由の実在を予感するならば、日本企業における雇用のシステムと慣行はこの章で素描したところまでは変えなければならない。」
(熊沢誠著『女性労働と企業社会』第五章ジェンダー差別に対抗する営み_パートタイマーの明日、2000年10月20日、岩波新書発行、215‐218頁より引用しています。)
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卒業論文の参考文献として読んだ本の中から振り返りを続けています。時間的に読めなかったところもたくさんあり、断捨離しながらあらためて読んだりしています。図らずも労働紛争を経験することとなった自分で読んでみると、そもそも正社員ってなんでしたっけってふと思います。労働弁護団の弁護士によると、法律上正社員という言葉はなく、有期雇用か無期雇用かのどちらかだけだそうです。無期雇用がいわゆる正社員、有期雇用が非正規雇用ということになります。17年前に出版された本ですが、日本で「時間比例賃金」という土壌ができるまでには、弱い立場の労働者がどれほど裁判を起こして、大きな組織相手に闘い抜き、前例をつくりあげていかなければならないのだろうと気が遠くなるばかりで、どこかに希望がみえてくる気が全くしません。企業に多くの抜け穴がきちんと用意されているのはその通りです。労働紛争までいかないとなかなかわかりませんが労働紛争までいくと思い知らされます。法律とはだれのために、何のためにあるのか、そんな問いかけにたどり着かざるを得ません。
第一に、進行しつつあるパートタイマーの有期契約化を規制する緊急の必要性がある。現在の日本では、有期雇用契約は基本的に会社の自由に属している。およそ非正社員の契約期間終了後の雇用保障は危うい。これまで事実上は無期契約であったパートの安易な人員整理については、これを解雇権の乱用とする盛岡地裁98年4月の判例などはあるものの、なお明確な法の規定はなく、改正派遣法の「努力義務」としての「1年ルール」についても、企業には多くのぬけ穴がある。
労働者の立場からみれば、恒常的な業務に同じ人が働きつづけるとき、有期雇用ということに納得できる合理性はない。有期雇用は原則的に禁止し、これが認められるのは、業務それ自体に臨時性・季節性があるとき、休暇取得や欠勤に対する補充雇用のとき、契約にもとづく訓練・試用のとき、といった条件を設定すべ きであろう(伊田1998)。各地でこれまでに行われ、そしていま行われている一方的な解雇に抗う非正社員女性たちのいくつかの提訴は、こうした内容をもつ法制化の必要性を物語っている。
第二。パートと正社員の間の賃金格差の適否をはかるに際しても、ベイ・エ クイティの原則が適用されなければない。両者の間の職務分離の程度は調査によって実に多様ではあるが、両者の職域が大きく重なっているのにパートには正社員に固有の残業、配転、転勤の応諾や業務上の「責任」がないことなどを言い立てて、企業がパートの低賃金をあくまで正当化しようとするケースはきわめて多い。私は日本企業で正社員であることのそれなりのしんどさは認めるけれども、高密度の基幹労働を担うことも多い、とくに常用型パートの賃金が今の水準にとどめられる正当性は認めない。地域最低賃金ばかりでなく、適正な賃金水準をはかるものさしというものを企業にいわば強制しなければならない 。
すでに多くの国々でパート関係法のなかに盛り込まれている「時間比例賃金」とは、ベイ・エクイティを適用して、フルタイム(8時間)労働者とパート(6時間)労働者の間に仕事の差がないことがわかれば、時間給は同じにし、収入差は8対6にするということだ。日本で非正社員差別を痛感するフルタイム「 パート」女性たちの法廷闘争によって、80%(丸子警報器)、70%(テクノエ―スの97年名古屋地裁和解―『日本経済新聞』1997年1 月18日)を認めさせるところまでは来た。この流れを確実にしたい。「雇用管理区分」を超えた均等賃金原則を不可欠とする時代への感性が、今ユニオンリーダーにつよく求められている。
第三に、男女労働者ともに、フルタイムがパートに、パートがフルタイムに転換できる制度の獲得がつぎの段階の課題として浮上する。この制度は有期雇用の原則的廃止や時間比例賃金制なしには実現が困難であるが、このシステムにおいてこそ、男女労働者は家事・育児・老親介護の負担、健康状態と体力といったライフサイクル上のニーズに応じて勤務形態を選びうるようになるだろう。また、この制度導入によってはじめて、失業多発期の時間短縮、ワークシェアリングも可能になる。すでに周知のオラング・モデルがそれである。
多くの女性やかなりの高齢者が働くこれからの時代にあっては、パート勤務はまったくノー マルな働き方と認められるべきであろう。しかし私たちの国では、30代後半以降に求職する女性たちは、選択してというよりはいわば宿命的に、あらゆる面で労働条件の保障の危うい非正社員ステイタスを前提としたパート勤務に就く。彼女らは結局、性別役割分業を内包する世帯という単位で、対極的に長時間労働となる正社員男性の収入に依存しなければ生きてゆけない……。企業社会のジェンダー批判はこうして、ついには正社員と非正社員という日本でのみ明瞭な区別をなくしてゆく、そしてとりあえずはパートの「正社員」を認めさせるという主張に帰着する。時間比例の収入差以外に処遇差別のないパート勤務の「正社員」。公務員などは、 たとえばスウエーデンの医療、福祉部門ではまったくふつうのことなのだ。
非正社員制度は経営側にとってさしあたり大きな経済性があり、また日本の男も女もなお、その「内面化」の程度はさまざまであれ、性別役割分業論にかなり肯定的である――このように、この方向での政策追求をむつかしくしている要因を指摘することはたやすい。けれども、男も女も従来のジェンダー規範にとらわれず職場、家庭、地域のどの領域でも対等に協同すること。そこに否定できない自由の実在を予感するならば、日本企業における雇用のシステムと慣行はこの章で素描したところまでは変えなければならない。」
(熊沢誠著『女性労働と企業社会』第五章ジェンダー差別に対抗する営み_パートタイマーの明日、2000年10月20日、岩波新書発行、215‐218頁より引用しています。)
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卒業論文の参考文献として読んだ本の中から振り返りを続けています。時間的に読めなかったところもたくさんあり、断捨離しながらあらためて読んだりしています。図らずも労働紛争を経験することとなった自分で読んでみると、そもそも正社員ってなんでしたっけってふと思います。労働弁護団の弁護士によると、法律上正社員という言葉はなく、有期雇用か無期雇用かのどちらかだけだそうです。無期雇用がいわゆる正社員、有期雇用が非正規雇用ということになります。17年前に出版された本ですが、日本で「時間比例賃金」という土壌ができるまでには、弱い立場の労働者がどれほど裁判を起こして、大きな組織相手に闘い抜き、前例をつくりあげていかなければならないのだろうと気が遠くなるばかりで、どこかに希望がみえてくる気が全くしません。企業に多くの抜け穴がきちんと用意されているのはその通りです。労働紛争までいかないとなかなかわかりませんが労働紛争までいくと思い知らされます。法律とはだれのために、何のためにあるのか、そんな問いかけにたどり着かざるを得ません。
女性労働と企業社会 (岩波新書) | |
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