たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

熊沢誠『女性労働と企業社会』より(7)

2017年09月14日 19時14分41秒 | 本あれこれ
「パートタイマーが必要とする制度

 第一に、進行しつつあるパートタイマーの有期契約化を規制する緊急の必要性がある。現在の日本では、有期雇用契約は基本的に会社の自由に属している。およそ非正社員の契約期間終了後の雇用保障は危うい。これまで事実上は無期契約であったパートの安易な人員整理については、これを解雇権の乱用とする盛岡地裁98年4月の判例などはあるものの、なお明確な法の規定はなく、改正派遣法の「努力義務」としての「1年ルール」についても、企業には多くのぬけ穴がある。

 労働者の立場からみれば、恒常的な業務に同じ人が働きつづけるとき、有期雇用ということに納得できる合理性はない。有期雇用は原則的に禁止し、これが認められるのは、業務それ自体に臨時性・季節性があるとき、休暇取得や欠勤に対する補充雇用のとき、契約にもとづく訓練・試用のとき、といった条件を設定すべ きであろう(伊田1998)。各地でこれまでに行われ、そしていま行われている一方的な解雇に抗う非正社員女性たちのいくつかの提訴は、こうした内容をもつ法制化の必要性を物語っている。

 第二。パートと正社員の間の賃金格差の適否をはかるに際しても、ベイ・エ クイティの原則が適用されなければない。両者の間の職務分離の程度は調査によって実に多様ではあるが、両者の職域が大きく重なっているのにパートには正社員に固有の残業、配転、転勤の応諾や業務上の「責任」がないことなどを言い立てて、企業がパートの低賃金をあくまで正当化しようとするケースはきわめて多い。私は日本企業で正社員であることのそれなりのしんどさは認めるけれども、高密度の基幹労働を担うことも多い、とくに常用型パートの賃金が今の水準にとどめられる正当性は認めない。地域最低賃金ばかりでなく、適正な賃金水準をはかるものさしというものを企業にいわば強制しなければならない 。

 すでに多くの国々でパート関係法のなかに盛り込まれている「時間比例賃金」とは、ベイ・エクイティを適用して、フルタイム(8時間)労働者とパート(6時間)労働者の間に仕事の差がないことがわかれば、時間給は同じにし、収入差は8対6にするということだ。日本で非正社員差別を痛感するフルタイム「 パート」女性たちの法廷闘争によって、80%(丸子警報器)、70%(テクノエ―スの97年名古屋地裁和解―『日本経済新聞』1997年1 月18日)を認めさせるところまでは来た。この流れを確実にしたい。「雇用管理区分」を超えた均等賃金原則を不可欠とする時代への感性が、今ユニオンリーダーにつよく求められている。

  第三に、男女労働者ともに、フルタイムがパートに、パートがフルタイムに転換できる制度の獲得がつぎの段階の課題として浮上する。この制度は有期雇用の原則的廃止や時間比例賃金制なしには実現が困難であるが、このシステムにおいてこそ、男女労働者は家事・育児・老親介護の負担、健康状態と体力といったライフサイクル上のニーズに応じて勤務形態を選びうるようになるだろう。また、この制度導入によってはじめて、失業多発期の時間短縮、ワークシェアリングも可能になる。すでに周知のオラング・モデルがそれである。

  多くの女性やかなりの高齢者が働くこれからの時代にあっては、パート勤務はまったくノー マルな働き方と認められるべきであろう。しかし私たちの国では、30代後半以降に求職する女性たちは、選択してというよりはいわば宿命的に、あらゆる面で労働条件の保障の危うい非正社員ステイタスを前提としたパート勤務に就く。彼女らは結局、性別役割分業を内包する世帯という単位で、対極的に長時間労働となる正社員男性の収入に依存しなければ生きてゆけない……。企業社会のジェンダー批判はこうして、ついには正社員と非正社員という日本でのみ明瞭な区別をなくしてゆく、そしてとりあえずはパートの「正社員」を認めさせるという主張に帰着する。時間比例の収入差以外に処遇差別のないパート勤務の「正社員」。公務員などは、 たとえばスウエーデンの医療、福祉部門ではまったくふつうのことなのだ。

 非正社員制度は経営側にとってさしあたり大きな経済性があり、また日本の男も女もなお、その「内面化」の程度はさまざまであれ、性別役割分業論にかなり肯定的である――このように、この方向での政策追求をむつかしくしている要因を指摘することはたやすい。けれども、男も女も従来のジェンダー規範にとらわれず職場、家庭、地域のどの領域でも対等に協同すること。そこに否定できない自由の実在を予感するならば、日本企業における雇用のシステムと慣行はこの章で素描したところまでは変えなければならない。」

(熊沢誠著『女性労働と企業社会』第五章ジェンダー差別に対抗する営み_パートタイマーの明日、2000年10月20日、岩波新書発行、215‐218頁より引用しています。)


*******************

 卒業論文の参考文献として読んだ本の中から振り返りを続けています。時間的に読めなかったところもたくさんあり、断捨離しながらあらためて読んだりしています。図らずも労働紛争を経験することとなった自分で読んでみると、そもそも正社員ってなんでしたっけってふと思います。労働弁護団の弁護士によると、法律上正社員という言葉はなく、有期雇用か無期雇用かのどちらかだけだそうです。無期雇用がいわゆる正社員、有期雇用が非正規雇用ということになります。17年前に出版された本ですが、日本で「時間比例賃金」という土壌ができるまでには、弱い立場の労働者がどれほど裁判を起こして、大きな組織相手に闘い抜き、前例をつくりあげていかなければならないのだろうと気が遠くなるばかりで、どこかに希望がみえてくる気が全くしません。企業に多くの抜け穴がきちんと用意されているのはその通りです。労働紛争までいかないとなかなかわかりませんが労働紛争までいくと思い知らされます。法律とはだれのために、何のためにあるのか、そんな問いかけにたどり着かざるを得ません。

女性労働と企業社会 (岩波新書)
クリエーター情報なし
岩波書店

こんな本が売れているんですね

2017年09月14日 18時12分24秒 | 本あれこれ
 先ほど本屋さんをウロウロしていたらこんな本が平積みになっていました。NHKからこんなタイトルの本が出版される時代になったのか。第二版となっていたので売れているということなんでしょうね。こういう本を読まないと生き残っていくことはできないのか。タイトルを見ただけで心身のエネルギーをそがれるような感覚をおぼえました。わたしという商品を上手に売ることが苦手なわたしにはなんか無理ですね。ハケンという仕組みの中で、クソ会社からいつでもかんたんにお取替え可能な「モノ」扱いされた身としては違和感を痛烈におぼえるタイトルですが、読んでみたらそんなことはないのでしょうか。著者の経歴が大会社でしか雇用されて働いた経験がないの、気になります。今のわたしはこういうタイトルの本を読むよりも、村山リウの『源氏物語』を読み返したいです。読めないままにになっていた本を少しずつ読み進めながら心からそう思います。

 何が幸せなのか、人はどうやって生きてどうやって最期を迎えられたら幸せなのか。今年に入って細切れで経験した援助職のはしくれの業務の中で、色々な人生と出会い、根底をあらためて揺さぶられました。具体的に書けないのが残念です。

「あなた」という商品を高く売る方法―キャリア戦略をマーケティングから考える (NHK出版新書 524)
永井 孝尚
NHK出版

『レ・ミゼラブル』_2017年7月11日夜の部

2017年09月13日 18時33分55秒 | ミュージカル・舞台・映画
2017年7月11日(火)、『レ・ミゼラブル』夜の部観劇。

http://blog.goo.ne.jp/admin/editentry?eid=a0fbffa4f3a80f8f0573f6df7a47c1cb&p=1&sort=0&disp=30&order=0&ymd=0&cid=7b71928dce37f6954dba71a012c96e83

 7月12日の「昨日は『レ・ミゼラブル』観劇でした」の続きをようやく綴ってみようと思います。写真を何枚も撮ったのですがタブレット端末を使いました。わたし、タップっていうのが苦手でパスワードの入力を間違えてしまい、タブレット端末からこのブログにアクセスできないためアップロードできません。また後日トライしてみます。

 日本初演から30周年記念の舞台は、チケット難だったようです。平日のチケットを取ってしまったのを後悔しましたが、3年ぶりにもう一度会いたいと思ったキャストで観劇できて、しかも客席で加藤清史郎君・憲史郎君に至近距離で遭遇するという大きなプレゼントがついてきた奇跡の観劇でした。こうしてまたわたし、仕事ができるんだっていう自分に戻ってレミゼの舞台に再会できてよかったです。3年前の帝劇凱旋公演の頃、いやその年の4月からわたしを使い捨てにする話がクソな会社で進んでいたことに全く気付いていなかったことを思うと悔しいし、なんか自分バカみたいじゃんって感じですが、精一杯わたしは仕事をしてきました。おかしいのは会社で、わたしはなんにもおかしくないのでもうやめましょう。

 あらためて

 ジャン・バルジャン  吉原光夫

 ジャベール      川口竜也
 
 ファンティーヌ    和音美桜

 マリウス       海宝直人
 
 エポニーヌ      唯月ふうか
 
 コゼット       小南満佑子
 
 テナルディエ     駒田一
 
 マダム・テナルディエ 鈴木ほのか
  
 アンジョルラス    上原理生

 内容についてのあれやこれやは2013年の観劇日記でかなり語ったのでここには書きません。春に入籍された吉原さんバルジャンと和音さんファンテーヌ、お二人の場面を拝見するのが楽しみでしたが、和音さんファンテーヌの美しさ、強さ、儚さに圧倒されました。素敵でした。歌声に渾身の魂がこもっていて技巧的に上手だという域をはるかに超えるものがありました。心がふるえました。市長となったバルジャンにあなたのせいで工場を追い出されたと抗議する場面の強さ、コゼットを思いながらバルジャンの腕の中で旅立っていく場面。バルジャンとファンテーヌの魂と魂がぶつかりあい、ふれあうような演技に息を呑みました。

 和音さんファンテーヌ、色々な組み合わせがあるので初見でした。2011年からつとめたこの役を今回で卒業されるんですね。大阪で千穐楽を迎えたあとのブログにこう書かれていて沁みました。最後に拝見できてよかったです。

「ファンティーヌ この人の人生を生きられて とても幸せでした。

 人から見て、幸せでなくとも

 精一杯生きて、生き抜けば、それが幸せなんだと

 彼女を通して教えて貰ったような気がします。」

 わたしは和音さんファンテーヌに精一杯生きることの大切さ、自分の人生をあきらめずに生きることを教えられたような気がします。和音さん、10月に『レディ・べス』でまたお会いします。

 吉原さんバルジャン、川口さんジャベール、二幕、学生たちのバリケートに忍び込んだジャベールを撃ったふりをしてバルジャンが逃がす場面。舞台袖で演じられるのをオペラグラスでしっかりと見届けました。バルジャンに許されたジャベールの心の中が崩壊していく場面。それまで正義の塊のようだったジャベールが崩れていくんですね。下水道でバルジャンをさがすときの必死さ、一幕で逃れようとするバルジャンと鎖でつなごうとするジャベールが歌いながら対決する場面の迫力・・・。こうして思い出しているとやはりきりがなくなります。3年前よりもさらにさらにお二人とも役柄に同化されていて魂の舞台。ジャベールの「スターズ」が帝劇せましと響き渡っていました。二幕で魂が崩壊したジャベールがセーヌ川に身を投げる場面が何回拝見してもぐっとせまってきます。どう解釈するのか、答えはないと思います。毎回毎回ジャベールの魂に思いを馳せる場面です。吉原さんバルジャンはほんとに大きくってあったかい、素のお人柄があらわれているバルジャンだったと思います。2013年帝劇大千穐楽のカーテンコールでのお話が思い出されました。バリケードの「彼を返して」が沁みました。あの場面もこの場面も思い出深く、きりがないのですがまたレミゼの舞台に戻ってくることできたと感慨深いことしきりでした。


 海宝直人さんは初見、こりゃもてるでしょ、っていう納得のマリウス。エポニーヌの気持ちに全く気付かない鈍感さがいい意味でもどかしく腹がたつぐらいでした。コゼットにひとめぼれするとエポニーヌに、居所を調べてほしいと頼む場面なんて、エポニーヌの気持ちになるとなんとも切な過ぎました。歌が上手なのはいうまでもありません。唯月ふうかちゃんのエポニーヌも歌うまでした。昨年12月の『クロス・ハート』の時とは歌い方の雰囲気も全く変わっていたし、一幕終盤のバリケードを背負って立つ場面、どうなるかなと思いましたがしっかりとした立ち姿でした。可愛い雰囲気があるのは唯月さんの持ち味かな。

 コゼットの小南満佑子さんは、エリザベートでトート・ダンサーのおひとりだった小南竜平さんの妹さん。納得の可愛さでした。歌声も素敵。バルジャンにしっかりと守られながら清らかに育ってきた感がよくでていたと思います。マリウスと出会ってから、どうしていつも二人だけなの?ってバルジャンに訴えかける場面の清らかさが特に印象的でした。海宝さんマリウスとお似合いですね。

 駒田一さんのテナルディエは、何回目になるでしょうか。安定のお茶目ないやらしい悪役ぶりでした。一番の見せ場である宿屋で歌う場面、マダム・テナルディエと街でバルジャンにたかろうとする場面、下水道でマリウスの時計を頂戴する場面、マリウスとコゼットの結婚式に忍び込む場面・・・、思い出すとやはりきりがありませんがこの人でないと出せない可愛いいやらしさ満載でした。以前ご本人もどこかで話されていたと思いますがテナルディエをライフワークとして続けていただきたいです。

 初演でコゼットを演じた鈴木ほのかさんのマダム・テナルディエ、細い体でどうなるのか想像がつきませんでしたが鬘と衣装とマダム・テナルディエになっていました。鈴木さんらしい可愛らしさのあるマダム・テナルディエだったと思います。谷口ゆうなさんの休演で連投が続いていたせいか、お疲れ気味な感じでちょっと心配でしたが歌と演技の安定さはさすがだと思いました。

 上原理生さんのアンジョルラスは、声がよすぎて、あまりにもアンジョルラスに同化していて言葉がありませんでした。この方の「闘うものの歌がきこえるか♪」を聴かないとレミゼの舞台を観劇した気になりません。まだまだ続けていただきたいです。

 前回のレミゼでジャベール役をけがのため途中降板された鎌田誠樹さんの元気なお姿に、『ミス・サイゴン』に続いて会えたのも嬉しかったです。

 あれやこれやと思い出しているときりがなく、ながくなってきたのでこのあたりでおしまいにします。写真は後日タブレット端末で無事にログインできればアップします。やっと書けました。訪問してくださった方、ありがとうございます。












 

春のプリンス・エドワード島への旅_ケンジントン駅舎跡

2017年09月12日 19時43分19秒 | プリンスエドワード島への旅
 あれやこれの思い出と再会しながら整理中。2カ月半の短期集中の援助職の仕事は慣れない人、慣れないことだらけで緊張の連続、かなりエネルギーを消耗しました。脳ミソのエネルギーを使い果たしたのでなにをどうしていたのかすっかり忘れてしまいました。プリンス・エドワード島への旅の写真もまだまだ整理できていないことを久しぶりに思い出しました。ここ数年間ほんとに色々なことがありました。昨日かなり久しぶりに2010年6月の春のプリンス・エドワード島への旅の日記を読み返しました。残念ですが年月の経過と共に記憶がうすれつつあり、忘れてしまったこともあります。でも小さな手帳にしたため日記の文字の中から、幸せで幸せでたまらなかった穏やかな時間が体のなかによみがえってきました。12時間の飛行のあと、トロント空港に到着、同じプランを利用してこられていた女性の二人連れに声をかけられた時のわたしはほんとに申し訳なかったですが、クソな会社での仕事の疲れとストレスをたっぷりとためこんだままで顔がひきつっていました。でも島へ着いた翌日、プリンス・エドワード島プリザーブ・カンパニーにいるときのわたしはすごく幸せそうな表情をしたんだそうです。そんな私の表情をみて、この島はそんなに素敵な所なんだとお二人は思ったとあとからききました。父との別れ、母との別れ、クソ会社から使い捨てにされたので損害賠償を求めたら労働紛争となりボロボロに傷つき、ここまで立ち直ってきて、といろいろなことがありすぎました。

 ブログを始めた頃はチェンネルの使い方を知らなかったので画像フォルダにはアップロードしていてもチェンネルには登録できていない写真もいっぱいあって、ぐちゃぐちゃ状態を少しずつ整理していければと思います。よろしければ気長にお付き合いください。

朝のケンジントン駅舎跡。曇り空でした。




熊沢誠『女性労働と企業社会』より(6)

2017年09月12日 18時58分32秒 | 本あれこれ
「パートタイマーの明日
 
 森田電エパートユニオンの例にみるように、職場に定着するパートは、今では激しい労働者間競争によってなかまの連帯を危うくされている正社員以上に、労働組合づくりの土壌に恵まれている。〈被差別者の自由)をもってしてもやりすごすことができない憤りを覚えさせるほどの、経営者の不当な処遇を体験することもまれではないからだ。各地のコミュニティユニオンにも、彼女らの不慣れな組合活動をサポートする用意がある。しかしながら、労働者は総じてその市場的取引力が十分でない程度に応じて政治や法律による労働条件の規制を必要とするという労使関係論の定説はある。パートタイマーの待遇改善についてはやはり、しかるべき法改正が中心的な手段として浮上するだろう。

 ここでも、ヨーロッパのありようが方向を示す。たとえばIL〇94年の「 パートタイム労働に関する条約」(175号)は、パートとは「通常の労働時間が比較可能なフルタイム労働者のそれよりも短い労働者」と定義し、労働三権の保障、フルタイマーと(仕事が同じなら)同じ時間給、フルタイム・パートタイム相互の転換制、社会保障給付や休暇に関する同等の権利などを謳っている。「黄金律」というべきであろう。これに従って97年には、各国の法制内容を規制するECのパートタイム労働指令も定められた。現時点では、175号条約の主な内容は各国のパート関係法の通り相場である(女たちの欧州調査団2000)。

 日本政府はこの175号条約を批准していない。もちろんそれは、私たちの国では、パートは労働時間が短いだけではなく「雇用管理区分」を異にする非正社員であり(そればかりかフルタイムのパート」非正社員さえ存在する!) 、すべての待過が異なって当然であるという産業社会の通念がまだゆるぎないからである。均等法はこの「雇用管理」を超えては処遇格差の正否を問わず、パート労働法は、パートの「就業の実態、通常の労働者との均衡等を考慮して、適正な労働条件の確保」につとめよと述べるだけだ。時間比例賃金、ぺイ・エクイティ原則も認められていない。だから、正社員とくらべたときパートの仕事内容の一部、「責任」、残業や転勤の応諾、契約期間、勤続などが異なれば、彼女らの低い待遇は法的に認められてしまう。いったい「均衡」とはなにか? 年に3386時間働かねば300万円を得られない状態で「均衡」がとれているといえるのか?

 非正社員の動員という労務管理は激しい急流である。それだけに女性比が圧倒的に高いパートタイマーなどの労働条件の低下・停滞をとどめることができなければ、ジェンダー差別克服の言説は一片の空語となるだろう。均衡でなく均等を求めれば、直ちに三点ほどの要求が設定されなければならない。」

(熊沢誠著『女性労働と企業社会』第五章ジェンダー差別に対抗する営み_パートタイマーの明日、2000年10月20日、岩波新書発行、213-215頁より引用しています。)

「ぺイ・エクイティとは
 
 ペイ・エクイティ(同一価値労働同一賃金)は仕事が異なっていても、その価値が同一または同等の仕事をおこなっている男性と女性にたいして、性別にかかわらず同じ賃金を支払うことを求める原則です。
歴史的に、男性と女性は違った仕事に従事する傾向があり、女性が伝統的におこなってきた仕事(女性職)は、男性の仕事に比べ、一般に、実際の価値よりも低く評価されてきました。ペイ・エクイティは、性によって分離された女性職の価値を再評価することによって、女性にたいする賃金差別を是正するための戦略です。」(ワーキング・ウィメンズ・ネットワークの㏋より)

















女性労働と企業社会 (岩波新書)
熊沢 誠
岩波書店

旅の思い出写真_スイス・グリンデルワルド

2017年09月11日 19時30分01秒 | ドイツロマンティック街道とスイスアルプス
 失業者となって11日目、短期集中のエネルギーのそがれ方は半端ではなく気力が戻ってくるまでにはまだまだ時間がかかりそうです。自分の部屋にずっといるとちっそくしそう、一日中ひきこまったまま部屋にいるなんてわたしには考えられず、歯医者さんの通院を兼ねて息抜きに外出して、食事とお茶。お金がかかっても、ストレスになっても外に出て人と会うことは大切。

 部屋の中は思い出と共にまだまだぐっちゃぐっちゃであちらもこちらもモノ、モノ、ほこり、ほこり。少しずつがんばって断捨離中。

 スイスで購入した絵葉書が出てきました。自分でもすっかり忘れていました。グリンデルワルドからスイスアルプスをのぞむ絵葉書。きれいですね。ここに鉄道を通そうなってすごいことスイスの人は考えたもんだとあらためて思います。20歳の頃、今井通子さんの『私の北壁』『続私の北壁』を愛読し、講演を聴いたこともあるので、アイガーのお腹を登山鉄道で抜けた時は本当に不思議な心持ちでした。この旅の前に本を読み返したかったですが時間がありませんでした。今ならできるかな。




上のはがきの住所欄








上のはがきの住所欄







上のはがきの住所欄






上のはがきの住所欄



熊沢誠『女性労働と企業社会』より(5)

2017年09月11日 15時27分26秒 | 本あれこれ
「ノルマ達成の心労

1992年、田代真弓(仮名)は、私立大学の経済学部を卒業して、希望どおり大手の旅行会社に就職した。勁い(つよい) 性格の彼女はどこまでも働いてゆくつもりだったけれども、迷いの末、99年には退職している。

 大都市の支店で、はじめは旅館や関係業者からのセールス担当者と折衝する団体旅行の手配の職務についた。しかしやがてその仕事にも慣れ、田代は94年12月、希望して店頭カウンターの営業に移る。それ以来、別の大都市の支店に転じはしたが、同じ職務で働いてきた。一方、彼女は94年8月に結婚し、翌年には女児を出産している。「お腹の大きい問」は電話の受付を担当した。退職勧奨はなかったが、もと社員で同じ仕事をするパートタイマ ー、時給1,400円の「エキスパートメイト」(仮称)になるようにくりかえし勧められはした、「子供が病気にでもなれば心配で仕事が手につかないだろう」と。当時、この会社のOLは3割ほどが結婚で、残りのうち6割ほどが出産前後で退職していたとい う。

 田代はしかし、8ケ月の育児体業をとって働き続けた。繁忙の毎日だった。朝7時に起床。8時半、家を出て子供を託児所に預け、9時45分には出社。勤務は10時15分から19時までであるが、残業もあって退社はふつう20時、会議のときなどは21時だった。遅いときは夫が託児所へ子供を迎えに行く。月に6―7万円の託児料だった。21時30分ごろから食事、入浴、そして翌日の食事の下ごしらえ。夫も忙しく家事の分担もままならなかった。就寝は午前1時になる。洗濯や掃除は土・日にまとめた。若さと健康と、「私は元気!」という自己暗示が支える毎日だった。その気力をもって田代真弓は、96年に一種のコース制――コー スによって30歳で3・2万円、40歳で4・1万円、50歳で4・6万円の本給格差がつく――導入の際にも、総合職的なコースを選んでいる。98年には、旅行業取扱い主任の資格も取得した。

 そんな田代がついに退職を決意した主な理由は、誰もが推測する「仕事と家庭の両立」の難しさではなかったと彼女は言う。低賃金でもない。98年には彼女の年収480万円ほどに達していた。また前項の高村由美の場合のように、性別職務分離が明瞭で女性の仕事が補助業務に限定されていたからでもない。長い眼でみれば、この会社にも男は外回りの営業、女はカウンター営業という偏りはあったけれども、同じ課では男女間で仕事内容に差はなく、女性が周辺の雑務を行う慣行もなかった。また田代の仕事には、入ったばかりの男性にはない企業まわりがいくらか含まれていた。

 本当の理由は、むしろ上のことの裏面ともいうべき、勤続とともにますます重くなる「目標(ノルマ)を果たすことの心労であつた。ノルマは、この会社では、支店に降りた予算を各課に分割し、課のなかでは課長が社歴などを考慮して個人に割当てるというかたちで決まる。退社前の田代が負っていた1年あたりのノルマは、国内旅行あわせて利益収入2,400万円、これは売上げベースでは約2億円にあたる。それにこの会社の旅行カード30件とデパート共通商品券100万円分であった。これらの数値の達成度は、カウンターにあってはほとんど個人差が出ないように思われるけれども、実際には接遇の積極性、説明の説得性、電話での勧誘などによってかなり異なってくる。達成の督励は、カウンター業務ではとくにカードと商品券についてきつかったという。まことにきびしいノルマといえよう。

 田代は努力して旅行契約の約85%ほど、カードと商品券は100%達成している。この成績は、したがって査定は、彼女の最後のグレードであった主任のなかでは良好であり、その結果、成績が反映されるボーナスは平均より2万円ほど高かった。しかし精神的にはきつい。数字を考えると胃が痛んだ。それにどこまでも耐えてゆける自信はもてなかった。その上、ボーナスは、支店全体が前年度予算を達成できなかった場合には懲罰的に大きく減額される。よくがんばった田代の賞与も、他支店の同期の人とくらべるとときに約10な報酬システムは能力主義原理に肯定的な田代にも割切れなかった。ちなみにさまざまの課題万円も低かった。そんな報酬システムは能力主義原理に肯定的な田代にも割切れなかった。ちなみにさまざまの課題について従来からわりあい健全な機能を果たしてきたこの会社の労働組合も、ノルマの水準とこの「集団主義的」な報償のかたちには、近年とくになにも発言はしていない。

 ノルマが達成できなければ退職を迫られるほど競争主義的な会社ではない。ノルマの数字など気にしなければ、そしてボーナスの若干の低下に耐えさえすれば、田代真弓はさらに勤続を重ねることができただろう。しかし真摯な田代は、一方では男女雇用機会均等と能力主義の理念をまっすぐに受けとめ、他方では過重なノルマ設定にみるきびしい経営環境に促されて、男女間で内容に差のない仕事に挑戦した。ある意味ではこれは一つの挫折のストーリーではあれ、ふりかえって思いを誘うのは、この甘えのない若いワーキングマザーの気力がなしえたこと、なしえなかったことについてである。(以上、私自身のききとり1999‐2000)。」

(熊沢誠著『女性労働と企業社会』第二章企業社会のジェンダー状況_五つのライフヒストリー、2000年10月20日、岩波新書発行、34-35頁より引用しています。)




女性労働と企業社会 (岩波新書)
クリエーター情報なし
岩波書店

日比谷シャンテ雪組ステージ衣装コレクション展(3)

2017年09月10日 18時49分51秒 | 宝塚
 昨日一路さんのコンサートの前にいつものようにシャンテで腹ごしらえしようとしたら地下2階の飲食店街も改装工事中でした。12月上旬オープンだそうです。行かれる方はご注意を。わたしはその頃まで都心にいられるのかしらと思いました。(次の収入の目途がつかなければいれないという気持ちだけあせり・・・)。

 6月の雪組ステージ衣装コレクション展、違う角度から撮っているだけで以前に載せたものと内容は変わりません。これで全部かな。

 早霧さん、咲妃さん。平成の名コンビちぎみゆがファンの心をとらえたのは、早霧さんが咲妃さんに対等を求め、咲妃さんは必死にそれにこたえようとしたからだとか。宝塚に存在する男役優位というジェンダー。ファンの目も男役さんへの憧れと同時に娘役さんへのきびしい視線があるような、ないような。時々ネットで娘役に対する手厳しい記事をみかけますがそんな声もきっと受け止めつつ、個性を発揮している素敵な娘役さん、たくさんいらっしゃいます。

 退団するときは男役さんも娘役さんも緑の袴で大階段をおりてこられて、宝塚って色々な意味で面白い、不思議な世界。興味はつきません。







熊沢誠『女性労働と企業社会』より(4)

2017年09月10日 18時05分23秒 | 本あれこれ
「通信社の記者として

 飯田裕美子は1984年、国立大学を卒業して共同通信社に入社、それ以来、社会部記者として引き続き働いてきた。

 94年の時点では、日本新聞協会加盟94社の記者総数2万925人のうち、女性は1679人、約8%にすぎない。しかも女性記者の多くは「家庭欄」担当、ついで学芸部、文化部などの配属であって、ホットなニュースを扱う社会部記者はごくわずかだ。その理由はまずもって、朝刊の記事はその日の午前二時ごろまでに起きた事件を対象とするため、しばしば「必然的に夜の取材が重要になる」ということにある。この「特殊な勤務状況が、夕方は家に帰って家事をしなければならない結婚しているおおかたの女性にとって、ネックとな」る。つまり性別役割分担を前提として「『女は事件記者になれない』という偏見」が生れ、そこからまた「『これはオトコの仕事なんだ』という一種の『美学』も派生している。法律面でも、86年春施行の改正労働基準法が専門職の女性保護を撤廃するまでは、飯田も「夜討ち朝駆け」を「もぐり」でやるほかなかったはずである。

 飯田は94年に出産して約五か月間、仕事を休んだ。「この間に切実に思ったことは・・・記事を書くことはやっぱり面白いし、私はこの仕事が好きだということである。」仕事の自律性に恵まれたいくつかの専門職に共通する感覚であろう。こうして家庭を維持しながら働き続けるなかから、いま飯田はこう感じている‐「夜働ける人が朝刊をつくる」のは「これはこれでつじつまがあっている」かもしれないが、それでは記者生活と、スーパーで買い物をする。子供の送迎に保育園へ行く、家族と夕食をとる、話題のテレビドラマを見るといったふつうの社会生活とは両立せず、「結果的に、生活感の非常に希薄な記者が社会面を書くという状態が生じてくる」・・・。

 新聞記者に女性がふえることの意義は大きい。たとえ新聞記者のなかにもそれなりの性別職域分離がみられるにせよ、「家庭面」の女性記者はこれまで、料理、美容、ファッションなどにテーマを限定することなく、パートタイマー、働きすぎと健康、主婦の鬱屈、老人介護、ウーマンリブなど深刻な社会問題の所在に注意を促してきた。その上に社会部やデスクなど、これまでの「男の領域」を女性が徐々に蚕食してゆくことがあれば、「男の美学」や大所高所論が排除または軽視してきたふつうの生活者の感覚が、政治・経済・社会問題の報道に溶かし込まれることになるだろう。この種の専門職の上のような「社会的責任」を考えても、社会部記者の勤務について飯田裕美子が言うように、「一つの任務をだれかとシェアし合える体制、・・・家においては家事を夫や他の家族とカバーし合えるよう」な体制を整えることが必要だ。飯田の場合、同じ通信社に勤める夫と、かなり成長をとげている夫の連れ子が保育所への幼児の送迎をときに手伝うなどの条件に恵まれていた。それにもちろん「職場の空気」も、「男性であっても家庭を運営しながら働くのが社会人として当たり前のことだという認識を多くの人が持つよう」変えてゆかねばならない(以上、田中/諸橋編1996年)。

(熊沢誠著『女性労働と企業社会』第二章企業社会のジェンダー状況_五つのライフヒストリー、2000年10月20日、岩波新書発行、29-31頁より引用しています。)



女性労働と企業社会 (岩波新書)
熊沢 誠
岩波書店

一路さん35周年記念コンサート

2017年09月09日 23時43分56秒 | 宝塚
 シアタークリエで18時30分開演。満員御礼。ゲストはアッキーこと中川晃教さん。一幕が宝塚メドレー。二幕が退団後のミュージカルメドレー。宝塚は雪組二番手の途中から退団までの全作品を、退団後はミュージカル作品の半分近くを観ているし(ストレートプレイは清史郎君お目当ての『春日局』だけかな)、宝塚の若手時代は映像で観ているのでほぼわかりました。なつかしいことしきり。一幕も二幕も『エリザベート』からの楽曲がたっぷりで、男役と女役を行ったり来たりできる一路さんの歌唱はすごいとあらためて思いました。年を重ねて声に磨きがかかっているのではないでしょうか。最後に歌われた今の一路さんの「わたしだけに」を帝劇の舞台で聴きたいと思いました。自分の人生の可能性の扉を自分で閉じてしまってはいけないんだなと思いました。自分の人生から自分で降りてしまってはいけないんだなと思いました。同世代。わたしも社会という荒波を一路さんと同じぐらいの年月生き延びてきました。これからも一緒に生き延びていきたいです。そしてさらなるアニバーサリーを一緒にお祝いできる日が訪れるといいなと思います。アッキーの、裏で話題になっていたんですけど35周年って、退団してから35周年ですか? エッ?がおかしかった。初舞台から35周年ですという一路さんのかえし。アッキーは35歳だそうです。お互いよくここまで生き延びてきましたよね、一路さん。これからも一緒に歳を重ねていきたいです。あれやこれはまた後日。






日比谷シャンテのキャトルレーヴでキャンペンーンやっているみたいでトップスターさんの広告が大きく出ていました。




お向かいの東京宝塚劇場。10日ほど先に月組を観劇予定。