たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

熊沢誠『女性労働と企業社会』より(4)

2017年09月10日 18時05分23秒 | 本あれこれ
「通信社の記者として

 飯田裕美子は1984年、国立大学を卒業して共同通信社に入社、それ以来、社会部記者として引き続き働いてきた。

 94年の時点では、日本新聞協会加盟94社の記者総数2万925人のうち、女性は1679人、約8%にすぎない。しかも女性記者の多くは「家庭欄」担当、ついで学芸部、文化部などの配属であって、ホットなニュースを扱う社会部記者はごくわずかだ。その理由はまずもって、朝刊の記事はその日の午前二時ごろまでに起きた事件を対象とするため、しばしば「必然的に夜の取材が重要になる」ということにある。この「特殊な勤務状況が、夕方は家に帰って家事をしなければならない結婚しているおおかたの女性にとって、ネックとな」る。つまり性別役割分担を前提として「『女は事件記者になれない』という偏見」が生れ、そこからまた「『これはオトコの仕事なんだ』という一種の『美学』も派生している。法律面でも、86年春施行の改正労働基準法が専門職の女性保護を撤廃するまでは、飯田も「夜討ち朝駆け」を「もぐり」でやるほかなかったはずである。

 飯田は94年に出産して約五か月間、仕事を休んだ。「この間に切実に思ったことは・・・記事を書くことはやっぱり面白いし、私はこの仕事が好きだということである。」仕事の自律性に恵まれたいくつかの専門職に共通する感覚であろう。こうして家庭を維持しながら働き続けるなかから、いま飯田はこう感じている‐「夜働ける人が朝刊をつくる」のは「これはこれでつじつまがあっている」かもしれないが、それでは記者生活と、スーパーで買い物をする。子供の送迎に保育園へ行く、家族と夕食をとる、話題のテレビドラマを見るといったふつうの社会生活とは両立せず、「結果的に、生活感の非常に希薄な記者が社会面を書くという状態が生じてくる」・・・。

 新聞記者に女性がふえることの意義は大きい。たとえ新聞記者のなかにもそれなりの性別職域分離がみられるにせよ、「家庭面」の女性記者はこれまで、料理、美容、ファッションなどにテーマを限定することなく、パートタイマー、働きすぎと健康、主婦の鬱屈、老人介護、ウーマンリブなど深刻な社会問題の所在に注意を促してきた。その上に社会部やデスクなど、これまでの「男の領域」を女性が徐々に蚕食してゆくことがあれば、「男の美学」や大所高所論が排除または軽視してきたふつうの生活者の感覚が、政治・経済・社会問題の報道に溶かし込まれることになるだろう。この種の専門職の上のような「社会的責任」を考えても、社会部記者の勤務について飯田裕美子が言うように、「一つの任務をだれかとシェアし合える体制、・・・家においては家事を夫や他の家族とカバーし合えるよう」な体制を整えることが必要だ。飯田の場合、同じ通信社に勤める夫と、かなり成長をとげている夫の連れ子が保育所への幼児の送迎をときに手伝うなどの条件に恵まれていた。それにもちろん「職場の空気」も、「男性であっても家庭を運営しながら働くのが社会人として当たり前のことだという認識を多くの人が持つよう」変えてゆかねばならない(以上、田中/諸橋編1996年)。

(熊沢誠著『女性労働と企業社会』第二章企業社会のジェンダー状況_五つのライフヒストリー、2000年10月20日、岩波新書発行、29-31頁より引用しています。)



女性労働と企業社会 (岩波新書)
熊沢 誠
岩波書店

この記事についてブログを書く
« 一路さん35周年記念コンサート | トップ | 日比谷シャンテ雪組ステージ... »

本あれこれ」カテゴリの最新記事