たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

2009年2月‐6月『ルーヴル美術館展』_17世紀ヨーロッパ絵画(1)

2017年09月21日 14時38分47秒 | 美術館めぐり
 外は秋晴れの青空、遠く流れる雲にプリンス・エドワード島の高い空を思い出しました。夜部屋にいるとストレスが強くて胃の痛みがとまらず、今朝はすごく疲れているのに7時前に外階段をカンカンと降りていくけたたましい音で目が覚めてしまいました。働いていた時も毎朝きこえよがしですか、っていう感じでうるさかったですけどね、耳栓がまた古くなってきたのか音がまた一段とうるさくなってきたのか目が覚めてしまいました。この集合住宅も限界。逃げるべきですが勤務先もお金も必要なので動きようがなく、お金をいただくためにどうしてもやりたいという仕事が自分の中にはないことに気づいて気力失せ中。(お金のためではないことからたくさんあるますけどね・・・。)家に帰ろうかなとか思い惑います。こんなことをしている場合ではないですが思い出、振り返り。

 2009年2月28日から6月14日まで国立西洋美術館で開催された『ルーヴル美術館展』。パリで絵と対話するという経験をしてから、たびたびこうして美術展を訪れるようになりました。4月16日に使い捨てにされたクソ会社で働いていたころで、ようやく有給休暇をとって平日に訪れましたがすごく混んでいました。最大の目玉はフェルメールの『レースを編む女性』。(わたしがパリのルーヴル美術館展を訪れた時、展示されていたかどうかはわからないです。海外に貸し出されているという話だったような・・・)。木の額縁に入った小さな絵、ピンクッションのブルーが美しい色合いで女性の表情は優しい雰囲気。絵全体が優しく穏やかで癒される感でした。もう一度会いたくて、会期終了間際の金曜日の夜、早退してもう一度訪れました。(金曜日は夜8時まで開館していたので。)大混雑の喧噪の中でもこの絵の前に佇み、向き合って対話した穏やかな時間、幸せでした。フェルメールの絵にはその後何度も会いに行くことになります。いつかフェルメールの絵に会うためにオランダにいくのがささやかな夢。日本でもう会っていますけどね、その場の空気の中で対話してみたいんです。この世にいる間にかなうでしょうか。


「レースを編む女性

 1669~70年頃、油彩、カンヴァス、24.5×21㎝、パリ、ルーヴル美術館展

 小品の多いフェメールのなかでももっとも小さい部類に入るが、その完成度の高さゆえ代表作のひとつに数えられる珠玉の1点。両手のあいだの細い2本の糸のみはっきり描かれ、あとは顔も髪も手前の道具もすべてぼやけている。まるで焦点深度の浅いカメラで撮った写真のようだ。とくに画面左のクッションからはみ出た赤と白の糸の、なんと斬新な描き方。」

(『週刊西洋絵画の巨匠4フェメール』小学館、2009年2月24日発行より)

ようやく書けました。








『木靴の樹』シナリオ(19)

2017年09月20日 18時17分36秒 | 映画『木靴の樹』
(フランス映画社発行のパンフレットより引用しています。)


*ルンクの後家さんの家・台所

 アンセルモが玉蜀黍粥(ポジンタ)をよそっていると、物乞いジョパが入って来る。共に祈るジョパ、アンセルモ、子供達。

アンセルモ「(十字を切るジョパに)腰かけて、冷めないうちに玉蜀黍粥(ポジンタ)をお食べ」

 のろのろと椅子に坐り、ほどこし物を口にするジョパ。それを見つめる子供達。

*厩

 ルンクの後家さんは聖水を大切に抱えて帰って来ると、寝そべっている牛に祈りを唱えつつ飲ませる。

*バティスティの家・台所(昼)

 ミネクが学校から帰ってくる。

バティスティ―ナ「お帰り」

バティスティ「火のそばに来て、足を暖めな。寒い日だ」

バティスティ―ナ「足がぬれている」

バティスティ「(ミネクを暖炉前に坐らせ)靴と靴下をぬいであたためなさい。今日は寒い、
霜やけにならんように。(食事を与えミネクの横にかがみこむ)、お食べ。先生の話は?」

ミネク「水の話をしたよ」

バティスティ「水の話?」

ミネク「水には小さい動物がたくさんいるって」

バティスティ「魚だね」

ミネク「おさかなじゃない。もっともっと小さな動物だよ。一滴の水のなかにもいるよ。飲み水のなかにもいるんだ」

バティスティ「飲み水にも?」

 ミネクの言葉に聞き入る両親。

ミネク「ものすごく小さくて、見えないんだよ」

バティスティ「見えないものが、どうしてわかる?」

ミネク「特別の道具がついた器械で水を見るんだよ」

バティスティ「医者が使う奴か!勉強になるな」



木靴の樹 Blu-ray
クリエーター情報なし
紀伊國屋書店

春のプリンス・エドワード島への旅_銀の森屋敷(赤毛のアン博物館)

2017年09月19日 18時31分22秒 | プリンスエドワード島への旅
 ためこんだままの写真も少しずつ整理中。2010年6月の春のプリンス・エドワード島への旅。父の具合が悪くなってきていると弟から連絡がありながら、わたし実家には帰らず、弟への後ろめたさを抱えながらも会社でのストレスに耐え切れず、何カ月の前から計画していたとおり旅で出ました。今行っておかないとしばらく行けなくなるのではないかという切羽詰まったような気持ちもあったような気がしますが、この数年間で色々なことがありすぎて記憶が途切れ途切れになってきています。この旅から3か月後に父とのお別れは訪れました。高齢者なんだから突然なにがどうなるかわからないの当然なのに、妹とお別れをしているのに、自分の親がいなくなるなって考えたことがありませんでした。突然訪れたお別れから丸7年が過ぎました。


 37歳で結婚したモンゴメリさん。カナダ初の女性作家として経済的に自立していたのに結婚したのは、幼いころに両親と別れたので家庭がほしかったのではにかという松本侑子先生のお話をうかがったことがあります。旦那さんが今でいう統合失調症だったことに苦しんだモンゴメリさん。自分の家族のことを考えると、モンゴメリさんのことを全く他人ごととは思えずどこか自分と重ね合わせながら思いを馳せているところがあります。モンゴメリさんの最期が自死であったとカナダ政府が認めたという雑誌の記事を読んだときはかなりショックが大きくて、高校時代にあれほどあこがれた『赤毛のアン』を一度は封印しました。精一杯生きた時間があったことを大切にしたいとようやく思えるようになりました。


モンゴメリさんが使ったベッド。
ベッドが小さいのは、横になるのではなく腰はよっかかったまま休んだからだそうです。



モンゴメリさんのサインがはいった本。
猫が好きだったモンゴメリさんはサインと一緒に猫を描いていました。




モンゴメリさんが撮影した写真が展示されていました。






トップの写真はシャーロットタウンから、銀の森屋敷へと向かう途中の車窓からの景色。緑が美しく何枚も何枚も撮らずにはいられませんでした。つたないものばかりですが、チャンネルに少しずつアップ中です。

ストレスから胃液が口の中に逆流しているらしいこの頃。これからどうやって生きていけばいいのかわからないままに時間が過ぎていきます。明日は歯医者さん。なんとか生き延びられますように・・・。

月組『All for ONE』_夢のひとときでした

2017年09月18日 22時37分20秒 | 宝塚
 月組『All for ONE』、11時開演。運よくチケットが抽選で当たり、無事に観劇してきました。物語はダルタニアンと三銃士の物語にルイ14世の双子・鉄仮面伝説を絡ませたコメディ。一路さんが双子のルイ14世を演じた『ブルボンの封印』を思い出しました。ブルボン家もハプスブルク家も史実はつらいですが、アントワネットの子どもたちがルイ14世の築いた負の遺産を背負うことになったのを思うとつらいですが、舞台はコメディ。セリと盆をふんだんに使ってテンポよく次々と華やかに場面が展開していく愉快、痛快、爽快な冒険活劇でした。小池先生ってやっぱりすごいんだなあと思いました。杜けあきさん主演の『華麗なるギャツビー』を観た時すごい演出家がいるもんだなあと感動したのを思い出しました。小池先生、今は『レディ・べス』の稽古中。『ポーの一族』の脚本は間に合うのかなあと心配になります。そのあとは『1789』『モーツアルト』と続き、忙しすぎ。もう少し先に青年ルドルフとして清史郎君を抜擢、演出してほしいのでお元気でいていただきたい。小池先生DNAを受け継ぐ演出家は育っているのかな。若手に期待したいところ・・・。

 というのはおいといて、役者さんは専科の一樹千尋さん、最近認識できてきたトップ3以外はわかりませんでしたがそんなことはどうでもよかったです。シートに身を委ねて舞台に集中している2時間半。キラキラの舞台がいやなことだらけの現実を忘れさせてくれます。大切な現実逃避の時間。2階席でしたが銀橋も舞台も近くに感じられてみやすいので快適でした。指揮は西野淳先生。盛り上げてくれました。舞台を所狭しと駆け回り、殺陣のシーンも多い男役さんはかなりの運動量、フィナーレの群舞のダンスは、最近東宝の小池作品でも振付をしている方々の新しいハードな感じの振付で、これを1日に2回やるのは相当きついだろうなと思いましたがいつもキラキラの笑顔なんですね。だからすっごく幸せ。珠城さん若いトップさんらしくはつらつとしていました。愛希れいかさんは男役と女役の演じ分けで素敵で可愛らしかったです。美弥るりかさんイケメン神父とか、ちっさいお顔の横顔がほんとに綺麗で素敵なイケメンぶりでした。

 次はいつここに来ることができるのだろうと思うと貴重な一回でした。生の舞台との出会いは一期一会。儚くもあり美しもあり、忘れがたい一回、一回。

 明日からまた現実。いや劇場の外に出たら現実。矛盾と怒りに満ち溢れた世界。日中の居場所を失くしている生きづらさがわたしに襲いかかってきます。わたし、黒いシャツに黒いパンツに黒いカーディガンの戦闘服仕様でないときは、ほんとにヘンなおばさんにしかみえないみたいで、すれ違う時男の人に気持ち悪いって言われることが時々あります。昨夕もそれですごい気持ちが落ち込み人に緊張してしまいました。たしかに見た目ヘンですけどね、ちんちくりんのいっつもマスクして荷物をいっぱい持ったおばさんがひとりふらふらしているのですからたしかにヘンですけどね。マスクが外せなくなったのは、10年余り前会社で咳き込み始めたら止まらなくなって体が震えてきてしまって以来空調に弱いという意識があるからだし、荷物多いのは3.11以来いつ帰宅難民になるかわからないという恐怖感と背中合わせで暮らしているからだし、ちゃんと理由があるんで大きなお世話。なんにも迷惑かけていないのに人のことを言う日本人っていやでたまらない。でも今わたし失業者。大変な仕事をしてきたけれど今は失業者。なんか社会に対して肩身がせまいような思いがあってつらい。部屋にいれば緊張感から気持ち追い詰められ、外に出れば外に出たで人に緊張している毎日。胃の痛みがとまりません。、千円で購入して10年ぐらい使い続けてきたのでよれよれになった手提げのトートバック、キャトルレーヴでお手頃価格なのがあったのでリニューアルしました。ほんとはリュックもリニューアルしたいですがほしいものは高いのでもう少し考えます。明日からまた断捨離しながら次の居場所探し。限りある人生の時間。これからどう生きていけばいいのかわかりません。明日は父の命日、21日は妹の命日。

 『ポーの一族』の大劇場貸切公演とホテルを予約しました。インスタとツイッターでインフォメーションしてくれていた方があったのアクセスしたら難なく取れました。お正月公演。ここから往復するのか、実家から往復するのか、新幹線か飛行機か。飛行機ならマイルのクーポンの期限があるし繁忙期だし悩みどころ。プリンス・エドワード島まで片道12時間を一人で旅したことのあるわたしですが、行ったことないし予定が決められないし、かなりのハードル、大冒険。無事に越えられるといいですがどうでしょうか。

 台風通過からの30度越え。明日もきつそうですね。なんとか生き抜けますように・・・。


劇場内は夢のひととき。幸せに充ち溢れています。



























花組『邪馬台国の風(2)

2017年09月17日 19時16分16秒 | 宝塚
 三連休の二日目、秋休み中のわたしにとっても世間が休みの時はややお休みモード。夜更かししていないのに今朝はまた目がさめたら9時半を回っていました。わたしにそんなに疲れているということなのでしょうか。明日の月組公演は11時から。起床してすぐに出かける支度をする生活を二週間余りしていないし、ちゃんと間にあるように行けるのかしら。毎朝6時過ぎに起床して仕事に出ていたのに、今のわたしにとっては高いハードル。がんばれ、わたし。休みだからといってずっと部屋にいるとご近所との緊張感もあって気持ち追い詰められてくるし、かといって断捨離は自分の部屋でしかやれない間の葛藤の毎日。夕方になってようやく区切りがついて外に出ました。外に出たら出たで人に緊張していますけどね。仕事をしていないとただのヘンなおばさんにしか見えないみたいで仕事をしていないことが自信を喪失させています。連休が明けたらまた気力がわいてくるかな。

 前置きが長くなりすぎました。『邪馬台国の風』、劇場で観た時は明日海さんの「本日はようこそ宝塚へ・・・」が流れる前の和太鼓のリズムと棒を使ったダンスの群舞にわくわく、オペラグラスを使って衣装をガンミしてかっこよさを堪能。ライブビューイングはお顔がアップで表情がよくわかるのでこれまたかっこよさを堪能。仕事の辛さと同じ分、いやそれ以上に楽しさを味わいました。

「今から1800年前の古代日本。「倭」と呼ばれていた日本列島では 「王」(おおきみ) を指導者とする三十余りのクニが創られ、大陸から伝わった技術による稲作や優れた性能を持つ金属器によって 、人々は暮らしを大きく変えていった。しかし一方で肥沃な土地を手に入れよ うとクニとクニとの争いが続き 、長引く戦に人々の心は疲弊していた。中でもクニグニの連合の中心である邪馬台国と、その対抗勢カである狗奴国(クナコク)との争いは日々激しさを 増し 、狗奴国は力づくで倭の国の統率をとろうと躍起になっている。

 狗奴国との戦で孤児となった少年タケヒコは追手から逃げる途中、大陸隆から疲来してきた李淵に救われ、彼のもとで戦術と共に生きる術を学ぶことになる。時が経ち、李淵の教えを受けたタケヒコは生き抜く為に闘う術を身に着けていくが、李淵もまた、狗奴国の兵に殺されてしまうのだった。“自身の宿命は変えることはできないが、自分の生きる道は自分で切り拓いていける"。李淵のその言葉は、タケヒコの胸に深く刻まれていた…。

 ある時タケヒコは、狗奴兵に襲われていたマナという少女を助ける。巫女になる為に邪馬台の里へ向かうと話すマナは、神の声を聞き、未来を知る力があるという。マナはタケヒコに 「あなたはいつか、海を渡って、遠いクニヘ行く…」、そして私逹は遠い音に出逢い、もう一度めぐり逢うと約束したと告げるのだった。自身の力を人々の平和な暮らしを取り戻すために役立てたいと語るマナ。タケヒヨはマナの不思議な様と面差しに心惹かれていく。めぐり逢う運命にあったタケヒコとマナ……。邪馬台の里へと急ぐマナを見たタケヒヨは、自らもこの国に平和をもたらすべく邪馬台の兵士となる決意を固めるのだった。

 邪馬台の里へ下ったタケヒコは、早速、兵士仲間達と狗奴国の偵察を命じられ、砦の一角で狗奴兵と剣を合わせることとなる。その兵士こそ、李淵を討ち、マナを襲った狗奴国の将、クコチヒコであった。砦の出火に追われ、その場を立ち去るクヨチヒコに、タケヒコはいずれ再び交えるだろう一戦を予感する。

 倭国連合の中心となる邪馬台国の王が亡くなった。諸王たちの協議の結果、大巫女の位を受けたマナが、ヒミコという名を与えられ邪馬台国の、そして倭国の連合の女王となるこ とが決まる。

  女王即位の宴が催された。そこでタケヒコが目にしたた新女王の姿…それはあの日、狗奴国の兵士から救った娘、マナであった。今や手の届かぬ存在となってしまったマナに思いを馳せるタケヒコ…。マナもまた、タケヒコの存在に気付き、驚きを隠せずにいた。

 はるか古(いにしえ)の時から結ばれた縁(えにし)…タケヒコとマナは、ある出来事をきっかけに相見えることとなる。」(公式プログラムより)

 タケヒコ(邪馬台国の戦士、邪馬台兵の長): 明日海りお

 ヒミコ〈マナ〉(倭国連合の中心となる邪馬台国の女王): 仙名彩世

 クコチヒコ(狗奴国の将):芹香斗亜

 李淵(幼いタケヒコを育てた師匠):高翔みず希

 アケヒ(邪馬台国の娘):花野じゅりあ

 奴王ヨリヒク(奴国の王): 瀬戸かずや

 アシラ(邪馬台国の兵の長):鳳月杏

 フルヒ(邪馬台国の村の娘): 桜咲彩花

 ツブラメ(邪馬台国の兵士): 水美舞斗

 フルドリ(邪馬台国の兵士): 柚香光

 イサカ (邪馬台国の女兵士):城妃美伶

 大巫女:美穂圭子

 ヒミクコ(狗奴国の王):星条海斗


 名前と国名と関係性がなかなか頭に入らず、3回観てようやくしっくりときたかな。クコチヒコは実在した人だそうですが、タケヒコとヒミコの少女時代マナは中村先生の創作かな。写実的な史料がない分衣装の自由度が高く、2回目の観劇の時にオペラグラスで明日海さんの後ろ姿もガンミしたらロングコートに大きな金具が施されたベルトがついてました。この衣装の着こなしがほんとに素敵でした。ブーツもよくお似合い。宝塚らしいコスチュームプレイのなせる技。この時代、機織りの技術はもうあったんでしょうかね。ふと考えてしまいました。

 タケヒコとクコチヒコの心理的葛藤があっさりしていることに物足りなさを感じましたが、今の感覚で考えるとそうなだけで四季も一日の時間の感覚も今とはちがっていたわけで今ほど社会が複雑ではなかった分だけ、心理的葛藤も複雑ではなかったのかもしれませんね。背景描写が全くないクコチヒコを適役として黒い衣装と表情と歌で押し切った芹香さんのかっこよさが際立っていました。棒を使うタケヒコに対して剣を構えるクコチヒコの少しかがんだ構え方が何気にツボでした。タケヒコとの戦いに敗れた亡くなり方があっさりしすぎていてもったいなかったな。

 出番が少なかったですがアシラを演じる鳳月さんの横顔の美しさにライブビューイングでは圧倒されました。足も長くって兵士の長の衣装がお似合い。『金色の砂漠』のイスファハンの王が鮮烈でした。フルドリの柚香さんが皿になにかを投げる場面(何を投げているのか最後までわかりませんでした)、千穐楽では、的を外して「マジか?」って言ったのは千穐楽サービスだったかな。背が高いし歌声がのびやかで素敵でした。瀬戸さんのヨリヒクが、ヒミコが神の声が聞こえなくなったと言った時だったかな、「はてさて」っていう台詞の言い回しがツボでした。連合国の仲間の中でヒミコを陥れようと狙う悪役らしい味が上手く出ていました。イサカの城妃さん、小柄ながらかっこよかったし、密かにタケヒコに想いを寄せるようになる片思いぶりがかわいかったです。彼女に対する女性であることを理由とする差別的な言葉が邪馬台国の兵士たちの口から出る場面がなかったのは気持ちよかったです。女性が男性よりも劣っているみたいな固定観念ができあがったのは近世、近代になってからのことでこの頃はそんな観念なかったのかしらとか考えてしまいました。時代考証がそういうところできちんとされていたのかなと勝手に推測。フルヒの桜咲さんは『仮面のロマネスク』のトゥールベル夫人がすごく素敵だった娘役さん。マナから女王となったヒミコへと変化を上手く演じ分けられていた仙名さんの安定感はさすがというべきでしょう。小柄で少女感がすごくあったのが意外といっては失礼ですがかわいかったです。ショー『Sante!!』での少女感も素敵でした。

 まだまだ書きたいことはあるような気がしますが長くなったのでこのあたりでやめておきます。また思いついたら書きたいと思います。長文にお付き合いくださり、ありがとうございました。

 
ぴあ関西版よりお借りしました。

タケヒコ



ヒミコとタケヒコ



宝塚ジャーナルよりお借りしました。

タケヒコとヒミコ



李淵とタケヒコ



クコチヒコ



タケヒコ、フルドリ、イサカ、ツブラメ、フルヒ


花組『邪馬台国の風』

2017年09月16日 18時56分33秒 | 宝塚
 宝塚花組『邪馬台国の風』『Sante!!』、8月5日(土)15時30分~、8月20日(日)11時~、8月27日(日)千穐楽ライブビューイングと3回観劇することができました。花組公演があったから乗り切ることができた8月、心のエネルギーが満たされてほんとにありがたかったです。この3回がなかったらわたし、涸れて倒れてしまっていたことでしょう。明日海さんと花組に感謝、感謝。

『邪馬台国の風』、大劇場公演から演出に変化があったようですが、わたしのなかでは安心してみることのできる宝塚らしい、なかなかに面白い作品となりました。ネットでの評判がよくなかったのでどんな舞台なのだろうとおそるおそるというところがありました。自分の目でみないとわからないものですね。千穐楽は、花組のみなさんの芝居の熱量も半端なかったです。みなさん楽しみながらやっていらっしゃるのかなと感じました。細かいところでは、タケヒコがどうやって薬草と冷たい水で明神探湯(くがたち)に勝利したのかわかっていないでずが、ツボとなるポイントもいくつかあり、物足りなさを感じるところもありますが楽しめました。

 この作品のいいところ、ツィッターでつぶやいている方がいらっしゃいましたが、明日海さん演じるタケヒコが少女時代マナとして出会った仙名さん演じるヒミコが女王として生きることを後押しする、女性が自立して生きることの背中を押す、城妃さん演じる女性兵士イサカに対して、邪馬台国の男役さん演じる男性兵士たちが女性であることを理由とした差別的なことばがいう場面がないところ。瀬戸さん演じる奴国の王ヨリヒクが、ヒミコが女王として政を行うことになった時、「巫女を女王にたてるだと!女のいうことなんかきけるか!」って言う場面がありましたが女性であることを理由とする差別的な台詞はそこだけかな。

 一度は霊力を失い諸国の王たちによって処刑されることとなったヒミコを、タケヒコは連れて逃げようとしましたがヒミコが霊力を取り戻した時、国を治めることがあなたの役割だと言います。そして邪馬台国が安泰すると同時に自分の邪馬台国の兵士としての役割は終わったと知ったタケヒコは、あらたなる場所を求め、ヒミコに「邪馬台国に風が吹くとき、それはわたしがあなたを思っている時だ」といって魏の国(中国大陸)へ旅立っていきます。このラストシーン、サヨナラ公演みたいだっていう声が休憩時間に聞こえましたがわたしは大好きです。銀橋を歩きながら歌う、アルファ波をもつ明日海さんの歌声に癒されました。

「人はそれぞれに宿令をもつ
 この地に生まれ 何をなすべきか
 その定めに気付いた者には
 天が力を与える
 いのちの瞬きのあいだに
 なすべきことをなせ
 いのちの瞬きあいだに
 なすべきことをなせ
 
「この地のめぐみ
全ての人に 与えられるよう」

  いのちの瞬きのあいだに
 なすべきことをなせ」


 オタクにしかわからない話でした。明日あらためてもう少し詳しく書くつもりです。またまた連投失礼しました。宝塚は楽しいです。この世にいる間の生きる楽しみ。舞台は心の糧。18日(月)11時開演の月組公演に間に合うように行けることが今のわたしのささやかな目標です。



熊沢誠『女性労働と企業社会』より(8)

2017年09月16日 17時54分17秒 | 本あれこれ
「エピローグ‐二章2節(5つのライフヒストリー)の女性たち・その後

  同棲が結婚と同じように社会的に保障されているノルウェーでは、いま生まれる子供の2人に1人は婚外子で、子供のいる世帯の20%はシングルマザー家庭。その立場でも、女性の平均月収の半分ほどになるシングルマザー手当てなど国からの援助を給料に加えれば、ふつうに生きてゆける。「シングルマザーの多い社会を「不道徳」と非難できるだろうか。シングルマザーの少ない日本のような国は、中絶を陰に陽に強いる社会でもある・・・(『熊本日日新聞』2001年1月5日)。共同通信社の飯田裕美子は、最近こんな取材記事を書いている。

  1999年に旅行会社を退社した田代真弓は、雇用保険の教育訓練制度をつかって社会保険労務士の資格取得の勉強に通っている。退職後しばらくすると、もう仕事に行きたくなった。5歳になる娘にも、なにかはできる女性になるよう見本を示したい。さらに勉強して資格をふやし、数年は社会保険労務士事務所で経験を積んで、ゆくゆくは自分の事務所を開きたいと思う。

   高村由美は、住友金属を退職後、大学に入り、苦学して大学院に進学していま社会学を学んでいる。在職中、彼女は「勤務し続ける中で状況を少しでも改善していこうと考えることができなかった」。けれども彼女は入社3年目に、JK(自主管理)活動女子リーダー会の場で、その事務局を担当する、のちに住友金属男女賃金差別訴訟の原告の一人になる北川清子に会っている。北川は大阪本社で最初の「結婚しても出産しても退職しなかった女性」にほかならないが、 高村がはじめてみた「補助業務ではない仕事を主な職務にしている女性」でもあった。在職しながらこの職場を変えるという、当時の自分にはできなかった営みに挑戦する原告たちに心情を託して、高村はさきに紹介した裁判の陳述書を書き、2000年5月には大阪地裁の証言台にも立った。

  矢谷康子は、なお働きながら、企画職への「転換試験」にも挑戦しながら、住友系三社性差別裁判の原告の1人として、なかまとともに拡がりをもった闊達なアッピールを続けている。国連特別総会「女性2000年会議」の開かれたニューヨークにも訴えに赴いた。結審・判決の日もそう遠くない。

  2000年3月、およそ2年の闘いの末、森田電エパート労組は大阪地裁堺支部での和解に応じた。指名解雇は撤回、9人のうち5人は、高卒の新入社員扱いながら正社員として雇用、 4人は希望退職、パート組合に解決金500万円(退職者への退職金に充当)という内容である(『読売新聞』2000年3月15日)。いくつかの譲歩はあれ、それは大きな達成だった。注目すべきことに、5人と4人のふりわけは会社の人選によってではなく、なかまの話しあいによって決定されている。5人のなかにはたとえば、8年の正社員勤務、17年のパート勤務ののち、ふたたび正社員としてなじみの工場で働き続ける人もあった。」

(熊沢誠著『女性労働と企業社会』第五章ジェンダー差別に対抗する営み_パートタイマーの明日、2000年10月20日、岩波新書発行、218‐220頁より引用しています。)


女性労働と企業社会 (岩波新書)
クリエーター情報なし
岩波書店

明日のことは誰にもわからない

2017年09月15日 22時46分56秒 | 日記
 中学時代の同級生の男の子が昨日事故で亡くなったとのメールがはいりました。15年ぐらい前かなあ、こっちに仕事で来たときに連絡くれて2・3回デパートの食堂街でごはん食べました。学年で他のクラスでは亡くなった人がちらほらいるけれどわたしがいたクラスは全員無事だったのに、明日のことは誰にもわかりませんね。今やりたいと思うことをやれるなら、やっておかなければ、一日一日を生きていかなければとあらためて思う次第。イケメンではなかったけれど人当たりがよかったし勉強もできた方だったしわりとモテてたしかわたしの小学生時代からの友だちとつきあったりとかありました。結婚したのも早かったはず。なので子どもが小さいとかではないですが旅立つには早すぎます。なんだかやたらと中学時代の姿が思い出されます。9月はわたしにとってお別れの季節ですかね。メールをくれた同級生の女の子に、わたしの分まで手を合わせてくれるようにお願いしました。立派なおじさん、おばさんの歳ですが、同級生は男の子、女の子、~君なんですよね。

 本日三度目の投稿、失礼しました。書かずにはいられませんでした。


ささやかな森林浴

2017年09月15日 19時08分51秒 | 日記
 台風の接近で朝から蒸し暑い秋の始まりの一日、昨夜極端な夜更かしはしていないのに二度寝して目が覚めたら9時半を回っていました。8時間以上眠ったことになります。びっくり。去年から慣れない仕事の連続でずうっと緊張し続けてきた疲れが出ているということでしょうかね。昨年は1年10か月ぶりの仕事でしかもはじめてのことだらけ、外からも中からも怒られどおしで緊張し続け、今年に入ってからは援助職を細切れにやったので慣れない人を相手に一回一回脳ミソのエネルギーをフル回転させながら神経を使い、あまり眠れませんでした。8月末で業務終了となった時、あまり眠れていないという話をお隣の方にしていたので、まずよく寝てくださいね、って声をかけられました。夜自分の部屋にいる時がいちばん緊張して胃の痛みがとまらなくなるのですが寝ている間は耳栓しているし、引きこもりのオッサンにストレスを与えないよう、特に午前中は音を出さないようにしながら過ごしています。なのでこんなふうに眠れるとは思っていませんでした。体が正直に、疲れているから休ませてよと言っているということなんでしょう。だんだんぼうっとしてきて今日が何日なのかわからなくなったりしていますが、それでいいと思います。休んでもやるときはやれるとわかったので今は休みましょう。かといって部屋にずっといても休まらないので、部屋の中まだまだぐちゃぐちゃ状態ですが、部屋の中でしかできないことがたくさんあるのですが今日も午後は放浪しました。

 五島美術館の庭園めぐり。20数年ぶりのたぶん、二回目です。さすがの高級住宅街。立派な邸宅が立ち並んだ一角にあります。10月前半の一週間だけ特別展示される紫式部日記絵巻をみるためにまた訪れたいので今日は庭園だけにしました。300円也。湿度が高いので蚊がすごかったですが久しぶりにささやかな森林浴。緑のシャワー。こういう時間も必要ですね。ムラサキしきぶ、光源氏と名付けられた花が咲いていました。高校時代に参考書を片手に呼んだ「紫式部日記」。ノートに原文と現代語訳を書き留めました。断捨離しましたがデジタルでは残したはず。読み返したいな。いま読んだら全く違うものを感じ取るだろうなと思います。10代の頃にはわからなかったことを感じ取ることができるだろうなと思います。

 まだまだ整理できていないモノで部屋の中はあふれかえり中。明日と明後日はまた断捨離をしたいです。お別れしようと思っているモノひとつ。今日は妹の遺品の中にあった革のコートとお別れしました。20年以上眠ったままになっていたのをわたしが袖を通していましたが傷みがでてしまいわたしには管理しきれないので妹に詫びながらお別れしました。ひとつひとつ、お別れ、少しずつ少しずつ、断捨離。道のりはまだまだ遠いです。明日は『邪馬台国の風』の観劇日記を書ければと思います。そろそろ帰りたいけれど帰りたくない我が部屋に帰りますか。オッサンは不気味です。ずうっとずうっといるし、階下でリフォーム工事をしている音にケチでもつけたのかな。今日の午前中バタバタと人がなんども訪れていました。なんじゃろね、外面がいいDV男の気配を感じないでもない。あー気持ち悪い、不気味。荷物を少しでも減らして逃げ出したい。がんばれ、自分。

 ススキの穂が顔を出していました。もうすぐ中秋の名月、父とのお別れから7年、井本とのお別れから24年になるのかな。




ムラサキシキブ








光源氏




春のプリンス・エドワード島への旅_銀の森屋敷(赤毛のアン博物館)

2017年09月15日 10時32分01秒 | プリンスエドワード島への旅
 昨夜は一日の終わりの息抜きのつもりでプリンス・エドワード島の写真を投稿しようとしましたが、サーバーがおかしかったですね。失礼しました。

 モンゴメリさんの母方の親戚の家で、子どもの頃よく遊びに行っていた「銀の森屋敷」。37歳で結婚した時、自分の家がなかったモンゴメリさんはこの家で結婚式をあげてユーアン・マクドナルド牧師のもとへお嫁に行きました。

 トップの写真はモンゴメリさんが寝泊まりしていたお部屋の鏡。


パムさんにうながされて園内を一周するマシュー馬車に便乗していました。
ほんとは有料だったみたいです。



豪華な台所のストーブ。



 
 いろんな緑にあふれた春のプリンス・エドワード島の写真、まだまだあるので少しずつ、少しずつ、秋の島もね。

 あまり眠れないまま緊張し続けた疲れがきているのか、極端な夜更かしはしていないのに朝起きられなくなってきています。お昼を食べるのにお部屋を出たら、暗くなるまで帰れず放浪している疲れもあるのでしょう。あんなに大変な仕事を短期集中で慣れないことの連続でやったのだから疲れていて当然。誰はばかることなくもうしばらく秋休み。