たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

デビュー50周年記念『萩尾望都ポーの一族展』

2019年11月19日 17時24分22秒 | 美術館めぐり
 平日の夜、なんとか終わらないうちにいってきました。入口が風でカーテンをはためかす演出になっていて、作品の世界観を醸し出していました。宝塚の衣装コーナーは撮影OKとのことで撮ってきました。衣装はエドガーとアランのみでイメージよりもさみしい感じでした。花組公演のダイジェストが流れていて、昨年お正月に大劇場で観劇したことがすごく遠い日のことのように、懐かしく思い出されました。

 1970年代の原画には、「返却求む」とメモが書かれていて、それだけ守られていなかった時代の中でこれだけの作品を生み出し、きちんと手元で保存されているのはすごいことだと思いました。原作を読んだことないまま花組公演を観劇したので、会場で原画の台詞を時間かけてひとつひとつ読んでいきました。小池先生、要所要所で原作のセリフとあらすじをそのまま生かしながら巧みに舞台作品としてまとめあげたのだとわかりました。さすがお見事と思いました。

 原作者の年齢と共にキャラクターも変化していくものなのですね。個人的には最新よりも1970年代の青い雰囲気のエドガーとアランが好きかな。

 「メリーベルはどこ?」

 「知ってる?きみは人が生まれるまえにどこからくるか」

 「知らない・・・」

 「ぼくも知らない だから メリーベルがどこへいったかわからない」

 「・・・生まれるまえに・・・?!」

 舞台の中で心に残った台詞は、萩尾望都さんから生まれた言葉でした。哲学・・・。
















 花組の舞台、みりおさんのエドガーに対してアランは光さんでなければならなかったということなのかなとふと思いました。だからキキちゃん組み替えだった? いやいやそんなことはおいといて、24日はみりおさんの大千穐楽。中継の映画館の数はすごいことになっています。それに耐えうる作品かということは別にして、人気の凄まじさを物語っています。わたしも映画館で見送りたいと思います。わたしの中でみりおさんの持ち味を最大限に引き出したナンバーワンは、ライブビューイングでしたが『金色の砂漠』、その次が『ポーの一族』かな。

茂木健一郎『「赤毛のアン」に学ぶ幸福になる方法』より_想像力はどこから生まれるのか

2019年11月19日 16時40分16秒 | 本あれこれ
「人間の想像力を生み出す原動力となるものは、何でしょう。

 それは、幸福感よりはむしろ、欠乏感ではないでしょうか。

 アンは、グリーン・ゲーブルズに引き取られる前までは非常に恵まれない境遇にいました。それは、彼女の生い立ちからみても分かります。母親は、アンが生れて三カ月目に、熱病で死んでしまい、父親もその四日後に、やはり同じ病気で亡くなっています。両親とも出身地が遠く、親戚がひとりもいなかったため引き取ってくれる人は誰もいなかった。その後、いくつかの家庭に引き取られてきましたが、結局は彼女を養い愛しむほどの余裕を持った家とはめぐり会えずに、最終的には孤児院に引き取られました。愛に餓えた極めて厳しい境遇で育ったのです。

 アンの想像力はつまり、疎外や「deprivation」(ディプラベーション)、すなわち欠乏から生まれているのです。現実世界での欠乏感が想像力を掻き立て、それを補おうとするときに爆発的な想像力が生み出される。アンが、過酷な人生を生きていくことに耐えられるようにしてくれたのが、想像力だったのです。

 そうしてアンの想像力がどこから生まれたのかという問題は、実は、文学がどうやって生まれたのかという問題とも重なってくると思います。

 つまり、文学の「起源問題」を考えてみたとき、そこにはおそらく「現実のやりきれなさ」が存在していると思うのです。どうしてこの世に自分は生きているのかという問題から始まり、その自分が生まれる前の世界はどうやって創られたのか、あるいは国家はどのように成立したのか、はたまた、人は死んだらどこにいくのか、すべて分からないことばかり。それら「現実世界においてのやりきれなさ」を何とかなだめるために生まれてきたのが、文学のもともとの起源だと思うのです。

 その意味ではアンの持つ強烈な想像力も、このような文学の起源の本流に則った精神活動のような気がします。いま自分の目の前に横たわっている過酷な現実を、なんとかなだめて生きて行く。厳しい現実の世界に耐えられるようにしてくれる、ひとつの装置として生まれてきたのです。」

「赤毛のアン」に学ぶ幸福になる方法 (講談社文庫)
茂木 健一郎
講談社