たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

2014年『キトラ古墳壁画展』

2019年11月23日 16時42分04秒 | 美術館めぐり
 奈良県明日香村のキトラ古墳(特別史跡)に描かれた壁画を後悔する「キトラ古墳壁画展」が2014年4月22日(火)から5月18日(日)まで上野の東京国立博物館で開催されました。わたしはゴールデンウィークが始まった初日にいきました。上野公園のなかで一時間ぐらい並んでようやく入場できたかな。13年間働いた大会社から使い捨てにされて、気がつけばそんなつもりは全くなかったのに労働紛争が始まろうとしていた頃でした。部屋にはいられず、日中の居場所をなくして孤独でした。こうして逃げ場所がありほっとしました。次に進んでいくために、これまたようやく思い出ふりかえり。

 会場におかれていた朝日新聞の別刷りより。

 「キトラ古墳とは、7世紀末~8世紀初めに築かれた直径14m、高さ約3.3mの円噴。石室の四方の壁に中国の神獣・四神(青竜・白虎・玄武・朱雀)、動物の顔と人間の身体を持つ十二支像、天井に天文図が描かれていたが、保存のために取り外された。被葬者については天武天皇の皇子や大臣クラスの豪族、朝鮮半島から亡命してきた百済王家の人物などの説がある。」

「緻密なタッチが映す国民性 漫画家里中満智子

特別展「キトラ古墳壁画」に来られた人たちには、とにかく自分の目で見て、何かを感じてもらいたい。「意外に小さいんだな」と思うかもしれませんが、小さくても丁寧に描かれていて、大きくアップにしても観賞に堪える柄です。その絵に被葬者へのどんな思いが込められているか、それぞれに考えてほしい。

 私にはキトラ古墳の被葬者がだれとまでは言えませんが、皇族の一員だったと思います。キトラ古墳の壁画には当時の理想とされる美しい世界が描かれています。邪悪なものから被葬者を守るために四神を、「ここがこれからあたなの世界ですよ」と伝えるために天文図を描いたのでしょう。十二支は非常に小さいですが、タッチが生き生きとしてうまい絵。心をこめて描かれたと思います。

 私は今、1983年から執筆し続けてきた「天上の虹」の最終巻に取り組んでいます。この作品では、後に文武(もんむ)天皇となるかるの皇子の后・紀皇女(きのひめみこ)と、その不倫相手の弓削皇子(ゆげのみこ)の墓が、それぞれ四神を描いた壁画古墳になっています。紀皇女の墓には安らかに眠ってほしいというかるの皇子の願いが、弓削皇子の墓には、せめt墓は立派にし、この世に戻ってこないようにしようというかるのの祖母・持統天皇の思惑が込められた、というストーリーにしました。

 中国のお墓の壁画は非常に大きくて迫力がありますが、細かいところは省略したり、雑だったりする。日本の壁画は狭い空間に合わせた大きさで、緻密に描かれる。民族の考え方、感じ方の違いをひしひしと感じます。日本人は外来文化を自分たちに合わせてどんどん変えていきますが、お墓の壁面からも国民性が見えて面白いですね。」


「高度な死生観と精神力文化 青柳正規文化庁長官

 1972年に発見された高松塚古墳壁画の保存修復方針を決める際には、イタリアでの古代壁画保存の経験が強く反映された。

 イタリアでは50年代から壁画のはぎ取り保存が盛んに試みられた。しかし乾燥による退色が問題になり、主流は現地保存に切り替わった。ちょうどそのころに高松塚古墳が発見され、イタリアにならって現地保存の方針が決まった。高松塚古墳のしっくい層は極めて薄く、はがすのは困難だという事情もあった。

 イタリア・エトルリアの墓に描かれた壁画は、死語の世界でも現世と同じ生活が続くという思想によるもの。黄泉の国の世界観・宇宙観を描いたキトラ古墳の壁画は、より高度な死生観を反映している。壁画からはこうした精神文化が読み取れる。そこに込められた古代の人々の思いを長く保存できれば、と思う。」