たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

茂木健一郎『「「赤毛のアン」に学ぶ幸福になる方法』より-アン・シャーリーの感化力

2019年11月03日 18時29分46秒 | 本あれこれ
 「僕は、アン・シャーリーにはどこか化け物じみたところがあると思っています。彼女は、アボンリーのコミュニティに入るや否や、爆発的な感化力で周囲の人々を変化させていくからです。特にアンの登場の場面、マシューと初めて言葉を交わすところを描いたシーンは強烈で、非常に印象的です。

 孤児院から来る予定の男の子を、駅に迎えに行ったマシュー。ところが彼が駅に着いてみると、そこには女の子がひとり、ぽつんと座っているだけでした。マシューは、ちいさな女の子がこの世でいちばん苦手です。今まで自主的に女の子に声をかけるなんてことをした試しがない。それなのに、駅にはその小さな女の子しかいないのです。助けを求めようにもマリラもいない。ためらった末に仕方なく近づいていきます。すると、女の子の方から話しかけてきた。

「グリーン・ゲーブルズのマシュー・カスバートでんでしょ?」女の子は、澄んだかわいらしい声でいった。「よかった、来てくれて。来てくれないんじゃないかって心配になってきて、来られなくなった理由を片っ端から、頭の中で並べ立ててたとこだったの。もし今夜迎えてきてもらえなかったら、線路が曲がるところまで歩いていって、あの大きなサクラの木に登って夜を明かそうと思っていたのよ。あそこなら怖くないから。お月さまの光の下で、真っ白なサクラの花に包まれて眠るなんて、すてきだと思わない?大理石の家に住んでいるんだって、想像できるもの。それに今夜迎えにきてくれなくても、明日になれば絶対来てくれるって、信じてたわ。」

 初対面のマシューに対して、アンはいきなりすごい勢いでしゃべり始めます。第一声がこれとは。よくよく考えればけっこう「衝撃的」です。変わり者であることは間違いない。普通なら、会ったばかりの人にいきなりこんなことは言わないでしょう。そして、グリーン・ゲーブルズに到着するまでの馬車の中でも、ずっとしゃべり続ける。

 おそらく、マシューとマリラが住んでいた世界には、アンのような人はいなかったはずです。それまで、プリンス・エドワード島の住民というのは、自分たちが暮らしているところが、アンが感激するような世界でいちばん美しい夢の国だとか、魔法の国だなんて思って暮らしていたわけではありませんでした。みんなどちらかというと退屈な日常を淡々と暮らしてきたはずです。もう人生なんてそんなにおもしろいことなんてないと思っていたかもしれない。マシューにしても、マリラにしても同じです。

 ところが、アン・シャーリーという想像力に満ちた一人の少女が、島にやってくる。これまで大して変化のない毎日を送ってきた、マシューやマリラたち島の人々の生活が、そのときから一変します。皆が次第にアンに感化され、変わっていく。彼女の存在を通して、自分たちの中にあった若々しい気持ちを思い出し、人々の生活や気持ちがいきいきと動き出すのです。

 まっさきにアンに感化されたのはマシューでした。彼はその後も、アンの良いところをたくさん発見してくれる、アンにとっての最大の理解者です。そしてマリラも、最初は女の子なんていらないと言っていたにもかかわらず、アンが来てから二・三日した頃は、自分がすっかり変わってしまったことに気がつく。もう、アンのいない元の生活には戻れないだろう、ということを悟るのです。

 では、アンの感化力は、どうしてそれほどまでに強烈なのでしょうか。それは乳幼児にたとえると分かりやすいかもしれません。

 たとえば、生まれたばかりの子どもは生きるという本能、生きる喜びに満ち溢れています。そんな彼らを見守る周囲は、自然と彼らの生命力に惹きつけられ、喜びに感染していく。人を感化する力は、「自分で自分が何者か分かっていない人」がいちばん強いのです。子どもは、自分が何者であるかなんて、分かりはしない。だからこそ、周囲を感化していく。もともと子どもにはそういう感化力があるのです。周りを爆発的に変えていくような。

 アン・シャーリー自身も自分を突き動かしている衝動や夢が何のか、分かってはいません。分かっていないからこそ、周りの人々を次第に感化していくことができたのです。」