たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

『ゆきのひのたんじょうび』

2015年05月29日 22時33分06秒 | いわさきちひろさん
「もう ひとつねると
 ちいちゃんの おたんじょうび
 
 おかあさん
 わたしが うまれたとき
 ゆきがふってたって ほんと?

 わたしは いつつになるのよ
 ろうそくだって ごほんいっぺんに
 けしちゃうんだ

 でもきょうは ともだちの おたんじょうび
 それで かーどを かいてたの」


「おほしさま おほしさま
 
 あしたの おたんじょうびには
 なんにも いらないって おかあさんにいったけど
 ほんとは ひとつだけ ほしいものがあるの

 あした
 まっしろな ゆきを ふらせてね
 わたしの うまれた ひみたいに」



「あっ
 やっぱりふった
 ほんとにふった

 すごーい

 おかあさん
 みてー

 さあ ゆきのたんじょうびです
 
 あかいぼうしと
 てぶくろだって
 おかあさんからもらったの

 ちいちゃん おめでとう
 おたんじょうび おめでとう」

 
(岩崎ちひろ/絵と文 武市八十雄/案 
 『ゆきのひのたんじょうび』至光社 1973年第10刷 より)


私が生まれた日の朝、3月だというのに朝雪がふっていたと小さい時から
くりかえし父にきかされて、いつのまにか私のなかにとけこんでいた
『ゆきのひのたんじょうび』。

なつかしい本のにおい。
なつかしいちひろさんの絵。
それはあったかだった家族のにおい。
それは、家族って幸せだって思っていたころのにおい。

なんでなんだろう。
なんでこれでもかこれでもかと試練がやってくるんだろう。
神様っているんだろうか。
慟哭のように心からそう叫びたくなる、
そんな心持ちですごしている、
それでも自分に与えられた時間を
どうにかこうにか生きていこうとしている。
わたしばかりでなく、社会の表にあらわれないだけでたくさんいらっしゃる。
どこにも答えのない問いかけを続けながら、命をつないでいる方はたくさん
いらっしゃる。

生きるという営みは、本当にせつなくきびしくむずかしいもの。
明日何がおこるのかわからない。
私が避難しなければならなくなったら、何をもって逃げるんだろう。
自然の前には無力であることをあらためて知らされ、ふと考えてみる。
3.11とそのあとの原発事故の緊張の日々がよみがえる。

私の心の傷は思ったよりも深そうだと自覚し始めている。
あまりにも苦しすぎたので、回復はやはり簡単ではなさそう。
でも利用できる社会資源はないので、なんとかしていかなければならない。
焦りと背中合わせの、心から休むことはできない日々。
他の人が私だったら、さっさと忘れて気持ちを切り替えて、
次へと歩いていくことができるんだろうか。

あなただったらどうしますか?
たくさんの人にたずねてみたいけれど、
話がでかすぎるし、ややこしすぎて説明するだけで大変なので、
結局たずねることができない。
相談する前に、わかってもらえるように話して説明するだけのエネルギーはもうない。
なんどもなんどもなんどもやってきたので疲れちゃった。
話すのむずかしいから、孤立したまま日々は過ぎていく。

自分で決めたひとまずの締め切りを目標にしてこのままやってみるか。
その先はなにもわからない。決められない。

Mちゃんの分まで生きるのが大切な役割。
そしてきっとこれからは見守られながら、本当に自分のために生きる時。
模索の日々は続いていく。
それほど猶予はないが仕方ない。


なつかしい本のにおい。
幸せだった家族のにおい。

母が一生懸命に育ててくれたんだから
わたしはきっと大丈夫。



ゆきのひの たんじょうび (至光社国際版絵本)
岩崎 ちひろ
至光社