たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

旅の思い出写真_ノイシュヴァンシュタイン城

2015年05月17日 21時48分45秒 | ドイツロマンティック街道とスイスアルプス
断捨離もようやく進んできた感で、自己肯定感回復へのプロセスをゆっくりと歩む中、
久しぶりに、2007年10月の旅の思い出写真を更新します。
なんだかやっとここまできた感です。

写真は、以前の携帯で撮っているので解像度が低いですが雪の中のノイシュヴァンシュタイン城。日本を出発してから四日目。2007年10月23日。

ライン河クルーズ→ロマンティック街道・ヴュルツブルク市内見学→ロマンティック街道・ローテンブルク市内の見学→スイスアルプスへとバスで長期離移動している途中で見学しました。
移動途中からだんだんと雪が舞い始め、どんどんと降りしきる感じになっていって、
お城に着いたころにはすっかり雪に包まれていました。
雪が降ると静寂感もあって、途中の雪景色も、雪に包まれた城も、すごくきれいでした。

この城を建てたバイエルン国王ルートヴィヒ二世は、エリザベートのいとこ。
見学の後、売店で購入した日本語のガイドブックから関連の箇所だけ引用してみます。

「若き国王の異性とのつきあいは少なかった。1864年の夏の四週間をバート・キッシンゲンで過ごした時は、熱狂する女性に囲まれ、いたるところで大人気であった。この年にはルートヴィヒがロシア皇帝の王女をバイエルンに連れ帰るという噂が立ったが、憶測にすぎず民衆はがっかりしたものであった。いとこでオーストリア皇帝妃であったエリザベートとだけは生涯を通じて親交があった。

1867年1月22日、ルートヴィヒ二世と敬愛するオーストリア皇妃エリザベート(愛称シシィ)の姉妹でいとこにあたるバイエルン王女ゾフィー・シャルロッテの婚約が取り交わされ、婚儀は1867年10月27日と決められた。金色の馬車が用意され、記念硬貨も鋳造された。ところが突然10月10日になって若き王は婚約を解消してしまった。以来王は再び結婚のことを考えることはなかった。」

 東宝版『エリザベート』の終盤では、1886年6月ルートヴィヒ二世が湖で亡くなったことが、晩年のシシィに次々と不幸がおそいかかっていったことを象徴する出来事の一つとして描かれます。ハプスブルグ家のことを本で読んだりしているととまならくなってしまうので、これぐらいにしておきます。


ガイドブックに掲載されている若き日の王の姿。たしかにかっこいいですね。