たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

祈りの日

2015年05月04日 00時00分40秒 | 祈り
今日は妹の誕生日でした。生きていればいくつになっていたのかな。
考えてみたら信じられないような気持ちになりました。
縁あってたまたま今日という日に、都内のお寺さんの永代経法要にお招きいただきました。
3月にグリーフケアの集いで初めておじゃましたお寺さんです。

私が自分は自死遺族であることを人に語れるようになったのは母親とのお別れから一年ぐらいすぎてからのこと。なにか人に伝えていかなければならないような思いに勝手にかられてからのことでした。それでこのブログも始めました。
それまではほんの限られた人にしかいうことができませんでした。
今は語っても安全だと思える場所であれば語るようにしています。
語ることで思いもかけない事件遺族の方とのつながりができて、そのご縁で
グリーフケアの集いに参加し、今日の法要へお誘いいただくこともできました。
感謝です。

3月に初めて当事者として話をさせていただくにあたって自分の21年の心の歩みを時系列で振り返りました。自分のことなのに涙が出てきてしまったことは以前にも書いていると思います。
あれほど泣いたことも苦しかったこともやっぱりなかったです。
なぜ自分の家族なのか、なぜ自分の妹なのか、答えがどこかにあると思って探し続けたけれど
どこにもありませんでした。
消し去ることも、乗り越えることもできない。そのまま受けとめて一緒に生きていくのが私に与えられた役割。

たくさんのことを教えてくれました。たくさんの出会いをくれました。
私なりのやり方で、細々とですが受けとめて伝えていきたいと思います。

生きていくことはほんとうにこれが絶対に正解だというものはなくて、とりとめのないことの連続。迷い道、小道。あっちにぶつかり、こっちにぶつかり、ジタバタジタバタしながらやっている私を、妹はどんなふうに空からみているんでしょうね。
ばっかだなあって笑っているのかな、がんばれよっていってくれているのかな。
わかりませんが、普通はやれないような混乱をやりきったのは妹がずっと背中を押してくれて
いたからにちがいないと思います。そういう力がなければやれないぐらい大変なことでした。
大変なことでしたが、自分自身のために必要なことでした。
きっとこれからも見守ってくれている、きっと導いてくれると信じて、もうしばらくこのまま進んでみようと思います。

妹の分まで生きるのが私の大切な役割。
そこがぶれなければきっと大丈夫・・・。