たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

『エリザベート』の思い出(5)

2015年05月19日 22時59分23秒 | ミュージカル・舞台・映画
「19世紀末のこの時代、ハプスブルク王朝のオーストリア・ハンガリー二重帝国は世紀末の文化が花開いていた。当時多民族国家のハプスブルク帝国は政治的には斜陽の落日の一途をたどっていた。支配下にあった北イタリアとの戦いに敗れ、イタリアは独立、北方の雄プロイセンとの戦いにも大敗して圧倒され、きびしい試練にさらされていたが、文化的には音楽、絵画、文学、建築、都市計画、法学、経済学、医学と多方面の分野に天才たちが輩出し、アルプス山脈のように峨々たる多様な高度の文化を築き上げていた。

 エリザベートの美しく典雅な気品ある姿はこの絢爛たる王朝文化の象徴のようであったが、その死の20年後の1918年、第一次大戦の終結とともに、700年近く中欧に君臨してきたハプスブルク帝国は崩壊した。彼女の死はその弔鐘でもあった。」


(2000年東宝初演『エリザベート』のプログラム、
 塚本哲也「ハプスブルク家と皇妃エリザベート」より引用しました。)


2009年9月25日から12月14日まで国立新美術館で開かれた『THEハプスブルク』で購入した絵葉書より。


1865年のシシィの肖像画。
舞台はプロローグの後、16歳のシシィがこの肖像画から飛び出す場面から始まります。
一幕最後の鏡の間で、この肖像画を模した豪華な衣装を身にまとったエリザベートが、
「私だけに」を歌いあげて、自我に目覚めたことを印象づけます。
東宝版は、エリザベートが「私に〰♪」、宝塚版は、トートが「エリザベート〰♪」と歌って一幕終了。
今年の夏の舞台はこの場面がどんな豪華な衣装になるのか楽しみです。



1865年-70年頃のフランツ。エリザベートとはいとこ同士です。
結婚によって領土を広げてきたハプスブルク。マリー・アントワネットも
ハプスブルクです。
家系図をみながら、ルドルフがもっと長く生きていたら世界の歴史は違っていたんじゃないかと思ってしまいます。ルドルフはエリザベートの気質を受け継いだ人でした。

宝塚初演、雪組の舞台の成功は、妻にも息子にも先立たれながら皇帝としての政務を全うし、
てハプスブルクの終焉をみることなくこの世を旅立つ忍耐の人、フランツを演じた高嶺ふぶきさんの功績も大きかったと思います。エリザベートの影にまわる、地味な役柄ですが、舞台全体を支えていました。

「皇帝は自分のためにあらず、国家と臣民のために生きる。
 険しい道を歩むもの。
 皇后となる人にもひとしく重荷が待っている♪」

シシィを見初めたフランツが言い聞かせますが、16歳の溌溂とした自由人のシシィにわかるはずがありませんでした。シシィと世界中を旅することを夢見てフランツと結婚しますが、
待っていたのはがんじがらめの宮廷のしきたりでした。
結婚式の後の舞踏会で、トートがシシィに「おまえの過ち」としのびよっていきます。
うまくつくられています。

終わらなくなるので今日はここまでにします。