時々新聞社

慌ただしい日々の合い間を縫って、感じたことを時々報告したいと思います

10億円の寄附

2007年11月19日 | 社会問題
「ふるさとにどーんとビッグな恩返し」という見出しで、神奈川県大磯町の女性(88歳)が米寿の誕生日を迎えた16日に、「教育やスポーツ振興に役立ててほしい」と生まれ育った同県南足柄市に10億円を現金で寄付、市役所で贈呈式が行われた、という記事が話題になっていた。
一般庶民からすれば、それだけのお金があれば、自分ならどのように使うだろうかとか、どうして自分の好きなように使わないのかとか、自治体ではなくお金に困っている団体などに直接寄附した方がよかったのではないかとか、さまざまな気持ちを抱いたことだろう。
10億円という金額は、南足柄市の年間予算の6.7%に相当するというから大変な金額であり、市としても相当立派な施策ができることだろう。
お金を溜め込んで、挙句の果てには、溜めこむことそのものに生きがいを見出すような風潮の中で、なかなかできることではない。世の金持ち連中にも少しは見習ってもらいたいと思うほどである。
夫婦で事業を起こして作ったお金を社会のために使って欲しいという気持ちは大変立派であり、心から敬意を表したい。
しかし、一方でインターネットに載っていた写真を見て、少し幻滅を感じたのも事実である。
10億円を贈呈するのに、なぜ目録のみを贈呈し、銀行振り込みにしないのだろうか。
なぜ、テーブルの上に、これ見よがしに1000万円の束が100個、重さは約100キロにもなるという10億円の現金をピラミッド状に積み上げなければならなかったのだろうか。
これだけの1万円札の「新券」を準備し、何人もの銀行員を使って(おそらく警備員も同行しただろう)トランクに詰めて市役所まで運ばせてテーブルの上に並べるという馬鹿馬鹿しい行為をなぜ敢えて行う必要があったのだろうか。
所詮は、虚栄心を満たすだけの行為だったのではないかと勘繰るのは、貧乏な編集長のひがみなのだろうか。
率直に言って、興ざめする写真だったと申し上げておこう。


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1 コメント

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10億円の寄付 (そまん)
2007-11-20 20:01:52
新約聖書のマタイ福音書6章の「施しをするときは、右の手のすることを左の手に知らせてはならない。あなたの施しを人目につかせないためである」を思い起こしますね。私もこういう行為をするのならば、誰にもわからないように密かにやるべきだと思います。匿名で、誰が出したかわからない位に密かにやればすごいなと思いますが。
マスコミを読んで、これ見よがしに報道させるなんて、折角の寄付が台なしじゃないかと、私などは感じます。
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